あの子の感情の豊かさには目を奪われる。
太陽のように眩しい笑顔も、覚えた怒りに眉を吊り上げる表情も、失敗を悔やんで唇を噛み締める様子も、悲しみ憂いを含んだ儚い姿も、すべてすべて愛しい。
「特にジョミーが悲しみを堪えているときの様子は、抱しめて慰めたくなるほど胸が痛い。泣かせずにいられたらそれが良いに決まっている。しかしあの憂いを帯びた瞳の色気は息を飲むほど美しい」
色気?
農業施設班からの報告書を読みながら、隣でとうとうと語られる「ジョミーの魅力」を軽く聞き流していたハーレイは、思わず書類から顔を上げて不審な目を、敬愛するソルジャーに向けた。
最近妙な言動が目立つようになった麗人は足を組んで椅子に腰掛け、うっとりとまるでそこに愛しい子がいるような目を手にしたグラスに向けて、テーブルに頬杖をついている。
その姿は、語っている内容さえ聞こえていなければ、一枚の絵になりそうな光景だと思う。
語っている内容さえ、聞こえてこなければ。
調子がいいからと珍しく青の間を抜け出したブルーの本当の目的は、ジョミーの様子を見に行くことだった。
ところが当のジョミーに、大人しく寝ていてくださいと怒られて講義室から追い出され、仕方なしにそのままハーレイの私室に転がり込んできた。
「僕のジョミー」の話をするために。
ハーレイがブリッジから私室に戻っていたお陰で、この姿を他のクルーに見せずに済んで幸いだった。だがそのせいでジョミー語りに歯止めが利かないのは不運なのかもしれない。
主に、ハーレイにとって。
だから大人しく寝ていろと言われたのではなかったのですか?
ハーレイはわざと思念を漏らしてみたが、ブルーはそれをものの見事に無視をして語り続けた。もう好きにさせようと右から左へと聞き流していたのだが、色気という単語に思わず反応してしまう。
どこをどう見たら、あの少年から色気を感じるのだろう。
ブルーの意志を継ぐと心を決めてからのジョミーは一生懸命で、好意に値するとは思っている。
しかし色気?
怒ったり、感情的に喚いたり、大声で笑ったり、くるくるとよく変わる表情と元気一杯な様子を、可愛いと形容するのはわかる。それはハーレイも同感だ。
しかし色気……。
「……ジョミーは確かに可愛い。だがハーレイ、僕のジョミーに邪な目を向けることは禁じる」
あなたではあるまいに、そんなことわざわざ禁じられなくても。
自分から話を振っておいて、ハーレイが考え込むと妙な牽制をしかけてくる。
ハーレイは書類を手にしたまま、どっと疲れて肩を落とした。
「そう……ジョミーは可愛い。最近は若い世代を中心にジョミーの可愛さに気づき始めている節がある」
ジョミーの懸命さに触れて、仲間として受け入れ始めている節がある、の間違いでは。
どうしてこの人は、ことジョミーの問題となると自分の基準でものを見るのだろうか。周囲からすると非常に迷惑だ。
「ソルジャー・ブルー。それは我々にジョミーを『ソルジャー』としての受け入れる覚悟が出来てきたということではありませんか?」
「それならばいいが、どうも最近はジョミーの笑顔が惜しげもなく振り撒かれることが不安でならない」
暗に邪なのはあなただけだと言ってみても、頑迷な心は受け入れようとはしない。
「……よろしいではありませんか。彼が周囲と打ち解けてきた証拠だ」
「そう。それは喜ばしい。ジョミーを信頼できるということは皆にとって、皆に心を開くことができるということはジョミーにとって、とても喜ばしい」
「でしたら」
「だから、問題は僕の心ひとつというわけだ」
意外な言葉に目を瞬いた。
グラスを片手に弄びながら、頬杖をついたブルーの表情は少し拗ねたような様子で目を細めている。
どうやらわかっていないようで、自分の悋気に気づいてはいたらしい。
ハーレイは苦笑を漏らして溜息をつく。
「ジョミーが自分以外の者に心を開くことがご不満ですか」
「………認めたくは無いが、そういうことになるのだろうな。いや、それ以上に喜ばしいと思っていることも事実だ。だが……」
つまらなさそうな目で眺めていたグラスをテーブルに置くと、ブルーは藤色のマントを翻して立ち上がり、ドアへ向かいながら自嘲を込めた声で小さく呟きを漏らした。
「長く生きたつもりだったが……こんなに矛盾すらも整合できない」


「……ジョミー、少し落ち着きなさい」
