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 マルクク愛の劇場(?)
  scene 11 「夏の終わりに恋をする編」
  scene 12 「あなたのために生まれてきました編」
  scene 13 「秋といえば運動会!前編」
  scene 14 「秋といえば運動会!中編」
  scene 15 「秋といえば運動会!後編」

 

 

 ***「夏の終わりに恋をする編」



 我が家にはカブトムシのオス5匹とメスが1匹がいる。
 他の人に譲って貰ったり、自分で捕ってきたりしたものなんだけど、最初はオスしか手に入らなくて随分悔しい思いをした。
 それが、夏休み前に幼稚園からメスのカブトムシを貰ってくることができたんだ。ほら、今までは園児が面倒見てたけど長い休みに入っちゃうじゃん? だから、欲しい人は持って帰って育ててくださいねって。

 オレは大喜びでもうひとつ虫かごを購入してきた。もしかしたら卵とか産んでくれるかもしれないだろ? そのためにメスとオス1匹ずつを別のカゴで育てようとしたんだ。
 5匹のオスの中でも一番ツヤがよくて立派なものを選び、オレはメスのカゴに入れてやった。それが今から1ヶ月前のこと。

 夏も終わりに近付き、オスのカブトムシも3匹に減ってしまった。生き物が死んじゃうのはやっぱり辛いよな。つがいにした2匹は元気なんだけど…残念ながら卵は産んでいない。

「卵産まないね、ククール」
 ゼシカとリュウが虫カゴの餌をとりかえてあげながら残念そうに言っている。1週間前に買ってきた餌も残り僅かだ。新しく購入してこなくちゃならないな、と呟いたオレの隣をマルチェロがすり抜けていった。あ、仕事に行くのね。じゃあお見送りするとしますか。

「いってらっしゃい」
 新婚さんお約束のいってらっしゃいのちゅーを強請ると、渋々といった様子でマルチェロがオレの額にキスをしてくれた。え? もう新婚じゃないって? いいじゃんかよー減るもんじゃなし。でもさ、マルチェロってばなんだかんだ文句言ってる癖に毎日ちゃんとしてくれるんだよなー。ノロケだけど。
 ご機嫌で手を振ると、ドアを片手にマルチェロが足を止めた。そしてちらりと視線をこちらに向ける。
「どうしたの? 忘れ物?」
 マルチェロがそんなヘマするわけないと分かっていたけど、なんとなく問いかけてみる。
 すると意外な言葉が返ってきた。

「逃がしてやったらどうだ」
「カブトムシのこと?」
「ああ」
 少しはオレも考えていたので、素直に頷く。
「そうだな…。あんな小さなカゴで死んじゃうのも可哀想だし」
 ちょっと寂しいような気がするけど、仕方がないよな。
 そんなことを考えながら笑ったら、今度はマルチェロが唇にキスしてくれた。
 こういうとき優しいマルチェロは反則だと思う。でもすげー好きだ。くそっ!

 熱を持った頬を両手でペチペチ叩きながら、オレはゼシカとリュウの元に戻った。子供たちは相変わらずカブトムシの元から離れようとしない。
 ちょっと躊躇ったけど、オレはふたりに「カブトムシを逃がしてやろう」と言ってみた。最初は納得できないような表情をしていたけど、さすがはオレの子供たちだよね。すぐに納得して「いいよ」と答えてくれた。

「卵産むのが見られなかったのは残念だったわね」
 つがいのカブトムシを見ながらゼシカが言うと、リュウが呻るような声をあげる。
「名前が悪かったのかなぁ…」
 どうやらふたりはカブトムシに名前をつけていたらしい。初耳だったのでどんな名前なのかとオレは無邪気に聞いてみたが……

「マルチェロとククールってつけてみたんだけど……失敗だったかしら」
「だから僕やめておけって言ったじゃない。マルチェロとククールみたいに仲が悪くなったら大変だからって」

 勿論後から後悔する破目に陥った。オレも学習能力がないね。

 つーか、どういうことだよカブトマルチェロとカブトククール!!
 お前ら何やってんだよ! しっかりしろよ。
 虫かごを掴んでオレは二匹に叫びたくなっていた。








 オレはカブトムシのメス。名前はない。
 仲間たちと楽しく森で暮らしていたが、ある日うっかり人間に捕まっちまった。オレとしたことがヘマやっちまって情けないったらないね。
 しかし順応性に優れたオレは幼稚園とかいうところで他のカブトムシと適当に楽しくやっていた。が、どうやらまた引き離されるらしい。せっかく仲良くなってきたのにな。本当に人間ってのは勝手なもんだぜ。

 さて、今度オレの飼い主になるらしい少年と少女はリュウ、ゼシカという名前らしい。とりあえず毎日の餌さえ忘れずにいてくれればどうでもいいぜ。諦めが早いのがオレの長所なもんでね。
 そんなことを暢気に考えていたら、なんとそいつらオレをオスのカブトムシが複数いる虫かごに入れやがった!
 ぎゃああああっ!! 見てる、すげーやばい顔でオレを見てるよっ! オレってば貞操の危機じゃね?

