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「先ほどのトロデーンへの潜伏の件ですが……お受けしようと思います」
静かな声で、リュウは言った。意外だったのか、マルチェロが驚いたようにその顔を見つめる。
「なんとなくですけど、あなたというひとが少しだけ分かったような気がします。今までは自分の欲のためだけに行動していた人間だと思っていたけど……本当は優しいひとなんだ。ちょっとやり方を間違っただけだったのかもしれない。ククールがずっと諦めなかった理由も理解できました」
「そんなに簡単に信じてもいいんですか? また私が何かを企んでいたらどうするんです」
苦笑しつつも、マルチェロはからかうような言葉を述べる。しかし、相手の青年も負けてはいなかった。
「これも確かじゃないけど、今のあなたからはそういった不穏な空気は感じられないんです。それに、万が一の時はククールが止めてくれるはずですから心配していません。勿論僕も彼を援護するつもりですが」
リュウがにっこり笑うと、「それは怖いな…」とマルチェロが呟いた。
「安心してください。現在の私がしていることは……多分、悪いことではないはずです」
リュウが怪訝そうな顔を見せると、少し迷ってから彼は続けた。
「いま、私は然る高貴な方のお手伝いをすべく、この世界の綻びを見つけています。
ありがたいことに、その方は私を死んだことにしてくださいましたのでね……ちょっと動くのは面倒になりましたが」
「…そのひとって」
リュウの脳裏に浮かんだのは、煉獄島から奇跡の脱出をし現法王となったニノの姿だった。
そういえば、彼はあの場からどうやって逃げ出すことができたのだろう。法王逝去と新法王即位と……すべてが混乱した中で、ニノを救えと指示できた人間はいなかったはず。そして、長期間にわたってあの場で生き抜くこともまた不可能であったはずなのに。リュウたちがラプソーンを倒して世界に平和が戻ったとき、ニノはもうサヴェッラ大聖堂に居たのだ。
「まさか…ニノさんを救ったのは…」
その疑問に、マルチェロは即答した。
「ええ、私です。あの場から彼を救い出すことができる人間が、私以外にいますか?」
ゴルド戦の後、マルチェロは残り少ない魔法力を絞り駄目もとで瞬間移動の呪文を唱えた。使えたのは一度きり、そのときだけで二度とは使えなかったが。……第一どうやって呪文を呟いたのかすら覚えていない。
「誰かが自分をどうしても生かしたいのだと思うしかなかった。私はククールの呪いだと信じていますけどね」
どこに飛ばされるのか大博打だったが、上手い場所に降り立つことができた。田舎の、のんびりとした小道。テントを張って商売している数人の男たち。(ちなみに最初は魔物かと思われて酷く驚かれた)
そこでマルチェロは保護され、三日三晩眠り続けた。近くに不思議な泉があると聞いたので、馬を借りて行ってみた。傷は癒え、マルチェロは体力も魔法力も元通りになった。その足で煉獄島に赴いたのだ。
「ニノ大司教…ああ、今は法王でしたね…彼が逃げ出してきたと思われては元の木阿弥ですので、トロデーン南西の宿にしばらく滞在していただいてました。ほとぼりが冷めたら大聖堂にお戻りになるようにと。もう私はあの場所に戻るつもりはないということも言い残してね。あの方は私の変わり様に驚いていましたが、こちらとしては全く同じ台詞を返してやりたくなりましたよ」
確かに、ニノは変わった。煉獄島の一件が彼を変えたのだろう。
「ニノさんは今、教会再編に向けて力を尽くしています。金と権力にものを言わせて汚いことをしていた貴族が次々と処分されていましたが…それはもしや」
「ええ、私の密告が元でしょう。証拠もきっちり押さえてサヴェッラに送っています。勿論匿名で。ですが、きっとニノ法王には気付かれているでしょうね」
さも愉快そうにマルチェロは笑った。かつては利用し、共謀していたこともあった連中の悪行を、この男が嬉々として暴いていくのが目に浮かぶようだ。
「私があなたの国を潜伏先として選んだ、もうひとつの理由を分かっていただけましたか?」
トロデーンはサヴェッラに近く、情報を送るのにも危険が少ない。万が一マルチェロの身に何かあっても、潜伏先はリュウが確保できる。彼が調べ上げた証拠や資料もだ。俄かには信じがたいが、マルチェロはリュウを信頼しているらしい。
「ええ、理解しました。……半分は、ですが」
含みを持たせたリュウの口ぶりに、マルチェロは困ったように眉根を寄せた。
改めて問うまでもない、彼が納得できないのはただひとつ、マルチェロの異母弟ククールについてなのだろう。
「ククールは…あなたに存在を忘れられることを何よりも恐れていたんです。だから、あの時あんなに怒った」
「……そんな心配は、今では杞憂としか呼べないものですけどね」
「でも、ククールは何も知らない。あなたがいま何をしようとしているのか、いま兄が自分をどう思っているのかも。知らぬまま不安に時を過ごしてきた。きっとこれからもそうなんです」
解放してやって欲しい。ククールを。
先にマルチェロが言った意味ではなく、真の意味で。
長い苦しみから解き放ってやることができるのは、自分自身だけなのだと、マルチェロに分かって欲しい。
―――どうかそれだけは分かっていて欲しい。
「マルチェロさん、僕からククールにあなたの居場所を告げることはしません。それは約束します。その代わり……もしククールが自力であなたを見つけ出すことが出来たら、その時は逃げないと約束してくれますか?」
「………分かりました。約束しましょう」
話し合いは成立した。
リュウはトロデーン城下にマルチェロが潜伏できるような場所を探すことを約束した。
少々時間がかかるかもしれないとリュウが言うと、「それまで気長に追いかけっこを楽しむことにしましょう」とマルチェロは笑う。
連絡方法は今回と同じように匿名で鳥を飛ばすことにした。マルチェロからの連絡しか可能ではないが、居場所を伝えておけばリュウは今日のように瞬間移動の呪文で飛んでくることができる。
そこで、ふと、マルチェロの動きが止まった。
少し驚いた顔をして、それから厳しい表情を作る。
リュウが不思議そうな顔で彼を見つめると、何か納得したのか諦めたように微笑んだ。
「ところで……奥方はミーティア姫といいましたか。遅くなりましたが、ご結婚おめでとうございます」
「ありがとうございます」
少しはにかみながら、リュウはマルチェロに礼を言った。その幸せそうな表情に、マルチェロは心からの祝福を贈る。
「それでは私は失礼します。少し慌て者の姫君に、どうぞよろしくお伝えください」
マルチェロの最後の言葉の意味を量れず、リュウはその場にしばらく立ち尽くしていた。
だが、その背がすっかり消えてしまうと日の傾きに慌てたように瞬間移動の呪文を唱える。
急いで帰ろうと思った。城では愛しい妻が自分を待っている。
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