その光は、この世に生まれ出より先にブルーの心に届いていた。
焦燥ばかりが募る日々の中で、それは希望と言う名の輝かしい光を纏い、地上に降りた。
遠く聞こえた産声に涙が止まらなかったのは、歓喜からか、希望ゆえか、慟哭からか。
それは今でもわからない。


手を繋いだ幼子は、初めての生身での飛行に恐れた様子もなくひどくはしゃいでいる。
もう既に高さの恐怖もわからないほどの子供ではない。だが、人の力としては不自然な行動に怯えるほど大人でもない。
ブルーと手を繋ぎ、懐に抱かれて舞い上がった上空の風に心地よさを覚えて素直に喜んでいる、その気持ちが触れた箇所から流れ込んでくる。
愛しい幼子。
生まれたときからこの日、この時までの六年間、ずっと遠くからその成長を見ていた。
本当はもっと遅くに迎えに行くつもりだった。あるいは、もっと早くに迎えに行くべきだったのだろうか。だがそれはできなかった。
ブルーの手を握っているのとは逆の、左手で作られた小さな拳に目を向ける。
ジョミーを誘おうと使った薄紅色の花弁がそこにある。
花弁を風に乗せて、少量のサイオンでこちらにおいでと呼びかけて誘った。
ジョミーのサイオンがまだ目覚め始めていなければ、決してそれに反応しなかったはずだった。あれは最終判断のためのテストだったのだ。
ジョミーは来てしまった。それは何も知らない優しい時間の終わりだというのに。
苦悩がなかったはずはない。だが湧き上がる歓喜も真実だった。
遠くから眺めることしかできなかった眩しい光を、ようやくこの手に掴める。
「ジョミー、見てご覧」
大空での遊泳にはしゃいでいたジョミーは、優しい声で促されて白い手が指差した先を見て、また大きな歓声を上げる。
「すごーい!きれい!」
大空の中、雲の合間から覗く白く浮かび上がる巨大な船体に、幼い子供は不審を抱かず素直に喜ぶ。
「あれはシャングリラ。僕の住まう船だ」
「お兄ちゃん、お空に住んでるの?」
「そう。もうずっとあそこにいる」
ジョミーは輝くような羨望の眼差しで振り返ってブルーを見上げた。
あの船で暮らすブルーには、ミュウたちには、降りたくても降りる地上がない。寄る辺がないゆえに、大空を流れ続けなくてはならないのだと、ジョミーがそれを知るのはまだ先のことになるだろう。
ブルーは白い船体に足をつけると、はしゃぐジョミーを後ろから覗き込んだ。
「さあジョミー。シャングリラに到着だ」
ジョミーはすぐにブルーの腕の中から降りたがる。空を飛ぶ船の甲板を走り回りたいという気持ちが流れてきて、船内までは宥めながら歩いた。恐れを知らない子供は時に自分から危険を招くものだ。
船内に足を踏み入れ、後ろの扉が閉まって外の強風を隔ててから、ジョミーの望むままに船体へと小さな足を下ろしてやった。船に入れば強風や希薄な空気から生身を守るシールドはもういらない。
ジョミーは足を降ろした途端、見たこともない場所に興奮して走り出した。ブルーはその後ろを微笑ましくついて歩くだけだ。
船の奥へ進むと、人間社会の服装で走り回る見覚えのない子供を見つけたミュウたちは一様に驚き慌てたが、その後ろをブルーがゆっくりとした歩調で追いかけているのを見て、奇異に顔を見合わせるだけで終わってしまう。
ソルジャーとして常にミュウたちを率いてきた優しくも厳しい様子は微塵もなく、まるで可愛くて仕方がない我が子か、あるいは孫を見守るような、そんな瞳のソルジャーから大きな異変などの危機を覚えるはずもない。
「ソルジャー!」
そんなブルーに、悲鳴のような声を上げたのは廊下で行き会ったハーレイだけだった。


「その子供はなんですか!」
それまで楽しく船内を見ていただけのジョミーは、現れた大人に上から指を差されて怯えたようにブルーの傍に駆け戻り、そのマントを握り締める。
「大丈夫、怖くない。僕が一緒にいるから」
「ソルジャー・ブルー!」
質問に答えて欲しいというハーレイの怒声に、ブルーは面倒そうに溜息をついて、ジョミーの肩に手を回してマントの中に抱き寄せた。
