第1次大戦終結後、飛行機の評価は高くなり艦船攻撃にも積極利用することが検討されていました。しかし、当時の主流は複葉機であり、この航空機講座で紹介してきた主翼が1枚だけのスタイルというのは1930年代に入ってからでした。
複葉機は操縦しやすく、揚力を得やすいという利点があり、イギリスでは「ソードフィッシュ」という信頼性の高い複葉雷撃機がありました。しかし複葉機では高速化が難しく、各国は複葉機からの脱却を図っていました。
日本海軍もその例に漏れず、配備している海軍機を近代化(複葉機からの脱却)させていくために、戦闘機は96式艦上戦闘機、零式艦上戦闘機に、艦上爆撃機は99式艦上爆撃機に切り替わりました。昭和12年、複葉の96式艦上攻撃機(以降「艦攻」)から新型の単葉機(主翼が1枚の飛行機)に切り替えるために中島飛行機と三菱重工に競作を命じました。
この要求に対し、中島飛行機は古参のベテラン技師ではなく20代の若手技師に開発を任せました。若い技師育成か古参では考え付かない新しい発想を取り入れようとしたかは分かりませんが、この試みは成功でした。前機種の96式艦攻と比較して取り入れられた新機軸はこのようになりました。
・油圧引き込み脚・・・空気抵抗の低減による高速化
・上方への翼折りたたみ機構・・・人力ではあるものの、空母格納庫内でのスペース削減
・ファウラーフラップ・・・滑走距離の少ない空母での離着艦に有利
・セミインテグラル式燃料タンク・・・航続距離の増大(1990km飛行可能)
・可変ピッチプロペラ・・・速度調整が容易になった
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など次世代艦載機の標準装備はこの設計で完成されていました。三菱も最新技術を投入させた同レベルの試作機を完成させており、海軍の審査は甲乙つけがたいことで難航しました。審査の結果、どちらも不採用にできないという判断に至り昭和14年に中島飛行機が製作した試作機を97式1号艦上攻撃機、三菱が製作した試作機を97式2号艦上攻撃機として制式採用しました。
特徴は以下の通りです。
中島タイプ・・・量産ラインにのり、空母に配備。油圧式引き込み脚装備
三菱タイプ・・・少数生産され、訓練・哨戒任務で配備。固定脚であったが、振動が少なく信頼性が高かった
昭和14年から「97式1号艦攻」の性能向上型「97式3号艦攻」の生産が始まり、ハワイ奇襲、珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦、南太平洋海戦など太平洋戦争前期の主要な海戦全てに投入されました。ハワイ奇襲作戦の頃にはトップクラスの性能を持っていた97式艦攻も昭和18年に入る頃には時代遅れとなり次第に損害が目立つようになってしまい、後継機の「天山」にその主力の座を明け渡すことになりました。
空母配備から外れても信頼性には高い評価があり、長距離偵察や対潜哨戒、果ては特攻など戦争終結まで戦い続けました。
性能諸元
全長; 10.30m
全幅; 15.50m
全高; 3.70m
正規全備重量; 3800kg
エンジン; 中島「栄」一一型空冷複列星形14気筒 公称970馬力×1基
最大速度; 378km/h
武装; 7.7mm機銃×1 1
爆装; 800kg航空魚雷×1、 800kg爆弾×1または500kg爆弾×1など