最初は、彼女はミュウに違いないと思ったのだ。
「大丈夫ですか!?」
幼馴染みが乱暴に押しのけたせいで壁にぶつかった少女に怪我はないかと近付く。
確かに先に不可抗力とはいえ暴力的にブルーの上に落ちたのは少女のほうだったけれど、それにしたって謝ってもしもに備えて心配をした相手を、あんな風に押しのけることはない。
歩み寄り、彼女の肩に手を置く。
やはり、彼女の心は読めない。
もちろんリオも普段は人の思考を読まないように心掛けていて、意識して読もうとすることはまずない。だが先ほど、彼女から強い感情が伝わった。
あの感情を名付けることができるとすれば……。
歓喜。
そうとしかいいようがない。
だがただ歓喜と呼ぶには、彼女の心は複雑に捩れていた。
喜びと、恐れと、後悔と、胸を締め付けるような激しい「何か」と、様々な感情が混ざり合い、それは溢れ出る水が渦を作るほどの洪水のような激しさだった。
だがその直後、彼女の心が悲しみで塗りつぶされた……ように感じたが、それが本当に悲しみだったのかは分からない。
そのすぐ後に彼女の感情が見えなくなったからだ。
溢れ出た心にしたって、他の人のようにはっきりと何を考えているかということまでが見えたわけではなく、ただ漠然とした感情が滲んだだけだった。


思念を閉ざすことはミュウにならできる。ミュウと認定された子供はその時点から思念の扱い方について学び、目覚めたばかりの子供でもなければすぐに思念による会話や、逆に思念を閉ざす術を覚える。
だが人間の子供はそうはいかない。
望めば思念波の干渉を拒む術を学ぶこともできるが、そもそも「思念」を肌で知ることができない状態でそれを「閉ざす」という感覚を覚えることは難しい。特に子供は下手をすれば人格形成期の心に悪影響を及ぼす可能性があるとして、本格的に思念の干渉を拒む術を学べるのは十六歳以上と定められている。
それにわざわざ人が思念を閉ざさなくとも、基本的にはミュウの側が勝手に相手の心を読まないようにとガードを施す義務を持つ。それが暗黙の了解ではなく明文化されているのは、人と共に生きて行く上で必要なことだ、と上から説明されている。
だから思念を閉ざす術を学ばずに一生を終える人間も珍しくはない。
彼女は、その閉ざしたはずのリオの思念を震わせるほどの感情を溢れさせた。
あんなに激しい感情に触れたことは生まれて初めてではないだろうか。
だが今こうして見下ろす少女は静かで、読もうとしても欠片も心を感じさせない。こんな風に綺麗に思念を閉ざせる人間の子供はそうはいない。
リオが知る限りでは、一部を除いて激しくミュウを拒絶するブルーが例外としているだけだ。
だからミュウに違いない、と。


振り返った彼女は、翡翠色の瞳を瞬きもさせずにじっとリオを見上げていたが、すぐに柔らかい笑みを零した。
「大丈夫です!ぼくは丈夫で元気なのが取り柄なんですよ」
言葉通りに元気な彼女の笑みに頷きそうになったリオは、肯定するのも失礼かと慌てて軽く首を傾げて苦笑を滲ませた。
その直後、ふと彼女の笑顔に影が差した。
「……ずっと、昔から」
「ジョミー!」
向かう先から聞えた怒声に、瞬きをする間もないほどにジョミーはころりと元気な少年のような顔に戻る。気のせい、だったのだろうか。
ジョミーの視線を追って声のした方へ首を向けると、息を切らした少年が植え込みからようやく這い出していた。
「お前、自分だけ逃げてーっ!」
「ごめんごめん、サム!ひとり分の体重が減ったらブレーキが効くかもって思ったんだって!」
ジョミーと呼ばれた少女は、友人の少年の方へと駆け出した。
ベージュを基調にした茶色系のジャケット、それとセットのズボン、短く切った髪と、一見すると可愛い少年にしか見えない少女は、力強い走りを見せてますます男の子に見える。
リオはジョミーが落としたままだった鞄を拾って、その後に続いた。
「怪我はない?」
「ねーよ。植え込みがあったから。それよりお前こそ大丈夫か?」
「ぼくは平気。うっかり目測を誤って、人の上に落ちちゃって」
「って、お前、その人は大丈夫なのか!?だ、大丈夫ですか!?」
後から追ってきたリオがそうだと思ったのか、少年は蒼白になってリオを仰ぎ見る。
「ああ、いえ、僕ではありません。ブルーはもう先に行ってしまいました」
土と枝を払いながら立ち上がった少年に軽く手を振って否定すると、少年は溜息をついて頭を押さえた。
「先に行ったってことは、怪我はなかったのかな。お前、名前ちゃんと聞いた?後で一緒に謝りに行こうぜ」
「うん」
「必要ない。ブルーの奴はそういったことは面倒がるだけだ」
植え込みに突っ込んでいた自転車を引っ張り出してたキースがにべもないことを言うが、事実なのでリオも苦笑するしかない。
「サンキュ。キースの知り合いだったのか?なら話は早いや」
「だから必要はないと言っている」
キースは人の話を聞けとばかりに溜息をついて、傍にいた弟はサムという少年の鞄を拾ってやりながらくすくすと楽しそうに笑った。






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