広間から逃げ出したジョミーは自分の部屋へとジャンプした……つもりだった。 「くそっ!ニナもルリも航海長も!」 いいように遊ばれて悔しいやら、恥ずかしいやらでギリギリと奥歯を噛み締めて飛んできた場所。そこが自分の部屋ではないと気づくまで一瞬どころか半瞬すらも必要はなかった。 それは個人の部屋ではなかったからだ。 距離があったからか、慌てていたからか……恐らくその両方で、完全に到着地点を誤ったらしい。 驚愕のあまり、テレポートの終わりで床につけた足に踏ん張りが利かず、そのまま派手に床に転んでしまう。 「ジョミー!」 いきなりテレポートで現れたジョミーに驚いていたのは目の前の相手も同じだったが、ジョミーが床に転がったことで助け起こそうと咄嗟に手を伸ばす。 ハーレイの驚愕の声に、ブリッジにいた面々が一斉に後ろを振り返った。 そこには、いつもの上着もマントも着けず、黒いアンダーシャツだけで床に尻餅をついたジョミーの姿と、手を差し出したまま固まったように動かないハーレイと。 「な……なんという格好をしているのだ、あなたは!」 「わーっ!!見るな、ハーレイっ」 強引にルージュを塗られた挙句に、髪留めまでつけられた姿を見られた恥ずかしさのあまり、立ち上がり様にハーレイに背を向ける。だがそのせいで逆にブリッジにいた全員にその姿を見せるはめになってしまった。 一様に息を詰めた面々と正面から相対することになったジョミーは、まるで火がついたように顔を真っ赤に染める。 「最悪だっ!」 誰にも見つからないうちに部屋に戻りたくてテレポートしたのに、結果的に自分から人の多い場所へ飛び込んでしまった。 泣きたくなるほどの羞恥を抱えて、その一言を残してジョミーが再び姿を消してからも、しばらくの間ブリッジで動く者はいなかった。 どうしてぼくは学習しないんだろう。 ジョミーは次に出た場所で呆然と座り込んでしまった。 慌ててテレポートをしてルージュをつけたままブリッジに出るという醜態を晒したのに、再び逃げるようにジャンプした先も個人の部屋ではあったが、ジョミーの部屋ではなかった。 突然ベッドの上に現れた闖入者にもそれほどの驚きを見せずに、部屋の主はゆっくりと身体を起こす。 「やあ、ジョミー。今日は随分と荒っぽい訪問だ……ね……」 その軽口以上に甘い声で、とんでもない訪問方法でもジョミーならば大歓迎の様子を見せていたブルーは、起き上がってその姿を見た途端に動きを止めた。 テレポートで現れても驚かないくせに、ルージュを引かれて髪を留められた姿を見たくらいで自失状態になるなんて、ブルーの基準がわからない。 「こ……これは子供たちと航海長に!」 「ブラウ?」 情けない姿を見られたと、ジョミーは泣きたい思いで乱暴に髪留めを掴み、手の甲で唇を拭う。 「いたっ」 「ああ、そんな強引に引っ張るから髪に絡まっている。少し待ちなさい」 ブルーは髪留めを引っ張った手と、何故か唇を拭った手まで掴んで下に降ろさせて、それから絡まった髪留めに手を伸ばす。 「なるほど、ブラウの仕業か。彼女は話がわかるが、その分だけ洒落までわかりすぎるときもあるからね」 「何が洒落だよ!ぼくに口紅を塗るって子供たちがふざけているとろこに広間に入ってきたと思ったら、助けてくれるどころか子供たちのほうに手を貸したんだ!リオに助けを求められないように、用事まで言いつけて広間から追い出すしっ」 「しかしリオもよく素直に従ったね。あの子はいつも君を第一に優先するのに」 「ぼくが寄って集って子供たちに乗り上げられて押さえつけられたからね……どう止めればいいか困ってたし、そんなところに航海長は長老命令なんて言い出したんだ」 「やれやれ……困った女性だな……」 ブルーは溜息をつきながら丁寧に髪留めに絡まったジョミーの髪を解いていく。 「それにしても、すごい格好で飛び込んできたから何があったのかと驚いたよ。子供たちとブラウの仕業なら……まあ良かった」 「まったく良くない!」 こんな姿をブリッジにいた面々に晒した挙句、結局ブルーにも見られてしまった。恥ずかしいし情けないし、ジョミーは悔しくて滲みそうになる涙にぐっと奥歯を強く噛み締める。 「君は……そんな格好で君が飛び込んできたときの僕の焦燥なんて……わかっていないのだろうけれど」 ジョミーの髪を千切ってしまわないよう、注意しながらゆっくりと引いて蝶の形の髪留めを外したブルーは、その髪にキスを落として恨めしげに涙を浮かべて目で睨み上げてくるジョミーに苦笑した。 「誰にされたかで、まったく意味が違うじゃないか」 髪留めを脇に置き、再びジョミーに向かって伸ばされた手は、今度は胸に触れた。 ブルーの掌の感触を直接肌に感じる。 そうやって触られて、ルージュどころか服まで脱がされかけていたことを思い出して、ジョミーはぐったりとした様子で肩を落とした。 