■□ Malchut □■
ロクス 「聖都侵攻」中 キス表現あり
     

 神々しく立ち昇った大きな光の柱に、セレニスは端整で冷徹な表情に憎悪をこめてそれをにらみつけた。
「…王国の祝福の陣を唱えたか……人間のそれとは違い天使が行使した術なら破陣は不可能ね。
 誰か、アルベリックをお呼びなさい――――いえ、伝言で構わないわ。
 騎士たちに天使と教皇の捜索をやめるように、と。」
 彼女の目に見えた光の柱は、攻め手の彼女にとって忌々しい鉄壁の守りの陣。その中心には重要人物か守るに値するのだろう何かが存在することなど、魔女の知識をもってすれば想像するに難くない。彼女の予測どおりその陣を発露させたのが天使という人間とは違う次元に存在するものならば、おそらく中心に座するはいまだその座につけずにいる教皇候補に違いない。
普段は感情を見せない淡々とした物言いの彼女が、憎しみと言う感情を露にした様子を見た黒衣の魔道士が驚きを隠せないのだけれど、セレニスは意にも介さずに言葉を続ける。
「早くしないと手駒が奪われて取り返しのつかない痛手を受けるわ。」
「………は。直ちに………。」
 災禍の禍根セレニスと彼女につき従う黒衣の魔道士、彼らの目には、神々しく立ち昇る光の柱が確かに見えている。それにはらはらと星が伴い舞い降りて、火を放たれ人の業を燃え代にしつつ燃え盛り続ける聖都の中で、ただひとつ聖都と呼ばれたこの都市にふさわしい光景を見せていた。
 その中心には、天使が降臨している。どのような姿か位か一切わからない謎めいた存在は、燃え堕ちつつある神の膝元を見て何を思い何を守りその鉄壁の布陣を敷いたのだろう?
残念なことに、教皇の座は座る者もいない空席のまま。セレニスは天使が空席の教皇の座など守るとは到底思えない。
教皇が座していれば、その天使もろとも一網打尽にできるというのに。
「………………………。」
 セレニスは命令だけ下すと、あとは無言で消えない光柱をねめつけている。



「…これで…しばらくは……。」
 光の柱の中心でも、別の決意が動き続けている。
夜を徹しても祈り続け己の勇者を守ると決心したシルマリルが、それだけをようやくの思いで口にして耐え切れずにがっくりと両肩を落とした。人間の欲望の中で天使という善なる存在が己を保ち続けるのは困難を極めるのに、彼女は己の勇者を守るためにこの場から離れずに純白の翼を広げ続ける。
その膝には意識を失わされたロクスが倒れ伏していて、彼女は疲労困憊の様子を見る者がいないのをいいことに隠そうともしないで彼が最後までつかんだままの十字の杖に触れて、それを代わりにかざすかのように立てた。
「父よ…祝福を……あなたの娘とあなたの下僕をどうかお守りください……!!」
 自分が彼を守ると決めた。たとえこの身が四散しようと、父にすがってでも守り通してみせる。
己の声は言霊となり奇跡を呼ぶことをシルマリルは忘れていなくて、すでに意識も意思の力も限界を迎えていようとただ祈り続ける。十字をかざす細い杖は美しい少女の姿を持つ天使が携えると神々しさと存在感をいや増して輝きを放つのだけど、手にする彼女はいつ倒れてもおかしくないような顔色だった。
「……ロクス…。」
 小さな頼りない手が、男の髪をそっと撫でる。
思えば自分たちは表向きはどう見ても友好的とは思えなかった。シルマリルは不実な男にあきれたり冷ややかに眺めたりするばかりだったし、ロクスも放蕩三昧の日々に突然舞い降りた天使と名乗った小娘をからかったり小馬鹿にしたり叱りつけたりと、おおよそ天使とその勇者と言う構図ではなかった。
 それでも仲は悪くなかったと思う。少なくともシルマリルは彼を嫌いではないからこうして行動を共にしここにいる。それにロクスも口ではああだこうだと言いながらも、先ほどまでの彼を見ていれば明白で天使たる己の守護者の耳に汚らしい言葉を入れまいと怒りを露にしつつ彼女を守ることを優先した。
今も彼の紫の法衣は彼女を守るためにその腕で抱きしめるように細い肩を包んでいる。
 シルマリルが、己の生み出した聖なる力場の中で無限の光に煽られながら黒煙で覆い尽くされた漆黒の天を仰ぐ。そして彼女の花びらのような唇からほとばしる言葉、聖句、言霊は――――

