眠ろうと思えばいつでも眠れた。
ジョミーの危惧は大袈裟なものではあるが、確かに最近は身体が疲れやすい。いや、恐らく疲弊しているのは精神のほうだ。それに身体が引きずられている。
―――僕はもう、長くない。
はっきりとそれを告げたのはまだハーレイにだけではあるが、長老たちは誰もがそれを予感している。だからこそジョミーの指導に直接付きたいという我侭を、難色を示しながらも許容している。最後の願いを叶えるためではなく、希望を叶えることでブルーが重荷を一時でも忘れられるようにと。
精神の摩滅による死というのならば、確かにジョミーと共に過ごす時間はそれを引き延ばしてくれるだろう。だが、それだけだ。決定的に近付く死の影を消し去るには至らない。
命を満たす器自体が、壊れかけているのだ。いくら水を継ぎ足そうとそれが漏れる速度は速まっていく一方なのだから。
三百年という寿命が、ミュウとしては長いものか短いものか、それとも妥当なものなのか、それは分からない。ブルーは人類からオリジンと呼ばれる初めのミュウだ。ミュウが自然と死を迎えるであろうおよその年齢など知りようもない。
すぐ傍で、人が身動きをする衣擦れの音と気配がした。ジョミーが焦れている。
眠ろうと思えば、いつでも眠れた。だが眠ればジョミーが行ってしまう。
それがどのような理由と経緯でも、初めてジョミーの意思で、傍にいることを選んでくれたのに。
ベッドの近くに腰掛けて、不機嫌そうな表情でいることは瞼を下ろしていても分かった。
不機嫌な理由も見えてしまう。ブルーの傍に自らいると約束したこと、ブルーを心配してしまう自分に対する苛立ち。
それから。
「……ブルー……眠った?」
時間が経つにつれて、不機嫌な理由に焦れた心が大きく占めて来る。活動的なジョミーにとって、ベッドの脇でただじっと座っていることはかなりの忍耐を要するのだろう。
もし眠っていたら起こさないようにと、ひそひそと小さな声の呼びかけに、このまま眠った振りをするほうが親切であることはよく分かっていた。恐らく今日のところはフィシスの元へ呼び戻されて二人で楽しく過ごすのだろう。ジョミーはフィシスにはよく懐いている。
ブルーは瞼を上げて、僅かに首を捻った。
ベッド脇の椅子にちょこんと腰掛けていたジョミーは、目が合うと唇を尖らせて溜息をつく。
「いちいち目を開けなくていいよ。余計に目が覚めちゃうじゃないか」
「うん、だけど人と話すのに目を見ないのは失礼だ」
「今から寝ようって人が何言ってるんだよ!」
聞くまでもないがそんなに早く出て行きたいのかと思うと、少しがっかりする。
ブルーは目を細めて手を伸ばした。
「……なに?」
「歳を取ると冷えやすくてね。きっとジョミーが添い寝をしてくれたら眠れると思うのだが。子供は体温が高くて暖かい」
「添い寝ー!?」
調子に乗るなと怒鳴られるだろうと半ば以上冗談でのお願いに、予想通りジョミーのご機嫌が更に傾き眉が吊り上がる。
「ならせめて……」
「もういいよ、ここまできたら何をしたってついでだ」
いやならせめて手を握っていて欲しい。そう言うつもりだったのに、ジョミーは椅子を飛び降りるとベッドに登ってきた。
「今何か言った?」
方向転換をしてベッドの端に腰を掛けて靴を脱ぐ。
靴をベッドの下に落としてジョミーが振り返ったときには、笑顔で軽く首を傾げた。
「ついででもジョミーが添い寝してくれるとは嬉しいと言っただけだ」
「さっさと眠って欲しいだけだからね」
「分かっているよ」
ブランケットを捲り上げ、歓迎の態度を示すとジョミーの眉間の皺が深くなる。
「誰がそこまで入るって言ったんだよ」
「添い寝してくれるのだろう?」
ジョミーは無言でブランケットを捲くるブルーの腕を掴んでベッドに押し付けると、中には潜り込まずにその上にゴロリと寝転ぶ。
「おや」
「隣に寝転べば十分だろ」
不機嫌な様子はそのままなのに、布越しに触れる人肌にジョミーの心は安堵している。そしてそれを自覚しながら、これでブルーが眠ってくれるなら簡単なことだからと言い訳をして。
