細く長い道をてくてくとキラは歩いて行く。
車はダメだと言われたから、古いムービーの中に住まう人のように駅からずっと歩いている。
空は高く、陽射しは強い。
調節されていない気候に汗を滲ませながら、キラは真っ直ぐに一点を目指す。
季節は初夏。
空は青く、大地は緑で、ああ、この色だとキラは思う。
途中で農作業をしている老人に出会って、キラは、こんにちはと挨拶した。
「見ない顔だね」
キリエと呼ばれるこのコミューンでは、文明と決裂した人々が昔ながらの生活をしている。地球にはこうした団体や居住区が幾つもあって、この町もそうした中のひとつだ。
「友だちに会いに来たんです」
額の汗を拭いながらキラは答えた。
年々加熱していく宇宙開発に反発して生まれたネオ・クラシック主義は、コーディネーターやプラントと相反するものだが、彼らはルールを守るものには比較的寛容だと言われている。彼らに取っては、コーディネーターもナチュラルも等しくヨソモノだからだ。
「外れのべっぴんさんのことかい」
この町で外部から人が訪ねてくるような住人はひとりしかいない。
「この道を行けばいいんですか?」
キラが尋ねると、老人が頷いた。
「すぐにわかるよ」
礼を言って再びキラは歩き出す。
映画のセットのような町を抜けてなだらかな丘を下ると、とうもろこし畑が見えた。道の反対側にはひまわりの一群があって、背の高い植物の向こうに小さな家が見える。
知らず足早やになったキラは、とうもろこしの海の中、ひょこひょこ動く麦わら帽子を見付けて、どきりとした。
とうもろこしをかき分けて、麦わら帽子に近付く。どきどきはどんどん大きくなって、キラは足音やとうもろこしをかき分ける音より、心臓の音で相手に気付かれるんじゃないかと思った。
彼だろうか。
不安になるのは落胆したくないからだ。しかしキラが彼を見間違うはずもない。
硬い葉の先に見える、薄い背中や細い腰や、何より麦わらから覗く蒼い髪。袖から覗く華奢な腕はキラの記憶のままに白い。
とうもろこしの向こうにトマトの株があって、彼はそれを収穫しているようだった。
周りには相変わらずハロが複数ころがっている。そのうちのひとつがキラに気付いて、ハロハロこんにちわーとコロコロ近付いてきた。
「ハロ?」
振り向いた彼は紛れもなくキラの彼で。その彼の目がキラを認めて見開かれる。彼の唇が何か言うより早く、キラは彼に走って飛びついた。
「――アスラン!」
「キ、ラ……?」
「アスラン、アスラン」
麦わら帽子が飛んで、アスランの身体がよろけそうになる。
ぎゅっと強く抱き締めると、アスランが肩に頭を預けて、「キラ…」と甘い声で呼んだ。
「お腹すいてない? 何か作ろうか?」
お茶を出してくれたアスランが、もう何度も招いてくれたみたいに聞いてくる。
こじんまりとした家は几帳面なアスランらしく、すっきりと片付いて余分なものは何もない。ただ壁のコルク板に留められた写真だけが色鮮やかだ。
「これ……」
その中の一枚には見覚えがあって、キラは目を止めた。
「あ、いや」
月で映したふたりの写真。ディスクにではなく、わざわざプリントアウトして、いつも見えるところに置いていてくれるのが単純にうれしい。
少し照れたらしいアスランは、キラの向かいに腰を降ろすと、わざとらしく話を逸らした。
「どうしてここに?」
しかし、それはまったくの逆効果だ。
キラはアスランの不用心な一言に、ピクリと顔を引きつらせた。
「どうしてって、それをアスランが聞くわけ?」
「え?」
「聞きたいのはこっちだよ」
キラの声は地を這うように低い。
「どうしていきなりいなくなったのさ?」
しかも思いを遂げた翌朝に。
戦争があって、敵として再会して、戦って。
やっと一緒にいられるようになって、戦争が終わって。そしてキラはアスランを手に入れた。
そう思っていたのに。
「この一年、僕がどんな思いでいたと思ってるのさ?」
思いを遂げた翌朝、アスランは突如キラの前から姿を消したのだ。
「ずっとずっと捜して。君を失くしたかと思って、僕は」
それを思うと涙が出てくる。
世界中でいちばんしあわせな気持ちで目覚めた朝に、ふいに絶望に突き落とされたあの瞬間。あの日のことは、生涯男として忘れられないだろうとさえ思う。
「あ……」
今更のようにアスランが俯いて、消え入りそうな声で、ごめんと言った。
「どうして消えたのさ? 僕は怒ってるんだよ、アスラン」
置き手紙どころか、メールひとつ寄越さないで、こんな地球の外れでとうもろこしなんか作ってて。
「その……」
アスランにはめずらしく、俯きながら、ごにょごにょと言葉を濁す。
子どもだった頃には気付かなかった、アスランのもうひとつの顔。アスランすら気付かなかった、小さくて子どものままの彼。
何だかいじめてるみたいな気持ちになってきたけれど、キラは許しはしなかった。
一年も捜したのだ。理由くらい聞かせてほしいとキラは思う。
おずおずと上目遣いでキラのようすを窺ってきたアスランは、キラの怒りが全然収まっていないことを見て取ると、さらに小さくなって俯いて、か細い声でこう言った。
「……はずかしかったんだ」
「へ?」
「はずかしかったんだ。キラと顔を合わせるの」
………………もしもし?
と言うか、それで一年も雲隠れですか?
「アスラン……?」
さすがに呆れた声で名を呼ぶと、アスランが必死になって言い訳した。
「違うんだ。ここに来ることの方が先に決まってて、でも言い出せなくて、そしたらああいうことになって……」
ごにょごにょごにょ。
言われて見ればと、キラは記憶の回路を呼び起こす。
あのときのアスランは何だかようすがおかしかった。しかしキラの方も必死だったから、気付かなかったのだ。
「もしかして、つけいるみたいなことした……?」
キラが聞くと、アスランが慌てて首を横に振った。
「ちがう! ぼく――じゃない。おれが、おれは、ちがう、おれも。おれもうれしかったから……」
アスラン、顔真っ赤だよ。
「そりゃ、あんなとこ舐められたり、あんなもの挿れられたりするなんて思わなかったけど……」
……ロコツすぎるよ、アスラン……。
「びっくりはしたけど、その、いやじゃなかったし、痛かったけど、キラ、やさしかったし……」
もごもごもご。
このまま放っておけば、どんどんおかしなことを口走りそうなアスランを見ているのも楽しかったけれど、キラはいちばん聞きたかったことを口にした。
「アスラン、僕のこと好き?」
一年前に貰い損ねた言葉。
真っ赤になってわけのわからないことを口走っていたアスランが、え?と顔を上げる。
「僕はアスランが好きだよ。アスランは?」
言葉をほしがるなんて我ながらめめしいとは思うんだけど、それでも不安で仕方のなかった一年を思うと、きちんとした形でほしかった。
アスランは少し困った顔をして、何だか途方に暮れている。いつの間に彼は、こんなに気弱になってしまったんだろう。
否。
月にいたときからアスランはそうだった。他人のことになら幾らでも強くなれるのに、こと自分に関しては一歩引いてしまうところが彼にはあった。
「それともきらい?」
それには慌ててアスランが否定した。
「嫌いなわけ……」
だったら、とキラは言葉を続ける。
「好き?」
視線を逸らしたアスランが、小さな声で、そんなこと聞くなと言った。
「じゃあさ、アスラン」
それを肯定と取ってキラが言う。
「一年前の続きをしよう」
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