「父よ…お許しください。あなたの娘は人間の男に想いを寄せてしまいました…。
 志半ばで散ること、あなたのためではなく想いを寄せた存在のために散ることをどうかお許しください……」

 口にしてはならぬ告戒、しかし己が霧散してしまうかも知れない現在、シルマリルの青い瞳から、いくつもの大粒の涙がこぼれてロクスのシルクグレイの髪の上ではじけて散る。
「彼はあなたの娘を守るために命さえもあなたに差し出しました…どうか、彼に私の分まで祝福を……!」
 ふわふわと頼りない細い髪が美しく透き通り、シルマリルは涙で濡れた頬のまま微笑みいまだ目覚めぬロクスの疲れ果てた頬をそっと撫でる。
「ロクス…私の勇者……私の愛した男性………。
 私は…ずっと、あなたと共にあります……」
 天使の言葉は力持つ言霊、幼い天使は己を消耗することをやめようとしない。
 守ると決めた。父と兄の慈悲にすがりこの陣を展開した時から、いや聖句を口にした瞬間から、己の存在が霧散しようと彼を守ると決めた。そしてたとえこの身が散り掻き消えようとも、そのあとまでも守り通す。
己が霧散しようと代わりはいる、それぞれに覚悟を決めた勇者たちなら、己の義務を自覚した今シルマリルがいなくてもそれぞれの未来を勝ち取るために尽力してくれることだろう。
その理解にすがって身勝手な想いに身を投じよう。たとえ彼ひとりになろうとも、ここから逃がしてみせる。
 シルマリルはただただ涙をこぼしつつも微笑むばかりで、彼女を寄り代とした無限の光の陣は途切れる様子を見せない。彼女が力尽き夢幻と散るその瞬間まで、この光は彼女らを守り通す。
「できることなら…いいえ、あなたさえ無事ならば…あなたならこの状況を乗り切れるはず。
 私の代わりの天使とも…仲よくしてくださいね………」
 そう言いながら、搾り出しながらシルマリルがロクスの頬に触れて撫でてそして――――小さな背中を丸めて、穢れ知らぬ天使の唇が目覚めぬ男の唇に祝福を捧げる。
最初で最後になるかも知れぬ接吻に彼女は何を思うのだろう? 別離の決意の瞬間だというのに、災禍はすべてを飲み込もうと貪欲な顎を開き神の娘とその下僕に容赦なく襲いかかった。

「初めまして、天使様。
 自分らにもそこの男と同じお慈悲をくださいな。」

 黒い獣たちの来訪を予想していたシルマリルは、ロクスから唇を外すと驚く素振りひとつ見せずにわずかに身構えた。彼らはそれぞれに剣を携えて、下品な笑いを隠そうともせずに天使という女を値踏みしながら包囲網を狭めてくる。彼女の敷いた光の布陣の範囲は広くなくて、血と暴力と女に飢えた野獣たちはまだ足を踏み入れていない。
「こりゃすげぇ…人間の女なんざ霞んじまう。」
「生かしてさえいりゃあとは何してもいいんだよな?」
「天使を抱けるなんて、ホント帝国万々歳だ。」
「他の部隊の連中にゃ悪いが、これだけの人数相手にしちまったらさすがの天使様も壊れッちまうだろ。」
 彼らが何を言っているかはわかる。その意味を理解できるように、ロクスは口さがなく言いながら教えつつ釘を刺していた。無自覚と言う罪を捨てさせるようにと彼も気を揉んでいた。
その甲斐あって、シルマリルはぼんやりした性格なのに己の危機を理解してロクスの杖を手にゆっくりと立ち上がる。
「…神をも恐れぬ不届き者どもめが」
 戦う力を持たぬ聖女様、しかし力なき存在ではない。
「己の言霊をその身を以って悔いるが良い!
 我が名は天使シルマリル、全能なる父と大天使ラファエルと精霊の御名において我が祈りの元に塵芥と還してやろうぞ!」
 哀れな男たち、天使という聖なる存在の逆鱗に触れた。戦えずとも守るために十字を手にした聖女は大きな純白の翼を広げてその杖を振りかざし浄化の光を限りないとまで思わせるほどに増幅、いや爆発させる。
「うぬらに穢されるくらいならば、うぬらすべてを道連れに天界の門を叩いてやるわ!
 汚れきったうぬらに天界の光の苦痛がいかほどのものか、思い知らせてみせよう!!」
 激しい語調の言霊を操り浄化の光を増幅させた、そこには幼い天使シルマリルはいない。
中身が腐ってしまった騎士たちにその光と言霊は耐えがたい苦痛をもたらし、彼らの思惑がいかに浅はかだったかと言うことを思い知らせる。美しい少女の姿の天使が翼を広げて不埒な者どもに下す天罰は苛烈極まりなくて、その場にたちまち悲鳴が満ちた。
「どうした? 我に陵辱の限りを尽くすのではなかったのか?
 矮小なる人間どもよ、身の程もわきまえず神とその娘たる我に楯突こうなど大それた心がけだ。
 我はそれにすべてを以って報いよう、未来永劫苦痛の中で輪廻を繰り返すが良い!!」
 下がる場を持たぬ捨て身の祈り、シルマリルのそれは苛烈と言う言葉すらも置き去りにする。
彼女の願いはただひとつ、小さな背中に守る彼をこの場から逃がすことだけ。
 ああ…シルマリルの声がする……。
まーた怒ってやがるな…あいつは気が短いんだから……。
きゃんきゃんわめくばっかりで何にも知らないくせに…俺が守ってやらないとダメなくせに……。

