あと何時間で解放されるのだろう。体育館のステージに身体をもたせ掛けながら目の前で行われているバスケットボールの試合をボンヤリと眺める。こんな時に体育があるなんて……あぁ…こんな事になるなら……藤堂君と“交渉”する日をキチンと考えておくべきだった……。何も考えず、ただ薬が欲しい一心で早とちりしてしまった事を後悔する早坂に一人の生徒の影が近付き、声をかけた。
「どうしたんだよ、早坂」
影の正体は服部竜一だった。左手の人差し指の先で器用にボールを回しながら瞳を丸くしている。
「……え。…あ、何?」
「何って……次は俺達のチームの試合だから準備しないかって何度も呼んだんだけど反応ねぇからさ」
「…そ、そう…。ゴメン…少し考え事していて………」
「お勉強の悩みか?」
回転の勢いが弱まって来たボールを床に落とし、その場に突きながら軽く笑顔を見せるが、その笑顔も一瞬の事だった。
「マジでどうかしたのか?何か朝から変だぞ?上の空っつーか……」
「……うん…ちょっと…昨日眠れなかったから…寝不足で頭がボーッとしてるんだ」
笑顔を作って答えながら、頭の中に蘇らせるのは昨夜の淫らな悪夢。泣きながら飛び起きた自分。悪夢の続きを見たくないばかりに朝まで漠然と過ごした無駄な時間。
「……ふぅん………?」
早坂の返事に竜一は軽く唇を上向きにさせてイマイチ附に落ちない…と言った表情を浮かべ、突いていたボールを脇に抱えて口を開いた。
「お前、何かあったんじゃねぇ?」
「……………」
鋭いね。早坂は内心で微かな苦笑を見せた。普段は結構鈍感なくせに、こう言う時には勘が働くんだね。御名答。“何か”はあったよ。…それが何であるかは流石に言う事は出来ないけど。だから……
「別に何も無いけど?…ほら、皆並んで僕達を待ってるじゃないか。早く行こう」
だから…嘘を吐いて偽りの笑顔を見せ、竜一から逃げるようにコートの中に駆けて行く。その背中を見た竜一は眉間に小さな皺を寄せたが、何も言わずに他の者達が並んで待っているコートの中へゆっくりと進んだ。

 自分や他人がボールを床に突く事で足から感じる振動が身体に響き、ある箇所の熱を余計に強めてしまう。それに耐え難さを覚えた早坂は逃げるようにボールの争奪戦から離脱し、誰もいないゴールの下に立った。
 お願い、こっちに来ないで。心の中で両手を組んで祈る。お願いだから、そのままコートの真ん中でボールの取り合いを繰り返して終わって。僕の事は放って置いて。僕を刺激しないで…………
「早坂っ!!」
自分を呼ぶ声にハッと顔を上げると、祈りなど知る由も無い竜一が争奪戦に勝利したらしくボールを一定のリズムで突きながら自分の方へ駆けて来ていた。その後に続くのは竜一をサポートする目的の味方とボールを奪おうとする敵。激しい振動が再度自分に襲い掛かって来た事実に早坂は逃げ出したい衝動に駆られたが、必死に耐えて震えそうな足を踏ん張った。
「悪い、失敗したらリバウンドしてくれ」
叫びながら構え、投げたボールは鈍い音を立ててゴールから外れ、早坂の頭上に落ちて来る。早坂は反射的に額の上でそれを受け止め、軽く跳躍してゴール目掛けて投げるとボールは軽く弧を描き、ゴールのネットを通って床に落ちた。
「センキュ、お前リバウンド上手いよなぁ」
「……………………」
「早坂?」
ハイタッチをしようと駆け寄って来た竜一の笑顔が瞬く間に消え、瞬きを幾度も繰り返す。普段なら笑顔でハイタッチに答えてくれる早坂の左手は口元を押さえ、俯いた顔は赤と青が混ざり合った複雑な顔色になっている。床の一点を見つめたまま動かない瞳が潤んでいる事に気が付いた竜一はギョッとし、えっ……と口の中で呟いた。
