地面に煙草が落ち、ブーツが即座に踏み躙る。そして、また新たな煙草を口に咥える。青年はその行動を何度も繰り返していた。場所は少年と男が消えて行った安宿がある通りの角。火を点けながら萎びた宿に目をやる。お前には関係のねぇ事だ。何度も頭の中で反復する冷たい声と寒い深夜の瞳。
「……………………」
煙混じりの白い溜め息を吐く。何故かショックだった。少年が身売りしていたと言う事実が。知らない男に甘えるように寄り添っていた事が。そして、自分に冷淡な態度を取った事が。
俺、人違いしたんやろか。無理矢理そう思い込もうとした事もあったが、勿論失敗に終わる。確かにあの少年はカキア………ハンニバルだった。あの偽りであるかのような赤い髪と深い夜の蒼き瞳を持った少年は彼以外に考えられない。
「嘘やろ………」
低く呻くような声を出しながら頭を抱え込み、安宿の窓を眺める。あの並ぶ部屋の何処かに二人がいる。きっと、今頃お楽しみの真っ最中なのだろう。楽しんでいるのは相手の男であり、少年は半ば陵辱されている状態なのだろうが。
「クソッ…………!」
込み上げて来る奇妙な怒りをどうにか抑えようと、懐から箱を取り出し何本目かの煙草を取り出そうとするが、中は既に空になっていた。
「…………………………」
無言で力の限り箱を握り潰すと、グシャッと言う音と共に手の中の綺麗な四角は原型を留めていない物体と化した。
「畜生っ……!何もかもムカツクわ!!」
言いようの無い怒りを手の中の箱にぶつけるかのように、ワレンシュタインはそれを吸い殻が散らばる地面に叩き付けた。
「知らない男ぉ?」
奉仕を再開する少年の赤毛を撫でながら、男は訝しげな表情を浮かべた。
「その割には、向こうは異様に取り乱してたけどなぁ?」
「あぁ、確かにな。でもアイツ俺の事をハンニって呼んでただろ?俺はカキアだ。ハンニなんかじゃねぇ」
口から唾液の線を引きながら答える少年に、あぁ成る程なと頷く。“カキア”が“悪徳”を意味すると言う事は、この学の無さそうな男の知識には無かったのだろう。漸く、納得したような素振りを見せ始めた。
「だろ?」
逸物を刺激する器官を口から手に変え、上下に扱きながら少年は再度顔を合わせた。
「アイツ…案外、ドラッグかアルコールかで脳味噌やられちまってるかも知れねぇな。この街で俺と誰かを人間違えするなんてよ。それとも幻覚でも見えてたかもなぁ?」
アハハッとわざとらしい作り笑いをしながら作業を続ける少年を男は力任せに抱き寄せた。あっ…と思わず声を漏らしかけた口は分厚い唇に塞がれると同時に不快な熱を持った舌を捻じ込まれる。
「……うっ………ぅんっ……!」
舌の感触に思わず目を瞑り、拒絶するかのように身を縮めるが、それも男の欲望を掻き立てるに過ぎない。思う存分口中を貪り、唇を吸い尽くした後に解放すると少年は僅かに濡れた瞳で下を見ながら口を拭っていた。
「ヘヘッ………さっきの変な奴が見たら何て言うんだろうなぁ?お前の事を誰かと人違いして、あんなに取り乱してたんだ。もし中毒者だったら完全に発狂して死ぬまでドラッグや酒に走りそうなタイプだぜアレは」
「…………………………」
答える事が出来ず、シーツを掴む。もう分かったんならアイツの事は口に出すな。何だか辛くなるからよ。そう瞳で訴えてみるが、相手は愚鈍らしくニヤニヤ笑いを絶やさずに“変な奴”に関する勝手な想像を続けていた。“人違いをして勝手に取り乱したドラッグ(アルコールかも知れない)中毒の男”は彼にとって、かなりのヒットだったらしい。口を開けばそれに関する事ばかりを言い、その言葉は何故か少年の心に傷を付けていた。
ったく……黙れよ、好い加減に。勝手な想像ばかりしやがって。心の中で憎々しげに舌打ちをしながらコッソリと睨み付ける。勝手な中傷に耐え切れなくなった少年は、男を黙らせる行動に出た。
「そんな奴の事は良いからさ、続きしようぜ。何だか……体が疼いて仕方が無ぇんだ」
虚言を言いながらゆっくりと人差し指を口に含み、そのまま中指も口に入れる。数回、口の中で指を動かし、舌で舐め回した後に口から離した指は、ほんのりとピンクに染まり熱く濡れていた。ゴクリと生唾を飲み込む相手を上目使いに見つめながら腰を浮かせ、欲望の対象に指を移動させると同時に周りを解す。男の気を引く為に始めたショータイム。精神を飲み込もうとする恥辱に耐えながら、頬と同じ色に染まっている指を自分の意志で捻じり込む。
