13.


「…………………………」
「…………………………」
 男は死に瀕した女を見下ろす。
 女は開いていた瞼を一度そっと閉じると、最後の力を振り絞るようにして再び開き、瞳を男に向けた。

 口唇が震える。
 白くなりかけた、乾いた口唇が何かを言いたげに戦慄く。

 男は女の身体を抱き起こすと、何でもないことのようにその口を開いた。
「『何でもできる男』を気取るとはな」
 胸に掻き抱くように抱き起こした身体は、本当に女以外の何者でもなかった。
 ただ柔らかい、ただ優しい感触。
「……ナリも、名も男のもので、その挙句に『何でもできる男』ときたか」
 自分の胸元に触れる頬の柔らかさは、間違いなく女のものだというのに。



「…………………だって」



 子供が言い訳するような口調で、女は口を開く。
 続いて出てきた言葉に、男は呆れた声で返す。


「ま、確かにそうだが………お前はいい女だよ」
 男は腕の中の女を見下ろすと、飄々とした口調でさらりとそんなことを言う。ただの軽口にも聞こえるその言葉に、この男のどれだけの気持ちが込められていたのか。
 女は一瞬だけ驚いたような表情を浮かべると、少しだけ困ったような笑みを浮かべた。
「それは…嬉しいな」
「……そうか?」
 男の声にもう一度だけ笑みを浮かべる女。それはどこか自嘲めいていた。



「……お前の、願いを、叶えてやれなかった……役立たずの主なのにな」



「……………………」
 返す言葉が見つからない男は、もう一度女の身体を抱き寄せる。女は黙って為すがままにされている……抗う力など残っていないのだから当然だ。

「血ィ、止めたからな」
「…………ああ」
「腕はあきらめろ。ソウェルのルーンでも無理だ」
「…………わかってる」

 もう、2人が共にある時間は残されていない。
 女は男の主でなくなったのだし、男は別の主に使役される運命から逃れることはできない。
 だから、男は最後に聞いておかなければならないことがあった。



「お前はどうして、オレの『望み』を知っていた……?」



 その言葉に、何を今更、という表情で女は答える。
「私の家は古くからあるドルイドの家系でな、ずっとお前の伝説を伝えていたんだ―――どれくらい昔のことなのかももう定かではない、ただ、己を捨てて生涯を忠義をもって生きた男がたった一つ望んだことを伝えていた…………」
「…………………」
 沈黙で先を促す男に、
「お陰で、生まれたときから私の子守唄はお前の話で、何かにつけて私の耳に入るのはお前の話ばかり。まったく、」

 ―――お前をもう一人作って、どうするつもりだったのやら。

 女が軽口を叩くのを聞くと、
「違いねェや」
 と男も同意する。
「おまけに最後まで同じ、なんてのはでき過ぎだろう」
「……なるほど」
 男は女王に裏切られた。
 女は神父に裏切られた。
 ……裏切られるのは、裏切らない者と相場が決まっているのは、いつの世も同じということ。
「…………これから、どうする」
「別に。また…魔術協会の犬にでもなるさ」
 女の自嘲に、男はバツの悪い表情を作る。そんな男の顔を見ながら薄く…それでも愉快気に笑みを漏らした女の方が今度は口を開く。
「お前こそどうするんだ? 言峰は一筋縄ではいかない男だぞ」
「別に。オレはオレの在り方を貫くだけだ」
 明快な男の答えに、女は小さく頷く。予想通りの答えは、やはり清清しいと感じながら。
「…………だろうな。まあ、精々足掻くことだ」
「ああ」
 そのまま男は女を抱き上げると、すぐ側に置いてあった長椅子に横たわらせた。

「もう、行け」 
「もう、眠れ」

 同時に、互いが互いに向けて言葉を放つ。いつもであれば男の方が折れる側だったのが、このときばかりは違っていた。
 女の気力は、もう限界だった。

 金色の睫毛に縁取られた瞼がゆっくりと―――落ちた。
 女の湖水のような瞳は男の視界から消えうせた。





「全く、素直じゃねーよな」
 自分がこうして彼女の寝顔を見るのは二度目のことで……そして、おそらく最後になるのだろう。
「………最初から、言ってくれてればよかったのによ」

 男の伝説を聞いて育った女は、長じてまるでもう一人の男のようになった。
 男の伝説を聞いて育った女は、どうすれば男の「望み」を成就してやれるのかと考えた。

 方法は一つ。

 女は自分を偽り続けた。男だけでなく、女自身をも。
 そんな偽りは齟齬を生み、偽りは事を破滅へと導いた。
 けれど、男は女を非難することはない。
 そんなこと、できるわけがない。


 その代わり―――自分の口唇を彼女のそれに重ねた。
 そして、足音一つ立てることなくその姿を消した。





「……………………ふ」
 柔らかな、どこかかさついた感触に女は瞼を上げた。けれど、周囲に人の気配はない。
 短い間ではあったが、自分を包み込むように護っていた獣の気配が、ない。


「―――これで、本当に終わった」
 もう、名もいらない。
『光焔十字槍』(フラガラッハ)に由来する名も、もはや何の意味もない。
 彼女のもとから、神の獣はすでにその姿を消してしまっているのだから。
『レミッツの息子』なんて名も、意味を成さない。
 彼女はどこまでも「女」だったから。


 男に恋してしまった、ただの女。
 けれど、その恋心はどうあっても成就することなどない。
 何しろ、男は新しい命を与えられるたびに、全てを失ってしまうのだから。


 だから、今生だけでいい。
 今生―――男は女を忘れることなどできやしない。
 何しろ、男の存在意義である「望み」と女は同義で結ばれるのだ。



「―――私は、お前の『望み』と、共に、在る…………」



 いつか、男が『望み』を成就させるときに―――きっと私の願いも成就するのだろう。
 それだけを想い、女は再び瞼を落とした。





 また、夢を見ることを思って。
 あの―――曙光の丘で見た男と出会えることを思って。



(完)




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