バイトを探し始めてから数時間後、夕日に照らされた道の真ん中で望月は大きく息を吐いた。
「…………中々見付かんねぇな…」
色々な意味で不器用な自分でも出来そうな仕事で、時間は夜が望ましくて、早坂を寂しがらせない為にもアパートから近い場所で出来るようなアルバイト。そんな中々都合の良いアルバイトは街中では見付からず、結局何の収穫も無いまま無駄骨を折った望月は水分を求めてコンビニエンスストアのドアを押した。チャイムとマニュアル通りの店員の挨拶が出迎える中、フラフラとペットボトル飲料の棚まで向かう。
「…………あ…」
手近なスポーツドリンクを手にとってレジに向かう途中で本棚に置かれたある雑誌が目に入り、ゆっくりと手を伸ばしてパラパラ…と捲ると様々な求人広告が掲載されていた。
「何か良いバイトあると良いんだけどなぁ…。あ、これはナイトクラブのページか。……やっぱ、俺ホストとか出来ないだろうし…何よりも良ちゃんが怒るだろうなぁ…」
「ハイハイお客さん立ち読み禁止ーっ」
煌びやかな店の中にいるスーツ姿の自分を想像すれば違和感を覚え、少し危険な夜のバイトをすると言えば大きな瞳を吊り上げて猛反対するであろう早坂の姿を想像すれば小さく吹き出す望月を現実世界に帰らせたのは男の声と肩をチョンチョンと叩く何かだった。
「あぁ?」
他の奴だって堂々と漫画立ち読みしてるじゃねぇかよ。頭の中で次に言うべき台詞を組み立てながら、微かに不機嫌そうな顔を浮かべて振り返ると黒の強い焦げ茶色の髪をした私服姿の若い男が面白そうに笑っていた。
「んなマジで怒るなって。すぐに怒る男は嫌われるぞ?」
「!!」
言った方にとっては何気ない一言だったが相手が相手だけに言われた方は何とも言えぬむかつきを覚え、自然と眉間に皺が寄る。最近、やたらと妄想世界に登場して早坂を自分から奪って行く男は望月が読んでいる雑誌のページを覗き込んだ後、プッと吹き出した。
「お前、ホストのバイトでもすんのか?……まぁ、可愛い系が好きなお姉様辺りには人気出そうな気もするけど……。あー、でも良麻の方が向いてるかもな。アイツ、母性本能とかくすぐりそうなタイプだし」
「良麻ぁっ!?」
何だよ、コイツ。何時の間に良ちゃんの事を呼び捨てするような親密な仲になってやがるんだ!?密かに自分のライバルと決め付けている男――例のコンビニの店員(私服である辺り、今日は休みらしい。まぁ、そんな事はどうでも良い)が使った意外な呼称に動揺して固まった望月だったが、首を何とか横に数度振って動揺を無理矢理振り払った後、目の前の男を強く指差した。
「き、聞き捨てならねぇな!その言葉!!ちょっと表に出ろ!」
「あぁ。確かに表に出た方が良いかもな。お前、声デカ過ぎ」
「あ、な、何するんだよ!それ俺が………」
一人で盛り上がっている目の前の少年に改めて吹き出しながら、彼が手に持っていたスポーツドリンクを奪い取ってレジへと向かう。突然の事でキーキーわめく望月に男はサル…と口の中で呟いた。
「ギャーギャー騒ぐなって。どうせ必死な顔して求人広告読んでるんだ。金が無ぇんだろ?…良いから先に外出てろって。これは買ってやるから」
「……羽鳥。アイツと何かあったのか?」
「さぁな、知り合いの名前言ったら急にサルになっちまった」
スポーツドリンクのコードを読み取りながら怪訝そうな顔で囁いて来る店員に羽鳥と呼ばれた青年は小さく笑って小銭をテーブルに置いた。
畜生アイツ調子に乗りやがって。絶対、今日ケリ付けてやる。っつーか一発殴らせろ。ブツブツ言いながらコンビニの外でグルグルと落ち着き無く円を描いて歩いていると横からペットボトルが飛んで来た。
「っ!!」
持ち前の反射神経で何とか掴み、フーッと大きく息を吐く望月の視線の先で例の“ライバル”が缶コーヒーを開けながら笑った。
「反射神経良いんだな。ま、確かに頭脳派には見えねぇけど……」
「うるせぇなっ!!何なんだよお前!人をこんなに苦しめて………」
「は?何言ってんだ?」
「と、とぼけんじゃねぇっ!!」
ペットボトルの蓋を勢い良く開けて3分の1程飲み下した後、小さくゲップをしながら望月は怒号を続けた。
「ちょっと顔良いからって調子に乗りやがって!!良ちゃんはそれ位じゃお前になびかねぇんだよ馬鹿っ!」
「………………」