「どっ…どうしたんだよ。おいっ!」
「っ!………やっ……!!」
「!?」
パシッ。心配の余り、肩を掴んだ手が鋭く叩き落とされた事に驚いた竜一は瞳を丸くし、叩かれた左手を押さえて呆然としてしまった。
「………あっ……………」
我に返った時には既に手遅れで、竜一はおろか周りの人間までもが呆気にとられた表情で自分を見つめている。表情が、瞳が呟く。普段は冷静で大人しい奴なのに……何故?と。コートの中から微かなざわめきが聞こえそうになった瞬間、授業終了と整列を知らせるホイッスルが体育館の中に響き、鋭い笛の音に反応した生徒達が自分に背を向けて音の方に向かって走り出す。
 …良かった……。タイミング良く訪れた幸運に小さく胸を撫で下ろす早坂を一人の男が薄い笑顔を浮かべながら見つめていた。

 スポーツタオルで汗を拭いながら開かれた出入り口から体育館の中を覗きこむと、丁度授業が終わった所らしく生徒達が自分の方に向かって歩いて来ていた。体育館に足を踏み入れ、笑顔を見せながら御目当ての人物の名前を呼ぶ。
「早坂ぁっ!」
声に御目当ての人物が振り向き、微かな笑顔を浮かべて駆け寄って来る。その距離は短距離であったにも関わらず、自分の前に来た時には微かに息が上がっていた。
「ど…どうしたんだい?望月君」
「え?あぁ…今日、小林さん休みだしさ。一緒に昼飯食わねぇかなって思って…」
「……あ…うん、良いよ。でも僕、今日片付けの当番だからさ。先に行っててくれないかな?」
「あぁ…そうか……。じゃあ、食堂にいるからな」
その言葉に、うんと小さく答えて微笑を浮かべる早坂の顔色は決して良いとは言えなかった。そう言えば、朝から何処か彼の様子がおかしい。最初の内は体調でも崩しているのかと思っていたのだが………
「…顔色良くねぇな。大丈夫か?」
スッと望月の手が伸び、己の額に触れて来る。その感触に早坂の心臓が大きく高鳴りだした。
「望づ………駿君……」
「うん?」
答えながら額から顎の下に手を移動させ、軽く甲で触れて体温測定を続けるその行為が早坂の中の衝動を余計に強めてしまう。
 ねぇ、駿君。心の中の自分が媚びる。このまま、僕にキスして。僕を押し倒して。僕の服を脱がして。僕を犯して。衝動に手が震え、目の前にある肩に顔を埋めたくなるが必死に理性を働かせる。此処は学校だから。視線が無数にある場所だから。
「……いや、何でも無いよ。じゃあ、僕片付けて来るから」
全てを理性で抑え、どうにか言葉を紡ぎながら微笑を見せて体育館の中へと戻る早坂の背中を見た望月は目を微かに丸め、小首を傾げた。
「変な奴だなぁ…」
「確かに変だよな」
小さな、自分にしか聞こえていない筈の独り言のつもりだったが誰かがそれを聞き取ったらしい。声の方に視線をやると、何時の間にか竜一が腕を組んで立っていた。
「竜一さんもそう思いますか?」
「…あぁ……さっき軽く話とかしたけど、やっぱりおかしいんだよなぁ…」
「………………」
怪訝そうに眉間に皺を寄せて小さく溜め息を吐く望月を見た竜一は困ったような笑みを浮かべ、茶色がかった望月の髪をクシャクシャッと掻き回した。
「ま、アイツにはアイツの事情があるんだろうけどな。とりあえずメシ食おうぜ。腹減ってたら何も考えられねぇって」
敢えて明るい声を出しながら竜一はニッと笑顔を見せ、未だ表情の冴えない望月の背中を軽く叩いた。

「遅かったね。望月君と何を話していたのかな?」
ボールが大量に入った籠を押して倉庫に入って来た早坂を迎えたのは様々な体育用具の入った棚に軽くもたれかかった藤堂だった。上機嫌な声と笑顔には爽やかさの中に悪魔が紛れ込んでいる。