「…あっ……やあぁっ………!」
芝居なのか本当なのか自分でも分からない嬌声。しかし、痛みと同時に生じる熱は快感に変わって少年の身体を回り始めていた。自然に動き出した指を止める事が出来ず、淫らなショータイムは男の気を引くどころか自分を慰める行為になっている。だが目の前の相手を挑発し、“変な奴”の事を忘れさせるには充分過ぎる程の行為だった。
野獣のような眼の男が少年の腕を掴み、強引に抱き寄せて唇を何度も奪うと少年の方も瞳を濡らして応じ始めた。自慰行為に変わっていたショータイムは男を挑発させるだけでなく、少年の身体の御膳立ての効果もあったらしい。手首を掴んで、指を無理矢理引き離すと少年は辛そうに身を捩った。何時の間にか自分の胸を刺激していたもう片方の手で続きをしようと後ろに近付けるが、それさえも男に掴まれてしまった為、自分だけで達してしまう事は不可能になっていた。
「…やっ……やだっ……続き………」
「ホントにやらしいなぁ、お前。……ま、俺に任せて置けよ」
行為の続きを懇願する少年の瞳を覗き込みながら男はニヤリと笑うと、そのまま少年を押し倒してベッドに沈めた。
「…ぁっ……あぁッ…ん………!!」
ベッドの軋む音と性交時に生じる水音に少年の嬌声が混じる。はぁはぁと大袈裟に息を切らし、嬌声も派手にすると相手は興奮し、幾度も腰を打ち付けて来る。相手を上機嫌にすれば、より多額の金が手に入るから派手に喘ぐ。この数ヶ月の間に習得した身売りのテクニックだった。
「は…はぁっ………ひあっ……!」
シーツを掴みながら目を閉じると、暗黒の世界にボンヤリと人影が映る。それが鳶色髪の色男の笑顔だと分かった瞬間、涙が溢れ出し、頬を濡らして行った。ワレンシュタイン……ワレン………心の中で何度も青年の名を呼ぶ。お前には関係のねぇ事だ。最後に彼に向かって吐いた台詞が自分の胸に突き刺さる。アレは嘘。本当は…本当に言いたかった言葉は“助けて”だった。だが、今の自分には金が要る。最も手っ取り早く高額の金を稼ぐ方法は、こうして男相手に痴態を晒す事。だから、こうして愚鈍な男相手に足を開いて醜悪な象徴物を飲み込んでいるのだ。そう思い込もうとするが、少年の淫行向きに出来ているらしい身体は過剰なまでに反応し、少年の理性を食い尽くそうとしていた。
「はっ……あっ………あんっ…あああっ……!!」
自分の後ろを何度も貫く逸物の動きに少年も何時の間にか下半身を揺さぶり、タイミングを合わせ始める。その行動によって奥深くまで侵入して来た感覚に少年はあぁっ…と快楽を表す声を上げた。
「ぅんっ………もっと………もっと…犯してぇ………!」
目を閉じて男の身体にしがみ付きながらの少年の懇願や嬌声は既に芝居ではない、本気で求めている声と化しており、男の興奮に拍車をかける。少年を抱きとめながら、男は下卑た笑顔を見せた。
「成る程。裏街道で評判の少年男娼と言われる訳だ。マジで淫乱な上にやらしい身体してやがる」
「………はぁっ…はぁっ………そんな…事……っ!」
そんな事は無い、と否定する言葉が激しい突き上げに飲み込まれる。その衝撃にも酔ってしまいながら 眼をそっと開くと、だらしない顔の男が間抜けなニヤケ面で自分を見つめながら腰を揺さぶっており、何故かそれに小さく悲鳴(嬌声かも知れない)をあげながら眼をまた硬く瞑る。再度訪れた暗黒の世界だったが、完全に快楽に支配された少年の闇の視界に鳶色の髪の青年の顔が浮かぶ事は無かった。
安宿から出て来た男は出口の先で腕を組んで立っている長身の男に僅かに眉を顰めたが、その正体が分かると思わず吹き出した。オイオイ、何してるんだ?“ドラッグ中毒のお兄ちゃん”よぉ。
「何がおかしいんや?」
組んでいた腕を解き、拳を握りながら男に歩み寄る。その眼には怒り以外の感情は感じられなかった。殴りたいと言う衝動を必死に抑えながら男を睨み付けるが、飄々とした態度を崩さない相手の方はニヤケながら嘲るような視線を返している。嘲りの感情を見せながら視線は言う。“ご馳走様、スッキリしたぜ”と。視線の意味が理解出来たのであろう青年は僅かに息を呑み、目を見開いたかと思うと男の胸倉を掴み上げていた。