うわ、コイツって………。目の前で相変わらず大声でわめいている望月を見た青年は込み上げて来た笑いを必死で抑えていたが、相手の余りにも必死な表情に思わず吹き出してしまった。
「あっ…な、何がおかしいんだよ!良いか?俺はお前と違って良ちゃんとは15年近く付き合ってるし、アイツは俺が本気で好きだって言ってるし、俺の為に何時もメシ作ってくれるし、そ、その…まだ何回か…じゃなかった…もう何回もヤッて…むぐっ!」
「分かった。分かったから、そう言う事をデカイ声で言うなって」
おかしくてたまらないと言った様子で肩を震わせながら望月の口を押さえると、押さえられた方は目をパチクリとさせた。
「…………ホント、良麻の言った通りだな。“時々、自分の世界に入って暴走する”って」
「えっ…………」
口を解放した途端に間抜けな声を発した望月に青年はニッと笑いかけ、ゆっくりと缶コーヒーを傾けた。
「やっと分かった。俺が良麻と話してると露骨に嫌そうな顔したり、目を反らしたりしてる訳が。お前一人で店に来てる時は結構普通に話してくれるのに何でかなーって思ってたけど……成る程な。可愛いあの子を取られるって思い込んでた訳か」
「……………。だ、だって……良ちゃん……人見知り激しいのに…お前…いや、羽鳥相手だと普通に話せてたし…初めて会った時なんか、妙に舞い上がってたし……良ちゃんって羽鳥みたいなのがタイプなのかなって…。俺…さ……見ての通りガキっぽい顔してて正反対なタイプだから……」
「年上を呼び捨てかよ。ま、いっか」
さっきまでの威勢の良い態度とは打って変わって自信無さげにボソボソと話し始めた望月の茶色がかった髪がクシャクシャと掻き回される。
「それで不安がって嫉妬して挙句の果てには被害妄想で大暴走か。……ったく、良麻が本気で好きならそう言う不安も打ち明けろっての」
「…………………」
普段自分が早坂に言っている台詞を他人に言われてしまい、妙な気恥ずかしさを覚えた望月の顔が赤く染まって行く。夕日で自分の顔を望月のそれとは違う赤で染めた羽鳥は空き缶を手の中で弄びながら望月の横顔を眺めて言った。
「良麻も時々一人で来るんだけどな。いっつもお前の話してたぞ。駿君がどうした、あぁしたって」
「良ちゃんが……?」
「あぁ。家事もロクに出来ないから大変だとか、結構無神経な所があるとか、さっき言ったみたいに自分の世界に入っていくとか……」
「……………………」
…良ちゃん、やっぱり俺に不満があったのか。でも、俺を傷付けたくないから他人に愚痴ったりして……。持っていたペットボトルをギュッ…と胸に抱き締めて、悲しそうに眉を顰めた望月に羽鳥は慌てて付け加えた。
「で、でもな。良麻、最後は絶対こう言うんだぜ?“でも、僕はそんな駿君が好きなんだけど”って。言う時に顔赤くして照れ笑いしちゃってさ。全く、ご馳走様もいいトコだぜ」
「えっ……!?」
「心配しなくても良麻はお前しか見てねぇって。幸せでたまらないから惚気たいんだよ。…で、結局手近な所で俺が良麻のお惚気を聞かされてるって訳さ」
ご馳走様。おどけるように言って空き缶をくず入れに入れた後、改めて望月の方を振り返って笑顔を見せた羽鳥だったが、ふと真面目な顔になって望月の鼻の辺りを指で軽く押した。
「…お前、良麻を泣かすなよ?あんなにお前を想ってくれる奴なんてそうそういないぞ?」
「わ、分かってるって!!……で、でもアイツ嬉しくても泣いたりするから、泣かせるなってのは無理かも……」
「じゃあ、訂正。良麻を悲しませるな。もし悲しませたりしたら、俺が横からアイツを掻っ攫うからな」
「……………冗談に聞こえねぇ……って言うか、やっぱ俺が嫌いになったらお前のトコに行くのかなぁ、アイツ…」
「それはお前が一番分かってるんじゃねぇの?」
指を離し、唇の端を吊り上げて不敵な笑みを浮かべる青年の整い過ぎた容姿にグッ…と小さな呻きが漏れる。これ、マジで油断したら良ちゃんなびくんじゃねぇか?な…何とかしてコイツから良ちゃんを取られないようにしないと……
「お、滅茶苦茶真剣な顔。また自分の世界に入りかかってただろ」
いかに目の前の男から早坂を“守る”べきか対策を練ろうとした己の額がパチンッと指で軽く弾かれ、脳内対策本部は瞬く間に解散してしまう。額を押さえて目をパチクリさせる望月に羽鳥はそう言えば…と話題を切り替えた。
