ヒルマンからの苦情を受けてジョミーに対する干渉は控え目にすると約束した。ジョミーを悩ませるのは本意ではない。
しかしこれはブルーにとってなかなかの試練だった。
「エラ女史の歴史学の前に時間が空いたらから、広間に行ったらカリナたちに捕まってしまって。みんなと一緒に遊ぶことは好きだけど、ままごとは苦手です」
照れながら、それでも子供たちが好きだと零れた心から見えるその情景は微笑ましくて至極可愛い。
ふわふわと揺れる髪にうっかりと手が伸びかけて、慌てて拳を握り締める。
その頭を撫でて、そのまま手を滑らせて頬を撫でて柔らかな肌を掌に感じたい。だが我慢だ。子供扱いされていると信じてるジョミーに迂闊に触れると、また気に障るかもしれない。
「それは大変だったね」
軽くおどけたような口調で笑顔を見せるに留めると、ジョミーは顔を赤く染めてからかわないでと頬を膨らませた。
「だってカリナもニナもルリも、みんなママの役がやりたいって言うんだ。ぼくは子供役だって!」
子供たちの子供役をやらされて、恥ずかしかったと不満を零しながらもジョミーの表情は柔らかい。
良好な反応だ。やはり無闇やたらと触るのはよくないのかもしれない。
自らの我慢の成果を考える間にも、ジョミーの話は次へと移っていく。
「過去を……学ぶことも大切だって、ぼくだってわからないわけじゃない。でも一番知りたいことは今のことなのに」
今日も講義でもめたことを反省しながら、納得できないことには退くことが出来ない様子は、頑固なジョミーらしい。
「ジョミー、焦ってはいけない。すべてのものは積み重ねによって築かれているのだよ。今まで解を得ることができなかったからといって、すべてが過ぎ去ったものだとは限らない。今だからこそ、振り返ることで見えてくるものも時にはある」
いつもはそうやって諭しながら髪を混ぜるように撫でる。するとジョミーは顔を真っ赤に染めて恥じ入りながら、けれど焦燥に満ちた心を落ち着つかせていく、その瞬間を感じることが好きだった。
だが今日はこれも言葉を掛けるだけに留めて、ベッドの中で拳をぐっと握り締め、その柔らかな髪に触れることを自らに禁じる。
幸せそうな様子のジョミーに触れることは、その愛らしい存在に触れたいというブルーの個人的欲求によるものだからともかく、落ち込んだり憤っているジョミーに触れることは、その気持ちを宥めようと思うゆえの行動だ。
しかしジョミーはブルーの保護を「自分が信頼してもらえないから心配をかけるのだ」と解釈している。
そうではないと言葉で説明してもジョミーには納得ができないだろう。
ならば思念でそれを伝えればと考えないでもなかったが、思念ではいらぬことまでジョミーに伝えかねない。
とにかくジョミーが自分に少しでも自信をつけるまでは、触れることは我慢するしかない。
ブルーにとって、なかなかにつらい試練だった。


報告、愚痴に近い話、他愛もない日常。
ジョミーのそれらの話に対するブルーからの言葉に特に変わりはない。
変わりはないがジョミーにとって、変化は如実なものだった。
「最近、ソルジャーがあんまり触ってこなくなった気がする」
ソルジャーとしての帝王学の時間が押して、遅い夕食となったトレイを迅速に攻略しながらジョミーは器用にスプーンと口と舌を交互に動かした。
一緒に夕食を取ろうと待っていたリオは、向かいで話を聞きながら器用なジョミーに感心すら覚えた。よくもまあそれで言葉に詰ったり、夕食を喉に詰らせずに話せるものだ。
リオのように思念で言葉を伝えるならともかく、ジョミーはその喉から声を出すという手段のままで、食事も話も滞らせない。素晴らしい技術だ。
感心しながら、しかし話の内容も少し気になった。
『触ってこなくなった……ということは、今まではそんなにジョミーに触れていたのですか?』
「ぼくが話をしているときは、手を握ってるか頭を撫でてるか、そんなところかな」
マッシュポテトを口に押し込みながら、ジョミーは少し考えるように天井を見上げた。
ヒルマンから聞いた話の通り、今までソルジャー・ブルーは思った以上にジョミーには子供扱いのような接触しかしていないらしい。理性の賜物なのか、それともアタラクシアで過ごしていたジョミーの生活を覗き見していたときの延長なのだろうか。
意外なような、安心したような、ひょっとすると自分達の勘違いだったのだろうかという奇妙な居心地の悪さまで覚え始めたリオに気づいた様子もなく、ジョミーはサラダにフォークを突き刺した。
「ぼくが落ち込んだら抱き締めてくれるし、怪我をしたら大したことがなくてもそこにキスしたりするし、そういうのって気持ちいいけど……」
『待ってくださいジョミー!』
「なに?」
リオの悲鳴のような制止に、初めてジョミーの食事の手が止まった。
きょとんと目を瞬くジョミーはまったく気がついていないようだが、おかしな話が混じってはいなかっただろうか。
『キスってなんですか』
「キス?キスは」
ジョミーはフォークを皿に置いて椅子から腰を浮かすと、身を乗り出して素早くリオの頬に唇で触れた。
『ジョ……』
「こうやることだよ」
キスが何かを聞いたのではなくて、キスされたという状況を聞いたのに!
リオは赤くなるやら青くなるやらで、キスを贈られた頬を押さえながら鋭く振り返る。
だが想像していた重く圧し掛かるようなプレッシャーはいつまで経ってもやってくる気配は無い。どうやら思念を飛ばしてジョミーの様子を見ることも自粛しているらしい。
ソルジャー・ブルーには気づかれなかったようだとホッと息をつくリオの様子になんて気づきもせずに、ジョミーは腰を降ろすと食事を再開させた。
「ぼくが痛そうなのは嫌だから自分に移してくれたらなんて言って、まるっきり子供扱いだよ。大体身体はぼくのほうが丈夫なんだから、怪我の痛みや疲労を移すなら逆にするべきだと思わない?」
『……それをソルジャー・ブルーに直接言ってはいけませんよ』
「なんで?」
フォークを咥えたまま首を傾げたジョミーの様子は、行儀は悪いが可愛らしいとしか言いようがない。ソルジャー・ブルーの前ではそんな様子を見せることはしないで欲しい。心から願う。
『あなたにも同じことをして返して欲しいと仰るに違いないからです』
「え……!?じゃあ、ミュウって本当にキスで痛みとか疲労を移せるの!?」
『違います、ジョミー、そういう意味ではありません』
そんなことまでブルーに負担をかけたのかと青褪めたジョミーの的外れな心配に、リオは手を上げてストップを掛ける。
『あなたがソルジャーにキスをすることに抵抗が無いのなら……問題はないのですが』
そこで終われば問題はないが、ひとつ要求が叶えばソルジャーの要求がさらに一歩進むのではないかということが心配なのだ。
ブルーの好意をいまだに計りきれていないジョミーには説明のしようもない心配で、リオが困ったようにそう告げるとジョミーは唇を尖らせて溜息をついた。
「なんだ……ソルジャーくらいの力があればできるのかと思った」
つまらなさそうな様子で頬杖をつくと、フォークの先でサラダを突くジョミーに首をかしげる。
『ジョミー?』
リオの困惑に、ジョミーは苦笑して首を振る。
「ああ、うん……迷惑を掛けたんじゃないかって心配はしたけど……だれかの痛みや疲労を引き受けられるなら、ソルジャーの疲れをぼくがもらえないかなって、ちょっと考えたから。そうしたらソルジャーはもっと元気になれるかもしれないだろう?」
ジョミーがソルジャー・ブルーに向ける好意は、どこまでも純粋でまっすぐだ。
「……そういうことができないのは残念だけど……じゃあせめてしっかりした後継者だって、安心してもらえるように頑張らなくちゃ」
フォークを握り締め、元気を取り戻したジョミーが食事を再開させたその向かいで、リオは青の間にいるはずの人のことを思った。
これだけ純粋に慕われると、下心を表に出すことも難しいだろう。
少しだけ気の毒に思わなくもなかったものの、考えてみればジョミーが怪我などをするとそれにかこつけてキスを贈っているのだから、決して尻込みしてばかりというわけでもないかもしれない。