「ハンニに……アイツに何をしたんや!!」
「乱暴だなぁ……。本当は分かってるんだろ?アイツが男連れ込む時にやる事は一つだけだって事を」
「………アイツと……ヤッたんか…………」
声を、肩を、胸倉を掴む手を小刻みに震わせる青年を嘲笑いながら男は大袈裟に頷いた。
「当たり前だろ?あんな所で茶でも飲みながら世間話すると思ってるのかよ」
「……………………………」
視線を落とし、死んだように動かなくなった青年の手を振り払いながら、男は顔を笑顔で歪めた。
「お前、アイツの何なんだ?…って言うか、お前人違いしてるんじゃねぇの?アイツも言ってたぜ。俺はカキアでありハンニって名前じゃねぇって」
……せやったな。無言の青年は心の中でポツリと呟いた。アイツ、ココでは自分を偽って生きとるんやった。ハンニって呼んでも反応する訳無いやんか。俺…頭悪過ぎやわ。
「ま、お前も金出せばヤらせて貰えると思うぜ」
俯く青年の横を通りながら、肩にポンと手をやると青年の頭がゆっくりと動き、生気の感じられない瞳が男の視線と繋がった。
「……アイツ…まだココにおるんやな?」
「あぁ、3号室にいるんじゃねぇかな。何だ、早速頼むのか?だとしたら頑張れよ」
アハハハッとわざとらしい笑い声を背中で受けながら、青年は安宿の中に飛び込んで行った。
精に濡れた身体を拭い、ベッドの下に散らばる衣服を拾い上げる。もそもそと無言で服を着、シャツのボタンに手をかけた時ドカドカと乱暴に階段を上って来る音がしたかと思うと、扉が派手に開く音がした。
「何だ?忘れ物でもし………」
振り向くと同時に身体が固まる。入り口に立っていたのは相手の男ではなく、さっきまで心の中で叫び呼んでいた鳶色髪の青年だった。
「な、何だよ一体………」
「…それはこっちの台詞や」
無意識の内に目を逸らす少年に歩み寄り、頬に手を添えて無理矢理視線を合わせると少年の目が赤く染まっているのが分かった。
「………泣いたんか…。泣くまで犯されたっちゅー訳か…?」
余りにも静かな声に逆に恐怖を感じながらも虚栄の鎧を身に纏い、瞳を動かして視線を外す。
「…お前には関係ないだろ?それに…犯された訳じゃない。同意の上でヤッたんだからな」
「へぇ〜。そうなんや」
普段と変わらぬ飄々とした口調ではあったが、それとは正反対に冷たく鋭利な輝きを帯びた瞳と声が鎧を砕こうとする。その恐怖とも罪悪感ともつかぬ苦しみに硬く目を瞑ってしまった少年は、突然突き飛ばされ、冷たく湿ったベッドに仰向けに倒れ込んだ。驚き、目を開いた時には上に覆い被さって来た青年に手首を押さえ付けられ、例の鋭利な輝きが少年を無抵抗にしてしまう。
「じゃあ…コレもお前の趣味でヤッたっちゅー訳なんやな?」
言いながらシャツを横に開き、上半身を露にされると、少年は息を呑み頬を赤く染めながら視線を横に向けた。露にされた少年の身体の所々に浮かび上がっている不自然な跡。何か細い物で縛り付けられる事で生じた傷らしく、赤や青の細い痣や傷が少年の身体に模様を付けている。
「…お前……ガキの癖にこんなプレイもするんか…変態ちゃう?」
「う…うるせぇな……良いだろ!?こっちは商売なんだからよ!!」
「じゃあ、無理矢理ヤらされたって訳やろ?…同意やないやんか」
「……………………………」
うるせぇよ、と小さくポツリと呟いたきり少年は口を閉ざした。そして、青年も口を開こうとはしなかった。沈黙が落ちる部屋に二人の呼吸音と古時計の針の音のみが響く。
それからどれ位の時が経ったのだろう。少年の溜め息が漏れた。
「……こうやってな、相手の言う事聞かないと成り立たねぇんだよ。この商売は。さっきの客はまだマシだ。ちょっと俺が御膳立てして、中に出させた程度だからな」
「……じゃあ、この傷を付けたんは…誰なんや?」
さっきまでの冷たさとは一転して疲れ切ったような声で聞いてくる青年の瞳を覗き込みながら、少年は例の作り笑顔を見せた。
「ドラッグ中毒の男。しかも、3人で俺を輪姦しやがった」
「………………………」
僅かに口を開けて何かを言おうとするが、結局そのまま口を閉ざしてしまう。その心情を知ってか知らずか少年は話し続けた。