「お前さっき求人雑誌読んでたけど…どんなバイトしたい訳?」
「え?あ……その…一応学生だから、極端な肉体労働は駄目で………俺にも出来そうな仕事で、夜間で……あの、これが一番重要かも知れないけど…良ちゃんを寂しがらせないように…アパートから極力近い所…」
「……………。ククッ…あ…宛名書きの内職が一番じゃね?そんな条件だったら…」
「ばっ馬鹿……そんなんじゃなくってさぁ…!……?」
今にも地団駄を踏みそうな望月の眼前に白い紙が突き出される。思わず叫ぶのを中止して、目の前の紙を手に取ってみると「アルバイト募集」と書かれた赤い文字が目に飛び込んで来た。
「此処のコンビニのバイトは?時間も夜間だし、お前のアパートから近いんだろ?……俺と同じ時間帯の奴が辞める事になってさ、急遽募集する事になったんだと」
「…じゃあ、仕事でのパートナーはお前って事?」
「そう言う事。大体は俺と一緒に組む事になるな。俺はお前に来て欲しいけどなぁ。お前と一緒にいると面白いし」
羽鳥の誘いをボンヤリと聞きながら紙に書かれている仕事内容などを読んでみると、確かに自分の求めている条件と殆ど一致している。自分にも出来そうで、時間も夜で、何よりもアパートから歩いて10分位だから、もし良ちゃんが寂しがっても気軽に会いに来れる……。ついでに羽鳥と一緒と言う事は良ちゃんを横取りされないよう“監視”も出来ると言う事だ。それを考えると、申し分の無いアルバイトに見えて来た。
「決まりだな。じゃあ、俺が店長に言っとくわ。近い内に電話来るだろうから履歴書用意しとけよ」
募集の紙を見ている内に輝き出した望月の瞳から意志を判断した羽鳥が紙をスッと抜き取って背中を向ける。目の前から紙が消えた事で目をパチクリさせる望月に振り向きざまに人懐っこい笑顔を見せた後、紙を持った手をピラピラと振って青年は望月の新しい仕事場(予定)になるコンビニエンスストアの中へと姿を消した。
気が付けば殆ど日が暮れている通りに1人残された望月は暫くボンヤリと立っていたが、やがて沸々と込み上げて来た笑いを顔に出し、じっとしていられない様子でアパートに向けて全速力で走り始めた。やったやった!歓喜の声を心の中で叫びながら望月は頬を喜びで上気させて走り続ける。バイトが決まった(いや、確定ではないのだが)。これで俺も良ちゃんの為に色々出来る。いっぱい思い出作りが出来る。お互いにもっともっと好きになれる。早くも思い出作りの甘いシーンを妄想しながら望月は一瞬も止まる事無くアパートへと駆けた。
アパートの自室から漏れている灯りを外の通りから見つけた望月は、その灯りから早坂が既に帰って来ている事に胸を躍らせ、階段を1段飛ばしでテンポ良く上がって自室へと急いだ。
「ただいまっ!」
ドアを勢い良く開け、何時ものように早坂がお帰りと言いながら玄関に出るのを待つが、今日は何故か中々出て来ない。望月は首を傾げつつ靴を脱いだ。
「トイレかな………」
キョロキョロと相手を探しながら、微かに開いている扉から何気なく部屋を覗き込んだ望月は、あっ……と小さく口を開けてその場に立ち止まった。ドアによって狭まれた視界の中で捜し求めていた人物が真剣な表情でノートパソコンの画面を見詰め、慣れた手付きでキーボードを素早く叩いている。時折手を止めて頬杖を付き、ディスプレイを凝視しながら中指でキーボードを短く叩いてうーん…と小さく唸る彼の真剣な横顔は日常生活の中では余りかけない眼鏡も手伝って普段よりも何処か大人びており、自然と望月の熱い視線を誘った。
「…!あ、駿君……。帰って来てたんだね、ごめん気が付かなくて…。今、ご飯準備するから…」
自分の眼差しが突き刺さったのか軽く瞬きをした後に自分の方を振り向いて笑いかけて来る。その何時もの笑顔に望月は同じく笑顔を返し、ただいまと改めて言いながらドアを開けて早坂の部屋に入った。
「いや、続けて良いよ。中途半端なトコで止めるの嫌だろ?」
「そう?じゃあ、ちょっと切りの良い所までやらせてね」
微笑んで眼鏡をかけなおした後、真剣な表情に戻ってキーボードを叩き始めた早坂の隣に座り、肩を軽く抱き寄せながら望月も同じように画面に目をやった。
「お、レポートか。うっへぇ…訳分かんねぇ」
「うーん……確かに駿君にはちょっと難しいかな?僕も結構苦戦してるんだけど…っと、こんなもんかな。よし、とりあえずここまで!」
