「新たな監視者」 「もうすぐ十四となる」 「目覚めの刻」 「目覚めよ」 「目覚めよ……ジョミー!」 「ジョミー!行ったぞ!」 大声で怒鳴られて、ジョミーははっと背筋を伸ばして振り返った。その横を、ボールを蹴ったクラスメイトが駆け抜けていく。 「あっ」 「ジョミー!なにやってんだ!試合中にぼうっとすんなよ!」 「ごめん!」 慌てて抜かれた敵チームの友達を追いかけたけれど、追いつく前にゴールを決められてしまった。 「らしくないぞ、ジョミー。英語とか数学ならともかく、体育の、それもサッカーの授業中にぼうっとするなんて」 「英語や数学ってなんだよ。ぼくは真面目に授業を受けてるぞ……時々寝るけど。あー……悪かったよ。ちょっと寝不足で」 グラウンドを走り回ってひりつくように乾いた喉を抑えながら水道の順番を待っていたジョミーは、空を見上げて溜息をついた。 一度見た夜から、頻繁に見るようになった夢。 綺麗な青年が出てくるほうではなくて、木のお化けのような影に囲まれる夢だ。そのうちただ囲まれるだけではなくて、声まで聞こえるようになって、さらにあまりに夢に見すぎたのか、最近では昼間でも声だけだが聞こえるような気がするときがある。 「……14歳、か……」 「あ、そういえばお前、明日誕生日だっけ」 「えっ」 独り言で呟いたつもりだったから、サムに言われて驚いてしまった。周囲が一斉に振り返る。 「そうなのかよジョミー」 「じゃあ明日は何か奢ってやるよ」 「全員からジュース一本ずつ、とかな」 「なんで全員でジュースなんだよ。重いじゃないか」 「気になるのはそこかよ!」 頬を膨らませて抗議するジョミーに、順番を代わったクラスメイトは肩を竦めて笑う。 「だってお前、最近やたらと何か飲んでばかりだろ」 指を差されて、順番が回ってきたジョミーは顔を洗うより手を洗うより、まず蛇口に口をつけていることに気がついた。 「んー……」 冷たい冬の水が喉を通ると、少し喉の渇きが収まったようで、口元を拭いながら首を傾げた。 「なんだろうな、飲んでも飲んでも全然すっきりしなくてさ。乾燥してんのかな」 「普段から暖房とかつけっ放しにしてるんじゃないのか?よくないぞー」 ひらひらと手を振って、水道を使い終えたクラスメイトたちが先に教室へ帰っていく。一人、隣に立ったままのサムに気づいてジョミーは顔を洗う手を止めた。 「サム、どうかした?」 「……最近なにか悩んでることでもあるのか?」 「はあ?」 一体なんのことだと笑おうとして、サムの表情が真剣なことに一度蛇口を閉める。 悩んでいるといえば、悩んでいる。だが夢で見る声を昼間にも聞くだなんて、疲れているとしか結論なんてでないだろう。昼間は影をみていないとはいえ、ひょっとすると寝不足から一瞬だけ意識が落ちているだけかもしれない。 「いや、本当に寝不足なだけだ。喉が渇いて、夜中にも何度も目が覚めて」 「ええ!?寝てても喉が渇くのか?毎日?お前それは一度病院に行った方がいいぞ」 「かなあ?でも喉が渇くだけで、熱があるわけでも咳が出てるわけでもないし、他はどこも悪くないから……」 「いーや、甘く見るなよ。異常なまでの喉の渇きっていうのは何かの重大な病気のサインってこともあるからな」 「うーん……」 蛇口を開けてジョミーは手を洗いながら、空を見上げて唸りを上げ、サムに視線を戻すと頷いた。 「じゃあ明日、登校前に病院に行ってくるよ」 「そのほうがいいって。病気じゃないならないで、安心できるしな」 「うん」 ジョミーが素直に頷いて安心したのか、サムは手を振って先に教室へと歩き出した。 その背中を見送ってから顔を洗ったジョミーは、流れる水に再び喉の渇きを覚えて口をつける。 確かに、さすがにこれは異常かもしれない。 水を滴らせながら蛇口を閉めて、濡れた手の甲で口を拭いながら乾いたタオルに手を伸ばす。 「目覚めの兆候だな」 聞き覚えのない声に振り返ると、先日街路樹の傍らに佇んでいた、黒ずくめの男が校庭の木にもたれて立っていた。 「うわぁっ!?」 タオルを手にジョミーが水場のコンクリートに手をつくと、男がもたれてた木から身体を起こした。 