「この子はジョミー・マーキス・シン。次のソルジャーとなるべき子だよ」
「………は?」
何を言われたのか計りかねて呆然と聞き返したハーレイに、ブルーは苦笑にも似た笑みを浮かべる。
「僕の命はもうすぐ尽きる」
「ソルジャー!」
それは咎めるというより、もはや悲鳴に近かった。
恐怖の感情に染め上げられた思念を受けても、ブルーは自嘲の笑みを消さない。
「これは逃れようのない事実だ、ハーレイ。君もわかっているだろう。もう何年も前から、僕は次のソルジャーを担える者を選ぶことに悩んでいた。誰にならこの宿命を背負えるだろう。誰ならばか弱きミュウたちを導くことができるだろう。ハーレイ、君か?長老たちの誰かか?それともただ一人の指導者というものを無くすべきなのか。しかしそれで果たしてミュウたちは自らが進むべき道を定め、歩み続けることができるか?」
青褪めて言葉を無くす船長に、ブルーは憂いと怒りにも似た絶望を滲ませ緩く首を振る。
だが縋りつくジョミーの背中に手を添えて次に顔を上げると、そこにはもう絶望の色は見えなかった。
「ジョミーがこの世に生まれたとき、驚きと歓喜に震えたよ。見てくれ、この生命力を!」
「この子供が……ですか?」
見たところ、ハーレイに怯えた様子でソルジャーに抱きつく幼子のどこにも、不自由な部分があるらしきものは見当たらない。子供から怯えた思念が流れるだけで、子供がハーレイたちの思念を感じてる様子もない。
そんなハーレイの言葉にしない疑問も、微妙な思念波の変化で感じ取ったブルーはジョミーを抱き上げて目の高さを同じにする。
「そうだよ。ジョミーはどこも悪くない。目も見えるし、耳も聞こえる。言葉も話せるし、両手も両足も不自由なく動く。体力だって人並みに、それどころか同じ年頃の子供の中でならより強いくらいだ。だが僕のサイオンでの呼びかけには応えた。どうだいハーレイ、すごいだろう。ジョミーは完全な人間でありながら、確かにミュウなんだ」
「そんな、まさか!」
「だが事実だ」
ハーレイを見据えて言い切ると、ブルーは再び笑顔に戻って見上げてくるジョミーの深い翡翠色の瞳を覗き込む。
ミュウのことはまだよく知らず、ましてブルーの存在など今日初めて知ったジョミーには、この歓喜は決して伝わらないだろう。
感謝と、感激を込めて。
膝をついて小さな身体を抱き締める。
「お兄ちゃん、マムみたい」
「……君のマムもこうやって、君を愛していると言うんだね」
「うん!」
輝く太陽のような笑顔。ずっと傍に連れてきたかった。もっと長くそれを眺めていたかった。
それは両方とも本音であり、こうしてシャングリラにジョミーを連れ去ってくることに成功して、願いのひとつは叶えられた。
だがもうひとつはどうだろう。
「……ジョミー、君にもう少しの間だけでも、両親と過ごす優しい時間を持たせてあげたかった。これも偽りの無い僕の本心なんだよ」
だがもう時間がなかった。ジョミーの力は目覚め始めていて、テラズナンバー5が動く前に、どうしても連れ出すしかなかった。
もうすぐジョミーは、ここに遊びにきたわけではなく、連れ去られたと気づくだろう。暖かな愛情をくれる両親から引き離されたことを知って悲しむだろう。
大切な時間を引き裂いたのはブルーだと気づけば、恨みを持つかもしれない。
笑顔で、だが心では泣いているブルーの思念を感じてしまったハーレイは、何も言えなくなる。
次代のソルジャーなどと不吉なことを言わないでいただきたい、そう言いたかったというのに。
「さあ行こう、ジョミー。このシャングリラは広い。まだまだあちこちに楽しいところがあるよ」
「本当!?」
抱き寄せた手から解放されたジョミーは、瞳を輝かせて再び廊下を走り出す。ブルーはその後ろについて歩き出し、ハーレイの横を通り過ぎた。
「すまないハーレイ。僕もこの旅から、戦いから、途中で降りることはしたくはなかった。だが燃え尽きる命を留めることは、いかにソルジャーといえど不可能なんだよ」