「航海長が女の子の制服を着せるなんて言い出して、よりによってリオに取りに行かせたんだ!信じられないよっ」 「それは少し惜しかったような気もするな」 「……今なんて言った?」 じろりと強く睨みつけても、ブルーはにこやかな笑顔でまったく動じた様子もなく繰り返す。 「女性クルーの制服だって、ジョミーになら似合うよ」 「男のぼくが着たって気持ち悪いだけだろ!?」 「そんなことはない」 ブルーは楽しそうに笑いながら、ジョミーの胸に触れていた手を下へと滑らせる。 掌全体で柔からに触れる掌は温かくて心地良くて、少しくすぐったい。アンダーシャツが開いていた臍の上まで肌を辿った熱は、そのまま中へと滑り込んでいく。 「ちょっと……待って……!……ブルー!」 それ以上は侵入してこないように慌てて手首を掴むと、ブルーはくすくすと笑みを零し身を乗り出してジョミーとの距離を詰めて顔を寄せる。 「ジョミーの肌は絹のような手触りで、美しく瑞々しい。綺麗なものを見せるとは悪いことではない」 「………あなたの言っていることは、ときどきまったく理解できない」 美しいとか綺麗とか、ブルーが言われるならともかく、自分が形容される言葉ではないと信じているジョミーには、照れるよりも呆れ返ってしまう美辞麗句だ。 「おやそうかい?けれど、美しいものは独占したくもある。人の業ともいうべきものか。もし女性クルーの制服を着ることがあれば、ぜひ僕の前だけにしてくれたまえ」 「それが嫌で逃げ出して、間違えてブリッジにテレポートしちゃったんだよ?絶対に着ないっ」 拳を握り締め、それだけはありえないと強く力説したジョミーに、ブルーの笑顔が一瞬凍りついた。 「………ブリッジに?その格好で?」 「そうだよ!ハーレイにも、ブリッジにいた他のメンバーにもすごく呆れられたんだっ」 屈辱だと握った拳を震わせるジョミーに、ブルーも顔を逸らしながら膝に掛けていたブランケットを握り締める。 「それはハーレイたちの態度がよくないな。ジョミーは子供たちと女性に怪我をさせないように無抵抗だったというのに」 「ブルー……」 あなたならわかってくれると思った。 からかったり笑ったりしないで、そうジョミーの無抵抗を誉めてくれたブルーに思わず感動していると、アンダーシャツの下に潜り込みかけていた手が引かれた。 シャツの下に進むのではなく、外に出るなら止める必要はない。 ジョミーが素直に掴んでいた手首を離すと、自由になったブルーの手は主の元へは帰らずそのまま上へと上り、顎から頬を撫でるようにしてジョミーの顔に添えられた。 「ジョミー、強引に拭ったからルージュがはみ出てしまっているよ」 「う……」 鏡が無いから見えないけれど、一回擦っただけは拭えていなかったかと再び上げた拳は、頬を撫でているのとは逆のブルーの手でやんわりと止められる。 「甲にもルージュが移っている。そうやって拭うと更に大惨事だ」 「……顔を洗ってくる」 「女性の化粧品は通常の石鹸や水だけでは落ちにくいよ」 ベッドから出て行こうと腰を浮かしてすぐに、ブルーに手を引かれて再び腰を降ろすことになる。 「えーっ?じゃあもしかして、航海長のところに何か専用の石鹸とか借りに行かなくちゃいけないの?………面倒くさい」 ジョミーは眉を寄せて難しい顔で考える。面倒なこともあるが、それ以上にここでせっかく逃げ出したブラウの元へ帰るのは大馬鹿者の所業のように思えたからだ。 「じゃあエラ女史に借りに………この顔で行きたくないな……フィシスのところに行こうかな。アルフレートがいなければいいんだけど……」 できるだけ遭遇する人数は少なくしたい。いい方法がないかと考えるジョミーに、ブルーはまるで他意のない笑顔で、握っていたジョミーの手の甲を撫でた。 「よければ僕が取ってあげようか?」 「え……それは、そうできたら嬉しいけど」 けれど、どうして女の人の化粧を落とす専用のものをブルーが持っているのだろう。 ニナが手にしていたピンク色のルージュを思い浮かべ、ジョミーはじっとブルーを見つめた。 ブルーなら文句なしで似合いそうだ。似合いそうではあるが……。 「ジョミー、誤解しないように。僕は取ってあげると言ったのだよ?」 少し呆れたように笑われて、ブルーが化粧しているのだろうかと一瞬でも疑ったジョミーは誤魔化すように笑って首を傾げる。 「でも、落ちにくいって言ってたのに、何を使うの?」 「簡単だ。誰でも持っている物を使って、だがジョミーには僕にしかできない方法だよ。おいで」 手の甲を撫でていた手に引っ張られて、それに逆らわずに腰を浮かすと引かれるままに膝を付き合わせるほどの距離にまで詰める。 