「部屋に連れ込まれて服脱がされたかと思ったら、いきなり縛り付けられてな。縛られた方は抵抗出来やしねぇから相手のされるがままさ。…御丁寧に3人とも精力剤みたいな物飲んで来たらしくて…凄かったぜ?1発じゃ済まされねぇ。一人3回はイッたかな?俺の中で。…いや、誰かが4発出した気もする…って事は合計で10回は俺の中に出したって訳だな。まぁ、俺も男だし。孕む訳じゃねぇから向こうも調子に乗ったんだろうけどな。…もし俺が女だったら妊娠確実かもなぁ?…もしかしたらアレに混じってドラッグの成分が俺の体内に入ったかも知れねぇけど……別に俺の身体に変わりはねぇし。大丈夫なんだろ」
「…………………」
青年は何も言わない。話し続ける少年から眼を離す事は無かったが。その悲しげな表情に心を締め付けられながらも少年は作り笑顔のままで話の締め括りを始めた。
「流石に、ここまでサービスしたからな。結構良い稼ぎになったぜ?……10発も出されて動けなくなったのを良い事に“団体割引”だの何だの言って、幾らか料金を持って行ったのにはムカついたけどよ。……お前もどうだ?世話になってるから安くしとくぜ」
「…アホ言うな。男相手にヤる趣味はあらへんわ」
「…………………そっ……か…」
青年の返事に僅かに眉を切なげに顰め小さく俯くが、青年は気付かずに少年の顔を覗き込んだ。
「……えぇ稼ぎか…。で、幾ら貰ったんや?」
「…2000。な?結構良い金額だろ?」
「……………………えっ!?」
悲しげな顔が一瞬にして驚愕の表情に変わる。今、コイツ何ちゅーた?2000?ちょっ……桁間違えとるんちゃう!?高鳴り始めた心臓を押さえながら、静かに深呼吸して少年の顔を覗き込むと作り笑顔がきょとんとした顔になった。
「……どうした?」
「2000……言うたよな。…20000の言い間違えちゃう?」
「……?何言ってるんだよ。2000って言ってるだろ?」
少年の答に青年の胸がズキンッと痛む。きっと、少年は分かっていないのだ。売春の料金と言う物が。そして、その事を上手く利用され、騙されて安い料金で陵辱を繰り返されて……。
「おま……お前アホやなぁっ!騙されとるで!桁が違うやん!お前、普通より0が1個少ない料金でヤらせとるんやでっ!?」
「……………えっ………」
今度は少年の顔が驚愕の表情に変わり、そのまま硬直する。瞬きもせずに青年を見つめているが、その頭の中では複雑なパズルのピースを異様な速さで合わせているのだろう。そして、そのピースがカチッと完璧に合わさった瞬間、少年の顔はかぁっと真っ赤に染まったかと思うと、瞬きをする間にサッと青褪めて行った。青い顔を俯かせ、シーツを握る手が小刻みに震え始めたかと思うと肩の辺りから体全体がガタガタと震えだした。
「……ハンニ………」
もう少し柔らかく言えば良かったと後悔しながら青年は大きく震える肩にそっと手を近付けたが、肩に手が触れる事はなかった。触れようとした瞬間、バシッと言う派手な音と共に手は払われていたのである。
「…出て行けよ………」
青い顔の少年は憎しみを帯びた瞳で青年を睨みつけながら低い声を上げた。少年の行動に躊躇しながら手を押さえ、呆然とする青年に少年は再度口を開いた。
「聞こえなかったのか!?……出て行け!!…出て行けよ!!」
声を限りに叫びながら、青年を突き飛ばし手近にあった小物入れの木箱を投げ付けると鈍い音と青年の苦痛の声が重なった。
「………くっ…………」
激痛を感じる額を押さえると指の間から熱い鮮血が流れ落ち、床にポツポツと赤い斑点を描く。その赤に少年はハッと一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、すぐに憎しみの表情を取り戻し、今度は護身用に持ち歩いているナイフの鞘を抜いた。両手でグッと強く握り、僅かに震える刃先を青年に向けて再度叫ぶ。
「これ以上怪我したくなかったら出て行け!!3秒以内に出ないと刺すぞ!!」
「………………………」
血の流れる額を押さえながら切なげな表情を見せるが、青年はもう何も言わなかった。口を閉ざしたまま背中を向け、部屋を出ると同時に扉を閉める。ゆっくりと階段を下りて行く音を聞きながら、少年はナイフを放り捨て、そのままベッドに倒れ込み、抑えていた涙を解放してひたすら泣いた。涙は体が干上がりそうなまでに流れ、止まる事はなかった。