身体が動かない。陵辱を重ねられた身体は所々に痣があり“上玉”と言われていた顔は右半分の皮が剥け、真っ赤な血が流れ出ていた。顔の輪郭を伝ってポツポツと落ちる赤の雫は、そのまま肩の傷から流れ出る血と溶け合い、腕を通って地面に血溜まりを作る。呼吸をする為に開いている口からは僅かに舌が突き出されており、鮮やかなピンクに男の精が絡み付いて皮肉な模様を作っていた。そこから溢れ出す白が口の端を伝い、腹部に吐き出された白い斑点の上に落ちて混ざり合う。完全に汚された少年の焦点の定まらぬ目は遠くを見つめ、意識が朦朧としている事を知らせていた。
「楽しませて貰ったぜ、カキア」
服を整えながら、壁にもたれかかる少年にゆっくりと近付き赤い髪を掴む。そして。
ガッ。
「……!!ううっ…!!」
激突音と少年の呻き声が重なる。ズルッ…と落ちていく頭が壁に筆で描いたような赤い線を生み出した。重たい瞼を必死に開きながら、男達に視線をやると嘲りの瞳が自分を見つめていた。
「悪ぃな。正直、治療するのも勿体無いんだわ。…ま、お前一人死んだって悲しむ奴は誰も居ねぇだろ?せいぜい、お前のお得意様が良い玩具が無くなったと嘆く位かな?」
笑い声が聞こえて来るが少年はそれに対しては何の感情も抱かなかった。それ以上に、さっきの男の台詞が胸に突き刺さっていた。お前一人死んだって悲しむ奴は誰も居ねぇだろ?……居ないかもしれない。少なくとも、この裏市街では。自分は敵ばかり作る生き方をしてしまったから。心を閉ざし、貴族を襲い、賭け喧嘩で相手を傷付け、その相手に賭けている人間を裏切り……。恨まれてたのかもな……この街の奴らに。だが、俺が死んでも誰も悲しまないのだろうか?痛む頭を働かせ、自分の死を悲しむかも知れない人物を記憶の中で探す内に少年の視界はシャットダウンされ、そのまま頭を垂らしてグッタリとなった。
意識を失った少年に背を向け、男達は何事もなかったかのように裏通りから離れる。
「大丈夫か?アイツ死ぬんじゃねぇ?」
「ま、死んだ時は死んだ時だろ。アイツの運が悪かったって事で……」
話し掛けて来る仲間の方を向きながら話していた男の肩にドンッと何かがぶつかる。不快そうな顔でぶつかった何かの方を向くとその顔が一瞬強張った。視線の先には奇妙な薄ら笑いを浮かべた若い帝国兵。
「…死んだ…って何や?お前ら死にそうな何かをシカトしたんかいな」
「……別に殺しちゃいねぇよ。別の意味で死んだかも知れねぇけどな!アイツは俺達のテクニックに何度もイッちまったんだ」
「そうそう、それにアイツとは同意の上でヤッたから犯罪じゃねぇ」
帝国兵の何処となく怒りの込められた瞳に動揺しながらも声を張り上げて笑い飛ばす。その笑い声に応えるように帝国兵もニッコリと人懐っこい笑みを見せる。だが、その次の瞬間、腰から提げていた巨大な剣が光の線を描きながら男達を襲撃した。
数分後。地面に倒れて情けない呻き声を上げる男達を見下しながら、青年は愛用の剣を鮮やかな動きで鞘に戻した。
「お前らみたいな奴と同意してヤる奴なんか何処に居るっちゅーねん。婦女暴行…いや、夫男暴行罪かいな?」
前髪を掻き上げてアハハッと笑いながら、青年は駆け寄って来た同僚に気付き顎を杓った。顎の向けられた先には地面に突っ伏した男達の姿。
「強姦魔や。縄掛けて連れて行き」
「…え?何故分かるんだ?」
「うん?俺、勘がえぇねん。それより、早よ連れて行きや。目ぇ覚ましたらまた面倒なるで」
怪訝そうな顔で聞いて来る同僚に適当な返事をしながら青年は視線を薄暗い細路地に向けていた。
同僚が男達を連れて立ち去った途端、青年は何かが弾けたかのように細路地に駆け込んだ。さっきの少女の情報が本当ならば、この路地の突き当たりに居るのは……
「…………………っ!」
思わず息を呑んで立ち止まる。血に濡れた赤い髪。涙と泥、血と精でグシャグシャになった青い顔。乱暴に引き裂かれたらしい服の切れ端とそれによって露にされている身体。何もかも面倒であるかのように放り出された両足の間の突き当たりは白く汚れ、地面にも白い溜まりを作っていた。