「もうひとつ虫かご買ってこなくちゃなー」

 銀髪の男だか女だか判断つけられねえ人間が、外でそんなことを言っている。
 ていうか、そんなのんびりしてるんじゃねえ! お願いですから早くしてください。オレを巡って4匹のオスが今にもバトル始めそうなんです。
 オレは木の陰に隠れてブルブル震えてた。本当は腹が減ってたんだけど、餌のところにも行けやしねえ。

 すると、そんなときだ。
 土の中から1匹の立派なカブトムシが出てきて、4匹のカブトを一気になぎ払った。
「いい加減にしろ。1匹のメスを相手に取り乱して我らの評判を落とすな」
 喧嘩をおっぱじめそうだったカブト共が慌ててその前に跪く。どうやらあいつがここのボスらしい。

 奴はオレの前まで餌を押してきて、優雅に礼をした。
「私の部下が驚かせたようですまない。久しぶりに女性を見たもので彼らも我を忘れたようだ。
だが、よそ者は面倒を起こしがちだ。ここは女人禁制の虫かご、新しいかごが到着するまでおとなしくしていて欲しい。
部下たちは血の気が多い。次は私も止められるかどうか分からんからな」

 うわー…紳士的に見えてかなり嫌味な言いっぷり。
 オレ、こういうタイプ嫌いだね。
 見た目は確かにいい男だけどさ。

「場を乱しまして大変失礼しました。オレのことはどうかお気になさらずに。厄介者は厄介者らしくおとなしくしていますよ」
 フンと鼻を鳴らしてオレは奴に背を向ける。
 さっき持ってきてくれた餌も後ろ足で蹴飛ばしてやった。
 オレにだって意地やプライドがあるからね。あんな奴の情けは受けるかっていうの。
 オスカブトのボスは、そんなオレの態度を見てにやりと笑った。なんか馬鹿にされたみたいで嫌な感じだったけど、オレは気付かない振りをすることにした。

 早くここを出て行きたいと願ったオレの思いが通じたのか、ご主人さまが新しいカゴにオレを入れてくれた。
 ちょっと広めで快適だ。のぼり木も沢山あるし、土もいい感じ。
 しかし、浮かれていられたのも一瞬のこと。オレはある事実を知って愕然とした。
 なんであの嫌味ヤローがここにいるんだ? もしかして……オレはこれからあいつと一緒に暮らさなくちゃならないのか!
「卵産んでくれるといいねー」
 ゼシカ嬢が無邪気にそう言い放つ。
 なんてことだ! オレは何時の間にか結婚させられてしまったらしい。

 オレが呆然としていると、奴がオレに近付いてきた。
 うわーーー!! それ以上近寄るな! なにかしたら舌を噛んで死んでやるからなっ。
 視線で訴えて威嚇すると、やれやれといった調子で奴が言葉を放つ。
「そう身構えるな。私はお前の意に沿わぬことをするつもりはない」
 え、そうなの? 本当にこいつ紳士じゃん。
「ご主人たちには気の毒だが……それは相手の勝手な思惑に過ぎない。とにかく、これから二匹で暮らしていく以上いがみ合うのは賢明ではない。そう思わんかね?」
 オレは素直に頷いた。

 それから、オレと奴……マルチェロの生活が始まった。
 マルチェロ、ククールというのはゼシカ嬢とリュウ坊ちゃんがつけてくれたオレたちの名前だ。気のせいかここの夫婦と同じ名前のような……そうマルチェロに言ってみたら「気にするな」と笑っている。
 マルチェロは意外に優しかった。
 オレが暑さでダウンした時には看病してくれた。ご主人たちが餌を忘れて青くなっていたとき、マルチェロは残り少ない餌をオレに全部くれて自分は食べずにいてくれた。
 それが原因でマルチェロが体調を崩してしまったので、今度はオレが一生懸命看病した。
 なんつーか……オレはだんだんマルチェロが好きになっていた。

 1ヶ月ほど同居生活が続いた頃だろうか。事態は急展開を迎える。
 車に乗せられたときから何かがあると思ってたけど……なんとご主人たちはオレたちを野に帰してくれるらしい。
「窮屈な生活ともお別れというわけか」
 マルチェロの呟きに、オレは「そうだな」としか言えなかった。

 最初に解放されたのはオスのカブトムシ2匹。いつの間にかあんなに少なくなってたんだな。他の奴らのことを考えて哀しくなった。嫌なやつらだったけど、やっぱり仲間だから辛い。
 次にオレたちの虫かごが開けられる。先に外に出たのはマルチェロだった。

「私と一緒に来ないか」
 そう問いかけられて嬉しくなる。
 ちょっと迷ったけど言ってみた。オレ、あんたの子供産みたいんだけどって。
 そしたらマルチェロは「随分待たされた」と笑ってた。


 オレたちは暗闇の空を二匹で飛び立つ。
 今度はちゃんと夫婦として、ね。





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 ***「あなたのために生まれてきました編」



「すっかり秋だねえ…」
 洗濯カゴを片手に持って、オレは青い空を眺める。
 雲ひとつない良い天気だ。きっと今日は洗濯ものもよく乾くことだろう。
 リュウとゼシカは園に行ったし、マルチェロも仕事に送り出したし……あとは掃除をして、のんびりゲームでもやることにしよう。困ったねこの有閑マダムっぷり。まあ、甲斐性のある亭主を掴まえちまったオレが悪いんだけどね。

 あ、言ってなかったかもしれないけどマルチェロは会計士だよ。その前はサラリーマンやってたんだけどね。アスカンタ商事って知ってる? そう、トロデーン、サザンビークと並ぶ三大企業ね。そこのエリートサラリーマンだったんだぜ。ま、ちょっとした事情があって辞めちまったんだけど……。あのまま続けてたら結構上の方まで行ってただろうな。今更こんなこと言っても仕方ないけどさ。それに、間接的でも辞める原因になったオレが考えていいことじゃない。

 気を取り直してオレはさっさと洗濯物を済ませる。
 手早く掃除を済ませて、おおっとおやつの時間。もらい物の饅頭を食べながら暴れん坊将軍を鑑賞していると、家の呼び鈴が鳴った。
 インターホンの画面を見てから通話ボタンを押す。女の人だ。誰だっけ?

