愛されていないとは思わない。
ただ愛情のベクトルの大きさは、きっとかなり差があるのだろう。
仕方がない。そもそも平穏な学園生活に入るはずだったジョミーを、今日から君がソルジャーだと言って、入学したばかりの当日に重責を押し付けたのはこちらのほうだ。
もちろんジョミーならできると思ったからこそのことだけど、始まりがあれで好きになってもらえたのだから、それを素直に喜ぶべきだ。
手を繋ぐことから、キスにしてもそれ以上のことにしても、いつも渋々受け入れるだけで、ジョミーから誘ってくれたことは一度もない。
照れているのだと分かっていても、こうも徹底されるとそれすらも自分の思い込みではないだろうかという気さえしてくる。
それになにより、彼の部屋では一度もさせてくれたことがない。
「ジョミー……」
出てきたばかりのマンションを見上げる。部屋の明かりは消えたままで、ジョミーはさっさと眠ってしまったのかもしれない。
サンタクロースの衣装の上に羽織ったコートのポケットに手を突っ込んで、ブルーは寒さに身震いした。大して厚手ではなかったとはいえ、衣装の下に来ていたシャツはジョミーが身体を隠すために抱き締めていたためにそのまま置いてきた。素肌にサンタコスチュームは結構間抜けな図だと思う。
「明日はデートなのに風邪でも引いたら大変だ」
ブルーは首を竦めて早々に家に戻ろうと歩き出した。ジョミーに風邪を引かないようにと言ったのに、自分が引くことになったら世話はない。
ふと、明日のことを考えて少しだけ気が重くなった。
ジョミーは俯いたまま、顔も上げてくれなかった。
あんなに怒らせてしまって、もしかするとジョミーは明日来てくれないかもしれない。
いや、怒ったのならまだいい。怒っただけならジョミーは許してくれる。
だが愛想を尽かされたとしたらどうすればいいのだろう。そんなことばかり考えているのだとジョミーに嫌悪されていないか、それだけが心配だった。


生徒会室に行くときも、ジョミーと学外で待ち合わせるときも、そこに行けばジョミーがいると思う場所へ行くときはいつも心が弾んで楽しみを押さえきれないことが常だった。
だが今日は少し趣が違う緊張がある。
ジョミーが待ち合わせに来てくれるかどうか分からない。ひょっとすると来るかどうかで迷って遅れる可能性もある。
普段なら待ち合わせに遅れるなどということのないジョミーが遅刻した場合、一体どれほど待ってからなら連絡してもいいだろうかと、珍しく後ろ向きなことを考えながら駅の改札を潜ろうとしたブルーは、視線の先に人待ちの様子で周囲に視線を送っているジョミーの姿を見つけた。
「ジョミー!」
待ち合わせの時間までまだ三十分以上もあるのに、ここまで早く来るなんて珍しい。改札に切符を入れることすらもどかしく、慌てて駆け寄るブルーの姿を見つけると、ジョミーはほっと息を吐いた。
「ブルー」
ジョミーの吐く息は白く、頬はりんごのように赤い。
来てくれたことに安心するより、凍えていそうなジョミーの様子のほうが心配でブルーは駆け寄りながら手袋を外して両手でジョミーの頬を包み込んだ。
「ジョミー!一体いつからここに!?まるで氷のようだ!」
「氷だなんて大袈裟だな。来たのはついさっきですよ」
