傍にビールの空き缶を転がして公園で眠る人物を見かけたって、普段なら声を掛けたりはしない。むしろ関わりたくないと目を背けて足早にその場を去っただろう。雨が降っていたってそれは同じだ。 だがその日の僕は機嫌が良く、雨はまだ降り始めで今起こせばそれほど濡れずにどこかへ雨宿りに行けそうだったし、何より眠っているのは寝顔にまだあどけなさの残る少年だった。 おまけについ先ほど抜けてきた繁華街で明らかに見回りの教師らしき一団とすれ違ったということもあり、見つかって補導される前に起こしてやろうと親切心が湧き上がった。 確かに最初は、親切心だったのだ。 「君、起きて。雨が降り出したよ」 少年の傍らにしゃがんで肩を揺すりながら、この調子なら差さずに家まで帰り着けそうだと鞄に仕舞ったままだった折り畳み傘を取り出して広げた。 「こんなところで寝るものじゃないよ。起きて家に帰りなさい」 こんなところで酒を飲んで眠るくらいなら、家には帰りたくない事情があるかもしれないが、そんなことまでは知るものか。なんなら傘くらいはあげてもいいという気さえ持って揺すったのに、眠りの淵から僅かな意識を浮上させた少年は、僕の手を叩き落すように振り払った。 「うるひゃーい!ろくのことは、ほおぅっといてよ!」 酒が回ってろれつが回っていない。 元来、僕はそれほど穏やかなわけでも、優しいわけでもない。周囲にそう誤解されているのは、世の中を上手く渡って行くための処世術であり、今こうして道端でタチの悪い泥酔から起こしてやって別れるだけの少年にその仮面をつけておく必要などどこにもない。 再びぱたりと倒れた少年に、勝手に濡れて、勝手に風邪でも引けばいいと立ち去ろうとしゃがんでいた膝に力を入れた時だ。 ひくっとしゃくりあげる声が聞こえて目を落とすと、地面に横倒しに倒れていた少年は翡翠色の瞳からボロボロと涙を零して背中を丸めた。 僕は一目惚れなど信じていない。何しろ僕自身がよく言われる言葉だからなおさらだ。 それにこれは、そんな甘ったるい言葉とは無縁というか、正反対の感情だったに違いない。 少年が背中を丸めたことで、泣き濡れた横顔が見えなくなった。 手を伸ばし、少年の肩を掴んで無理やり体を上へ開けさせる。 「なにす……」 「このまま放っておくと僕の寝覚めが悪い」 少年の瞳からはまだ涙が溢れている。ずっと泣いていたのか目の下が赤く黒ずんでいた。 一度見捨てようとしたことなど欠片も態度に出さず、嫌がる少年の腕を掴んで無理やり引き上げる。 「いいひゃら……ほっといてっ」 「そういうわけにはいかないだろう。家に帰りなさい」 よく見ると、地面に転がって汚れてはいるが少年のシャツは襟元からして元はきちんとアイロンもあてられている。家庭環境が悪いようには、あまり見えなかった。 この飲み方といい、荒れ方といい、どうも飲酒は初めてのようだ。自棄酒だろうと辺りをつけて、精々分別のある大人の顔をして溜息をつくと、少年は少しだけ酔いが覚めたのか、それとも少しは目の前のことが認識できたのか、顔を歪めて俯いた。 「………かえれない」 ポツリと小さく呟かれた言葉。 ほらきた、その一言を待っていた。 中学生くらいか……この歳で、小奇麗な格好をしていながら自棄酒などすれば、家になど帰るに帰れないに違いない。もしかすると自棄酒の原因が家にある可能性だってある。 僕は期待した言葉を受けて、だがもう一度溜息をついて仕方がないという声を出す。 「では、うちに来るかい?」 「……え……?」 涙に濡れた、不安そうな表情で顔を上げた少年に、優しく微笑みかける。作り笑いはお手のものだ。 「言っただろう。一度声を掛けてしまって、このまま放って行くのは目覚めが悪い。一晩の宿くらいは提供するよ」 他意の無いような笑顔で手を差し出すだけで、今度は強引に少年の手を引いたりしない。 ここは相手に手を取らせることが重要だからだ。 少年は十分に逡巡したようだ。僕を見上げながら、地面についた手を握り締め、緩めて、もう一度握り締める。 だがしょせんは子供で、酔っ払いだ。初対面でこんな善意に満ちたことを言う大人を怪しいと思うよりも、降って湧いた幸運に甘えることにしたらしい。 おずおずと伸ばされた細い手は、僕の手に重ねられた。 「行こうか」 重ねられた手を握り、地面から引き上げる。足元の覚束ない少年を支えるふりで腰に手を回した。見た目のとおり細い腰だ。 「あ……」 その身体つきを確認した僕の行為を、スーツが汚れるのも構わずに支えてくれたものと認識したのか、少年は遠慮がちに僕の肩に手を置いて僅かに身体を離す。 「大丈夫……歩け、ます」 「その足取りでは危ないよ。いいから、僕にもたれていなさい」 優しい声色で肩を抱き寄せれば、少年は困惑した様子で俯いた。 抵抗はなかったのでそのまま歩き出そうとすると、少年が急に足を止める。 「待って」 「ん?」 「空き缶、片付けてなかった」 呆気に取られるとはこのことだ。 少年は僕から離れると、ふらふらとした足つきで自分が転がっていた周辺に散らかっていた空き缶を、ひとつひとつ拾っていく。この状態でそこに気が回るなら、きっと躾が行き届いている家の子なのだろう。普段なら自棄酒をして外で不貞寝などとは無縁な子に違いない。 足元にあった缶をひとつ拾って、少年が抱えていた四つの缶を取り上げる。 「あ……」 何も言う暇も与えず、五つの空き缶をゴミ箱へ捨てに行く。分別もきちんと空き缶のボックスへ入れて振り返ると、少年はよろけながらも申し訳なさそうな顔をしていた。 「では、行こうか」 少年の元へ戻って手を伸ばすと、今度は少年からも手を伸ばされた。 楽しい夜になりそうだ。 |
「ラビット・ホリック」
配布元:Seventh Heaven
悪い大人のブルーと寂しがりやの少年ジョミーの話。 真摯なブルーはたぶん、出てこないと思われ……。 |