だから後は、あの輝くような幼子に託す。それが、どれほど残酷なことかを承知の上で。
「僕が一番利己的で、酷い男だ」
生まれたときからミュウだと感じたジョミーの成長を見守ることは楽しかった。傍に行けなくとも、直接に触れることができなくても、愛しさは募る一方だった。
連れ去りたいという衝動を今まで押さえてきたのは、ジョミーに可能性を見出していたからこそだ。
ミュウと人間の掛け橋になってほしい。
そのためには、ジョミーには人間社会を知っていて欲しかった。両親と言う存在とその愛情を覚えていて欲しかった。ミュウの大半は人間を憎んでいたり、あるいは恐れている。それでは歩みよることはできない。
もっと幼い、まだ乳飲み子のうちに連れ去っておけば、ジョミーは両親と引き離される悲しみを知らずに済んだだろうに。
当たり前に与えられたかけがえのないものから、引き離される悲しみを味わうことになるとわかっていて、ミュウの未来のためにと、勝手に時期を見定めていた。
好奇心一杯の目で船内を見回して駆けるジョミーの背中を見ながら、ブルーは痛みに目を細める。
「すまないジョミー……君を選んで」
他のミュウの子供達をシャングリラに連れてきたときは、救出したのだと思うことが出来た。ジョミーのことだって、確かに救出には違いない。
だが彼は次のソルジャーたれと選ばれた。
ミュウたちの未来を、地球への道を、その背に負え、と。
それはどんなミュウよりも、過酷な生になるだろう。
ブルーがそうであったように。


元気に走り回っていたジョミーが、突然足を止めて振り返った。
ブルーはすぐに痛みの表情を消したのだが、ジョミーはブルーの傍に駆け寄ってきて、その腕の中に飛び込んでぎゅっとブルーを抱き締めてくる。
「お兄ちゃん、どこか痛いの?苦しいの?」
反射で抱き返した小さな子供の言葉に、ブルーは驚いて目を見張る。
ジョミーは船を眺めることに忙しくて、ブルーの様子など見てもいなかった。なのにブルーが罪悪感で心を痛めていると気づいた。
「まだこんなに小さいのに……」
まだこんなに小さいのに、ジョミーは無意識にブルーの遮蔽されたはずの感情を感じた。
まだ完全にミュウとして目覚めてもいないのに。
「ジョミー……僕の太陽。僕の希望……」
小さな背中に手を回し、抱き締めて返す。
今までブルーを心配してくれていた小さな子供は、だが次の瞬間に悲鳴を上げてブルーを突き飛ばした。
「ぼくが帰れないってなに?マムは?ぼく、もう帰る!」
強く触れ合ったそのとき、ブルーの心の奥に触れてしまったのだろう。
もう少しだけ……少しでも長く、ジョミーの笑顔を見ていたかったのに。
ブルーは眉を寄せ、誘拐同然の行為を行った自分に対する自嘲を込めた笑みで首を振る。
「だめだよジョミー。君はもう帰れない。帰ってはいけない」
「いやだ!」
ジョミーが両手を握り締めて、悲鳴のように怒鳴りつけたその言葉は、同時に思念波となってブルーに叩きつけられた。
それを防ぎながら、ブルーの心は憐憫と歓喜の両極に揺れ動く。
まだこの歳で、こんな力を発揮するなんて。
まだこの歳なのに、暖かな場所から引き離してしまった。
「いやだ!マム!マム!マム、どこ!?」
母親の姿を求めて走り去るジョミーを、ブルーはゆっくりと立ち上がり見送った。しばらく時間を空けてから迎えに行くつもりだ。
ジョミーはまだ幼くて、それにミュウの自覚もないから、思念を操り意識を遮蔽することはできない。このシャングリラ中を思念で覆っているブルーには、どこにいようと手に取るようにわかる。
胸に手を当て、ブルーは詰めていた息を吐き出して天井を見上げた。
「あの歳で、これほどの思念波を出せるなんて」
罪の意識を覚えても、歓喜に震える心を止めることもまた、できはしない。








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アニメのブルーなのでジョミーを好き過ぎる長。
不思議なことに、この先の苦労するだろうお疲れが
既に見え隠れするハーレイ。