「そんな冷え方じゃないだろう。それに、例えつい先程でも、僕が本来の待ち合わせ時間通りに来ていたら、こんな吹き曝しでずっと待つつもりだったのか?」
「少し待って来そうになかったら、どこかに入って暖を取るつもりでした。当たり前じゃないですか」
当然だと肩を竦めたジョミーの様子にそれならばと一端は安堵するけれど、今は仮定の話よりこの状況をどうにかしなくてはいけない。
「とにかく、どこか暖かいところへ入ろう。君が凍えてしまう」
「そんなに慌てなくても。あなたの手が暖かいから……」
その顔を包むように頬に当てていた手の上に掌を重ねて、ジョミーはそっと頬擦りをした。
珍しくジョミーから甘えてくるような仕草にどきりと心臓が跳ねた。こんなに凍えているのだから、本当に寒かったのだろう。
見下ろす恋人の素直に甘える可愛らしい様子に、思わぬ僥倖だったと喜びつつもとにかく移動しようとその手を握って歩き出した。
「そんな慌てなくていいのに」
肩を竦めて大袈裟だと言うジョミーの様子はいつも通りで、昨日のことを怒ってはいないのだと胸を撫で下ろす。
「よかった……」
「え?」
きょとんとした声で聞き返されて、ブルーは安堵の微笑みを浮かべたままで手を引くジョミーを振り返る。
「今日、君が来てくれてよかったと言ったんだ」
そんなのもう約束しちゃってたんだからしょうがないでしょう。
そんな風に肩を竦める様子を予想していたのに、ジョミーは戸惑うように俯いてしまう。
「ジョミー?」
昨日の今日で、いつもと違う様子が不安になって覗き込むと、ジョミーは弾かれたように後ろに仰け反った。
「な、なんでもないっ」
なんでもないといった様子ではない。ゆっくりと話を聞きたいところではあるが、今はまずジョミーを暖めることが先決だ。繋いだ手もとても冷たい。
「ファーストフードのような店より、カフェの方が暖かいかな」
もう一度手を引いて歩き出そうとしたら、逆に後ろに引っ張られた。振り返ってもジョミーは俯いていて表情は伺えない。
「あ………あなたに……」
「ジョミー?どう……」
「暖めて、欲しい、な……」
「え、だから……」
カフェに行こうと。
言うはずの言葉が、俯いたジョミーを見て口の中に消えた。ジョミーの耳が赤いのは、てっきり寒さのせいだと思っていた。
暖める?僕が?
あのジョミーがまさかそんなことをと思うのに、顔を上げないジョミーの様子が勘違いではないとブルーに教えるようで。
「……僕の家は、ここから少しあるよ?」
ジョミーは迷うように擦り合わせている足の先だけを見つめている。
だがやがて、風の音にかき消されそうなほどの声で、小さく呟いた。
「………ぼくの家は、近い」


奇妙なジレンマに陥る道のりだった。
ジョミーの家の最寄り駅での待ち合わせだったために歩ける行程ではあったけれど、ジョミーはすっかり冷えている。
急いで行きたいのは山々だがジョミーの言葉をそのまま受け取るとすると、急ぐと別の意味に取られかねない。実際、これは夢じゃないのかと疑う気持ちや、ジョミーの決意が揺らぐかもしれない可能性を考えると、これまた急いでしまいたい。
今までジョミーからは一度も誘ってくれなかった。
ジョミーの家では一度も許してもらえなかった。
その両方への不安が、いきなり解消されるというのだろうか。
本当に?
