アニュス・デイ〜神の子羊
1
「この…っ…! 放せ! 金ピカ!」
両の手首を後ろ手に縛り上げられたランサーは、がちゃがちゃと必死になって抵抗する。しかし、鎖はビクともせず、ランサーの華奢とは言い難い手首にしっかりとまとわりついて離れない。それはさながら獲物に喰らいついた蛭のようでもあった。
「お前がおとなしくこれを食わんからだろう?
そら、いい加減諦めて口を開け」
ズイ、とランサーの口許におしつけられたのは、刺激的な香りの麻婆豆腐。ただの麻婆豆腐なら、ランサーとてここまで拒みはしない。むしろ魔力補給の一端として有り難くいただくだろう。何しろ新しいマスターに拾われてこの方、マトモな魔力供給を受けられなかったのだから。
しかし、これが「この世全ての悪(アンリ・マユ)」の因子と媚薬とをブチ込んだ物騒なモノであるならば話は別だ。
大抵の薬物、神経系の魔術に対しては高い抵抗力のあるランサーだったが、アンリ・マユとくれば話は別だ。彼の高い抗魔力はランサークラス特有のものであると同時に、彼の血筋に因るところがある。 アンリ・マユは排除すべき第一の因子となり、その分他の毒を受け入れてしまいかねないのだ。
「そうだな…これを口にした途端、その名のごとくお前はただの狗に成り下がることは確実だろうな」
「………」
挑発するような言峰の言葉にも、ランサーは固く口を噤むと、顔を背けるだけに止める。うっかり反論しようと口を開けたら最後、その危険な食物を口に含ませられ、想像したくもない光景を目にするのだ。いや、目にすることはなくても、自分の醜態なぞ好んで晒したいものではない。
「言峰」
そんな時、ランサーの背後で彼を拘束しうる一人の人物が口を開いた。
「………」
最強の対神兵装を持つギルガメッシュは、ランサーを後ろから縛り上げているだけでなはかった。膠着状態に陥っている今の状況を打破しようと―――停滞する状況など彼の英雄王の好みではなかった―――言峰に何かしらかの提案を持ちかけたようだった。無論、ギルガメッシュの表情が視界に入らぬランサーには予測もつかない。ただ、彼にとっては歓迎できかねる事態に進んでいることだけは確実だった。
「ランサー」
唐突に自分のことを呼ぶ声に、ランサーは耳を疑った。それは聞き馴染んだ女の声。まさか、そんなはずはない。そう自分に言い聞かせて、ぎゅっと拳を握り締める。すると、その拳をほどこうとするかのような優しい感触が背後に感じられた。
いくら荒事に明け暮れていようとも男の指では断じてない。
それは女性特有の柔らかい感触。
ごくり、我知らず音を立てて唾を飲み込むランサー。
もう確かめるしかない…! と、ランサーは意を決すと後ろを振り向こうとする。都合のよいことに、何故か鎖は縛めとしての役割を放棄していた。それをいいことに、全身で背後を振り向く。すると―――そこには見知った顔があった。
金色の髪、青い瞳。ほんの数回しか見せてくれなかった極上の微笑みを浮かべ、彼女はそこにいた。
「バゼット……」
自分を現世に召喚した女。けれど彼女は他ならない自らのミスで―――そう思い至った時には既に遅かった。彼女の手にした蓮華はランサーの口腔にしっかりと収まっていたのだ。慌てて吐き出すが、味を感じる程度の少量でもランサーにとっては効果は覿面だった。
「―――――――っ!!」
怖気が走るような、全身が粟立つような感触が一瞬にして過ぎ去ると、ランサーは自らの身体を支えることすらできなくなってしまっていた。
かくん、と膝をつく。
後は倒れるだけ―――そんなランサーの身体を腋から支える腕があった。
「まったく……ここまで簡単だと少々興が削げるな、ランサー」
左腋から入れられた腕と腰に回された腕。ただ支えるためだけにランサーの身体に掛けられた手は、それだけで彼の性感を刺激するほど恐ろしいものだった。
>続く
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