この世界の国はすべて、国王と歌姫によって護られている。 国王は王都に座して治世を敷き、歌姫は国境から子守唄を歌い国の安寧を祈り捧げる。その歌声は微弱ながらも国を護り導くという。 国王は男。 歌姫は女。 それは決して覆ることのない、この世の不文律のはずだった。 「……キース、今なんて言った?」 食べかけのパンを千切った手もそのままに、ジョミーは間の抜けた声を上げて幼馴染みの少年を見上げた。 朝も早くから森を踏み越え山頂の塔まで押しかけてきた幼馴染みは、そんなジョミーを見て両手を腰に当て深い溜息をつく。 「徹夜明けだからといって寝呆けるな。だから、国王陛下が歌姫の視察に来る、との話が」 「はあ!?こんな辺境まで?王が自ら?」 「そうだ」 「なんの気まぐれで!?」 「知るか、そんなこと」 キースは呆然とするジョミーの状況なんてお構いなしに、テーブルの脇に置いていた紙袋をおもむろに押し出した。 「ど、どど、どうすんのキース!?もし歌姫が男だなんてバレたら村はどうなるの!?」 歌姫は女。 これは決して覆ることのない世の不文律のはずだった。人の手で決められたことではなく、歌姫の能力はその血統の女子にしか受け継がれない。だから世の理だと信じられていた。 それを覆す人物が、キースの目の前で間の抜けた顔をしてパンを握り締めている。 存在してはならない男の歌姫。 だが確かに、ジョミーは歌姫として生を受けたのだ。その禁忌の存在は、歌姫を護るために作られた麓の村で厳重に隠し通してきた。 それはジョミーのためではなく、むしろ村のために。 「最悪、皆殺しだ。罪状はいくらでもある。男の歌姫が産まれたことを王へ奏上しなかったこと。反逆罪に問われる可能性がある。あるいは歌姫が男に生まれた前代未聞の事態は村に罪ありなどと、村の責任になるかもしれん」 「そんな!」 「我々には代わりがいるからな。だがお前は、恐らく殺されはするまい。歌姫は一子相伝だ。本来は女子が受け継いで行くとはいえ、先代が既に亡くなっている以上、次の歌姫が生まれる可能性はお前の子供にしかない」 「ぼくだけ助かっても仕方ないだろ!」 ジョミーはテーブルを叩いて椅子を蹴倒して立ち上がる。 「それに、ぼくだってどうなるか知れたものじゃない。生まれるはずのない男の歌姫が生まれたなら、血筋じゃない家系から次の歌姫が生まれるかもしれないと考える可能性だってあるし、歌姫の血筋が絶えた国が隣国から歌姫を強奪したって話も聞いたことがある。この国の歌姫がぼくでなければならない理由だって、別にないんだ」 「その通りだ。お前がそこまでわかっているなら話は早い。だからこれを持ってきた」 「こ、これ……?」 なんの変哲もない紙袋を目の前まで押し出されたジョミーは、食べかけの皿を脇に避けてそれに手を掛けた。 「こうなってみると、事前に情報を得る態勢を整えていたことが功を奏したというよりあるまい」 しみじみと溜息をついたキースの声を聞きながら、紙袋の中を覗き込んでいたジョミーはしばし理解に苦しんだ。いや、キースの狙いはわかったけれど、理解したくなかった。 「……キース君」 「なんだ」 「袋間違えてないか?カツラと女物の服しか入ってない」 「間違えてなどいない」 「これが秘密兵器?」 「秘密兵器とは一言も言ってはいない。苦肉の策だ」 「ぼくに女装しろっていうのか!?」 テーブルに袋を叩きつけるつもりで大きく振ったら破れてしまった。裂けた紙袋から零れた中身は、腰まで届きそうなほどの長い金色の髪のかつらと、薄い緑色の飾り気のない膝丈のワンピース、それに合わせた同色の靴が一揃え。 「不満なら別の策を考えてみろ。歌姫が男であることを誤魔化す術が他にあるか」 「国王がいる間だけ、スウェナに歌姫のふりをしてもらえばいいじゃないか!」 今は村にいるであろう、女の子の幼馴染みの名前を挙げる。スウェナはジョミーと同じ年なので、外見的にももっとも誤魔化しが効きやすいはずだ。 「王が一目歌姫を見て帰れば、あるいは村に滞在すると言うのならそれでも構うまい。だがもしもこの塔に入るところまで見届けるとしたらどうする。塔から出てくるのを待てばどうなる。一度スウェナを歌姫として紹介してしまえば、スウェナを塔に入れるしかない」 「どうせキースたちはぼくが本物か偽物かなんてわからないくせに!歌姫を見分ける……その声を聞き分けることが出来るのはぼくと同じ歌姫だけだ。王だってわかるはずないよ。一晩くらいならスウェナが歌えば誤魔化せる!」 「一晩で済めばな」 溜息をついたキースは腕を組んで、眉を寄せた不愉快そうな表情で窓から外へと視線を転じた。 