「…ハ、ハンニ!!オイッ!!」
無意識の内に両肩を掴み、揺すろうとすると左手がぬるっと滑った。奇妙な感触に手の平を見ると、真っ赤に染まったそれがあった。小刻みに震え出す左手の血を拭おうとせず、ゆっくりと少年の肩に目をやると深い刺し傷がありトクトクと音が流れそうな勢いで血が溢れ返っていた。
「クソッ……アイツら…もう一回ずつ斬ったれば良かった…!!」
歯をギリッと硬く食い縛りながら、再度少年の顔を見る。死んだように眠る彼の右頬は皮が破れて肉が顔を出し、その範囲は唇の端まで達していた。比較的整った(と青年は思っている)少年の顔を容赦なく傷付けられた怒りに逆上しそうになりながらも大きく深呼吸をする。まずは怪我を何とかせなアカンな。精神を集中し、少年の頭の上に手をかざすと暖かい光が溢れ出て少年の身体に降りかかる。光は少年の傷口に集まり、手品のように傷口を塞いでいった。それでも一度の術では完全に傷は塞がらず、青年は幾度も光を手から生み出した。あーあ、こんな事になるんならまともに勉強しとくんやったなぁ、天術。元々魔力無いんに、その上に術が下手やったら最悪やんか。まぁ、そんな事は今はどうでもえぇねん。それよりもハンニをどうにかせなアカン。
術を繰り返し、身体が疲れを感じ始めた頃、漸く少年の身体から傷が消えた事に気付いた青年は安堵の溜め息をついた。マントを外し少年の身体にそっとかけようとした時、少年の眉が僅かに動いた。
「………うんっ……」
身体を動かすと、体重とは違う妙な重さは感じたが頬や肩の痛みを感じない事に気付く。まさか、痛みを感じないまでに身体がヤバイ事になってるんじゃねぇか?不安を感じながら目を開けると、胸元からふわりと掛けられた白いマント。このマントは…。そのまま視線を動かすと鳶色の青年が額に汗を滲ませながらも何時もと同じ人懐っこい笑顔で自分を見つめている。その視線に、自分の姿に急激に羞恥心とも何ともつかぬ複雑な感情がグルグルと回りだし、少年は慌ててマントで身体を覆った。
「…ワ、ワレンシュタイン………!」
思わず青年の名を呼びながら、顔を赤く染めて背中を向ける。同性である筈なのに、自分の身体を見せる事に抵抗を感じた。それは汚された自分を見せたくなかったからか。だが青年の方は特に躊躇する事もなく少年の前に回り込み、しゃがみ込んだ。やっと俺の名前呼んでくれたんやな、と嬉しそうな笑顔を見せながら。
「堪忍な。助けに来るの遅れてもうた。何や女の子がワンワン泣くばっかでちーっとも場所言ってくれへんで。宥めて場所聞き出すんに時間かかってしもうたんや」
笑顔を真顔に変えて、赤毛にこびり付いた血の塊を手櫛で落とす青年に少年は首を傾げた。
「……女の子?」
「…お前、襲われとった女の子助けたらしいやんか。えぇトコあるんやな」
あぁ、その子かと頷きながら少年は視線を空に向けた。女の子ってあの子の事だったのか。逃げろって言ったのにわざわざ助けを呼びに行ったのか、全く。
「…で、その子はどうしたんだ?まさか、そのままほったらかし……てのは無いよなぁ?」
「んな事するかいなアホ。ちゃーんと同僚に頼んでココから連れ出さしたわ」
「そっか。良かった」
ふっと安堵の笑みを無意識に漏らしながら立ち上がろうとするが、足は機能を失ったかの如く無視している。その裏切りに驚くと同時にバランスを崩した身体を青年が慌てて抱き留めた。
「うわっ!!まだ立つなや!危ないなぁ……。とりあえず傷は治したねんけど体力までは回復してへんから暫く休まなアカンで。出血量も多かったし……その……何つーか……なぁ?」
「………………」
青年の“なぁ?”が理解出来た少年の表情が曇る。もし近くに人が居なかったらとっくの昔に泣きじゃくっている。そんな表情だった。
「………ゴメンな。思い出させてしもうて」