「いつもお世話になってますー。ゴルド生命です」

 マルチェロが入ってる生命保険だ。保険関係は全部マルチェロに任せてるからよく分からないけどさ。
 昔は財布もマルチェロが握ってたもんでね。ある事情で今はオレにやらせてくれるようになったけど。「事情」が多すぎる夫婦だって? まあ気にすんなよ。考えるならオレのことだけ考えてくれ。

「すみません。主人、事務所のほうに居ませんでしたか?」
 申しわけなさそうに答えてみる。関係ないけど、”主人”っていい響きだよな! 旦那とか亭主とか色々呼び方あるけど、オレは主人ってのが一番好きだ。本当は”兄貴”が一番使い慣れてるんだけどさ。
「今日は奥様にご用がありまして……」
 保険のお姉ちゃんが意外なことを言う。オレに用なんて珍しいな、と不思議に思いながらも、とりあえずドアを開けて対応することにした。
 爽やかな笑顔で綺麗なお嬢さんが立っている。なかなか好みのタイプだけど、残念ながらオレは保険のことは決められないからな。新しい保険に入れって言っても無駄だぜ。内緒でマルチェロに保険かけたりしたらあいつに何されるか分からねえ。あ、今は出来ないんだっけ?
 色々無駄なことを考えたが、オレの予想とは違って彼女の用件は保険とまったく関係ないことだった。

「今日は奥様がお誕生日ということで、ささやかではありますけど社のほうから記念品を」

 え……誕生日?
 …………。


 忘れてた!!


 声に出てしまったのだろう。お嬢さんが苦笑しながら記念品とやらを渡してくれる。
 可愛い袋の中には綺麗な入浴剤が入っていた。彼女の話によると誕生日ごとに種類が違うんだそうだ。1年間限定でやってる企画で、先月から始まったらしい。保険会社も大変だよなー。
 オレは丁寧にお礼をして、家の中に戻っていった。
 カレンダーに目をやれば、確かに10月17日。本当だ。オレの誕生日じゃねえか。なんで皆して忘れてんだよ! ……まあオレも忘れてたんだけど。
 ていうか、誕生日なんて忘れられてるのが常のオレにとっては要らんツッコミではある。リュウとゼシカはまだ幼稚園児だし、覚えてなくても当然。問題は愛しきオレのご主人さまだ。
 あの人ときたらオレの誕生日を覚えていた例がない。意図的に忘れようとしてるんじゃないかと邪推してしまうくらいだ。誕生日プレゼントが欲しいオレとしては自分からアピールするしかない。しかし、今年はそのアピールすらするのを忘れていた。
 
 家に帰ってきてから訴えるべきか。
 そんなことを考えてみるが、なんていうか……むこうから一度くらい「おめでとう」って言ってくれてもいいんじゃね? そんな望みの薄いことを願ってみる。
 もしかしたら……今年は思い出してくれるかも! そう考えるとちょっとドキドキしてきた。いいね、この胸がキュンってくる感覚。
 よし、これでいこう。
 そう決意したオレは、”自分から誕生日アピール”を今年やめることにした。
 こんな健気なオレに神様は応えてくれるかもしれないな。
 どうしよう、もしもマルチェロが誕生日プレゼントとケーキ片手に帰宅したら! オレはそれだけでテンション100まで上げる自信がある。
 代わり映えのない一日だよなーなんて思ってた朝の自分にバギクロスかけてやりたい。スイートテンダイヤモンドなんかよりも価値のある思い出の年になっちゃうぜ。

 妄想は膨らむばかりだ。
 でもさ……そんなことあるはずないって分かってたんだよ。オレも。






 次の日の朝。
 携帯のアラームでオレが目を覚ますと、隣にマルチェロの姿がなかった。

 綺麗に畳まれたパジャマ。机の上にあったはずのノートパソコンが姿を消している。
 会社に行ったのだと瞬時に悟った。
 なんだよ、今日早いなら言ってくれればいいのに。これじゃ夫が会社に出掛けるときに布団からいってらっしゃいする怠け主婦みたいじゃないか。ま、そんなことを言ったら「実際そうだろう?」と嫌味が返ってきそうだから本人には黙ってるけどさ。

 携帯の時計を見てみると現在6時ジャスト。アラームが5時50分だから……本当あいつ何時に出たんだろう。
 顔にも態度にも出さなかったけど、きっと忙しいんだろうな。そう思うと昨日のことも拘りなく「しゃーねえな」で済ませられる。日付が変わらないうちに家に帰ってきてくれるだけでも感謝しなくちゃ。誕生日スルー上等、マルチェロが居ればいいや。おおっと勿論子供たちもだぜ。

 目を擦りながらキッチンに向かう。使用済みの食器とカップがシンクに置いてあるのを見てホッとした。ちゃんと食事はとっていったみたいだ。
 そしてオレはもうひとつ、昨夜はなかったはずのものをリビングで見つけた。おそらく書置きだろう。マルチェロは几帳面だから、こういうことは忘れない。
 だが、その文面を見てオレは驚き……思わず腰を抜かしそうになった。


  馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、とうとう自分の誕生日まで忘れたか。
  日々自堕落に生活している証拠だ。今後は改めるように。
  言い忘れたが、今日は仕事で地方へ行くので早めに出る。
  アホみたいによく眠っていたので起こさずにいく。感謝しろ。
  朝食はとった。帰りはおそらく10時頃。夕食はいらん。
  以上だ。



 その書置きの隣には無造作に小さな袋が置かれていた。中身は新しいゲームソフト。誕生日プレゼントにしちゃ色気がねえ……。
 苦笑しながらもう一度袋を覗いたら、それこそ無造作に小さな箱が放り込まれていた。
 中身はピアス。おそらくこっちが本物のプレゼント。

 嬉しくて踊りだしそうなのを必死に堪えて携帯を手にする。出るかどうか分からなかったけど、マルチェロに電話せずにはいられなかった。
 数回コール音が鳴って、マルチェロが出た。最初のひとことは「やっと起きたのか」だと。オレは寝坊したわけじゃねえぞ!