「ルージュを落とし易いように、少し唇を開いて」 顎の下に添えられた指に少し上を向かされて、それまで素直になすがままだったジョミーは頬に熱が篭るのを感じた。 ブルーを見上げる角度が、まるでキスをするときのような体勢だと思い起こさせたからだ。 「ブ、ブルー……」 近づいて来る端正な顔に、上擦った声が漏れる。 「恥ずかしければ目を閉じるといい」 それこそキスと同じじゃないか。 ブルーの意図に気づいたときには、既に唇が重なっていた。 騙されたのかとブルーの胸に手をつくけれど、舌が唇を辿るとぞくぞくとしたものが背中を駆け上ってきて気持ちがいい。 「ん……」 それから、舐めたところをブルーの唇が食むように柔らかく辿る。 「ふ……っ………ま……って」 「じっとして。すべて取ってあげるから」 角度を変えて口付けを繰り返されて、ジョミーはぼんやりとする頭でブルーの言葉を繰り返していた。 じっとして。すべて取ってあげるから。 そうか、ブルーは騙したわけじゃなくて、これが化粧専用の石鹸を使わないルージュの落とし方なんだ……。 素直にそう信じた少年は、気持ち良さも相まって言われるままに目を閉じてそれを受け入れた。 何度も繰り返される口付けに、ようやくブルーが離れたころにはジョミーの頬は赤く上気して、瞳も蕩けるように潤んでいる。 「気持ちよかったかい?……ではなくて。すべて取れたよ」 つい本音を零しかけたブルーが軽く言い直しても、吐息をついて余韻から抜け切れていないジョミーの耳には、正しく意味を理解するようには届かなかった。 「取れた?ありがとう……」 惚けたようにうっとりとブルーを見上げていたジョミーの手が、見上げたその人の唇に伸ばされてそっと触れる。 「でも、ブルーの唇に少し移っちゃってる」 「では今度はジョミーが取ってくれるかい?」 「……うん」 ぼくのせいで移ってしまったのだから、ぼくが取るのは当然だ。 少年は健気にも頼まれるままに、ブルーと同じようにして返そうと努力した。 子供たちの悪戯にはほとほと困り果てたけれど、持ち物は返しておかなくてはいけない。 さんざん子供たちに遊ばれて乱れていた服を調えて青の間を後にしたジョミーは、マヒルに蝶の髪留めを返そうと広間に向かった。 同じ轍は踏まない。今度は一斉に子供たちに取り付かれることだけは避けようとシミュレートしながら歩いていると、ジョミーの上着とマントを両手に掛けたリオと、一緒にいたブラウと出くわした。 『ジョミー!ご無事ですか!?』 「ぶ、無事って?」 血相を抱えて駆け寄ってきたリオの剣幕に驚くジョミーに、ブラウが苦笑しながら手を振る。 「あんたが消えたあと、ブリッジから蜂の巣を突いたような思念が大量に流れてきてね。心配しなくっても、ソルジャー・ブルーのご機嫌を損ねるような真似をするやつはこの船にはいないって言ってやったんだけどねえ」 どうしてジョミーが悪戯されたことを笑ってブルーの機嫌が悪くなるのか。 首を傾げたジョミーのわかっていない様子に、ブラウは笑いを噛み殺しながら軽く肩を竦めた。 「それにしても、取っちゃったんだね、どっちも」 手の中の髪留めと、唇のルージュと。 苦笑されてジョミーは僅かに頬を染めながら、ふいと顔を背ける。 「ソルジャーに取ってもらった」 「おや、ソルジャーに見せに行ったのかい」 「間違えてテレポートしただけだ!」 誰が自分から遊ばれた跡を見せにいくものかとジョミーは唇を尖らせる。 リオに渡された上着に袖を通しながら、ジョミーは小さく愚痴を零した。 「あんな恥ずかしい方法しかないなんて」 「恥ずかしい?」 髪留めを解くのと、ルージュを落とすのと。 どちらも特別恥ずかしい行動は必要なかったはずだとブラウが問い返すと、ジョミーはかっと頬を染める。 「それは……!化粧を落とす石鹸を持ってるあなたはいいだろうけどさ!ぼくはブルーに取ってもらうしかなかったから……っ」 手の甲で拭うような仕草で唇を隠したジョミーに、何があったのか大体のところを理解したブラウは、呆れたような、感心したような、自身でも区別のつかない息を吐いて天井を見上げた。 「さすがソルジャー……チャンスは逃さない……」 そう呟いたブラウに首を傾げたジョミーは、次の瞬間に響き渡った悲鳴のような思念に反射的に耳を塞いで振り返った。 「今の……ブリッジ?」 何かあったのかと、踵を返して走ろうとしたジョミーの肩をリオが掴む。 『ジョミー』 「なに、リオ!?ブリッジでハーレイの悲鳴が……」 焦る様子のジョミーにマントをつけてあげながら、リオは真面目な顔をして純真すぎる少年を注意した。 『悪い大人の言うことを、鵜呑みにしてはいけません』 |
この後、ブラウは子供たちに 「ジョミーにルージュを塗ってやれば、 ソルジャーに誉めもらえるよ」 と吹き込みそうです(笑) |