「リオがしているように、抱き締めさせてくれるのかと思った」
「リオはただ狭いから仕方なく……なんでぼくとリオが寝てるときのこと知ってるの?」
「リオのベッドは一般の物だからね。広さを考えればそうだろうと思ったのだが、当たっていたようだね?」
さらりと流れるように答えると、ジョミーはそれで納得したらしく溜息をついた。
他の者の部屋になど、もう何十年も入ったこともない。一般的なベッドのサイズを知っているのは、ジョミーが部屋を移ったその様子を思念波で見ていたからだ。さすがに部屋の中まで覗いたのは初日だけではあるけれど。
ブランケットの上から、小さな手に軽く腕を叩かれる。
「もういいから早く寝てよ。ぼく帰れない」
「ああ、すまない。そうしよう」
ジョミーの方を向いたまま、目を閉じる。柔らかくブルーを叩く手は一定のリズムに添っていて、それがとても心地良い。
ジョミーが幼い頃は、彼の養い親がよくこうやって寝かしつけていた。
それがただ早く眠らせたいだけのものであるにしろ、心地のよい眠りへ誘う方法を、ジョミーが自然と選択したことが嬉しい。
早く眠ってくれないかなという思念の奥に、眠らないと具合が良くならないのにという心が透けて零れる。
優しい子供なのだ。少しは態度が軟化したとはいえ、リオやフィシスに比べれてまだまだ警戒すべき相手と見ているブルーを、それでも心配せずにはいられないような。
だからこそ、残して往くこれからを案じずにはいられない、愛しい子。


『ハーレイ、ハーレイ』
艦長席に座って船の座標を見ていたハーレイは、聞えた思念波に思い切り眉を寄せた。
『なんですか。お休み中のソルジャー』
『うん、僕は今、かつてないほどの穏やかで心満ち足りた時を過ごしている』
分かっていたことだが嫌味などものともしない。
リオから今日はソルジャーはお休みですと報告を受けたとき、何を馬鹿なと一笑に伏した。
具合が悪いそうで、と言われたときはジョミーを後継者になどと言っている理由と重なって肝を冷やしたというのに、リオは「ジョミーがそう信じていて、傍に付き添っています」と苦笑混じりに言葉を続けた。
子供を理由にかこつけて、休みたいだけだろう、そうに違いないと思っていたけれど、メインは特別休暇よりもジョミーだったのか。
半ば予想してはいたけれど。
『君に頼みたいことがある。僕は満ち足りた思いをしているが、その分フィシスの憩いの時間が減ってしまった』
『は?フィシス様、ですか?』
『そう。ジョミーがこちらで眠ってしまったとフィシスに伝えてくれ。恐らくジョミーが青の間を出て行くことを待っている』
『ご自分でお伝えすればよろしいでしょう!』
一体今、何で会話していると思っているのだ。ベッドから一歩も動かずに天体の間のフィシスに話をすることくらい、呼吸同然の行為だろうと呆れ果てると、しばらく沈黙が降りる。
『………僕の女神は今日、なぜかご機嫌ななめだ』
『でしたら私は余計に嫌です!なぜあなたの幸せに伴った良くない報せを私がしなければならないのですか!』
『いや、恐らく怒っているのは僕に対してだから、君ならばそう問題はないだろう。……八つ当たりさえなければ』
『八つ当た……っ』
『頼んだよ』
『ソルジャー!』
勝手なことを言うだけ言って、青の間からの思念波はぷつりと切れた。後はどれだけ呼びかけても、まったく返答がない。
嫌々ながら、伝言をしておかないとより後が面倒になると諦めて思念波送ると、危惧に反して八つ当たりはされなかった。
ミュウの女神は、ミュウの指導者とは違い慈愛に満ちている。
ただ言葉よりも正直な思念波が、寒風吹き荒ぶ冬の海のように冷え冷えとしてはいたけれど。


「これでよし」
どちらにしろ後でフィシスに嫌味を言われるには違いないが、黙ってジョミーを独占するよりは幾分かましだろう。
聞えてくる苦情の思念波は綺麗に締め出した。せっかくの休暇を、ハーレイは一体なんだと心得ているのだろうかとふてぶてしい感想を抱いて溜息さえ漏らす。