「あんた、オレの誕生日覚えてたのかよ」
 素直に礼をいって終わりにするつもりだったのに、可愛げのない言葉がでた。
「覚えてるなら言ってくれればいいだろ。性格悪いぜ」
 更に可愛くない言葉が出た。誰かオレを止めてくれ。
 この際どうだっていいんだよ。あいつからおめでとうの一言が欲しかったとか、直接プレゼントを貰いたかったとか、顔を見てお礼を言いたかったとか。そんなことどうでもいいくらい嬉しかったのに。
 どうしてオレはこうなんだ! 自分自身が情けなくて涙が出てくるね。

『お前は何か勘違いしているようだが、私はお前の誕生日を忘れたことはない』
 うそつけ!と、心の中で叫んでみる。
『本当だ』
 うわ、すげえ……こいつ心の中読めんのか?
『例年こちらが何かする前にお前が煩く言っていただけだろう。今年は忘れていたようだったので、いつ思い出すか楽しみにしていた。とうとう思い出さなかったようだが』
 オレってばマルチェロを騙し通すことができたらしい……。あいつときたらいつも何でもお見通しでさ……今まで随分悔しい思いをしていたけど、なんで今回に限って成功しちゃうかな。
『まったく……。フェイントまで用意したのに、残念なことだ』
 ゲームソフトでフェイントかけてオレが文句言ったところを貴金属で攻めるってか。その光景が容易に想像できるぜ。

「院を出てから……くれなかったときもあったじゃん。あの時も覚えてたのかよ」
 まだ言うかオレ。プレゼント貰っておいてキレるってアホだろオレ。
 マルチェロに逆ギレされても文句言えない状況だ。今日のオレはグランドクロスもメラゾーマも甘んじて受ける。
 ……離れてるから無理だけど。
 それに、どういうわけか今日のマルチェロはメラやかまいたちの心配もないくらい冷静だった。

『勿論覚えていたが?』
「本当かよ。じゃあさ、そんときのプレゼントはどうなっちゃったわけ?」
『後から渡したはずだ。1月頃に何かもらった記憶はないか?』

 そういえば―――。
 そういえば、何かもらったような気がする。理由はその年その年で変わっていたけど。
 「間違って買ったから」とか「そろそろ古くなっただろうから」とか……そんな感じで靴とか財布とか貰ったかもしれない。それも、今思えば同じ時期だったような気がする。

『1月……。1月12日だ。誕生日を逃したときは、必ずその日に渡していた』
「なにか、意味がある日なの?」
 本当に分からなかったので、素直に聞いてみる。
 そして、少し間を空けてからマルチェロが答えをくれた。


『お前が、院に来た日だ』


 オレはしばらく言葉が出なかった。
 初めて聞いた。昔のこと。
 物心ついたとき、オレはもう院にいた。そのときにはもう親が居ないことを知っていた。
 どうしてオレに親がいないのか。どうして院に預けられたのか。気にならないと言ったら嘘になるけど、オレは自分から聞こうとしなかった。
 オレにとっての家族は同じ院の子供たち。そしてマルチェロ……。マルチェロがいるなら、過去なんてどうでもいいって思ったんだよ。

『雪の降った夜だ。母親がお前を連れてきた』

 ―――悪いが、それ以上は話したくない。
 そう呟いたマルチェロの声が怒りと悲しみに満ちていて、オレはそれ以上聞く気になれなかった。
 きっとオレは不幸な身の上だったんだろうな。でも、そんなことはどうでもいいや。
 父親が死んだときにも思ったけど、オレにとって一番大切なのはマルチェロ。幼い頃からオレの兄としてそばにいてくれた彼と共に過ごしてきた日々だけだ。

 オレが院に来た日。それは親に捨てられた日じゃない。

「オレとマルチェロが初めて逢った日なんだな」
 オレの小さな呟きは、マルチェロにも届いていたらしい。
『そういうことだ』
 マルチェロの声音はどこか満足げ……そう聞こえるのはオレの自惚れかね。
「誕生日よりも大事かもしれねえよ。そんな大事な日、なんで教えてくんねえの? やっぱ性格悪いぜマルチェロ」
『それはそれは。大変すまないことをした』
 からかうような口調で問いかけると、飄々とマルチェロが答えてくれる。

 ああ本当……オレ、生まれてきて良かったね。
 両親のことは殆ど何も知らないけれど、生んでくれたことには感謝してる。
 生まれてこないことにはマルチェロにも逢えなかったしさ。
 それに、ゼシカとリュウもいなかったし。

『ところでお前……ゼシカとリュウは起こしたのか?』

 見事なタイミングで突っ込みをいれたマルチェロ。
 その理由はきっと”オレと同じこと考えてたから”だって。これはきっと自惚れじゃないな。







---------------
マイ設定(パラレル編)ではククールは10月17日生まれ。
マルチェロは6月6日生まれにしてます。


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 ***「秋といえば運動会!前編」



 秋。とはいってもいまだ残暑厳しい9月。
 キッチンで夕食を作っていた私の元に、ククールが様子を窺いながらそろりそろりと近付いてきた。
 気付かれないように溜め息をつく。今までの経験上知れたことだが、こんな時はろくな事がない。今日は一体なんだと密かに身構えた。

