蝉時雨の降る木立の坂を抜けてたどり着いた家の前、久々に会う従妹は、淡い色の金の髪をさらりと流して美しい微笑みで出迎えてくれた。 「いらっしゃい、ブルー。お待ちしてましたわ」 「やあフィシス。今日からお世話になるよ」 門扉を開けたフィシスに促されて今日から世話になる叔母夫婦の家へと入ると、玄関先に二つ年下の従弟が立っていた。 「久しぶりだね、キース。元気そうでなによりだ」 「ああ、久しぶりだ。荷物を」 昔からあまり無邪気な子供とは言い難かった従弟は、抑揚の無い挨拶をするとぬっと手を突き出してくる。 女性でもあるまいしと一瞬戸惑ったものの、すっかり成長した少年に余計な気遣いはいらないかと素直に肩から降ろしたボストンバックを預けて靴を脱ぐ。 「イライザ叔母さんは?」 「今、買い物に出かけているの。すぐに帰って来ると思うわ」 脱いだ靴をブルーが自分で揃えるより先に、サンダルを脱いだフィシスが自然な動作で直してしまう。 振り返るとボストンバックはキースの肩に掛けられていて、ブルーは軽く肩を竦めた。 「至れり尽せりだ」 「これくらいでか?」 「お客様なのは今だけですわ。今日からあなたもこの家の一員なのですから」 ころころと鈴を転がしたような可愛らしい声に頬を緩ませたブルーは、すっかり背の高くなった従弟の後ろに、赤い髪の少年の姿を見つけた。 ただし、こちらは今日から一緒に住むことになる居候のことなど気にした様子もなく、廊下を横切って階段に足をかけていた。 「トォニィ、久しぶり」 「うん」 返答は、キースよりもさらに素っ気無かった。 そのまま階段を登り始めたので、姉のフィシスは眉を潜めて弟の後を追うように階段下へ移動して上を見上げる。 「まあトォニィ!せっかく久しぶりにブルーと会ったというのに」 「これから毎日顔を合わせるんだろ?」 今更改めて挨拶する仲でもないだろうと、さっさと部屋に入ったのか二階から扉の閉まる音が聞こえた。 「トォニィったら……」 「構わない。毎日顔を合わせるのだという、あの子の言うことももっともだしね」 「親しき仲にも礼儀あり、だ。家族だろうと親戚だろうと挨拶は基本だ」 憮然とした様子のキースはフィシスほど困惑した様子は見せていなかったが、どうやら意見の一致はみているらしい。 「僕は昔から、あまりトォニィには好かれてなかったからね」 同い年の従妹のフィシスとは、幼い頃から本当の兄妹のように仲がよかったが、二つ年下のキースは本人が淡白な性格のせいか、可もなく不可もなくといった干渉しかしていない。 トォニィが産まれた時、ブルーは十歳になっていたが、こちらとは初めて会ったその日からあまり好かれてはいないようだった。あんなに不満そうな顔をした赤子と対峙したのは後にも先にも無い。 生理的に馬が合わないというだけらしく、嫌悪までされているわけではないので、贅沢は言うまいと思っている。 「まだ子供ですから……もう少し成長すれば、トォニィも柔らかくなると思うのですけれど……」 「そうか?あれは生来の頑迷さだと思うが。こっちだ、ブルー」 ブルーの荷物を肩に掛けたキースが二階へと上がり、後から昇ってきたブルーを振り返らずに幾つか並ぶドアを指差して簡潔に説明をする。 「この階段すぐ横の右手側がトォニィの部屋。僕の部屋はその隣、フィシス姉さんの部屋は母さんと同じで一階にある。ブルーの部屋は一応突き当たりの左手、僕の部屋の斜向かいだが、別の部屋がよければ移動してくれて構わない。先に届いた荷物はその部屋に入れてある」 「うん、ありがとう」 「暑い中で坂を登ってきて疲れたでしょう?荷解きは後にして、キースの部屋で一休みしたらどうです?」 「ああ、そうだな」 別に異論があるわけでもなかったが、バックを肩に掛けたキースがそのまま自分の部屋に入ってしまったので、ブルーもその後についていくことになった。 とてつもなく殺風景な部屋だった。 部屋に入った正面に窓。その左に勉強机、右にベッド、中央に小さめのローテーブル。衣服類はすべてクローゼットに仕舞っているにしても、もう少し遊び心というものがないだろうかと我が従弟ながら呆れてしまう。 そういうブルーも、趣味らしき趣味の持ち合わせが無いので自宅の部屋は至ってシンプルなものだったが、それでもインテリアの一つや二つは置いてあった。 そんな物の少ない部屋なので、カーペットの端にキースがバックを置いたその向こうにぽつんと置かれたサッカーボールだけが妙に存在感を出していた。 「サッカーをやってるのかい?」 「いや?ああ……それは僕のものじゃない。腐れ縁の幼馴染が持ち込んで忘れていった物だ」 「へえ」 腐れ縁といいつつも、部屋に上げるような友達がいたことが失礼ながら少々意外だった。 「まったくあいつは……ほぼ毎日上がりこんでくるくせに、毎日忘れて行く」 「あの子らしいことでしょう?あの子の元気の良さを、あなたも好ましいと思っているくせに」 苦虫を噛み潰したように呟くキースに、透明な声で笑ったフィシスは、扉をするりと抜けて廊下へ出て行く。 