「ブルーが待てと言ったから様子を見ていたが、どうやらお前は監視者に目覚めつつあるらしい」 「……か、んし、しゃ……?」 「だから無駄だと言ったというのに」 男は組んでいた腕を解いてジョミーに向かって手を伸ばした。まだ十分に距離は空いていたから、ジョミーは水場に後ろ手についたまま、慎重に横にずれていく。 「姿なき声を聞くだろう。それは神魔の長どもの声だ。喉が渇くだろう。水などいくら摂取しても、その渇きは収まるまい。お前が欲しているのは水などではないからな」 すべてを見透かされたように言われて、ジョミーの足が震えた。シンマってなんだ、この男は誰だ。 ジョミーに向かって伸びていた男の手の爪が、音を立てて長く伸びた。 「なっ……」 ナイフくらいに伸びた爪は、木漏れ日の光を、まるで鋭い刃のように反射する。 「あ……あああ、あんた、一体、な、何者……」 「ほう、なかなか余裕だな。私のことなど気にしてどうする。今から死に行くものが」 「死……っ!?だ、だって目覚めろって」 何に目覚めろなのかもよく分からないけれど、いきなり殺害予告をされて動転しないわけがない。 ジョミーは意味もなく左右に首を巡らせる。助けになるものなどなにもない。 「それは長どもの望み。私の望みは――――」 男の右足に体重が掛かり、ジョミーは端まで辿り着いていた水場から身を翻そうとする。 「監視者の死だっ」 少なくとも十歩の距離はあった。それなのに、一瞬で前に回り込んだ男の爪がすでにジョミーの喉に触れようと……。 「よせ、キース!」 痛みを覚悟して目を閉じたジョミーの耳に、金属を弾くような音と違う男の声が滑り込んできた。 恐る恐ると目を開けると、視界一杯に藤色が広がっていた。 驚いて後ろに一歩飛びのく。 それが人の背中であると気づいたのはそれからだ。 「ジョミーはまだ目覚めていない。もしかするとこのまま人として生きるかもしれな……」 「お前らしくないぞ、ブルー。その状態で目覚めない可能性など、本当に信じているか。目覚めてからでは遅いのだ。今のうちなら赤子の手を捻るよりも簡単に殺せる」 「キース!」 「あ……」 ジョミーを背後に庇って黒ずくめの男を対峙しているのは、夢に見た銀髪の青年だった。 その厳しい横顔が、ジョミーの小さな呟きを拾って僅かに返り見る。 血のように赤い瞳が、ジョミーの姿を捉えた。 血、のように、赤い……赤い、瞳、が。 美味しそうな、白い喉。その肌の下を流れる赤い道が、透けて見えるようだ。 逃げようとしていたはずの足が、一歩前へ出る。 ふらりと美味しそうな匂いに誘われるままに、銀の髪の青年に手を伸ばした。 「ジョミー!」 鋭い、悲鳴のような声にはっと目が覚める。 青年の腕を掴み、つま先で背伸びをしてジョミーが近付いたのは、青年の首筋だ。 「え、あれ……ぼ、ぼく何を……」 たぶん……助けてくれようとした恩人が美味しそうだなんて、一体何を。 すぐ傍まで迫っていた赤い瞳が、まだ噛んでもいないのに痛みを堪えるように揺れていた。 「ジョミー……君はもう……」 「ご、ごめんなさい!」 慌てて青年から飛びのくと、その背後で黒い方の男が手を振りかざしていた。 「う、わぁっ!」 転ぶようにして後ろへ下がったジョミーの目に、銀の髪の青年が手を横に伸ばしてもう一人の男を止めている様子が見えた。 一体何に巻き込まれているのか分からないままに、とにかく一旦逃げようと身を翻す。 「ブルー!お前はまだっ」 男の怒声が聞えたが、今は逃げることだけで精一杯だった。 金の髪の少年が転ぶように走ってその姿をコンクリートの建物の中へと消すと、キースは舌打ちをして伸ばした爪を元へ戻した。 「先ほどのあれを見ただろう。もうあいつは人間としては生きられん。監視者として目覚める前に殺さねば、我々が狩られる側になるのだぞ」 「……分かっている」 「目覚めは恐らく明日だ!その前に……」 「僕がやる」 ブルーはジョミーが逃げ込んだ石の建物を、痛ましい目で見つめた。 「僕がジョミーを殺す。だから君は手を出さないでくれ」 左右が対になった建物は、まるで墓標のように冷たい色をしてた。 |