「あのさ、マルチェロ」
「なんだ?」
 視線は目の前のフライパンそのままに答える。
 そっと私の顔を覗き込むククールの顔は可愛らしくもあったが、わざと不機嫌そうな顔を作ってみた。顔が綻びそうになるのを必死に堪えるがゆえの結果であることは数十年越しの秘密だ。
 ツンデレだと? なんだそれは。言いたければ勝手に言えばいい。誰もがこれの笑顔に騙されて甘くなるのだ。私まで絆されていたらどうなる。かつては保護者として、現在は夫としてククールを甘やかすわけにはいかない。

「実は……謝りたいことがあるんだけど」

 ―――そらきた。
 もうすっかり慣れたものだが、偶にでかい事件をやらかしてくれることもあるので侮れない。
 事実を知る前に牽制する意味で、こちらから仕掛けることにした。

「謝りたいことだと? それはポットを倒して手に火傷などした誰かさんの代わりに夕飯を作っていることについてか?」
 フライパンの中身を手際よく皿に移しながら言ってやれば、ククールがうっと言葉に詰まった。

 そう、この馬鹿は3日前にうっかりポットを倒して、中に入っていた熱湯をご丁寧に右手全体に被ったのだ。ちょうど私が居たときだったから良かったものの……それにお湯が少量だったから良かったものの、これの落ち着きのなさはなんとかならんものだろうか。
 右手を冷水で冷やしてやり、夜間の病院を探して連絡をとってからビアンカさんに子どもたちを預かってくれるよう頼みにいく。
 一連の作業を無駄なく冷静に行った私のおかげで事なきを得たはずのククールだったが、
「愛がない! 愛が足りないぜマルチェロ! もっと動揺したっていいじゃんか!」
と、訳のわからんことを言い放った。
 病院帰りの車中、時刻は午前1時……最初に言うことがそれか!? あの時は本気でククールを捨てていこうかと考えたくらいだ。一度は治まったが、思い出してまた腹が立ってきた。

「ごめん、本当に迷惑かけて。それも悪いと思ってるけど……」
 私の眉間の皺が一層深くなるのを確認したククールが慌てて否定する。
 恨み言のひとつやふたつ零してやろうかと思っていたのだが……今度は先を越されてしまったようで残念だ。

「ほう? それではなんだろうな……。ああ、手を怪我したお前の頭やら身体やらを毎晩私が洗っていることについてかな?」
 からかうように言ってやれば、今度は真っ赤になって黙ってしまった。
 非常に面白い。やはりククールはこうでなくてはいかん。

「そ、それも申し訳ないと思ってるけど……違うってば」
 恥ずかしそうに俯き、小さな声でククールが謝罪と否定。なかなか可愛げがあってよろしい。
 ちょっと得したような気がしてほくそ笑む。
 勿論私自身もククールがそんなことを謝罪する気ではないと分かっていたが、迷惑料として許される範囲だろう。これの照れたり困ったりする顔を見るのが好きなだけだ。文句あるか。

 とりあえず一頻り腹を立てたり面白がったりしたので今度は真面目に聞いてやることにした。
 手を洗って正面から向き直ると、それを察したのかククールは躊躇ったような表情になる。私は無言で通したが、内心では”こんなにも言い難そうにしている原因”が何なのか思考を巡らせていた。
 怒りレベル1の簡単なものから怒りレベル10の重大なことまで。何を聞いても驚かないようにしておくのは、これと付き合う上では大変重要なことだ。よく覚えておくといい。
 あらゆる面で覚悟が出来ている私は最強だ。”大ぼうぎょ”もそろそろ習得できるだろう。(自慢ではないが私は格闘スキルも持っている)


「言いづらいんだけどさ……」
 ククールが恐々と口を開く。
 私はこれの怯えた顔も嫌いではない。が、不安にならんこともないのでさっさと言え。

「勝手に決めてきて、マルチェロ怒るかもしれないけど」
 そう言って私を見上げる青い瞳。
 私はこれの上目遣い涙目バージョンも嫌いではない。が、可哀想だと思わないこともないのでとりあえず優しい顔を作っておいてやる。

「マルチェロ、あのね」
 なんだ。さっさと言え。ああ、泣くな! 何を言っても許してやるから。(間違っても口には出さないが)
 泣き顔は嫌いではないが、意図せず泣かせるのは本意でないのだ。



「運動会のリレー……マルチェロが選手になっちゃった。それもアンカーで」



 なんだと!?



 思わず私は絶句した。
 平静を保ったつもりだったが、肩の震えは隠せない。

 ふざけるな。なぜ私が運動会の、それも親の競技としては花形とも言えるリレーなどに出なければならんのだ!
 そんなもんは20代の若い父親に任せておけ! 40を超えたおっさんに走らせるなんてとんでもない。あの狭い園庭、それに重ねての運動不足……去年も何人の父親が”魔の最終コーナー”の犠牲になっていたか。
 ククールめ、私がそんなに憎かったのか! やはり結婚式も新婚旅行もしてやれなかったことを恨んでいたのだな。いや、それともあれか、あの初めての時か!? 確かに無理強いは悪かったが、あれは元はと言えばククールが……って、今はそんなことを弁解している場合ではない。

