――そうなる筈だったのに。そうなるべきなのに。
「く、くそっ、何でなんだよ!」
相手を突き倒し、相手の下半身の衣服を全て引き下ろし、むき出しになった相手の両脚の間に己の腰を沈める。そこまでは思い通りに進んだ。だが、肝心な物が、目の前の男に復讐するための陵辱兵器が全く機能していないのだ。芯も筋も何もないそれは、むしろ通常時よりも萎んでいるように見える。風薙は呻き、奥歯を噛み、いかにも慌てた様子で萎縮している愚息を己の手で鼓舞しようとした。撫でる。さする。手で包んで扱く。普段、自分を慰める時と全く同じやり方だ。これだけしてやれば、雄の本能を刺激されて少しはやる気が出るに違いない。
だが。
「何で、なんだよ……!」
同じ言葉が口をつく。風薙の手の中の分身は柔らかく萎んだままだった。焦りのせいか頭が熱くなり、息が苦しくなってくる。このような状況に自分は緊張しているのだろうか。長い間、胸に抱いていた憎悪をぶちまける時がついに来たと言うのに。
ふと、風薙は頭の中に誰かがいる事に気が付いた。オレンジのラグランシャツ。濃紺のハーフパンツ。群青のランドセル。髪留めこそないが、今の自分と大差のない髪型をした青髪。“誰か”はあの日の自分。子供の俺が歯を食い縛って大人になった今の俺を羽交い絞めにし、邪魔している。一体、この矮小な身体のどこにこんな力があるのだろう。ダメ、ダメ、そんなことしたら、ダメだよ。そんな声まで聞こえた気がした。何でだ。俺は、お前のためにこの男を犯し、お前や俺を暗い苦しみから助けてやろうとしているのに……
「……お前、何がしてェの?」
不意打ちで聞こえた“この男”の声に風薙は肩をビクッとさせて我に返った。男に辱められそうな人間の物とは思えぬ鋭い声音に風薙の焦燥がますます強まる。
「う、うるさい!」
風薙は裏声で叫びながら暮羽の肩をロッカーに押し付けると、改めて自分の縮みきった肉樹に手を添えて相手の後孔にあてがった。先端が触れたなら、何とか入るかも知れない。そんな彼の期待も空しく、柔らかな肉スポンジは所有者を嘲笑うかのように亀頭を支点にしてふにゃふにゃとしなるだけで、一向に相手を貫きそうにない。
「く、くそ! 入れ! 入れよ!!」
ほとんど悲鳴のような声で喚く風薙の震える心を暮羽の冷静な声がピシャリと打った。
「お前、そんな萎えきったペニスで俺を犯そうとしてンの? ……無理だろ」
「!」
風薙の身体が雷に打たれたように強張り、愕然とした顔に絶望の色がざあっと広がった。
「あ、あぅぁ、あぁあああ……!」
青褪めた風薙の下唇から顎がふざけた腹話術の人形のごとくガクガクとわなないた。彼はおののきながら立ち上がり、ふらふらと後ずさりし、すぐに腰を抜かしたかのように床に尻を落とした。
何で? 何で!? 後退する数歩ばかりの間、風薙はその言葉を頭の中でひたすらに繰り返していた。冷たく黒い濁流が彼の心を翻弄する。俺は彼に復讐する事も許されないのか。俺は一生この傷を背負わないといけないのか。俺は永遠にこの青臭い泥沼から抜け出せないのか。俺は、いつまでも、苦しまなければならないのか。自分から自分へぶつける残酷な言葉は風薙の心に風穴を開け、入り込んだ冷気が風薙の魂を瞬く間に絶望で満たす。寒い。風薙は震えた。小刻みに振れる頬に涙が一筋伝った。この数年、流し方も忘れていた涙が。
「ぅ、ぅえっぐ、ひぃ、ひぐっ……え、えくっ、ぅ、うゎああぁあああ!」
自分の眼から零れた涙に気付いた途端、風薙は声を上げて泣き出した。転んだ痛みには耐えられた幼子が、膝から滲む血を見た瞬間にえもいわれぬ恐怖を覚え、誰かへの救いを求めて泣き叫ぶように。
「…………」
暮羽は後輩の異常行動を呆けた目で見つつも、最悪の事態は免れた事を確信して安堵の溜め息を鼻からそっと抜いた。何とか平静を装っていたが、その胸の内には困惑と恐怖が広がっていたのは、紛れもない事実だった。
泣きじゃくる相手を刺激せぬよう、こっそりと暮羽は足首まで下ろされたままだった衣服を引っぱり上げて整える。さて、この後は。
「……」
本当は今の内に両手で眼を覆っている彼の横を素通りし、足早にこの部屋から立ち去るのが得策だろう。だが、それだけはしてはいけない気がした。もし、迷いを振り切って逃げ出しても、帰路の途中で彼の事が気になって引き返し、様子を見るためにこの部屋に戻るだろう。たとえ、彼を見捨てて自分の家に戻っても、きっと彼の事を気にかけて眠れぬ夜を明かすだろう。
