「ジョミー!あまり遠くへ行かないで」
ひとり楽しそうに公園を駆けて行くジョミーは、聞こえた注意に振り返って大きく手を振る。
「マムー!早く早く!」
『この間、公園を抜けたこの先で事故があったばかりですものね。気をつけないと』
いつもとは違う声色で、けれど母親の声が聞こえた気がして、ジョミーは元気良くサッカーでシュートを決めるときのような仕草で地面を蹴り飛ばした。
「大丈夫だよ!ぼくは足が速いから、車になんてぶつかったりしないさ!」
「まあ」
車と接触しそうになっても、走って避ける自信があるらしい。
子供らしい無茶な発想でまた駆けて行く息子に、思わず苦笑していた母親はふと頬に手を当てて目を瞬く。
「あら……私、あの子に事故に気をつけなさいなんて言ったかしら……?」
最近、こんな風に疑問を感じることが多々あるような気がして、首を傾げた。


薄紅色の花が舞い散る公園に大好きな母と散歩に来ていたジョミーは、ゆったりと花見を楽しむ散歩にすぐに飽きてしまった。
舞い落ちてくる花びらを掴もうとしているうちに、いつの間にかそれが楽しくなってきて、母を置いて走り続ける。
ふと、一枚の花弁が目に付いた。
それぞれ気ままな動きで、それでもひらひらと舞い落ちてくるだけのはずの花弁がなぜか一枚だけ、揺れてどこかへと流れて行くのだ。
その不自然さを奇異に思うより、ただ興味を引かれたジョミーは花弁を追って道から外れて芝生の方へと方向転換して木々の間に駆け入る。
「まあジョミー!だめよ、道から外れてはいけないわっ」
呆れたような母の声が遠くから聞こえたけれど、一枚だけ花弁の滝から逸れたそれを追うのを何故か止められなかった。
「あれを捕まえて、マムにあげたらきっと喜んでくれる」
そう思えるほど、その一枚が特別に見える。なぜかはわからない。でも、そう見える。
ひたすら花弁だけを追って上を向いて走っていたジョミーの目に、白い手が静かに入り込んで、狙っていた花弁をゆったりと握り込んだ。
「ああっ!」
誰かに取られた!
そう残念に、悔しい思いで叫んだジョミーは、それから驚いて目を瞬く。
その手は、大人でも手が届かないような上空を舞っていた花弁を、事も無げに掴んだことに気づいたからだ。おまけに、上から掬い上げるように。
ふわりと柔らかな風がジョミーの髪を撫で、淡い藤色の布がはためく。
音もなく、銀色の髪も美しい、見たこともない綺麗な少年が空から降りて地面に足をつけた。
「やあジョミー。こんにちは」
「こ……こんにちは」
驚いてぽかんと口を開けたまま、それでも挨拶には挨拶を返す。
どうして空を飛んでいたの、とか。
どうしてぼくの名前を知っているの、とか。
風で気ままに動く花びらをあっさりと掴むのはどうしたらできるの、とか。
聞きたいことが色々あって、どれから口にしたらいいのかわからない。ひとつ疑問を抱き、次の疑問が浮かぶと、先に浮かんだ疑問がひどくどうでもいいものに思えて、結局何一つ口にできない。
少年は赤い瞳を眇めて優しく微笑んだ。
「僕は空を飛べるんだ。サイオンを使ってね。ジョミーの名前は、さっき君のマムが呼んでいただろう?それから、花びらを掴みたいときは風の流れを読むといい」
「どうして!?」
ひとつとして口にしていない疑問すべてに答えが返ってきて、ジョミーは驚いて飛び上がった。少年は笑みを深くして、どうしてだろうねと首を傾げる。
「でもジョミー。君だって同じことができるじゃないか」
「ぼくできないよ!」
それが空を飛ぶことか、花弁を掴むことか、言葉にしていない疑問を察することか、どれかわからないまま、どれにしてもできないと拳を握って首を振ると少年は朗らかに笑う。
「できるよ。君はマムの思念の声を聞いていた。それと気づかないうちに、何度もね」
「しねん?」
「そう。君はまだ力に目覚めたばかりだから、一番身近で大好きなマムの声しか聞こえないようだけど……」
ふと、それまで綺麗に笑っていた少年の笑顔が曇った。
寂しそうに見えるその表情に、ジョミーがそっと一歩踏み出して少年の白い手に触れると、すぐにまた優しい笑みを見せてくれる。
「僕の心配をしてくれるのかい?ありがとう、君は優しいね……ジョミー」
「優しいなんて……ぼく、いつも乱暴はだめって怒られてばっかりだよ」
学校で散々聞かされた注意を唇を尖らせて呟くと、少年は声を上げて笑う。
「確かに暴力はいけないね。でも本当の優しさはそれだけとは限らない。守るためにどうしても必要な力というものは、確かに存在する。君の優しさは、人の痛みを労わるその気持ちのことだよ」
言われたことが難しくて、ジョミーは軽く首を傾げた。少年の言葉の意味がよくわからない。
少年は再び笑みを収めて、そして少し寂しそうに小さく呟いた。
「そう……だから僕は優しくない」
「お兄ちゃん?」
綺麗な少年の寂しそうな様子は、萎れた花のようでひどく胸が痛む。
首を傾げて下から覗き込むジョミーに、少年は再びすぐに微笑んだ。
「空を飛んでみたくないかい、ジョミー?」
「空を?さっきのお兄ちゃんみたいに?」
「そうだよ。本当は、君は自分で飛べるんだよ。練習すればね」
「うそだぁ」
「本当さ。でも今はまだできないから、もし君が空を飛びたいなら僕が連れて行ってあげるよ」
少年はジョミーの手の甲をそっと撫でて、木々の間から空を見上げた。
「あの大空へ」
少年と一緒になって空を見上げて、木立の合間から見える吸い込まれそうな青い色に、ジョミーの心は知らず浮き立った。
「本当?」
「ああ、本当さ」
少年は空からジョミーへと視線を戻し、優しく右手を差し出した。その掌には、薄紅色の花弁。
「あ」
「ん?ああ、これか。ジョミーはこれが欲しかったんだったね。どうぞ、これは君のものだ」
「え、でも」
「君のものだ。僕が君にあげられるものは、すべてあげるよ。君がしてほしいことは、できるだけ叶えてあげたい」
「どうして?」
どうして初めて会った少年がそこまで優しくしてくれるのかわからなくて尋ねると、少年は目を眇めて口の端を上げるようにして笑った。
痛みを堪えるような、それとも声を上げて笑いたそうな、不思議な表情。
「……贖罪のため……かな」
しょくざい?と首を傾げても、少年はジョミーにわかるようには教えてくれなかった。
「それと、可愛いジョミーのためなら、何でもしてあげたくなるんだよ」
「可愛くないよ!ぼく、男の子だもん!」
「そうだ、ジョミーは男の子だね。……強い男の子だ。ではジョミー、大空へ散歩に行ってみるかい?」
「行く!」
僅かな迷いは、既にどこにもなかった。強い子だから、空を飛ぶことだって怖くないと言いたかった。
けれどそれも言い訳かもしれない。
見上げた青に魅入られて、ただそこに近づいてみたいと、ジョミーの心は既に空へと向かっていた。







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成人検査での救出劇でない→ブルーがもう少し延命できる(?)
という妄想の元の話。
単に子ジョミーとブルーの触れ合いが書きたいだけとも。