 怒りに打ち震えている私に気付いたのだろう。ククールは困ったような顔をして説明を始める。

「本当悪かったって。でもさ、リュウのさくら組は今年出られるお父さんが他に居なかったんだよ。単身赴任で遠方にいたり、腰を痛めてたり足を怪我してたりしてさ……。なかなか決まらないもんで先生も困り果てて、それでオレつい『じゃあうちの主人が』って言っちゃったんだ」

 最初は神妙な顔で訴えていたが、私が厳しい表情を崩さないものだから終には開き直ったらしい。ククールは、だんだん投げやりな態度をとり始める。

「まあね、今までビデオ担当で競技に出てなかったマルチェロがいきなりリレーに出ろって言われたらそりゃびっくりするだろうさ。
 代わりに走れるものなら走りてーけど、オレはゼシカのそら組で選手になってるし、それにどう頑張っても父親の代わりにはなれませんって。今回のリレーは母親5名父親5名でちゃんと枠が決まってるからさ。
 でも、どうしても嫌だって言うなら仕方ない。オレがリュウの父親ってことで走っちゃいますかね」

 そこで私は嫌なことを思い出した。そう、6月の父の日参観のときのことだ。
 後方から暗黒のオーラが漂っている。正体は言わずと知れた我が息子リュウ……無言で何かを訴えている。

 これは……首を横に振ろうものなら、今度は特上寿司くらいでは済まないかもしれない。
 次の瞬間、私は「分かった、走ろう」と答えていた。
 ……人生に敗北した気分だが、3対1では分が悪すぎる。

「やった! マルチェロ、絶対決勝まで上がってこいよ! 今度は姉弟対決並びに夫婦対決だぜ」
「ククール、絶対負けちゃダメよ!」
「おう、任せとけゼシカ」
 盛り上がっている女軍団を冷めた視線で見つめるのはリュウ。
「……マルチェロ、負けないよね?」
 私が何も答えられないでいると、
「今度は蟹が食べたいなー」
 唇に指を当てながらそんなことを言う。



 運動会まであと2週間。
 私は生まれて初めて憂鬱な運動会を迎えることになった。



 後編に続く





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 ***「秋といえば運動会!中編」



 とうとうこの日がやってきた…。
 私立アンジェロ幼稚園の運動会。雲ひとつない良い天気で、風も穏やかという……おあつらえ向きの運動会日和だ。

 リレーに出なければならないと決まったあの日から、私の心は沈みに沈みまくっていた。それに反してうちのあの馬鹿は大喜びで、
『マルチェロ! 運動会に着るジャージとシャツ買ってきてあげたからな! なんとオレと色違いでお揃いなんだぜー』
などと、ハイテンションで過ごす毎日。
 さらに、
『なあなあ、帽子かぶってもいいけどさ、ここまできたらふたりお揃いでバンダナ巻こうか? ちょっと巻いてみて。……あ! やっぱりカッコイイじゃんマルチェロ。これでいこうよ! シューズはこれね。……まあぴったり! よく似合ってますわよお客様』
 ―――もう誰もあれを止めることなど出来はしない。私でも無理だ。結局ククールの言うとおりの格好をさせられて現在に至る。

 ……みなまで言うな。そう、最悪だ。

 本当に似合っているのかどうかは定かでない。恐ろしくて鏡なんぞ見られるか!!
 ゼシカとリュウは、「へー…マルチェロのそんなカッコ初めて見た」などと目を丸くし、ククールは「カッコイイ! うちの旦那が一番カッコイイ! ついでにいうなら夫婦でカッコイイ!」と、朝4時起きして作った弁当片手にスキップしている。まあ……確かにあれは良く似合っているが。

 車の中でも「カッコイイカッコイイ」煩いので、一発拳骨をお見舞いしておいた。
 言われて悪い気はしないが、それは自分の胸の内に秘めておいて欲しいものだ。
 昔から『オレの兄貴は背が高くて頭が良くてカッコイイんだぜ!』と自慢していたが……そんなことをされては周囲もどれほどのものだと期待するに決まっている。
 ”頭が良い”と”背が高い”のは認める。事実だからな。だが、”カッコイイ”かどうかは知らん。私のハードルを無駄に上げるのはいい加減に勘弁して欲しい。


 そんなこんなで色々とククールを恨みながら、私たちはやっと園についた。場所取りも済ませてやっと一息。プログラムに目を通してみる。
 ゼシカとリュウが出る競技やお遊戯をチェックし、それから仕方なく保護者の競技を確認する。どうやらリレーは予選と決勝で分かれているらしい。これはククールから聞いて知っていたので納得する。
 しかし、次の瞬間。私はククールにメラゾーマをお見舞いしたくなるような現実を知ることとなった。


 なぜ予選に年少保護者が入ってないのだ!? どうしていきなり決勝なんだ!


 全身から発せられた私の殺気を感じ取って逃げようとしたククール。その襟首を掴まえて説明させる。

「うわーっ! ごめんってばぁ…。どうやら選手が決まらなかったのはさくら組だけじゃなかったみたいなんだよ。うめ組がどうしても決まらなくてさ、仕方ないから棄権ってことになったんだって。
 ほら、年少さんて3クラスしかないじゃん。2クラスで予選やっても仕方ないから決勝から出るってことに決まっちゃったんだよ!」

 ふざけるな! 決勝でアンカーをやらされる私の身にもなってみろ。棄権という選択肢が許されるなら、なぜさくら組もそうしなかったのだと暴れたくなってくる。

「オレ、戦わずして負けるってのがどうしても許せなくてさ。それに……どうしてもオレ、マルチェロに走ってもらいたかったんだ」
 私に恥をかかせたいと言うのならグランドクロスものだったが、ククールのしゅんとした顔を見ているとそうではないらしい。
 私にとっては反則技とも言えるその表情。動揺しながらも、無表情を貫いて私は問いかけた。
「どうしてだ?」
 少し躊躇ってから、ククールはその質問に答える。

