「な……っ」
真っ赤な空に果てなく伸びるいくつもの黒い影が、躍るように揺らめく。
「目覚めだ」
「監視者の目覚めだ」
「再び門は閉じられる」
揺らめく影に、ジョミーは蒼白になって手を振った。
「違う!ぼくは人間だっ」
「ジョミーっ!」
影の向こうから聞えた悲鳴に、背筋が凍ったように一瞬にして興奮したジョミーの激情が恐怖に染まる。
「ママ!パパ!」
「ジョミー……!目覚めてしまったの……?監視者の、神魔の血にっ」
はらはらと涙を零す母の肩を、父の大きな手が覆う。
「長よ!ジョミーはまだ幼いのです!どうか、どうか今しばらくの猶予を……」
ブルーに語られるまでジョミーが何も知らなかったことを、まるで初めから知っていたように叫ぶ両親に、ジョミーは大きく目を見開いた。
ふいに背後に現れた気配が、後ろからジョミーを包み込む。
「ブルーっ!」
「君は監視者の血族だと言っただろう?君の両親は、血族に生まれながらその力が弱かった。それゆえ、長きに渡り監視者が不在になっていたんだ。僕やキースは、その隙に闇からこの世界へと来た」
後ろからジョミーを藤色の布の中に包むように覆い、耳元で囁き語るブルーの声に、影の声が重なる。
「そうはゆかぬ。お前たちの血の薄さゆえ、長年に渡り監視者の不在が続いた。数多く逃げ出したはぐれ神魔を闇に還さねばならん。ジョミーは既に目覚めた!新たな監視者の誕生だ!」
「……君の両親は、神魔の血に目覚める14歳を前に、猶予を求めに長の元へ行っていたのだね」
「そ……んな………パパ……ママ!」
巻き込まないようにと思っていた両親は、すべて知っていた。知っていて、それでもジョミーを守ろうとしていた。
その間に、ジョミーは何をしただろう。
震えるジョミーに気づいたように、ブルーがその髪に頬を摺り寄せた。
「泣かないでくれ、ジョミー……。僕は不法に闇から抜け出したはぐれ神魔だが、君の下僕として現世に留まることができる。僕が傍にいるから……」
喉の渇きに支配され、ブルーの血を。
「いやだっ!違う!ぼくは人間だっ!血なんて……欲しくない……っ」
血なんて欲しくない。
それは心からの叫びなのに、舌が、喉が、ブルーの血の味を覚えている。それまでなかったはずの牙がその肌を突き破る快感が口に残っている。
「………っ……ぼくは……人間、だ……っ」
「既に下僕を従えておるな」
繰り返す言葉を否定するように、影は無情に告げた。母と父の表情が悲しみに歪む。
「ジョミー……」
「ママ……パパ……っ」
どう言えばいいのか分からない。謝りたいのに、何を謝ればいいのかも分からない。血を飲んでごめんなさい……だなんて、人が謝る言葉ではない。
「でもぼくは………神魔なんかじゃ……ない……」
「自らの宿命を受け入れぬとあらば、罰を与えねばならん」
「罰?」
影に目を向けたジョミーは、鋭い悲鳴を聞いて息を飲む。
「ママ!?パパ!」
足元から氷が駆け上るように、両親の身体を包み込んでいく。
「や……やめろ!わかった!ぼくがやる!監視者になるからっ」
ブルーの腕の中から駆け出して、力の限り手を伸ばす。だがその手が届く前に、氷はすでに両親の肩まで包み込んでいた。
「ジョミー」
そのとき、どうして二人が微笑んだのか分からない。
二人は手を握り合った姿のまま、氷の中に閉じ込められた。
膝を付き、うな垂れるジョミーの頭上で影が躍る。
「既に闇から抜け出したすべての神魔を闇へと還したとき、お前の両親を戒めから解き放つ」