視線を落とす少年の髪を軽く撫でながら、腕を掴んで肩を組む。青年と一緒に立ち上がる形をとりながら、きょとんとする少年の瞳を見、肩を軽く動かして体勢を整える。
「お前ん家何処や?送ったるわ。このままやったらお前帰れへん…っちゅーか、されるがままやで」
思った以上に体重が軽い少年に胸を痛めながらも、冷静な表情を維持して歩き出す。普段なら抵抗するであろう少年も今回は何も言わず、肩を抱いている青年に半ば引き摺られるように細い路地を後にした。
時間を掛けて辿り着いた場所は萎びた木賃宿だった。歩く度にギシギシと悲鳴をあげる廊下を通り、突き当たりにある扉を開けるとギギィッ…と自分の老いを訴える声を上げた。相変わらず悲鳴の耐えない床の部屋は狭く、薄暗かった。家具と言う物は無く、あるのは傷だらけの小さなテーブルと薄汚れたベッドのみ。そのベッドの横に置いてある鞄の膨らみが少年の財産なのだろう。
黴臭く、何処となく不衛生な雰囲気の部屋に眉を顰めながら少年をベッドに横たえる。だが、少年は青い顔のまま身体を無理矢理起き上がらせようとし、その姿を見た青年は慌てて少年の身体を押さえ付けるようにした。
「ちょっ……何処行くんや?」
「何処にって…稼ぎに行くに決まってるだろ?」
少年の答に目を見開くが、その瞳は瞬時に呆れと怒りに変貌した。
「アホ言え!!完全に治るまで大人しくしとかな死ぬで!?…それに…あんなにボロボロにされたんに…お前まだ身売りする気なんか!?」
「………傷を治してくれた事には礼を言う。だが…俺には金が必要なんだ。だから離れろよ」
必死に冷静な声と表情を作り、冷たい瞳でキッと相手を睨む。睨まれた方は怯まずに自分を見つめていたが、やがて唇の辺りがワナワナと震え出し手を勢いよく振り上げた。
「!!」
殴られる!反射的にそれを感じ、頭が考える前に身体が反応して目を硬く閉じる。バシッと言う音が頬の辺りで響くと共に走る激痛。いや、それは平手で張った割には大した痛みではなかった。激痛とは程遠い、完全に手加減をしたのか平手に失敗したのか…と思わせてしまう痛み。頬を押さえながら目を開けると、視線の先には分厚い札束が転がっていた。今まで手にした事も無い、見た事もない金額であろうそれを見つめる少年に向かって青年が口を開く。
「……30万クラウンはある筈や。そんだけあれば…お前ん事丸ごと買えるよな?」
「…………えっ…」
驚愕した表情の丸い瞳が自分を捉える。深夜の瞳が問う。お前…何を言ってるんだ?と。その瞳を見つめながら青年は静かに言った。
「…俺がその金でお前ん事、丸ごと買うわ。それでえぇやろ?せやから…もう身売りは辞めるんや」
「…………………」
札束を拾う手が小刻みに震える。ズシリと重みがあるその金額は、自分がこの帝都に来てからずっと稼いで来た金の合計金額なぞ小銭に感じる位だった。その様な大金を青年は持っている。そして、それで自分を買おうとしている。しかも“丸ごと”。
何も言えず、ただ呆然とする少年の横顔を見ながら青年は溜め息をつき、口を開いた。
「貰う気あらへん…とか言うなや?その金な。勘当状態の親説得して、跪いて、土下座して…それでやっと貰ったんやで」
「……勘当!?そんな…どうして……」
突然の告白に下向きだった顔を上げて素っ頓狂な声を上げる。その声に特に動じた様子も無く青年は微かな笑みを浮かべて話を続けた。
「俺が貴族出身なのはお前も知っとるよな。何せ一発で見切った位や。……せやけど、俺ガキん頃からそれに違和感感じとってな。ずーっと反発しとったんや。で、今のお前位ん時かなぁ。無理矢理他の貴族の家柄の女と結婚させられそうになってもうて…ついに俺がキレて家飛び出したっちゅー訳や。もう2度と帰らへんって誓っとったんやけど……まさか、こんな事で帰るとは思わへんかったわ」