「昔からずっと、出てもらいたかったんだ…」


 ―――不覚だった…。


 今更ながら、過去のことを思い出す。
 親子遠足、運動会……我慢強いのか鈍感なのか、ククールはそれらに”ひとり”でも参加していた。通っていた園の先生がたがとても良い人たちばかりで、フォローもしてくれていたから何とかなった。
 あれが幼稚園の先生になったのも、その頃のことを忘れていなかったからなのかもしれない。

 院の子供たちもそうだから。自分だけが寂しいわけではないから。そうククールは笑っていたが、実際はどうだったのだろう。どれほど寂しい思いをして過ごしたのかは想像に難くない。
 私自身、なるべくできる限りのことはしてやったつもりだが……そういえば、運動会で親の競技に出ることは不可能だった気がする。

「莫迦者……。最初からそう言えばいいだろう」

 ごめん、と。それでも少し笑ってククールが私の元を去っていく。
 そろそろ開会式が始まるようだ。

「マルチェロ! ビデオ、ビデオ!」
 先程の暗い表情と声が嘘のように、ククールが少し慌てた顔で私を手招きしている。

 ―――まったく、本当に…。

 少し呆れつつ、歩みを進める。
 子供と一緒になって馬鹿みたいにはしゃぐククールの、その理由と意味を知った私自身も「少しは期待に応えてやろう」と考えなおしていた。





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 ***「秋といえば運動会!後編」



 待ちに待った運動会が、とうとう始まった。
 今日のオレはかなり気分がいい。なぜならオレは昔から運動会が一番大好きな行事だったからだ。
 マルチェロみたいに頭が良かったわけじゃないけど、運動だけは得意だったんだよな。そんなオレの血を受け継いだのか、ゼシカもリュウも人並み以上の成績を残してくれている。
 リュウはかけっこで一番だったし、ゼシカも障害物競走で一番だった。
「お子さん速いわねー。お母さん似なのかしら」
と、周囲のお母さん軍団の賞賛を受けるたびに、オレは(表面上はクールを装っていても内心は)鼻高々だった。

 だけど、褒められたのはそれだけじゃない。「その言葉」を聞くたびにオレの顔が思わず緩んでしまうような台詞もいただいている。
 なんのことって決まってるじゃないか! オレの愛するご主人さまについてのことなんだよね。

「ねえねえ、あの方がククールさんのご主人なんですって? 素敵なご主人で羨ましいわぁ…」
「旦那さんとてもカッコいいじゃない! 美男美女の夫婦っているのね」


 もっと言ってくれ!


 オレのマルチェロが褒められるのは自分のことのように嬉しい。嬉しくってしかたない。
 背は高いしスタイルもいいし……。おまけに頭もいいんだぜ! とお母さんがたの胸倉掴んで訴えたい。
 ―――性格はちょっとアレだけど……まあ、人間誰にも欠点ってものがあるから仕方ないだろう。
 ていうか、普通の人にはマルチェロの性格の悪さまでは見抜けないだろうな。あいつ結構食わせもんだから。

「さっきご主人に荷物を持ってもらったのよ。優しいご主人なのね」

 本当は、その台詞を全力で否定したいぜ……。
 ヤツはグランドクロスだのメラゾーマを挨拶代わりに打ってくるような男だ。いつも思うけど、オレに対する愛が足りねえよな。


 さて、そんなこんなでオレの晴れ舞台。リレー予選の時間がやってきた。
 第五走者のオレが走る時点で、そら組は3位。差はそんなに開いてないから勝つ自信はあった。あったんだけど……。

 目の前で、1位を走っていたお母さんが転倒する。そのすぐ後ろを走っていた2位のお母さんが巻き込まれて足をとられた。そして、運悪く、そのふたりを抜かそうとしていたオレも避けきれずに巻き込まれてしまった。
 危うく彼女たちを踏みそうになって、慌てて避けたもののバランスを崩して右肩から倒れこむ。
 わあっ、と悲鳴のような観衆の声があがった。
 ひとりのお母さんは立ち直って走り出したが、もうひとりのお母さんは足を痛めたのかなかなか起き上がれない。オレ自身もすぐに走り出すことができたのだが……いや、できたはずなのだが、どうしてもその状況を放っておけなかった。
 彼女のバトンを拾って手を貸してやる。足を引きずりながらも完走できたが、結果的にそのにじ組のお母さんとそら組のオレは大分遅れてバトンを手放すことになった。

「ククールさん、ごめんね……」
 救護で手当てを受けたその母親がオレに謝罪をしにくる。
 確かに残念だったけど、そら組もにじ組もお父さん軍団が頑張ってくれた。おかげで1位がにじ組で2位がそら組だったんだぜ?(ていうか、つき組もほし組も男衆が盛大にコケてくれたわけだが)ま、結果的にはオレたちのファイトが実を結んだようなもんじゃん。
 そう言ったら彼女はにっこりと笑ってた。残念ながら決勝は走れないみたいだけど、彼女の分までオレが頑張らなくちゃな!
 オレが決意を新たにしていると、いつの間にかマルチェロが近くにやってきている。
 心配してやってきたのかと思えば、
「頑丈なやつめ。その様子だと決勝も走れそうだな……。つまらん」
 こんなことをぬかしやがった。
 ……断言する。これは絶対に照れ隠しじゃねえ! 心底そう感じているという表情と声だ。


 愛は!? ねえ、あんたの愛はどこだよ!?