「終わったか?お疲れさん♪」
キーボードを弾き、画面の隅の方にあるフロッピーディスクの絵を押した事で作業の終了を判断した望月が早坂を勢い良く胸元に抱き寄せて、突然の事による驚きで微かに開いた彼の唇に自分の唇を近付ける。ぐぅぅ。ムードを一瞬にして崩壊させる虫が大きく鳴いた。虫の主が顔を赤くし、その顔を見た相手はクスクスと笑い出す。
「駿君、お腹空いてるんだね。ちょっと待ってて。もうご飯炊けてて後はおかずだけだから、すぐに出来るよ。今日はトンカツだけど駿君が帰るまで揚げるの待ってたんだ」
外した眼鏡をケースに戻しながらニコッと笑顔を見せて台所へと去った早坂にこの上ない愛しさを改めて感じると共にアルバイトの事を思い出して自然と顔が緩んで来る。あぁ…早くアイツの喜ぶ顔が見たい!ここ数時間の間に何度も頭の中で上映されている“高級レストランでのリッチな食事とプレゼント”をまたしても妄想して顔を自然とニヤつかせる望月の鼻腔を台所から漂う揚げ物の匂いが刺激し、腹の虫がまたしても大声で鳴いた。
食卓に並ぶ温かい料理に余り手を伸ばさずに向かいで味噌汁を飲んでいる相手の顔を見詰めていると、その真剣な瞳に気が付いたのか早坂が自分と視線を合わせて椀をテーブルに置いた。
「どうしたの?僕の顔に何か付いてる?」
「……良ちゃん、俺さ………」
「うん、何?」
改めた様子で口を開いた望月を見て何か重要な話があるのだろうと感じ取った早坂が箸を丁寧に置きながら返事をすると、真剣な顔を崩さぬ彼がいきなり身を乗り出しながら言った。
「バイト、する事にしたから」
「…………え?何で?」
「な、何で…って……」
てっきり“凄い”とか“頑張ってね”とか言うと思っていたのに、その予想に反した余りにもそっけない態度に言葉が詰まった望月の顔を見た早坂はそのまま続けた。
「無理して働く必要は無いと思うけど…。別に僕達、生活には困ってないよ?生活費はちゃんと僕達の親が送ってくれてるし……」
「い、いや、それはそうだけど……ほ、ほらっ!遊ぶ金とか欲しいだろ!?」
「……お小遣いもちゃんと生活費と一緒に貰ってるじゃないか。……僕は今のままで…駿君が一緒にいてくれるだけで凄く幸せだよ?」
「…………良ちゃん…」
きっと、俺が仕事に行って寂しくなるのが嫌なんだろうな。早坂の声色で隠れた本音が痛いほど分かった望月だったが、“じゃあ止める”とは言いたくなかった。俯いてしまった早坂の側へと近寄り、彼の横にしゃがんで寂しげな顔を覗き込む。
「俺、家に帰っても何もしないで良ちゃんに負担かけてばっかだからさ…せめてバイトでもして良い生活させてやりたいんだ。勿論、バイトだから大した金は入らないけど……良ちゃんの為に何かしてやりたい。良ちゃんは俺が側にいてくれるだけで良いって言ってくれてるけど…そんな良ちゃんの優しさに甘えっぱなしじゃ駄目な気がするんだ」
「……………………」
「…良ちゃんを寂しがらせるかも知れないけど……一応、バイト先はよく一緒に行くあのコンビニだから、寂しくなったら会いに行けるよ?羽鳥も一緒だしさ。また3人で馬鹿話しようぜ」
俯きっぱなしの早坂から一瞬も目を反らさずに説得を続けていると、寂しげだったその表情の口元がふっ…と小さく笑った。その後に続くのは、うんと言う小さな返事と確かな頷き。
「……そうだよね。僕に駿君を束縛する権利は無いよ。ゴメンね、止めようとしたりして。バイト大変だと思うけど、頑張ってね。僕、応援するから」
「何だよー。羽鳥もいるって言った途端に許可しやがって」
漸く見せてくれた笑顔にホッと安堵の溜め息を吐いた後、その安心と喜びの余りにわざと唇を尖らせて拗ねた態度を見せると早坂は慌てて顔を上げて両手と首を横に振った。
「えっ!?は、羽鳥さんは関係ないよ!……た、確かに3人でまた話とかするのは楽しいだろうなーとは思ったけど、僕そんなつもりで許可とかした訳じゃ…」
「ハハッ、分かってるって。何必死になって否定してるんだよ。怪しいなぁ」
夕方までの自分だったら、またしても嫉妬して被害妄想とライバル意識を燃やしそうだったが、その“ライバル”が話してくれた“良麻の惚気話”のエピソードが大きな余裕を与えてくれている。その余裕を笑顔に出しながら、望月は未だに顔を赤くして否定している早坂の額を軽く弾いた。