それならば。
暮羽は自分のロッカーからタオルを一枚取り出すと、数歩先で大股を開いている風薙のむき出しの局部にそっとかけた。泣き声が、一瞬弱まった。覚悟を決めて風薙と同じ頭の高さになるように跪くと、赤い瞳が自分の眼をきょとんと見つめる。暮羽は静かに呟くように言った。
「お前、何かあったの? いい大人がそンなに泣くとか普通じゃねェだろ」
「……っ!」
暮羽の声を聞いた風薙の整った顔が一気に歪み崩れた。ひしゃげたような目から涙が零れ、赤くなった鼻から鼻水が滴る。暮羽の瞳に導かれるように、心の中に秘めていた苦しみが細かく震える唇から零れ出る。
「お、俺、俺っ、ガキの時に、知らない男に、ひっく、変なトコ連れてかれて……そこで、俺っ、ぅぐっ、えぅ、ぅっく……」
脳裏に蘇る悪夢が風薙の言葉を切り、嗚咽に変える。暮羽は表情を変えず、ただ無言で風薙の背中をさすった。その手の温もりに後押しされたのか、風薙はしゃっくりをしながら告白を続ける。
「嫌だって言ったのに……えぐっ、やめて、って、言ったのに……やめてくれなくて……助けてって何度も言ったのに、ひぐっ、誰も、助けて、くれなくてぇ……!!」
その台詞から風薙が何をされたのかは察するに余りあったが、暮羽は何も言わずに言葉の続きを待った。風薙は何やら迷っている様子で涙目を少し泳がせていたが、やがておずおずと続けた。
「暮羽さん、そいつに似てるんです。髪の色とか、声とか、雰囲気とかが。だ、だから、俺……あ、あああぁ……!!」
言っている内に風薙はようやく気付き、叫んだ。彼は、あの男じゃない。よく見れば全く違うではないか。あの男の瞳と彼の瞳。あの男の冷酷さと彼の優しさ。俺は、とんでもない事をしようとしてたんだ。そして、あの子は……小さい俺は、俺よりも先にそれに気付いてて必死に俺を止めてくれてたんだ。
風薙は大声を出した。青い髪を引き千切らんばかりに左右から鷲掴みにし、首を激しく振って泣き叫んだ。自分の愚かさと積年の恨みを晴らせぬ悲しみに引き裂かれそうな彼を落ち着いた声が撫でた。
「もう、いい」
「……」
静止した風薙のダラリと落ちた両手から数本の青い髪の毛が床に散る。風薙の揺れる眼を改めて覗き込む暮羽の瞳からは軽蔑も嫌悪も、哀れみすらも感じられなかった。ただ、先程と同じ静かな光を柔らかく垂れた眼に湛えたまま、彼はぽつんと呟いた。
「辛かったな」
「――――!」
それは月並みな台詞であったが、単純明快なその言葉はどんな美辞麗句よりも風薙の心に深く沁みた。乾ききった心に降り注ぐ慈雨は新たな涙に代わり、見開かれた瞳からポロポロと零れ落ちる。マメが浮く手の平が、風薙の頭頂部をぽんぽんと軽く叩いた。
「お前さ、そんなトラウマ抱えてるンならカウンセリングでも何でも受けてぶちまけてこいよ。あいつらは、そういうのをメシの種にしてやがンだからよ。……俺が加害者の野郎に似てるから? ンな逆恨みでレイプされそうになったこっちの身にもなれッての」
乱暴な言葉の奥に漂う「心配なんだよ」の一言を確かに聞き取った風薙は、不意に生じた不可解な熱が満ちていく胸を拳で軽く押さえながら俯き、消え入るような声に今の素直な感情を乗せた。
「……ごめんなさい」
「……ん」
謝罪してくるとは思わなかったのか暮羽は何とも曖昧な返事をし、照れを隠すかのように風薙の髪を軽く掻き回してグシャグシャに乱すと左手をパッと離した。
「今日はもう帰れ。……今日の事も、お前の事も誰にも言わねェから心配すンな」
風薙は壁にかけられた時計をのろのろと一瞥し、再度暮羽に向き直ってベソかき顔を緩く綻ばせると少し鼻が詰まった声で言った。
「電車、なくなっちゃいました」
「なら、歩きかタクシーだな」
「お金、ないです……」
喉から絞り出したその声は、出した風薙自身にも信じられぬほど甘ったれていた。暮羽は肩を軽くすくめ、膝に付いた埃を叩き落としつつ立ち上がる。
「じゃ、構内か部室のどっかで寝るしかねェな」
「……ひくっ、暮羽さん、意地悪言わないでください……」
溶けかけた砂糖菓子のようにべたつく声に嗚咽の欠片のしゃっくりを添えながら、風薙はすがるように暮羽のズボンの裾を指でつまみ、懇願した。
「暮羽さん、家近くなんでしょ? 泊めてくださいっ」
「はァ!? レイプしてこようとした野郎を家に連れ込むとか馬鹿すぎンだろ!」