「失敬な。僕はいつでもジョミーに嫌われないかと案じながら少しずつ距離を詰めていると言うのに」
翌日、食事を運んできたリオからキスの話を呆れたように咎められて、ブルーはトレイを受け取りながら憮然として息を吐いた。
『そうですか?嫌われないかと不安に思う人が、抱き締めたりキスを贈ったりできるでしょうか』
「あれはジョミーの母親がやっていたことだ」
ジョミーが落ち込むと大丈夫だと抱き締めて、転んで怪我に泣けば痛いのはママにちょうだいと頬にキスをする。ずっと遠くから羨ましく眺めていた光景。
「僕もいつかジョミーのことをああやって愛したいと思っていたのだ」
『では、ようやく夢が叶ったということなのですね』
グラスに水を注ぎ、呆れたような、意外と微笑ましい欲なのかと拍子抜けのような、そんなつもりで苦笑しながらトレイの端に水を置こうとしたリオは、真剣な表情でじっとスープを見つめているブルーに手を止める。
「………だとすれば……どれほどよかったか」
『ソルジャー?』
小さく呟かれた声は、今までジョミーのことを話していたような喜びの感情などどこにも見出せない。
リオが声を掛けると、ブルーはすぐに顔を上げて眉を寄せ大袈裟な溜息をついて肩をすくめた。
「せっかくジョミーが傍にいるというのに、こうして可愛がることすらままならない。彼を手許に連れて来ることができた暁にはたくさん愛そうと思っていたのに、触れることすら耐えねばならないとは思わなかった」
そんなにも、ジョミーに触れないことが堪えるのだろうか。会うことまで止めてしまったわけでもないのに。
それでも、ジョミーのためを思って耐えていることには違いがないので、リオは精一杯に励ます言葉を考える。
『きっと……すぐです。ジョミーはソルジャーの想いに堪えたいと懸命ですから、あなたが頭を撫でてもよくなる日はすぐに戻ってきます』
「そうだね。ジョミーが少しでも自信をつけてくれればよいのだから……ハーレイ辺りに頼んでみるか?」
『ジョミーに自信をつけさせるための演技なら、艦長は不向きだと思います』
演技では意味がないのだと、それはどちらもわかっていることなので一笑に伏されるだけだ。
ブルーは小さな笑いを収めると、スープに浸したスプーンをゆっくりと回し小さな波紋を作ってそれに目を落とす。
「それで、僕が触れなくなったことに気づいていたというのなら……ジョミーはそれについてはなにか言っていたか?」
『いいえ、特には。疑問は持っていたようですが』
「……そうか。特には、か……」
一体何を期待していたのだと、肩を落とすソルジャーの背中に呆れた溜息を落として、リオは手にしていたグラスを今度こそトレイの端に置いた。
『寂しいと言って欲しかったのですか?』
「もちろんだとも。そうすれば、ジョミーに触れていい理由になる」
当然だろうと即答されたリオは、今度こそ返答に窮して沈黙せざるを得なかった。






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ジョミーが話しているときは、
手を握っているか頭を撫でているのが
デフォルトの体勢だった報告会。
ジョミーはもう少し違う意味でブルーの行動を
気にしたほうがいいと思います……。