「え………でも、だって、国王なんて忙しいんだから、一日か二日、精々三日くらいで出て行くんじゃないか?」 「元々、王が国境まで歌姫の視察に来たこと自体が異例だ。即位したばかりの王の気まぐれならいいが……あるいは何か理由があるかもしれん。そうなれば目的次第でどうなることか」 「やめてくれ。そんな不吉なことを言うのは」 ジョミーはワンピースを掴んでテーブルに突っ伏した。 歌姫は居住兼用のこの塔の最上階に登って、毎晩一晩、国の中心地である王都に向かって子守唄を歌い続けるという過酷な役目を負う。歌姫にとって歌うことそのものは苦にはならないが、歌姫でない者には到底果たすことはできない。 数日くらいなら村の命運を背負ってスウェナも歌うだろうけれど、もしも国王が長期滞在するなどということになれば、彼女の喉が壊れてしまう。 そうして、もしジョミーが歌姫として王と会うのなら。 「一体ぼくはどれくらいの間、女装しなくちゃいけないんだ」 「さあな」 発案者のくせに、幼馴染みはどこまでも無情な男だった。 ジョミーは肩を落として、破れた紙袋ごと中に入っていたものを手に、二階の寝室へと向かった。 「これも村のため、ぼくのため、キースのため、スウェナのため、サムのため……」 屈辱だ、こんな格好は屈辱だ。大体、いくらそれが役目の名前だとはいえ、普段から「姫」だなんて呼称のつく役目についていること自体が面白くないというのに。 キースが持ってきた女装セットをすべて身につけていやいや一階まで戻ると、待っていたキースが盛大に顔をしかめた。 「……おい、ジョミー。もう少し真面目にやれ」 「大真面目だよ!君の持ってきたカツラも被ったし、ワンピースも着てるだろ!?」 「ただ被るだけの奴があるか!せめて櫛で梳かすくらいはしろ!それに化粧道具も入れて置いたはずだ」 渡された女装道具一式を、本当にただ「着ただけ」のジョミーを見るなり、キースは頭痛を覚えたように額を押さえて首を振る。 「化粧の仕方なんて知るもんか!」 「僕も詳しくはないが、どうせこんなことだろうとスウェナにコツは聞いてきた。こっちに来て座れ」 椅子を引いて待っているキースに、ジョミーは肩を落としながら渋々と従った。 「………キースってさ……無駄に凝り性だよね」 「無駄とはなんだ。やるならとことんやれ。決して疑いをもたれないように、だ」 何かの液体を両手につけて馴染ませたキースに顔を思い切り擦られて、ジョミーは目を閉じながら椅子を握り締めた。 「うわっ……なに……、これ……?」 「化粧水、美容液、乳液、最低限これだけは塗れということだ。下地の色粉を広げてから……」 「こんなの毎日やるのー!?」 「そうだ。自分でもできるようになれ。ほら、喋るな」 「……一日で帰れ、国王……」 「そう長くは滞在できない。恐らく二、三日くらいになると思う」 歌姫を護る役目を負う山の麓の村から、歌姫が暮らす山の塔までの険しい道のり。案内する村長からの控え目の質問に、年若き国王ブルーは軽く答えた。 相手がほっと内心で胸を撫で下ろしていることは気づいていたが、特に咎めるようなことでもない。国王なんて厄介な珍客は早々に帰ってくれるに越したことはないに決まっているからだ。 それにしても、先を歩く村長は肩で息をして随分とつらそうだ。それほど歌姫の塔は険しい山の奥に立っていて、そして歌姫はそこからほとんど降りてくることもないという。 普段は村長の息子や村の若い者が塔まで交代で物資を運ぶということで、村長は最初、王をそんな場所にお連れするわけにはいかないと歌姫との面会を強く止めた。 国境の近くという辺境の、さらにその奥地で暮らす歌姫。今は先代の母親を亡くしているということだから、本当に正真正銘一人きりだ。 「………ろくな仕組みではないな」 「は、何かございましたでしょうか」 村長が額の汗を拭いながら振り返ると、ブルーは少し考えるように首を傾げた。 「……今の歌姫は、いくつだったかな」 「今年で十四になります」 「そう……」 それでは、そろそろ次の歌姫を望まれる歳になる。 山道を踏みしめる足も力強く歩く王の後ろ姿に、後に従う若い従者は息をついた。 「悪習は改めるべきだ。そうは思わないか、リオ」 この春、先王である父親を亡くし即位した新王ブルーはそう言ってタブーというものを作らなかった。 元老と王族で綱引きをする議会の形を大きく変えるなど、王宮内で様々な改革に乗り出し、現に一定以上の成果を上げている。 