12.
一体、何が起きたか……!
逡巡するようなランサーではない。
その場に広がる赤黒い血液、倒れ伏す女あるじ―――そして、彼女の左腕……そう、肘からすっぱりと切り落とされた白い手を、自らの手中に収める黒衣の男。
しかも、その手……既に血の気がなくなって、青白く変色しつつあるそれには、あるべきものがない。
その場の状況を把握しつつも、それでも槍騎士は手にした魔槍の穂先を男へと向ける。
「キ、サマ………!!!」
倒れた女を助け起こすよりも、
(―――彼女はそれを望まない)
倒れた女を介抱するよりも、
(―――彼女はそれを望まない)
奪われた繋がりを取り戻す方が先決。
(―――それこそが、彼女の望むこと……!!)
神速と呼ばれるに値する動きをもって、ランサーは男めがけて宝具を解放しようとした。
「刺し穿つ(ゲイ・)―――!!」
その槍は必中。
心臓を喰らうという因果律を呼び寄せる。
光の御子クー・フーリンが唯一使うことを許された、彼のための魔槍。
けれど、
「………………ぐ、っっ………!!」
ランサーが言霊を吐き出す寸前、彼の身体には変化が訪れていた。
「ふむ、やはり光の御子に汚泥は受け入れられぬか………」
訥々と、何の感慨もなく呟く男の前で、蒼い身体は音もなく崩れ落ちる。
まるで血管を蛇が這い回るかのような。
紅い血がすべてドス黒くなっていくような。
身体の中の馴染む魔力が駆逐され、変わりに流れる毒の中の毒。
それが、ランサー……クー・フーリンの身体を冒していく、犯していく、侵していく。
何とか膝をつき、完全に横たわることを防ぐが、立ち上がるには及ばない。それでも、槍を杖代わりにして頭を上げると、ランサーはその瞳に殺意を込めて男を見遣った。
「テメ、ェ………この、っっ…………!!」
「……ほう、往生際の悪さはさすがに『アルスターの猛犬』だな」
その名でオレを呼ぶな、と言わんばかりに視線に力を込めて、更に強い殺意を持って男を睨みつけるランサー。
「っっ………は、あっ…………」
「………もう、息を取り戻したか」
ならば、と男は長袖の法衣に隠れた自らの左腕を剥き出しにすると、ランサーの眼前へと突き出した。
そこにあるのは、槍の形を象った文様。
神の座に近い英霊を制する力を持つ令呪だった。
「命ずる―――此れより、お前の主はこの私だ」
令呪は念じるだけでその効力を発揮する。だが、男はあえてその文言を口にした。
「…………………………っ!!」
己の中の馴染まない魔力との目に見えない戦いから脱しえたランサーが立ち上がり、再び槍の穂先を男に向けるのとほぼ同時だった。
「伝説に聞こえし英雄が、その伝説を自ら否定するのか……?」
刻まれた文様の一画が色褪せる。つまり、令呪は「主変え」という抗することの不可能な命令をランサーの身体に植えつけたのだ。
その気になれば、ランサーはその命令に反してそのまま穂先を男の身体に突き立てることができたかもしれない。けれど、それはできない。というより、彼が「その気」になることは万が一にもあり得ないとしかいえない。
それが「英霊」クー・フーリンの在り方なのだから。
この時ほど、ランサーは自分の在り方を呪ったことはなかった。
自分を「英雄」に仕立て上げた伝説が赦せないと思ったことはなかった。
それでも……それでも、奥歯を噛み締めながら男に頭を垂れた。
その時、
「言峰…………」
風に吹き消されそうなほど弱弱しい声が、ランサーの背後から発せられた。自らの血溜まりの中にその身を横たえながら、それでも女は瞼をしかと開いて自分を背後から襲った男に視線を向けようとする。
「こいつと、話がしたい…………」
理性の色を残した透ける瞳を見下ろすと、言峰と呼ばれた男は一瞬だけ沈痛な表情をバゼットに向けた。が、すぐに傲岸とも言える色をその口唇に浮かべると、
「哀れなものだな―――バゼット。
バゼット・フラガ・マクレミッツ、『神の槍』とも呼ばれた女が」
臨終の秘蹟を与えるかのような仕草をすると、プリーストコートの裾を翻して血塗れた場に背を向けた。
薄く笑みを刷いた血まみれの女と、全てを理解した……理解してしまったという表情を浮かべた蒼の男に。
>続く
>戻る
>小説部屋に戻る
|