これでクリスマスのサプライズだったなんて笑ってかわされたらどうしようかと疑いつつも、さすがにこういった話でからかうジョミーではないことも知っている。
マンションまでの道のりも、到着してからエレベーターの中でも、いつものなら家の近所でと嫌がるジョミーが、手を繋いだままでも何も言わなかった。
目的の階にエレベーターが止まって扉が開く。
隣のブルーに分かるほど、あからさまにジョミーは唾を飲み込んだ。
初めてでもないのにそこまで緊張されると、こちらにまでそれが移りそうだ。
「ジョミ………」
「きょ、今日!」
エレベーターから一歩も動かず、ジョミーは今にも泣き出しそうな顔で繋いだブルーの手を強く握り締める。
「今日………うち………誰も、いない……ママとパパはデートで、夜まで……」
最後まで口にすることもできずに、ジョミーの頬はみるみるうちに赤く染まる。額まで染まるかと思うほどの見事さに、ブルーはそっと息をついた。
「じゃあ僕が湯を張ってあげるから、ジョミーはお風呂で温まっておいで。今日は君の家でゆっくりしよう。テレビゲームでもサッカー観戦でもいいよ」
繋いだ手をきゅっと握って額にキスを落とすと、それまで親の仇でも見るような目で斜め前の廊下をじっと睨みつけていたジョミーは、目を瞬いてブルーを見上げる。
「……ブルー?」
「料理は……デリバリーを頼むか、何か買いに行かなくちゃいけないだろうけど」
生徒会メンバーを呼んでパーティーにしてしまえば、リオが何かと作ってくれるだろうけれど、さすがにふたりきりの、しかもジョミーが望んでくれたふたりきりの時間を無くすのは惜しい。
ジョミーが何か腹を括ったらしい様子は嬉しいけれど、無理をさせるのは本意ではない。
学園のことならともかく、恋人という関係においては。
ジョミーから、ジョミーの部屋でと誘ってくれて、昨日ほんの少し揺らいだ愛されている自信を取り戻せたら、それで十分だ。
「さ、行こう。早く温まらないと」
ブルーが閉まりかけた扉に手を掛けてそれを止めると、歩き出そうとしたのにジョミーに後ろに引っ張られた。
「ジョミー?」
「………お、怒ってる?」
気を遣うような、心配するような、そんな様子で恐る恐ると見上げられて、ブルーは驚いて目を瞬いた。
「怒る?何に」
「だって、その、昨日……」
「ああ……うん……」
言い辛そうなジョミーに、やっぱり緊張が少し移りそうで、ブルーは軽く咳払いした。
「怒ってなどいないよ。ただ君には君の事情があるだろうし、それを押してまで無理をさせたいわけじゃない。……嫌なんだろう?」
「い、嫌って言うか……」
「無理をしているだろう?」
微笑みながらそっと頬に触れると、大分冷えたはずのブルーの指の方がそれでもまだ温かい。本当に、ジョミーはあのとき待ち合わせ場所に着いたばかりだったのだろうか。
眉を潜めるブルーは、突如ジョミーに睨み上げられて驚いて手を引いた。
「無理……してるに、決まってるじゃないか!」
ジョミーが強く足を踏み鳴らすと、エレベーターの箱が揺れた。
危ない、と口にするより早く、ブルーが手で抑えて開けていたドアから、今度はジョミーが手を引いて先に飛び出す。
「ジョミー!」
部屋の前までブルーの手を引いて走り抜けたジョミーは、ポケットに手を入れて家の鍵を取り出した。指が滑ったのか、鍵が手から滑り落ちて廊下に跳ねる。
すぐさま屈んで拾おうとしたジョミーの指は寒さにかじかんで、上手く鍵を拾えない。
ブルーが横から鍵を拾うと、ジョミーは手を突き出した。
「貸して。早く部屋に行ってしよ」
「無理をしていると聞いて、僕が君を抱けるとでも?」
いつもいつも、強引に事を進めるときだって、ジョミーが恥かしいとか変態だとか怒りながら、それでも心の底からブルーを拒絶してないことが分かっているからできることだ。
けれどジョミーは自分の部屋で迫られたときだけは、本当に心の底から抵抗する。
我侭で浚って、傍に置いて縛り付けて。
ジョミーがただ流されるだけの、自分で受け入れようと思っていなくても流されてくれるような、気の弱い人間だとは思っていない。
それでも、フィシスの占いにかこつけて、傍に置いて片時も放そうともしなかったことも事実だ。
「君が僕の事を嫌っていないことは、ちゃんと伝わっているよ。だから無理はしなくて……」
「無理なんて、してるよ!決まってるじゃないか!だって恥かしいだろ!?なんであなたが平気なのか、全然分からないっ」
ブルーの手から鍵を引っ手繰ろうとしたジョミーに、慌てて拳を握ってそれを邪魔する。
「恥かしいって、ジョミー」
確かに、大抵どこでも、ジョミーは恥かしいと言う。
こんなところで、こんな格好で、こんなことして。
だから嫌だとも。
「実は他の場所では、そんなに恥かしくなかったとか?」
言った途端に平手打ちが飛んできた。






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実は結構ナイーブなブルー(笑)