「……そう、ですよね」
予想はしていたが、こうも無下にされてしまうとやはり悲嘆が心を覆い、眉尻を下げてションボリとうなだれてしまう。……あぁ、今夜はどこで寝よう。まだそんなに寒い時期じゃないけど、いつも昼寝をしているあそこのベンチじゃやっぱり風邪を引くかな。あ、マッサージルーム。あそこだったらちょっと硬いけどベッド代わりにはなるマッサージ台があるし、部屋中のタオルを掻き集めて布団代わりにすれば。いや、それとももう歩いて家まで帰った方がいいのかな。歩きだと一時間はかかるけど……
「で?」
冷静な声が考えを巡らせる風薙を現実に引き戻す。
「お前はいつまでそれを出しっぱなしにしてンだ?」
「……あ」
呆れ顔の暮羽に指差された箇所に視線を落として顔を赤らめた風薙は、いつの間にかタオルが滑り落ちていた局所を手で覆ったが、しばらくして、そうしていても埒が明かない事にようやく気付いてそそくさとズボンを引き上げた。ベルトをしっかりと締める風薙の眼前に広げられた手が伸びる。
「?」
小首を傾げた風薙が何も考えずにその手を握ると、痛みを感じるほどに強く握り返され、ぐいっと力強く引っ張り上げられた。あの悪夢の泥沼から引き抜かれる錯覚を得ながら、引かれるままに立ち上がった風薙の鼻先に暮羽の挑戦的な微笑が突き出されてきた。
「俺は馬鹿だからお前を泊めてやるけどよ、少しでも変なマネしたらソッコー蹴り出すからな」
暮羽の右の人差し指に鼻をグッと押され、風薙の頭が少し後退する。風薙は細かい瞬きを繰り返していたが、彼の言葉を理解した瞬間に様々な要因によって一層赤くなった顔から蒸気を噴き出す勢いで裏声を出した。
「し、し、しませんよ! そんなこと!」
「どうだか」
そう言って、彼はへらっと笑った。自分が彼にした蛮行などものともしない様子で、綺麗に並んだ白い歯を見せて笑ってくれた。彼の笑顔と互いに強く握り合ったまま離れる素振りも見せぬ手の温もりにいざなわれるように、風薙もまた紅色の頬を吊り上げて笑う。その細めた瞳の奥に相手が今まで見せた事のない白い輝きを見つけた暮羽は、ほんの少し偉そうに上向かせた顔に新たな笑みを加えた。
風薙の心を澱ませていた冷たく黒い霧はいつしか晴れ、今まで感じた事のない、だが悪い気はしない温かな何かが風薙の胸を薄い桃色に満たしていく。
風薙は甘くて柔らかな桃色に光る世界の中で、あの小さな自分が背負っているランドセルの肩紐を両手で握りながらニコニコと嬉しそうに笑っている気がした。
そして、確かに聞こえた。
――よかったね。
と。
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最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
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【こっそり後書き】
自分が書く文章ってどうしても冗長になりがちなので短い話の練習がてら書いてみたのですが、見ての通り無理でした(完)
短い文章の練習&ちょっとサボっていた物書きのリハビリの感覚で結構ザクザクと書いたので、色々荒いです。
まさにやまなし・おちなし・いみなし!今も言うのかなコレ。
一応、今回の話は、ちょっと前に書いたショタ風薙話の続き…と言う事になります。
書くつもりはなかったんだけど、ふと「犯そうと思ってもナニが勃たなくて未遂に終わるって展開とかどうよ」なんて思ったわけです。
困惑し、涙する風薙とそれを優しく受け止める暮羽さんが書きたかった……と言うのもちょっとありました。
でも、1年後には本編の例のイベントで風薙が暮羽をボロボロにしちゃうと思うと、何か切ない。
なお、このような話を書いておいて何ですが、
あのショタ風薙受けの続きは皆さんで好きなようにご想像していただければな、と思っております。
「風薙が暮羽さんを鬼畜モブお兄ちゃんに見立てて犯した以外ないだろ!」と言う場合は
この話の1ページ目で勝手に終わりにしちゃうのもありですし、
皆さんの望むような辱めを与えるってのもいいと思います。
あくまでも、今回の話はパターンの一つと言う事で!
たまにはキャラが救われる展開ってのもいいじゃないですか♪
本文だけでなく後書きも支離滅裂になってる体たらく!
最後までお付き合い戴き、有難うございました!