添い寝をしていてブルーよりも先に眠ってしまったジョミーの下から慎重にブランケットを引き抜いて、起こさないように気をつけながらジョミーへと近付きその身体を包み込んでしまう。
こんな風に抱き寄せるのは、リオの部屋へ生活の場所を移動してしまって以来の久しぶりのことだ。
「……暖かいな……」
身体が冷えているとは単なる言い訳に過ぎなかったはずなのに、こうして抱き寄せると本当に冷えていたような気になるから不思議なものだ。
「いや……本当に冷えていたのかな」
疲れが引きずられるように、その温もりも、また。
仲間がいる幸せ。彼らを守り導く義務感。
それらは長い間、ブルーに生きる意味と活力を与え続けた。
だが同時に、仲間がいるからこその果てしのない孤独をも、時に思い知らされた。
長い間を共に生きた者も、新たに生まれた命も、助け出した命も、振り返ればそこにいる。
みなブルーを信じて、好意と敬愛を持った目を向け、そして共に歩んでくれる。
そのなんと心強いことか。ブルーは一人ではない。
そしてなんと重いことか。この足は、自分のみを前へ運べばよいのではない。
みなを平等に導くためには、誰かに手を差し伸べれば、すべてに手を差し出さなければならない。だがそんなことは不可能だ。
だから言う。
疲れた者を見つけたら、肩を貸してあげなさい。支え合って共に歩くのだ。
さあ僕についてきてくれ!
ブルーは誰か一人にだけは、肩を貸さない。それではもしものときの身動きが取れない。
だから誰もブルーに肩を貸せるものもいない。
分かっている。これは自ら望んで作り上げた道だ。それが必要だと感じ、自ら作り上げた形だ。
後ろからついて来て、後押しをしてくれる。心強い。それは確か。
だが今、こうして腕に抱く存在を得た今、それまでの孤独がはっきりと浮き彫りになってしまった。もう同じ孤独には耐えられない。
共に過ごす者が大勢いるからこそ、知らなければならない孤独には。
後継者に、人との架け橋に、ただ一人だけ同じサイオンタイプを持つ子供。
ジョミーに手を差し伸べ、この手に抱き上げる言い訳はいくらでもある。次のソルジャーを育てるのだと言えば、周囲に対して、そしてなにより自分に対しての言い訳が立つ。
柔らかな金の髪にそっと触れると、腕の中のジョミーが身じろぐ。
起こしてしまっただろうか。せっかく気持ち良さそうに眠っていたのに。起きればジョミーは行ってしまう。
そんなブルーの焦りに反して、ジョミーは起きて逃げるどころか逆に擦り寄ってきた。
小さな手でブルーの服を掴み、ブルーの傍でしばらく落ち着きなく頭や身体の位置を少しずつ変える。
やがて良い位置を決めることが出来たのか、満足そうな笑みを零してブルーの胸にぴたりとくっついて、穏やかな寝息を再開させた。
「……言い訳は、しょせん言い訳だ」
ジョミーの持つ力が、得た環境が、それだけが理由なら、なぜこんなにも愛しい。
言い訳が本当の理由なら、ジョミーが気にしていたように、彼がミュウでなければ意味がないはずだ。それでも、ジョミーに語った言葉に嘘はない。
ジョミーがジョミーだから愛しいのだ、と。
「なのに僕は君から奪うだけ奪い、押し付けるだけ押し付け、望むことは何もしてあげられない」
ジョミーのたった一つの願い。
マムとパパに会いたい。たったそれだけを、絶対に叶えることができない。
ジョミーがしてくれたように、優しいリズムでジョミーの背中を柔らかく叩く。
せめてこの眠りが穏やかであるように。
腕の中で、ジョミーが言葉にならない寝言を呟き更にブルーに擦り寄る。
微笑ましいその様子に、たまらなく胸を締め付けられる。
ジョミー……僕はそう遠くない先に君の傍からいなくなるだろう。
それでも、君がミュウである運命を受け入れ、一人で立てるようになるまで君を守る盾となろう。
まだ今しばらく、生きてみせる。
その気力は、君がくれる。







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結局ジョミーは青の間でお昼寝タイム。
でもお陰でブルーは気力を補充で、
ジョミーの言う「お休み」に関しては一応バッチリかと。