「私、冷たい飲み物でも持ってきます」 開いたままの扉の向こうから、軽やかに階段を降りていく足音が聞こえた。 生憎とサッカーは話題にはならないらしいし、キースと二人きりになると何を話せばいいのやら。 「学校はどうだい?この春の高校へ進学したんだったろう?」 口にしてから、まるで親戚の伯父さんだと思ったけれど、久しぶりに会った格別に親しいわけでもなかった従弟とできる会話なんて、たかが知れている。 「別に。可もなく不可もなくだ」 会話が終了してしまう。 「……部活とか、なにか課外活動はしてないのかい?」 「弓道部に入った」 「へえ、弓か。キースに似合いそうだな。部活は楽しい?」 「可もなく不可もなくだ」 これでキースという人となりを知らなければ、嫌われているのではないだろうかと思ってしまいそうだ。 頻繁に会っていたわけではなくても、従弟のことなら多少はわかる。無口ではないが会話を広げるということに興味が無いだけだと知っているので、キースの紋切り型の返答に反感を覚えることはないが、少々困ってしまうことは確かだった。 無理をして話す必要もないかと思い直したブルーは、窓際に立って外の風景を一望する。 「坂の上だけあって、かなり遠くまで見えるね」 「そうだな」 むしろ、短いながらも返答するだけ、キースは義理堅い子だと思う。 ブルーが苦笑を滲ませて開けた窓枠に腰掛けたところで、勉強机の横に掛けられていた鞄から電子音が響いた。着信音が初期設定のままというところがいかにもキースらしい。 鞄から黒いボディーの携帯電話を取り出したキースは、表示を見てブルーを振り返った。 「すまない、電話だ」 「構わないよ」 何よりここは君の部屋なのに、とやはり義理堅いキースに苦笑しながら部屋を出ようと窓枠から足を降ろしたが、一足先に携帯電話を手にしたキースが部屋を出て行ってしまった。 「キー……」 「サムか?どうした、何かあったのか」 呼び止めようとしたが、どうやら既に電話に出ているらしい。サムというのが、件のサッカーボールの友人だろうか。 部屋の主が電話のために部屋を空けて、尋ねてきた従兄が居座っているというのもおかしな状況だと苦笑する。 床に足を降ろした少し前かがみの態勢のまま、ブルーは深く息をつく。 親戚の家で緊張する柄でもないのだが、遊びに来たのではなくこれからここに住むのだと思うと少し気を張っていたらしい。まだ叔母さんにも会っていないのに。 指を組んだ両掌を眺めて、自嘲の笑みを零したところで、背後で小さな音がした。 屋根が少々音を立てたところで、驚くこともない。 だが、背後から急に抱きつかれてはさすがに心臓が飛び上がった。ここは二階だ。 「キース!宿題教えて………って、誰!?」 そちらから飛びついておいて誰はないだろう。 元気のいい少年の声に、こんな気安い接触をする友達があの従弟にもいるのだな、と振り返ってブルーは絶句した。 夏の陽射しを背後に、フィシスとは違う明るい色合いの金の髪。 驚愕に丸められた瞳は、まるで翡翠のような輝きの翠。 窓の外、屋根の上に立った少年は、ブルーに抱きついた細い腕を中途半端に引っ込めて宙に浮かせたまま固まっていた。 「ご………めんなさい、キースのお客さん?」 おずおずと気まずそうに口を開いた少年に、ブルーは自分が惚けていたことにようやく気がついた。 「いや……君は?」 質問に質問で返してしまったが、少年は日の光が透ける金の髪を掻き揚げて首を傾げる。 「ぼくはジョミー。隣に住んでるキースの幼馴染だよ」 「ジョミー……ジョミーか。可愛い名前だね」 ごく自然に口から出た言葉に、ジョミーはかっと頬を赤らめて眉を寄せる。 「い、いきなり変なこと言う人だね」 「そうかな。思ったままを言っただけなのだけど」 そう言うと、ジョミーは益々困ったように眉を寄せ、眉間に皺ができそうだ。 「えと……いきなり抱きついてごめんなさい。外からは背中しか見えなくて、キースかと思ったんだ」 「いや、君みたいな可愛い子に抱き締めてもらえるなんて役得だったよ」 にっこりと、微笑みそう言えばジョミーの眉間に今度こそ皺が刻まれた。 「……あの、さっきから可愛い可愛いって、ぼくは男なんだけど」 「見ればわかるよ。ジョミーは可愛いけれど、そのしなやかな腕は男のもので、女性らしさがあるわけではないからね」 「男に抱きつかれて役得って変じゃない?」 「そうかい?価値なんて、人それぞれだと思うよ」 ジョミーが黙り込んでしまったが、どうやら不愉快にさせたわけではなくて言葉に困っているだけらしい。 突然現れた少年の髪が緩やかな風になぶられて揺れる様を、ブルーは楽しげに鑑賞していた。 |
舞台は日本なのか日本風の場所なのか不明。 フィシスとキースが姉弟なのはともかく、トォニィがいるのは趣味です。 けれどトォニィ本人には嫌がられそうだなー(^^;) |