ヒルマンはスライド映像を止めて、部屋の明かりの光度を上げた。
画面を眺めながら頬杖をついて、イライラとしたように足の先で床を叩いていたジョミーは、目を瞬いて姿勢を正す。
「いきなりどうしたの教授。ぼく別に居眠りもしてないし、落書きだってしてないよ」
アタラクシアでのジョミーの授業態度が知れる発言に、ヒルマンは苦笑を漏らして首を振る。
「私は落ち着きなさいと言ったのだよ。一体何がそんなに気になるのかね」
ジョミーは虚を突かれたような顔をして、それから顔を赤く染めた。言われたこととまったく違う答えを返していること自体、話を聞いていなかった証拠だ。
「別に……」
「別にと言って、集中できないようでは君が困るのではないかね」
言葉を濁したジョミーは、ヒルマンを見て、壁を見て、扉を振り返り、やがて机に置いた手を組むと、俯くようにそれだけを見つめる。
それでも口を開くまでにはまだ少し間が空いた。
「ソルジャーは……」
「ソルジャー?」
講義とはまったく関係の無いことを考えているのはわかっていたが、意外な名前にヒルマンに少しだけ緊張が走る。
ソルジャー・ブルーは先ほど、今日は調子がいいからジョミーの講義中の様子が見たいと顔を出してきた。それをちゃんと寝ていてくださいと追い返したのはジョミーだ。
あれは居心地が悪かったのだろうと思っていたのだが、ジョミーにはなにか感じるところがあったから追い返したのかと、少しだけ不安を覚えたヒルマンの様子に、俯いたままのジョミーが気づく気配は無い。
「………怒って、ないかな」
ぽつりと呟かれた言葉に、ヒルマンは口を閉ざした。
一瞬でも心配しただけに、ジョミーの気がかりには力が抜けそうになる。
大事にしている子供に追い出されて落ち込んでならいるかもしれないが、あれくらいでは間違ってもジョミーに対して怒りなど感じてはいないだろう。
ヒルマンの沈黙をどう解釈したのか、ジョミーは組んだ両手にそっと溜息を落とした。
「だって、心配だったんだ。今日は元気だからって無茶をしたらまた寝込むかもしれないし、あの、それに……教授には悪いけど……ぼくはあまり勉強が得意じゃないから……余計にソルジャーに心配を掛けそうな気がしたし……」
「得意でないなどと、そこまで卑下するほどではないと思うが」
実技は得意でも、じっと座るタイプの講義については、とても飲み込みが早い生徒とは言えないかもしれないが、ジョミーはいつも学ぶことに真摯な態度を見せている。それは十分良い生徒の資質だと考えている。
時に古い歴史を学ぶことの意義に疑問を覚えて反発することはあるけれど、それも無闇な反発ではなくて、そこに「意味」を見出そうとする考えがあるからの不満だ。
ソルジャーは心配するどころか、後継者のその姿を見れば安心すると思うけれど、ジョミーは違うと考えているようだ。
本人が違うと考えている以上、何か納得できる理由がなければどうしようもないだろう。
さてどう説得すれば納得するだろうかと言葉を捜していると、ジョミーは組んだ手の親指同士を擦り合わせながら、ぽつりぽつりと話を続けた。
「ソルジャーが優しくしてくれるからって、何か勘違いしていたんじゃないかって、最近思うようになって……。ソルジャーが焦らなくていいよって言ってくれるからって、それに甘えていたような気がするんだ」
「どうしてそう思うのかね」
ソルジャーがジョミーに甘いことは長老たちの間では周知の事実ではあるが、あれはもうどうしようもないという、諦めの心境が長老たちには蔓延している。
恋は盲目などという言葉を、我らが長で実感しようなどとは夢にも思わなかったが、それでソルジャーが活き活きと元気になるのなら、悪いばかりの話ではない。
ジョミーをひたすら庇い立てするならまた別の問題も起こるが、彼の場合は自分が甘やかすだけでそれを周りに強制することはないし、基本的にジョミーへの帝王教育について、長老たちのやり方に口は挟まない。
それならば好きにしてもらおうと皆で揃って口を拭っていたのだが、それが逆にジョミーの悩みとなるとは、意外なところで綻びが出たのかもしれない。
しかしジョミーの悩みは、ヒルマンの優しい危惧を軽やかに一蹴するものだった。
「いつも頭を撫でられるんだ。とても優しく」
「………ほう」
