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父と母の顔はなんとなく覚えている。おぼろげではあるけれど。
母は俺と同じ銀髪、青い瞳をしていた。父は白髪で、くすんだ深緑色の瞳をしていた。
覚えているのは、それだけだ。
冷たいかもしれないが、それ以外に印象に残っていることはない。
父は外に出ていることが多かったし、母は専用の別邸から殆ど出なかった。
彼らが病に臥せったことも、それに拍車をかけた。
不自由に感じたことはなかった。困ったことがあれば、使用人がなんとかしてくれたからだ。
父と母の愛情が薄いと。そう考え及ばないほど、自然に「こんなもんだ」と現実を受け入れていたのだ。
母は俺が5つの時に死んだ。葬儀のことは少しだけ覚えている。
百合の花でいっぱいに埋め尽くされた棺。その花の匂いが、俺にとっての母の香りだ。
父は俺が6つになったころ死んだ。
驚くほど痩せた父を、最初はどこのおじさんだろうと思ったくらい。
なぜこんなに両親のことを覚えていないのか。
それはきっと、その後に起こったことの記憶が強すぎるせいだろう。
修道院までの道。街の外まで送られて、そこからひとり。
”この道を真っ直ぐに歩いていきなさい。大きな建物があるわ。そこがあなたの家になるところよ”
1番俺に冷たかった使用人が、小さな荷物をひとつ持たせて俺の背中を押した。
気休めに持たされた聖水。魔物に怯え、震えながらひとりで過ごした夜。
そのとき初めて、俺は”両親を亡くしてひとりぼっちになった”のだと悟った。
怖くて、不安で、涙が出た。
マイエラ修道院は、確かに”大きな建物”で俺は圧倒された。
恐る恐る扉を開けると、大きな女神像が俺を睨んでいた。
自分が声を出せることを忘れたみたいに。
助けを呼ぶ気力も、誰かに声をかける勇気も……もう、その時の俺にはなかった。
誰も俺に声をかけてくれない。
笑顔で「ククール坊ちゃん」と呼んでくれた、優しい乳母の姿もない。
ああ、そうだ。あの人も両親と同じ病で死んだんだった。
”なんで僕をひとりぼっちにしたの? どうして僕も連れていってくれなかったの?”
俺を置いていった全てを、憎みそうになった……そのとき。
―――君、初めて見る顔だね。新しい修道士見習いかい?
ガタンと大きく馬車が揺れて、ククールは目を覚ました。
外を覗いてみれば、周囲はいまだ深い闇の色に包まれている。
目的地に到着するのは、夜が明けるころだという。途中休憩を挟む予定になっていたが、眠っていたせいで機会を逃したのかもしれない。
―――もう一眠りしてしまおう。朝になってしまえば、過酷な勤めが待っている。
ククールは、床に落ちた毛布を引っ張りあげてその身を包む。
今回の祈祷先は、ベルモンドという子爵の家だった。
これまでの経験で理解しているが、初めての相手は神経も体力も消耗する。何度か”祈祷”すれば、相手の癖や手の抜き方も分かってくるが、初回はそうもいかない。相手のご機嫌を探り探り、寄付金に見合った働きをしてこなければならない。
子爵の人となりが分からぬ現状、ククールに出来ることといえば、欲と金で自分を恣にする男が変態オヤジでないことを願うくらいだ。
……そういえばモリス伯爵のときは酷いものだった。いやいや、事後の疲労感と倦怠感でいえばルキノ氏か。
嫌なことを思い出してしまい、ククールは思わず顔を歪める。自分自身の気を更に沈ませることもなかろうに。まったくもって損な性格だ。
葡萄酒を手にとって、ククールは喉の奥に流し込む。先方が用意しただけあって、それはさすがに上等なものだったが……今夜は苦い後味が消えなかった。
―――そして自分の悪い予感は、やはり当たってしまうのだ。
痛む身体を無理やり起こして、ククールは自分のシャツを探した。
耳鳴りと頭痛がする。きっと薬を盛られたせいだろう。
ベルモンドは、ククールの願いも空しく”変態オヤジ”の域に属する男だった。妖しげな薬を持ち出し、なんの躊躇いもなくククールに飲ませ……その身体を、これでもかというほど蹂躙し続けた。
直接的な繋がりは殆どなく(子爵はまだ40半ばなので、それは不思議なことだったが)それでも、ククールの身体に対する執着は類を見ないほどで。白磁のような肌を撫で回してみたり、道具を用いたり……子爵の狂った宴は陽が落ちるまで続く。
やっと解放されたとき、ククールは意識を手放しそうになるほど疲弊していた。
はやく帰らなければ、と思った。
はやく帰りたい、と願った。
あんなところでも、ククールにとってはたったひとつの帰る場所。
身体がべとついて気持ち悪かったが、シャワーを浴びている間も惜しい。
言うことを聞かない身体を叱咤して上着を羽織ると、しゃらりと金属が擦れる音がした。首元に光る銀のロザリオは、出掛ける前に若い修道士見習いから渡されたものだ。おそらく団長あたりから預かったのだろう。祈祷に向かうのだから、一応カッコはつけていけ……そういう意味だと理解して素直に受け取った。
「どこにいくのだい?」
突然しわがれた声が響いて、ククールはどきりとする。
声の主はベルモンドだった。手には酒を持っている。
まだ引きとめようとするのか―――そんな思いを必死に押し殺して、ククールはベルモンドに騎士団の礼をした。
全身がギシギシ痛む。立っているのも辛い。冷や汗が、背中に滲んだ。
「大変長居をしてしまい、申し訳ありませんでした。そろそろお暇させていただきたいと思います」
「マイエラ修道院に帰るというのかね?」
「はい。職務がございますので」
騎士団長が聞いたら笑い出しそうな台詞だ。不真面目な自分が何を言うのか。方便にしても もっとましな答えはなかったのかと、ククール自身笑えてくる。
「子爵がお望みでしたら、また祈祷に参ります。お名残惜しいことですが…」
「その必要はない」
ぴしゃりと言い放たれて、ククールの顔色が変わった。
自分は、何か失礼を働いていたのか。子爵の気に障ることをしてしまったのか。彼と情を交わした数時間に思いを馳せるが、思い当たる節は全くない。
どんな折檻にも従順に耐えたはずだ。彼を喜ばせたと思ったし、充分満足させたはずだと安堵の息をついていたのに。
ククールは動揺して言葉も出ない。無意識に、胸元のロザリオをぎゅっと握った。
不安に揺らぐ碧眼。それを愉しそうに見つめると、ベルモンドは更に決定的なひとことをぶつけてくる。
「ククール、君はずっとここにいるんだよ」
その言葉の意味を、若い騎士は理解することができなかった。
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