 ますますオレは負けられなくなった。
 勢いのついたオレは決勝で燃えまくったね。当然1位でバトンを渡したよ。あまりの速さに「おおおっ!」と歓声が上がったくらいだ。見たかマルチェロ!
 決勝は6組で行われたわけだけど(年長の1位と2位、年中の1位と2位、そして年少の二組だ)その時点でそら組1位、リュウのさくら組は4位だった。
 やはり男衆は見事にコケまくり、順位が面白いくらいに変動していく。まあ、これが親のリレーの面白いところなんだけどさ、今年のレースは特に荒れているように感じる。

 とうとうアンカーにバトンが渡された。
 現在のトップは年少の「もも組」若いお父さんばかりだから流石に速い。こんなん相手に40を超えたマルチェロが戦えるのかちょっと冷や汗が出てくる。
 2位のそら組にバトンが渡った。頑張れ!と叫んだ瞬間にマルチェロもバトンを受け取った。
 それから、オレはひとことも声を出せなかった。

 マルチェロがゴールテープを切るまで。
 呆然と見惚れることしかできなかったんだ。


「マルチェロ! マルチェロ、すごい! ありがとう!」
 リュウが嬉しそうな顔でマルチェロに飛びつくと、あいつはホッとしたような顔で顔を綻ばせた。(それが「蟹を免れたから」だということを、その時のオレが知る由もない)
「僕、マルチェロのこと見直した! みんなに僕のお父さん凄いでしょって自慢しちゃった」
 良かったな、マルチェロ。これで父親参観のときの誤解は見事に解けたことだろう。
 そしてリュウも。絶対勝ってくれって言ってたもんな。
 ―――でも、オレは素直に喜べなかった。

「あんた、あんなに速かったのかよ……」

 ぽつりと呟いた言葉は、悔しかったからというわけではない。(それもあるけど)
 知らなかったことが、哀しかったんだ。

 オレが小学校にあがる頃には、もうマルチェロは高校を卒業していた。
 あいつの運動会なんて見たことないし、話に聞いたこともない。知らなくても当然なのかもしれないけど。

「昔はそんなに速くはなかったはずだがな」
 マルチェロがオレを更に苛立たせる台詞を言いやがる。
 チッと舌打ちしそうになったが、それは次の言葉で遮られた。
「お前に負けるのは夫としての沽券に関わるから本気でやらせてもらっただけのこと。文句あるかね?」
 常にオレの上に立ってなくちゃ気が済まねえんだなこいつは。
 そう呆れたところで更に追い討ちをかけてくる。

「この2週間ほど毎日1駅分歩いたが、それの効果があったようだな。大学時代の友人に連絡をとって一緒にトレーニングもしたし……。さて、ククール。お前はその間何をしていたかね? お前は持って生まれた才能に頼って何もしなかったのではないか?
 よく覚えておきなさい。努力なくして栄光なし、だ。私は”天才”や”才能”などという言葉は認めん!」


 すげえや……。(色々な意味で)
 本当、流石はオレ自慢のご主人さまだわ。
 悔しいとか哀しいとかの、ごちゃごちゃした感情も吹っ飛んじまった。
 呆れを通り越して感動しちまったね。


「ついでに言わせてもらうが、ククール、お前は少し太っただろう」
「うっ……!」
 実際に2キロほど増えていたので言葉に詰まる。
「手の火傷をいいことに家事をさぼっているからこうなるのだ。全てはお前の不注意が招いたこと。少しは反省したらどうだ」
 正論すぎて何も言い返せない。
 それにしてもマルチェロのヤツ、しばらく家事をやらせたことを大分根に持っていたらしい。



 なんとなく暗い気分になりながら、オレはおとなしく自分の席に戻った。
 さっき怪我をした奥さんが旦那さんに労わられているのが目に入って羨ましくなる。
 あんな風に、マルチェロもオレに優しくしてくれてもいいのにさ。なんて、願うのも無駄なことを考えてしまった。
 手持ち無沙汰、何気なく傍にあったビデオを手に取り、巻き戻して目に流していく。
 流石はマルチェロ、ゼシカやリュウの競技がよく撮れている。しばらく見ていると、リレーの予選が映し出された。
 この部分はあとで編集してカットしよう。オレの汚点とも言えるものを後世に残すには忍びない。


 しかし、その20秒後。
 オレは考えを全く逆の方面に改めていた。


 オレと他の奥さんがもつれて倒れこむその瞬間。
 ビデオにはそれが映ってなかったんだ。
 激しく画面がぶれてから、全く別の景色が映っていた。
 それでも音声だけは鮮明に。

 『ククール……!』

 普段無言でビデオを回し続けるマルチェロが、初めてそこに閉じ込めた言葉はオレの名前。
 それも、滅多に聞けないあいつの動揺した声。驚き、俺を案じる必死な声で。

「……なーんだ。オレ、結構愛されてるじゃん」
 思わず顔が緩んでしまう。
 本当はオレが火傷したときも、凄く動揺してたのかもしれない。それでも素直に表に出すことが出来ない(というか本能がそうさせている)のかもしれない。
 まさかマルチェロもこんなところで隙を見せることになるとは思ってもいなかっただろう。

 ちょうど戻ってきたマルチェロは、ご機嫌になったオレを見て怪訝そうな顔をしていた。
 例の場面を見せてやってあいつの反応を楽しみたいけれど、そんなことをしたら即行消去されそうなので我慢することにした。



 やっぱりオレは運動会が大好きだ。





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2007/08/22〜2007/10/14