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ロクス、パートナー妖精:シータス 「毒蛇2」前
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「まず自分で選んでみろ。変だったら文句つけるから。」
いきなりそんな前置きされては選びたくても選びようがない。
たくさんの十字架が高貴な紫色の法衣にあしらわれた、いかにも徳も位も高いんですと無言で語る聖職者が、女性の衣装を専門に扱っている店に来た様子に、当然店の者はぎょっとし驚きを隠せなかった。
しかしロクスはそんな視線には慣れっこらしく、隣にシルマリルを伴い彼女の動向をうかがっている。選ぶ当人は気が気じゃなくて、ロクスの目とか顔色ばかりを伺っていて服を手に取るよりも先に彼の顔を盗み見てばかり。
「レグランスの方ですか?
それにしてはまあお色が白くてお美しい。」
声をかけてきた女性の言葉に、シルマリルだけでなくロクスも思わず肩を跳ねる勢いで驚いた。
「お客様なら白いお召し物より黒いものの方が、その金の髪も白い肌も映えますよ。
そうですね、こちらのドレスなどいかがでしょう?」
ふたりの驚きも当然で、シルマリルは彼女の勇者以外に姿が見えるはずはない。
しかし声をかけてきた店の者はシルマリルに向き合い微笑み黒い絹のドレスを手にして言葉を続ける。
「レグランスは暑い国ですし白いお召し物の方をよく見かけますが、しかしまあこんなに黒いドレスがお似合いの方もそういらっしゃらないですし。」
「え、あ、そのっ」
「お連れの方と並んで歩いたら、それは素敵なおふたりに見えるかと」
「ご、ごめんなさい。…黒って苦手なんです……。」
特に驚いたのはシルマリルで、今にもロクスの後ろに隠れてしまいそうな頼りなさで差し出されたドレスを拒んだ。かたやロクスは最初は確かに驚いたけどすぐに状況を飲み込んだらしく、他人の前でのあの笑顔を口元に浮かべて
「シルマリル。」
「は、はいっ!?」
「黒は喪と禁欲の色です。白と正反対の色ですが、その意味はとても似ているんですよ。
確かにこちらのご婦人がおっしゃるように、あなたの金の髪と白い肌がとても映えることでしょう。」
穏やか極まりないとまで思わせる、他人向けの彼の呼びかけで名を呼ばれたシルマリルが、彼の素性知るシルマリルが驚いたことは言うまでもない。
彼が笑えば、女はだまされる。珍しくだまされなかったシルマリルにはその理由がまったく理解できないけれど、彼の言っていることは口から出任せではないのは理解できる。彼女の勇者である金の髪と白い肌のレイラ=ヴィグリードの黒い軍服は彼女の美しさを際立たせていたし、あどけないアイリーン=ティルナーグの黒いズボンははつらつとした彼女をどこか大人びて見せている。
白に親しむあまりに淡い色を好むシルマリルなんだけど、彼女の輝きは黒や紺、赤など強い色こそ輝きを増すことを、彼女はおそらく自覚していない。
他人に言われて初めて気がつく、そんな話。
「肩が頼りないのなら同じ色のケープを選びましょう。
装身具を金で揃えれば、あなたの美しさにかなう女性はいません。」
「ロクス」
「…言うこと聞く約束だろ。つべこべ抜かすな。」
嗚呼、慣れって怖い。店の者の言葉以上に彼の態度の豹変が怖かったシルマリルだけど、煮え切らない彼女の態度にたまりかねて耳元で囁いた彼の言葉にどこかほっとする。
「これにしましょう。同じ色のケープもお願いします。」
「ありがとうございます。」
「せっかくですから着ていきましょうか、シルマリル?」
「え? あ、は…い……。」
ロクスは優しげな笑顔で逐一シルマリルの意向を伺うのだけど、彼女に選択権などない。与えられていない。
