静寂(しじま)の手
1.
「チ……こんなことになるとは、な……」
首の付け根を押さえながらランサーは一人呟く。
彼の白い手の隙間からは、あまりにも鮮やかな赤色の液体ががとどまることを知らないように零れ落ちていく。その敏捷性を生かすために装飾を一切省いているランサーの魔力装甲だったが、急所である首の付け根はしっかりと覆っていた。けれど、すでに首周りの装甲は無残にも砕かれてしまっていた。
「……………………っ!」
気が付くと、何か障害物が二の腕を掠めていくのが分かった。単なる看板、プラスチックの板にすぎないそれは常であればランサーの身体に傷一つつけるはずもない。そもそも神速のサーヴァントにとって避けることなど呼吸することと同様の容易さであったはずである。けれど、ランサーの身体に触れた瞬間に、それは衣を引き裂いて新たな傷を作り出した。
魔力が絶対的に足りない。
ランサーとてそんなことは分かりきっていた。体液とともに魔力が失われる所為で、その驚異的な運動神経にも齟齬が生じてしまっているし、何よりも魔力で作り出している鎧が本来の役割を果たせるわけもないのだ。
「迂闊、なコトしちまったな、こりゃ……」
このまま魔力が失われてしまえば、ランサーは身体を維持することができなくなる。本来であれば召喚された時点でサーヴァントはマスターとの間に魔力のパイプラインを得る。けれどランサーの場合は2度目の主との間に契約を結んだ瞬間からその供給ラインを絶たれてしまっていた。2度目のマスターである言峰にしてみれば、偵察にしか用のないサーヴァントに常時魔力を供給する気などない上、無理強いしてサーヴァントとしたランサーに下手に魔力を与えるような行為は危険としかいいようがなかったのだから。
「……とりあえず、血ィ止めねえと………」
うっかりしていた。
ランサーは当初、言峰から甚だ不本意な令呪を与えられていた。曰く「全てのサーヴァントと一度戦い、生還しろ」というものである。つまりは、彼の存在意義である「死力を尽くした戦い」をするな、ということである。それ故、全てのサーヴァントとの邂逅を経て令呪による制約から解放されると同時に再び偵察を命じられた柳洞寺にてアサシンと対峙したのだった。空間退路を断つアサシン―――佐々木小次郎の『燕返し』は直線的な攻撃を主とする槍にとって相性の悪いものだというのにも関わらず。
結果として、ランサーは寸でのところで即死するような一撃を避けたものの首の付け根に刃を受けることになったし、アサシンにしても癒えることのない呪いの傷をその身に抱えることになったのだ。けれど、両者には大きな差異があった。
魔力の供給源である。
キャスターという、反則的なマスターを持つアサシンにとってその身を現界させ得ることは不可能ではない。それに対してランサーは必要最低限の魔力しか与えられていない。失われた魔力をその身に戻すことができるアサシンと、失った魔力を取り戻すことができないランサー。
戦術レベルにおいては大きな差がなくとも、戦略レベルにおける差が大きすぎた。ランサー―――クーフーリンは生前も戦術面に置いては最強の戦士であった。にも関わらず戦略面でのミス―――というよりその無頓着ぶり―――によって最終的に死に至った。どうやら生前の性質は英霊となろうとも直らないものらしい……自分の失敗に呆れつつも、どこか苦笑をもらしてしまうランサーだったが、流石にそろそろ動くことすら億劫になってきていた。
「……さて、どうしたものやら………」
教会に戻れば魔力の補給にありつける。けれど、それは英霊としての誇りと恥辱と天秤にかけるものになる。徹底的に身体を嬲られ、声を上げさせられる。快感に侵され、ただの肉の獣に成り果てる……幾度か身体の交接という手段で魔力の補給を受けたランサーだったが、できることであればそれは好んで選びたくない方法だった。
いくら考えうる限り最良の方法だろうと。
ならば、どこかで身体を休めるしかない。首の止血を施し、霊体化することで魔力の消費を抑える。その方法しかランサーには残されていない。けれどここにきてランサーは気付かざるを得なかった。
聖杯戦争の始まったこの土地で、どこにそんな場所があるというのか―――!?
寝首をかかれるほど間抜けではないが、せめて邪魔されずに眠りを貪りたかった。平時であれば浅い眠りであろうとランサーにとっては魔力を抑えることになる。が、ここまで致命傷を負っている身体に浅い眠りなど何の役にも立ちはしないだろう。
―――こんなところで、オレはくたばるのか……!?
まだ果たしていない「禁忌(ゲッシュ)」があるというのに―――!
声にならない呟きを漏らした途端、ランサーはあることを思いついた。正確に言うならば、安心して休める場所の当てがあることに気付いた。それは彼の身体を維持させることになる代わりに、彼の心に大きな傷を生み出すことにもなる―――そんな場所だった。けれど、ランサーは決断した。
心が血を流して壊れ果てようと、禁忌(ゲッシュ)だけは果たさなくてはならないものなのだから。
>続く
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