危険な状態だったけれど怪我人は出なかったことで、ほっと胸を撫で下ろして笑っていたマツカは、ふとキースが首を捻っていることに気がついた。
植え込みから引っ張り出したサムの自転車を見て、植え込みを見て、それから来た道を振り返り、また植え込みを見てもう一度首を捻る。
「キース?」
「あ、いや……」
どうかしたのだろうかと問えば、言葉を濁して首を振る。
「……それにしても、随分器用なこけ方だな、サム」
「へ?」
「進行ルートが上手く少し右にずれたから、植え込みが深くて大した怪我をせずに済んだんだぞ。見ろ、直進なら植え込みの切れ目と重なっていた可能性もある」
「あー、ホントだな。俺って運がいいのかな」
「サム……」
呑気なことを言って軽く笑う友人に、キースは額を押さえて溜息をついた。


頭が痛いと言わんばかりのキースとは対照に、サムと同乗していたジョミーという少年はにこにこと笑顔で友人の無傷をからかい混じりに祝っている。
「とにかく!」
キースは眉を寄せて、反省の色の薄い二人の少年を睨みつけた。
「サムと、そちらの……ジョミーだったか?二人は反省文だ。怪我人が出なかったからといって、危険行為だったことには変わらないのだからな」
「えー!そりゃないよ、キース。俺、転入一日目で反省文だなんて、教師に目をつけられちまう!」
「ぼくも……入学早々ってママが『またなの!?』って角を出しそうだ……。と、それに反省文って君は生徒会の人とか?」
「僕は学年代表だ。新学年になってはいるが、新たに選出されるまでは前年度の学年代表がその役目を負う。二年次は僕の管轄だ」
「あー……キースらしいな、学年代表って……」
乾いた笑いを漏らしながらマツカから鞄を受け取ったサムの横で、ジョミーはにっと笑みを浮かべる。
「じゃあぼくは……キース、だっけ?君の管轄じゃない。ぼくは今年入学の一年次生だからね」
「年下か」
「ううん、同い年。でも病気で半年以上休学してた時期があるせいで、一年遅れているんだ」
言いづらいような聞きづらいようなことをサラリと口にして、ジョミーは頬に手を当てて精々残念そうな溜息をついてみせる。
「だからぼくはキースの管轄外だ」
「残念ながら、前年度の学年代表が存在しない一年次は、代表が決まるまでは前一年次の代表が兼任することになる。つまり、僕だ」
「ええ!?」
当てが外れてがくりと膝を崩したジョミーに、キースは目を細めてにやりと笑う。
「サムと、ジョミーと、二人とも反省文と減点だ。減点は溜まるとペナルティーが科せられるから以後は生活態度に気をつけるように」
「そんなあ。キース、俺とお前の仲じゃないか」
「僕は私的に職務を疎かにはしない」
どうにか手心をとお願いしてみる友人に、ふいと顔を逸らしながらキースの表情は普段のトラブルを片付けるときのような苦々しさはない。
今朝は顔を合わせたときから口数も多く、本当にサムが帰って来て嬉しいのだな、と微笑ましく二人を見ていたマツカの耳に、小さな呟きが聞こえた。
「本当に、相変わらず固い男みたいだな」
「え?」
固い男というのがサムのはずはない。まるでキースを昔から知っているような口ぶりの少年に顔を向けると、視線に気づいたジョミーは友人を指差す。
「ああ、サムから色々キースの話は聞いてるんだ。聞いたままのお固さだよ」
ジョミーの声色も表情も、揶揄するようなものではなく、悪戯小僧のように気安い笑みで、マツカも素直に笑い返すことができた。


「さ、そろそろ学校へ向かわないと、遅刻しますよ。学年代表が遅刻では様にならないのではないですか、キース?」
「む、そうですね」
「いけね!」
年下の少年たちのやり取りを微笑ましいという様子で眺めていた兄が腕時計を指差して、サムは慌ててキースがハンドルを持ったままだった自転車の籠に鞄を放り込む。
「この上遅刻まで重なったらしゃれにならない。ジョミーも急げ!」
「分かってるって……って、あれ、ぼくの鞄……あ、ごめんなさい!」
リオが肩に二つ鞄を下げていることに気がついて、ジョミーは慌てて手を伸ばす。だがリオはそれをやんわりと手で制した。
「学校までは僕が運びましょう。まだ興奮状態で、痛みが曖昧になっているでしょう?」
掌から血が出てますよとハンカチを差し出されて、ジョミーは目を瞬いて慌てて自分の右手を見た。
擦り剥いた程度のそれは酷い出血ではないが、リオが指しているのは他にも痛めている箇所があるのに気づいていない可能性の方だ。
「でも……」
ハンカチを受け取ることに躊躇するジョミーにそれを押し付けて、リオはさっさと歩き出した。年少者たちは慌ててその後ろを追いかける。
「それに、先ほどは丈夫が取り得なんて言って、休学するほどの大病を患っていて丈夫もないでしょう」
「ああそれは、謎の高熱が一週間くらい続いたのが原因で、あとの期間は検査が半分、あと別件で骨折して入院してたのが半分。だから大病ってわけでもなくて」
「あの熱は、おばさんがすごく心配してたよな。でも見舞いに行ったら、お前は本当にピンピンしてて、心配し損だったよ。見舞いの品は食い物にしろってごねてたくらいだったし」
「謎の高熱って……サイオンの暴走だったわけではないのですか?目覚めたばかりのときは力が強い子供などは稀にそういうことが起こるでしょう?」
少し心配そうに伺うリオに、ジョミーは目を瞬いてサムと顔を見合わせる。
「ぼく、ミュウじゃないですよ」
「え……!?」
「ホントホント。マツカみたいな繊細さがこいつにあるように見えますか?」
「サァームー?」
拳を握るジョミーに、サムは笑いながら自転車を押して走り出す。
「本当のことだろ!」
「だからって失礼極まりないぞ!」
「サム!ジョミー!少しは懲りろ!この人込みで暴れるな!」
駆けて行く二人を叱るキースに、くすくすと笑っていたマツカは、難しい表情をした兄に気づいて首を傾げる。
「兄さん?」
「あ、いや、なんでもないよ」
すぐにいつもの柔らかい笑みを見せてマツカの頭を軽く撫でたリオは、先に行った三人を追いかけるように歩き出した。
触れた箇所から、珍しく兄の心が零れて聞える。
『ミュウじゃない……本当に?』
はっと顔を上げてその背中に視線を送ったけれど、なぜ兄がジョミーのことをミュウと疑っているのか、理由までは分からなかった。






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