あどけなくいかにも天使らしい野暮ったい出で立ちの彼女を自分の好みに仕立てている現状にロクスは満足しているのだろう、先ほどまでの不機嫌はとりあえず消えた様子で今にも鼻歌なんて歌い出しそうですらある。
この状況下だけで、ロクスはシータスの思惑を半分程度見抜いてしまっていた。
野暮ったい天使を僕好みに変えさせて少しでも気に入らせようなんて、妖精のくせなかなかやるな。
それでお偉方の手を借りる必要があったって訳か。
だったらせいぜいその謀り事にのっかってやろう、そうでなくてもロクスはこの手のハプニングは大好きだから、乗りかかった船を下りる気などさらさらない。
「今日のあなたの美しさはひとしおですよ、シルマリル。」
当のシルマリルは、まだパートナーの思惑のかけらにすら気づいてはいなかった。
紫の法衣の美しくすらある聖職者と。
金の髪と黒いドレスの幼い貴婦人。
シルマリルの姿が町の者すべてに見えているのはもう疑うようもない、すれ違う男たちは皆彼女に一瞬で魂を奪われるかのように注視する。しかしどんなに男たちがロクスを突き刺す視線で見ようと、彼の容姿の前ではただあきらめるしかない。
「別に口から出任せじゃないぞ、今日の君に勝てる女性なんているはずないだろうな。
翼をしまっていたことも結果論とはいえ英断だ。
…美しいぞ、シルマリル。5年も待つ必要はない、今の君なら2年で僕も惑わされるだろう。」
「年数を短くしただけで、私をどう納得させようとしているのですか?」
「褒めてるんだ、素直に受け取れよ。」
けれどふたりの会話にはまだ棘が残っている。特にシルマリルはいまだに納得できていない。
自分をだしにロクスのご機嫌とりをさせられるなんて、潔癖な彼女が許そうはずもない。
「…悪くないな、君が天使でなければなおいいのだがこの際贅沢は言わないでおこう。」
「悪かったですね、天使で。」
「いつまで怒っているつもりだ、いい加減にしろ。
そうだな、人間と同じものを君は口に出来るのか?
ご婦人は甘いものが大好きだしな、昼から酒場に行くわけにもいかないことだしサロンを覗いてみるか。」
「…騒ぎを起こしたいんですか……」
「起きない。君に真っ向勝負を挑むご婦人がいたらお目にかかってみたいものだ。」
天使たるシルマリルに勝てる女はいないと断言したロクスの言葉に、その自信とそれを打ち消す柔和な笑顔にシルマリルはだまされそうになるがなかなかだまされない。ロクスもこの緊張感は嫌いではなくて、時に自惚れのあまり足下をひっくり返されそうになる自分への戒めとして彼女という存在を利用している。
わずかとはいえ懐具合がさびしいと言うほどでもない今だし、美しい女性を伴いサロンで優雅な一時をおくる――――遊び好きなロクスだから、普段とは違う女遊びと思えばこれはこれで楽しかった。
しかし冷静になれば彼だって気づくことだったろう、このぐらいで彼の大きな浪費癖の原因である賭事がおさまるはずなどない。シルマリルの言うことを素直に聞くようになれば上出来、と言った程度の成果しか期待できないだろう。
シータスの謀り事はまだまだこれからだった。
夜を迎える頃にようやくシータスは戻ってきた。
「天使様、ラファエル様のお許しをいただいて、天使様がお望みの時に勇者以外の人間にもお姿を見せることが出来るようにしていただきました。
最初だけ、勝手ながらご意志を確認せずにお姿を実体化させていただきました、申し訳ありません。」
シータスの口から改めて語られたことで推測が事実になったところで、何も変わることはない。
「…ええ、そうみたいですね。ロクスにずいぶん楽しげに引きずり回されました。」
ふてくされるシルマリルの言葉の通り、彼女は明るいうち、ほんのさっきまでロクスに引きずり回されていた。軽口を叩きながらもロクスは実に楽しげで、しかし彼女はひどく疲れてしまったことは言うまでもない。
