第二次世界大戦中は多くの名機が開発されました。その中でも頂点に輝く優秀作はこのムスタングといっても異論はないでしょう。ムスタングはノースアメリカン社がイギリスから発注依頼を受けて開発した機体で、ムスタングという呼称は「駿馬」を意味します。機体の設計は優れていたものの,、ムスタングは最初から最強の機体ではなかったのです。
1939年暮れ、既にヨーロッパでは第二次世界大戦が始まっておりイギリスはアメリカに対し、航空機のライセンス生産を委託しました。本来ならば、飛行機の老舗であるカーチス社が引き受けてくれるはずでしたが、カーチス社はアメリカ陸軍の発注で手一杯であると辞退。そこで白羽の矢が立ったのが1928年に立ち上げたばかりの新進気鋭のメーカー、ノースアメリカン社でした。田舎の歴史の浅い航空機メーカーでありながら、仕事きっちり、納期バッチリとライセンス生産にはもってこいの会社だったのです。
早速イギリスはノースアメリカン社に対し、カーチス社のP−40のライセンス生産を依頼しますが、社長であるキンデルバーガーはなんと、P−40のライセンス生産を受けずに自社で開発中の新型機の生産を逆提案したのです。ノースアメリカン社は戦闘機開発に関しては多くの実績は無かったのですが、キンデルバーガーの情熱に負けて、イギリスはこの提案を受け入れ、契約書にサインしたのです。
ただし、この契約には過酷な条件が付きました。一つ目はキンデルバーガーが契約の場で120日以内に完成させてみると宣言したこと。もう一つはイギリス側からの条件として、液冷エンジン搭載を前提とすること。この二つでした。ノースアメリカン社はキンデルバーガーを中心にドイツ出身の若手エンジニアと共に新型機を完成させました。しかし所詮は実績の無い新興メーカーと、軍関係者は誰一人と姿を見せず、初飛行に立ち会ったのは設計・開発スタッフだけというエピソードが残されています。
この結果、産声を上げたのが、ムスタングTでした。早速600機余りが生産され、イギリスへと旅立ちました。
イギリスではこの新鋭機は大いに歓迎されましたが、エンジンの性能が低く高空での戦闘能力に関してはスピットファイアに遠く及ばず低高度での偵察程度にしか使えないと判断されます。しかし、ムスタングの潜在能力に気づいていたイギリスのテストパイロットはロールスロイス社の「マーリンエンジン」を搭載してみてはどうかとイギリス空軍省に進言、さっそくムスタングに「マーリンエンジン」を搭載したところ、最高速度はなんと695`を記録しました。
この瞬間が「駿馬」の誕生でした。イギリス空軍省はムスタング改造計画を立てましたが「マーリンエンジン」は絶対数が不足していたため、イギリスは「マーリンエンジン」をライセンス生産するため、自動車メーカーであるパッカード社に依頼します。このことはやがてイギリスに対ドイツ戦の勝利をもたらしました。
今までノースアメリカン社の新型機を低く見ていたアメリカ陸軍はムスタングの善戦を聞き、1941年にP−51としてムスタングの採用を決定します。これ以前にアメリカ陸軍は「アパッチ」という名称をつけていたという記録がありますが、ヨーロッパ戦線で両軍に定着してしまった名前をいまさら変えられず、しぶしぶ「ムスタング」と呼称しました。特に有名なのが枠無しの風防を採用したDタイプです。大戦末期、日本はB-29迎撃戦を本土上空で繰り広げますが、P−51の随伴に伴い、日本の高高度戦闘機での迎撃は不可能となっていきました。
対日戦終結後は引き続き、朝鮮戦争でも使用され、全シリーズを通して14820機が生産されました。軍用機として活躍したムスタングですが、操縦性も簡単なため民間に払い下げられ、複座の自家用機として今も飛行可能な機体も数多く存在します。
性能諸元 (P-51B/C ムスタングV※)
全長; 9.83m
全幅;
11.28m
全高; 3.71m
正規全備重量; 3992kg
エンジン; パッカードV-1653-3/7(通称マーリンエンジン 公称出力 1180HP)
最大速度; 708km/h
航続距離;
2092km
武装; 12.7o機銃×4
爆弾:227kg×2
※P-51とは米軍側呼称、ムスタングというのは英国側の呼称