若い王は、身の回りの問題を取り上げる傍ら、この世界の不文律とされている歌姫の制度にもいい顔をしなかった。 歌姫の子守唄が国を護るという話は、決して御伽噺ではなく現実に歌姫の歌にはそれだけの力があるとされている。 だがそれは決してなければならないというものはない。王の治世が揺ぎ無ければなくても問題はない。ブルーはそう考えている。 歌姫が暮らす塔の近くに作られる村は、歌姫を護るために人を集めた場所だ。だが彼らは、同時に歌姫の看守でもある。 歌姫は、塔で産まれ塔で暮らし塔で死んでいく。一生そこから出て行くことは許されない。 それゆえに、歌姫が逃げ出さないようにと監視を兼ねている。 また代々、歌姫の血筋が途絶えないようにとすることも彼らの役目だ。歌姫は女子限定の一子相伝であるために、父親の出自は問われない。歌姫の血筋を護るためなら、彼らはどんな手段を用いることも許されている。そうして、歌姫を護り監視することで様々な特権を得ているのだ。 国の守護者と持ち上げる傍らで、その存在を道具と見なす。それが歌姫制度の根幹に横たわっている。 潔癖な王は、それが我慢ならない。 「本当に必要なものかどうか、この目で確かめる」 そう宣言したブルーは、リオを始めとする僅かな従者だけを連れて電撃的に歌姫の村を訪れた。 だが村人達はそんな、この世の決まりを覆すようなことを王が考えているなど思いもよらないだろう。ただその訪問に戸惑っているだけだった。 「そ、そろそろです」 息を切らせた村長が振り返らなくても、塔はかなり近付いていた。 木々が頭上を覆う山道を抜けると、空高くそびえる塔がポツリと立つだけの、殺風景な平地がそこにはあった。 「………こんなところに一人で……」 噴出す汗を拭い息を切らせた村長の横で、ブルーは嘆息を漏らした。 そのとき、塔の扉が開く。 はっと視線を向けた先で扉を潜って現れたのは、予想に反して黒髪の若い少年だった。 「父さん、どうして……後ろの人たちは」 「キース!畏れ多い。こちらは国王陛下であらせられる。う、歌姫はどうした。このお方は歌姫に会いに来られたのだよ」 村長は落ち着きなく汗を拭いながら、ちらちらとブルーを横目で伺い、何か怯えた様子で塔を伺っている。 護っているとはいっても、看守と囚われの少女の間柄だ。あまり気安い仲ではないのかもしれない。 「歌姫は昨夜の役目を終えて、今から眠るつもりのはずですが」 「そ、そうか。歌姫は夜通し歌い続けるからな」 なぜか村長は少し安堵したようだ。 何か歌姫と自分を会わせたくない理由でもあるのかと、ブルーは僅かに目を細める。 今年で十四歳になる歌姫。そろそろ後継ぎを望まれる歳だ。 少女が一人暮らす塔から、朝も早くに出てきた同じ年頃の少年。 「………では、歌姫には会えないということだろうか?」 普段はあまり使わない、威圧的な声と冷たい目を村長に向けると、その身体が怯えたように震える。 「い、いえ、そのようなことは……いえしかし……」 「ご心配には及びません。歌姫を連れてまいります」 慌てる村長とは対照的に、その息子は感情を伺わせない鋭利な目で塔を振り向いた。 そこで、もう一度扉が軋む。 開いた扉の下から、ことりと音を立ててパステルグリーンの靴と同色のスカートの裾、そして白い足が覗いた。 小さな足はゆっくりと階段を踏みしめて扉の影からその姿を現す。 現れた少女は、朝の光を背に浴びて透けてしまいそうな金の髪を風になびかせ、澄んだ湖底よりも深い翠の瞳で、ひたとブルーを見据えた。 傍らに立つ少年の肩ほどの身長と、ほっそりとした四肢の華奢な身体。 こんな少女の歌声が、遥か遠く離れた王都まで届くなんて信じられない。 「………君が、歌姫?」 「はい、陛下」 その声は、いっそ儚げな容姿とは裏腹に、はっきりとした音をブルーの耳に届けた。 なるほど、これはしっかりと意識を保たねば、思わず引き寄せられる声色だ。 これが歌姫の声なのか。 少女がゆっくりと腰を屈めて礼を取ると、柔らかそうな髪が肩を流れて落ちた。 「名前は?」 「ジョミーと申します」 「そう、ジョミーか。ではジョミー、私は君と話がしたい。君の塔に招いてくれるだろうか」 「この国で、陛下を拒む場所がありましょうか。見苦しいところではありますが、どうぞ」 流れるような美しい声とその姿に、すっかりと目を奪われた王と従者たちは、自分達の横で村長が目を白黒させて泡でも吹き出しそうになっていることに、まるで気づいていなかった。 |
マンガ「歌姫」のパロディー(設定だけ。筋は全然違います^^;) オチは既に読めたものですが、ゆるゆる続きますよ。 |