気がつけば、ジョミーは自宅の廊下に膝を付いてうな垂れていた。
「どうして………」
背後で部屋の扉が微かな軋みを上げる。
「……ジョミー」
「どうしてママとパパが………どうしてなんだよっ」
「……彼らは、君だけが闇を背負うことに耐えられなかったのだろう」
「なに……それ……」
零れ落ちる雫が、廊下と握り締めた拳を濡らす。
「ジョミー、僕が傍にい……」
伸ばされた手を、振り払ったのは反射だった。
乾いた音を立てて、弾かれたブルーの手の甲に赤い一筋の線が走る。
「あ……」
息を飲むジョミーに、ブルーは優しく微笑んだ。
「いいんだ。僕は君の下僕だ。君が望むままに傍にいるし、君がそう命じるなら近付かない」
「違う。ぼく、ごめん、なさい……八つ当たりだ」
「いや。僕の爪が君を目覚めさせたのだから」
緩く首を振るブルーに、ジョミーは涙を拭いながら苦笑を零す。
「目覚めなかったら、ぼくはあなたに殺されていたんでしょう?」
「そうだね……いや、どうだろう」
「殺そうとしたくせに」
「だけど殺せなかった。僕は本当は、初めて君に会いに行った時、君をこの手に掛けるつもりだった」
自らの右手に視線を落とすブルーに、ジョミーは首を傾げた。
「ぼくの小鳥を一緒に埋めてくれたときのこと?」
「覚えていたのかい?」
「うん、夢で……」
冷たくなった小鳥を抱えた両手に添えられた、白い手を思い出す。
―――生命は、永遠ではないから美しい。
あのとき、ブルーはそう言った。
「……ヴァンパイアってさ、死なないの?歳も取らないって本当?」
「死は何者にも存在する。だが君が望むなら悠久に近い時を生きることも可能だ」
ジョミーがついと手を伸ばすと、ブルーはその両手を広げて迎え入れてくれた。あの時触れた冷たい手は、今はもう冷たくはない。
ブルーが暖かくなったのではなくて、ジョミーの身体が人よりも冷たくなっているのだと、気づいてしまって泣きそうになる。
「はぐれ神魔って、たくさんいるの?」
「正確な数は分からない。だが……」
「ブルーの友達もいるんだよね?」
「キースかい?……ああ……今頃ひどく怒っているだろうな。僕を信じて君の事を任せてくれたから」
ジョミーを抱き締める手に力を込めて、ブルーはくすりと小さく笑った。
「キースは友人というより、共犯者だね。闇を抜け出すときに協力しあった腐れ縁だよ。だけど君の両親を解放するためになら、彼を闇に還すことに躊躇いはない。それに、キースを相手に躊躇えば、こちらのほうが危険だ」
「彼にぼくの血を分けて、あなたと一緒に傍にいてもらうことはできないの?」
ふと、名案ではないかと顔を上げると、途端にブルーは不愉快そうに眉を潜める。
「それはキースが嫌がるだろう。君がどうしても、というのなら強制することに協力はするけれど、正直に言っていいのなら僕も面白くない」
「どうして?友達と戦うより、そのほうが良いじゃないか」
「君の血をキースに分けるということが気に食わない。ジョミーの下僕は僕だけでいい」
ぱちぱちと瞬きをして見上げても、ブルーの表情は真剣そのもので冗談を言ったわけではないらしい。
ジョミーはブルーの首に腕を絡めながら、その瞳を覗き込む。
「ぼくは、あなたを下僕だなんて思ってないよ」
「血の契約を交わした。君の血を受けた以上、僕は君の下僕だよ」
「あのね、ブルー。下僕だといやいやでもぼくの傍にいるってことだよね?」
「僕が君の傍を厭うはずがない」
はっきりと言い切ったブルーに、思わず吹き出しながらぎゅっと抱き締めた。
「ぼくの役目につき合わせて、ごめんね。大好きだよ、ブルー」
だから下僕だなんて、言わないで。
そう囁けば、背中に回されていたブルーの腕に力が込められた。
「君が嫌がるのなら、もう言わないよ。君の傍にいることが許されたのは、君の血を受けたからだが、君の傍にあるのは僕の意思だ。君に血を飲まれることを望んだ、僕の」
優しい声をききながら、白い首筋に顔を埋めて、ジョミーは目を閉じた。



ぼくはもう、小鳥のところには行けないだろう。
けれど寂しくはない。
両親を助け出すために、悠久の時を生きると決めたぼく。
そんなぼくと、共に生きることさえ望んでくれた人が、ここにいるから。






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そのうち美夕のように小悪魔的な少年に成長してくれる…
と思うと、それがほぼ永遠の束縛のブルーには
激しくオイシイ気がします。