微笑を苦笑に変えて頭を掻く青年を少年は信じられないと言った目で見つめていた。何故、自分なんかの為に其処までするのだろう。勘当されて帰り難いであろう家に戻り、実の親に跪いて、土下座して、こんな大金を手に入れて。自分の身売りを何としてでも辞めさせようとして……。
「…どうしてだよ………どうして、こんな事するんだよ…!!」
さっきとは違う意味の“どうして”を繰り返しながら少年は声を震わせる。札束を握り締め、声と同時に肩を震わせる少年は今にも泣き出しそうだった。震える声にやや動揺しながら青年は少年の戦慄く肩に手を置き、揺れる瞳を覗き込んでニコッと微笑みかけた。
「言うたやん。俺、お前の支えになりたいって。お前の悲しそうな眼や辛そうな顔を見る度に守ったらなアカン思うてたって。」
「……………………」
まだ微かに身体を震わせ、瞳を潤ませる少年の赤い髪を手でそっと梳きながら静かに言う。
「……辛かったんやろ?ずっと」
「………………うっ……」
一粒。二粒。眼をぎゅっと瞑り、篭ったような声を漏らす少年の頬を大粒の涙が幾つも伝う。一度流し始めた涙は中々止まらず、少年の緊張の糸が完全に切れてしまった事を表していた。ポツポツッと手の甲に落ちて来る小豆のような涙の粒。握り締めた拳の上に溜まったそれは、ゆっくりと溢れてシーツの上に落ちていく。
「…よしよし、もう大丈夫やからな」
幼子を慰めるような声色で少年の肩を抱くと、胸に顔を押し付けられ、服を握って来る手に深い皺を刻み込まれる。そのまま少年は泣いた。今まで溜め込んでいた涙は止め処なく流れ、青年の胸を濡らして行った。ひたすら泣く少年、無言で少年を抱き締める青年。薄暗い部屋に少年の啜り泣きと裏市街の喧騒が響いた。
それからどれ位の時が経っただろう。真っ赤な目をした少年が有難う、と小声で言いながら青年の胸元から離れた。
「どや?落ち着いたか?」
「…あぁ、少しはな。……そんな事より…」
僅かに鼻が詰まった声を途中で区切って意味深に下を向き、一度鼻を啜った後、ゆっくりと視線を青年の瞳に向けて口を開く。
「なぁ、ワレンも嘘とか吐くのか?」
「……え?」
突然の奇妙な質問に怪訝そうに眉を顰めつつも、僅かに天を見て考える。数秒後、その視線は少年の瞳の中に戻った。
「あんま嘘吐くのは好きやないなぁ。…せやけど…まぁ、時には嘘も必要ちゃう?嘘も方便っちゅー言葉もあるやろ」
「………そっか…」
口の中で呟きながら、静かに目を閉じて深呼吸をする。相変わらず怪訝そうな青年の視線を感じながら少年はそっと目を開き、自分の唇を舌で湿らせた。
「…じゃあ……嘘でも良いから……俺の事好きって言えよ」
「…………!?」
青年の目が丸くなり、口が開く。その口から“お前、何言ってんねん!”と言う言葉が出る前に少年は声を限りに叫んだ。
「…頼むから……俺の為に嘘を吐いてくれ。…俺の事好きって言え……“男とヤる趣味は無い”って言うのも嘘だって言えよ!!ほんの少しだけで良いから……嘘吐きになってくれよ………」
言うだけ言って肩を落とし、視線も一緒に落とす。しん…と静まり返る部屋を包む奇妙な重圧。そして、そっと動く青年の手が重圧を壊す。動く手に身体が大きく跳ねた少年を見て軽く吹き出しながら下向きの顎を掴み、クイッと品定めでもするかのように顔を見る。赤く染まっている頬と湿った瞳に青年は再度吹き出した。
「お前、言うだけ言うて一人で照れとるんかいな。ガキやなぁホンマ」
「…………………」
言葉が出ない。普段なら抵抗の一言も言える筈なのに、言葉が封じ込められてしまったかのように出て来ない。戸惑い顔の少年の頬を撫でながら青年は何時もの笑顔を見せた。
「分かったわ。大サービスで明日まで嘘吐きになったる。感謝するんやで」
高飛車な口調ではあるが、表情に変化は無い。それに安心したかのように少年は作り笑顔ではない、何時かウッカリ見せたようなあどけない笑顔を浮かべて言った。
「……有難う」
やっとハッキリ言えた感謝の言葉。やっと見せる事が出来た笑顔。その声と笑顔に青年はニッと歯を見せて笑顔を返した。