「……別に…。一緒にお昼食べようって誘ってくれたから、先に行ってて…って言っただけだよ」
「玩具を入れてるって事は言わなかったんだね」
「そ、そんなの…言う訳無いじゃないか!!」
「分かってるよ、そんなに怒らないでくれたまえ」
思わず顔を赤くして声を荒げる早坂に藤堂はクスクスと笑いながら近付き、“尋問”を続けた。
「そう言えば、さっき竜一君の手を払い除けてたね。アレは何でなのかな?」
「……アレは…竜一君が……気安く触って来たから…」
早坂の答えに藤堂の片眉が上がり、フンッ…と小さく鼻で笑う。
「おかしいね、君が竜一君に触れられてる所は以前から何度も見ていたけど…何時も楽しそうに笑ってたじゃないか」
「…あの時は…手を払い除けた時は……機嫌が悪かったから…」
「ふぅん………不機嫌の理由は…やっぱりコレなのかな?」
「あっ………やあぁっ!!」
狭く、汗や用具の匂いが立ちこめる倉庫に裏返った悲鳴が響く中、素早く早坂の下半身の服を引き摺り下ろした藤堂の顔が一瞬固まり、その直後に小さく吹き出したかと思うと、そのまま高笑いに繋げた。
「アハハハハハッ…!!成る程、よく分かったよ。あの時、君が竜一君を拒絶した理由が。…コレは傑作だ。まさか、君みたいな人が授業中に達してしまうなんてね」
「……っく…………」
しゃくり声を上げる口元を両手で覆い、赤い頬に涙の線を描きながら首を何度も振る早坂の晒された下半身は意志とは関係無く吐き出してしまった欲情で濡れ、脱がされた服にもジットリと染みを作っていた。
「あぁ、下は重ね着してたんだね。ヤケに脱がし難いと思った。……やっぱり、計算していた訳?学校にいる時に1回はイッてしまうんだろうなって。だから、皆にそれがバレないように下は沢山着ておこうって」
馴れ馴れしく肩を抱き、赤い耳元に唇を近付けて囁く藤堂に早坂はギュッと目を閉じて小豆のような涙をポロポロと零した。
「……ゃ…だ………言わないで…よ……」
震えた小声を漏らし、声と同じように身体を震わせる早坂を見た藤堂は何かを閃いたかのように歯を見せて笑い、早坂の腕を軽く引いた。
「早坂君、こっちに来たまえ」
「……えっ…で、でも…そっちは………っ!」
引っ張られる方向に倉庫の扉があることに気付いて悲鳴に似た声を上げる。その扉の外は体育館。誰が入って来てもおかしくない上に覗きに適したような窓が多数ある場所。其処に藤堂は自分を連れ出そうとしている。
「ま、待ってよ…ちょっと……僕、何も穿いてな…」
「その格好で良いんだよ。また脱がすの面倒だし」
「……っ!まさか……………」
藤堂の答えに顔が一気に青褪めていくのを感じる。脱がすのが面倒?何も穿いていない方が好都合と言う事は…そんな……まさか…………
「嫌だっ…それだけは…!!」
必死に足を踏ん張って体重を掛け、拒絶の姿勢を見せると引っ張っていた方は自分の方を向いて悪魔の微笑を浮かべた。
「薬…欲しくないの?それに、バラしたって良いんだよ?君が玩具を入れて学校に来てる挙句に授業中にイッちゃったって事を。そうだなぁ…とりあえず最初は望月君辺りに報告してあげようか」
「……!!!!」
悪魔の言葉に息を呑んだ早坂は暫くその場に固まっていたが、やがてゆっくりと頭を垂れ、伏せられた瞳から一筋の涙を流して小さく言った。
「…分かった………。行こう……だから………」
「分かってるよ。君が言う事を聞くんだったら薬は譲ってあげるし、誰にも言わない。それで良いんだろう?」
「………………うん…」
顔を伏せたまま微かに頷く早坂に藤堂は再度微笑を浮かべて無抵抗になった相手の手を引き、狭い倉庫から広い体育館内へと移動した。