最後に連れて行かれたサロンでごちそうしてもらった甘く香ばしい褐色の飲み物は気に入ったけれど、一緒に出てきた美しい菓子と果物の盛り合わせはそれ以上に気に入ったけれど、そんな彼女をにやにやと眺めていたロクスの前では彼を喜ばせそうな顔など見せる気になれなかった。
「申し訳ありません、天使様に不愉快な思いをさせてしまい」
「不愉快と言うほどではありませんけど、前もって言ってくれれば私だって」
「…天使様は、他の勇者様ならともかく、ロクス様を相手になされてはお考えのことを読まれるだけかと思いましたので、勝手ながら伏せさせていただきました。」
シルマリルの小さな相棒はそのサイズや傾いた姿を裏切るかのように実に真面目かつ有能で、時にシルマリルが気づかぬこともしっかりとフォローしている。
皮肉にも自分が未熟だと理解している素直な天使はふてくされながらもシータスの機転は否定せず、しかしようやく開放されて気がついた疑問もともに口にした。
「賢明です。彼に嘘をついても取り繕ってもいい結果が出ることはありませんから。
けれど今日のことで彼の賭事がおさまるとは思えません。」
「はい。これからは天使様おひとりで立ち回っていただくことになります。」
彼女の言葉のとおり、今日の諍いの原因はそれ。
ロクスの遊び癖の中でも最大かもしれない問題・ギャンブルをいかにやめさせるか。溺れない・強いのならば目をつぶることも仕方ないかもしれないが、彼の場合その借金が彼の強さを物語っている。
…「弱さを物語っている」と表した方が適切なのかもしれない。
問題の男は機嫌がよくなったついでとばかりにさっさと遊びに行ってしまった。
当人がいないからこその密談で、シータスは表情を引き締めてようやく謀り事の全貌を今だけ手駒のシルマリルに語って聞かせる。
「ロクス様がどの酒場にいるか探しますので、天使様は彼に賭事で挑戦なされてください。
その際には必ずお姿を現していただき、挑む際に勝利の代償としてロクス様に賭事をやめていただくよう約束を取りつけてください。観客を証人として言い逃れが出来ぬようにすることが目的です。」
「…なるほど。」
「天使様が素人以下だというのは彼が一番知っていると思いますし、そのような素人以下の天使様に負けるようではどれほどに弱いかを痛感するでしょう。」
「ちょっと待ってくださいシータス、私が確実に勝つような方向で話が進んでいるようですが」
「もちろん、勝っていただきます。
天使様ならカードを読むくらいのこと、出来ないことではないでしょう。
いわゆるいかさまかも知れませんが、このままロクス様を放っておくわけにも行かないと思われますので、どうかここは心を鬼になさってください。」
「…シータスは来ないのですか?」
「残念ながら、私がいますとロクス様が警戒します。絶対に勝負に乗ってこないことも考えられるでしょう。
もちろん何も知らないままではどうしようもありませんので、ルールは私がお教えします。詳しいことは知らないにしても、今までロクス様と同行している間に数あわせや数並べということでルールとして大差はないと言うことは把握しました。」
酒と女と賭事で夜を楽しむロクスの帰りは深夜になることはわかりきっているし、企み事が漏れる心配はない。頼もしいことにシータスはロクスに同行している間に天使には思いつきもしないことをしっかりと把握していた。
「カードさえ読めれば天使様が負けることはないと思われます。
胸は痛みますが、公衆の面前で、ロクス様には大恥をかいていただきましょう。」
「…大事の前の小事、ですか……」
「気が重いのは承知の上ですが、どうかここは…」
「…わかりました。やってみましょう。」
善なる存在の天使とその補佐である妖精にそこまで思い詰めさせるほど、ロクスの放蕩は歯止めが利かなかった。
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