とてつもなく真剣な声で打ち明けられた悩みに、ヒルマンはどうにか相槌を打った。
本当にどうにか。一体なんの悩みだろうか。
「ジョミーは頑張っているよって。すごく気持ちよくて、嬉しくて、けれどそれって小さな子供を誉めるようなものだって、最近になってようやく気づいて……」
そんな可愛いものだろうか。
本人がいないところでジョミーについて語るソルジャーの様子を思い出して、ヒルマンは僅かに目を逸らした。
あんな愛情を、小さな子供に向けているとしたら由々しき事態だ。あれが子供に対する愛情なら、恋情を向けた場合はどうなるというのか。
「ソルジャーを安心させてあげたいのに、ぼくがいつまでも子供のままだったら、あの人はずっと心配して大人しく寝ていてくれないかもしれない」
ジョミーがどれほど頑張っても、どれほど立派にソルジャーと成長しようとも、ブルーが大人しく寝ているかどうかは別の問題ではないだろうか。
彼はジョミーの様子を可能な限り見続けたいと願っている。先代のソルジャーとして後継者の様子をという意味も皆無ではないが、むしろあれは趣味の域だ。
「心配をかけてここまでこさせて、それなのに余計に心配をかけたくないからってあの人を追い出さなくちゃいけないくらい情けないなんて……」
ソルジャーは追い出されて怒ってないかな。不甲斐ないぼくに後悔してないかな。
不安を零しながら溜息をついたジョミーに、ヒルマンはなんと声をかけるか困惑した。
周囲からすれば明らかに悩みがずれていると言わざるを得ない。
ブルーがジョミーに構いたがる理由を「後継者の出来への興味」だけだと思っているから話がずれる。
だからといって他人が「あれは恋愛感情が入っているからだ」と、説明するのは明らかに余計なお世話だ。
それにたとえ余計なお世話でなくとも、正直なところ関わりたくない。
しかし相当根深くジョミーの悩みの種になっているとなると、どうすればよいものか。
結論としては、方法は二通りしかないように思える。
ブルーからのジョミーへの干渉の度合いを、少し控え目にしてもらうか。
あるいは、ブルーの本性にジョミーが気づいて誤解が解けるか。
それくらいしかヒルマンには解決策が見出せなかった。


「なるほど……話はわかった」
ハーレイに散々ジョミーのことを惚気た後、青の間に戻っていたブルーはヒルマンからの陳情に深く考える素振りを見せた。
はっきり言って、他人の恋愛ごとに首を突っ込むなんてヒルマンはごめんこうむりたかった。これが若い者同士の悩みなら微笑ましく成り行きを見守るだけのことだが、渦中の人物がソルジャーとその後継者では静観することもままならない。このままでは次期ソルジャーの教育に差し障りが出る。
仕方なく、重い腰を上げて言いにくい話を訴えかけに来たのだが、ブルーは余計なお世話だとは言わずに深く頷いた。
「ジョミーがそんなことを悩んでいたなんて……」
苦悩する様子のソルジャーは、元はすべて彼が起因なのだが事情を知らない者からすれば神々しくさえ見えるだろうほど様になっている。
陳情に来たヒルマンはその幻想に惑わされることなく、答えを求めて軽く咳払いをする。
「それではソルジャー、しばらくの間はジョミーへの過干渉を控えていただけますな?」
「………ああ。仕方あるまい。僕の趣味……いや、事情でジョミーを悩ませることは本意ではない。自粛しよう」
今、趣味と言わなかっただろうか。
薄々は感じていたが、やはりソルジャー・ブルーのジョミーへの干渉は趣味か。趣味なのか。
思えばジョミーがまだアタラクシアで何も知らずに暮らしていた頃、ひっそりとその様子を思念体で見に行っては満足していたソルジャーを思い出す。
『今日のジョミー』の話を聞く人身御供は主にハーレイの役目だったので、どうやら自分はソルジャーのジョミーへの執着を甘く見ていたようだ。
しばらくは控えるという約束を取り付けて安心したはずなのに、まるで甘すぎるお菓子を食べ過ぎて胸焼けを起こしたような気分になって、ヒルマンは胃の辺りを僅かにさする。
胃薬を手放せないハーレイの気持ちが少しだけわかった瞬間だった。






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あんなに格好いい人が、うちではどうしてこんな人に
なるのか謎です。ソルジャー・ブルー。