「父の慈悲にすがりたくば下がれ! 我はうぬらのような無為な殺生はせぬ!!」
 なーにを偉そうに…中身お子様がそんな台詞吐いてもおかしいだけだろうが…。
それにキャラ違うぞ、お前……。

「穢れた身の上で神の下僕たる教皇に刃を向けるなど、うぬらの皇帝とやらが許そうともこのシルマリルが許さぬ!!」
 シルマリル!!

 唐突に意識が飛んでいたらしい、俺は瞬時に目覚めて飛び起きると、どういうことなのか戦う力を持たないシルマリルが俺の杖を片手に立ちはだかっていた。彼女の少し向こうには帝国兵と言う名のゴキブリが転がっている。
それに…この光……光の陣とでも言えばいいのか? 俺たちを中心にして広がっている光の中には、俺たちふたりしかいない。ゴキブリどもはみんなその外でぶっ倒れてやがる。
考えるまでもなくこいつが何かやらかしたんだって俺でも気づいた。こう見えてくさっても天使様、シルマリルは奇跡を起こす力を持っている。けれど彼女の指先を見れば、限界なんて当の昔にちぎっちまってるって嫌でも気づかされた。
 シルマリルの丸い指先はすでに透き通り始めている。この場にとどまることすら苦しいはずだ。
俺は考えるよりも先に彼女に手を伸ばしていた。
「逃げるぞシルマリル! ゴキブリなんざ相手にするな!!」
 俺も限界をちぎってるけど、命がかかってるのに四の五の暢気にぐずぐず抜かすつもりなんてない。俺はシルマリルが持っている俺の杖をひったくると、それを勢いつけて石畳に叩きつけて腰を落とした。
「ロクス!?」
「よくも俺の天使に小汚ぇ言葉の数々を浴びせてくれやがったなゴキブリどもめが…倍返しなんてケチなこたぁいわねぇ、三倍返しだこの野郎!!
 教皇の祈りの力、とくと味わってもらおうか!!」
 確かに生臭坊主だがなめてもらっちゃ困る。これでも生まれてこの方20年もひたっすらに神を崇め奉ってきたんだ、今この瞬間に全能なる父のお慈悲がないんだったら、俺はこの法衣をここで脱ぎ捨ててやる。
そしてシルマリルだって遠慮なく手をつけさせてもらおう。
守ってもくれない親父より交換条件だろうと守ってやる俺の方が今はこいつの役に立てる自信はある。
 神よ、全能なる父ならば神の娘シルマリルを守る力をこのロクス=ラス=フロレスに与えたまえ…!!


『Gloria in excelsis deo.
 Et in terra pax hominibus bonae voluntatis.』


 唐突に目覚めた神の下僕の様子に、杖を奪われたシルマリルが彼にすがりつく形で倒れその体にしなだれかかる。
彼は天使の勇者らしく、神の下僕と言う殺生を戒められる立場でありながら、その娘を守るために暴力で己を汚すことを必要悪と割り切り厭わない。世の中の汚い部分を見てきた青年は聖典に記された奇麗事で人間は生きてはいけぬと知っていて、己の欲したものが守れるのならば手段は問わない狡猾さも持ち合わせているし、神の娘シルマリルには及ばずともこの男は物心ついた時から神にその身と祈りを捧げてきた。
中身はどうであれその力に疑う余地などない。
疑う余地など残しているようでは、教皇候補など務まるはずがない。
 彼の聖句は彼らの経典の原文のまま。シルマリルのような祈りの本質ではない分、形式を踏まえることで全能なる父である神から力を借り受ける。当然その頂点に座するために養育された男の聖句はシルマリルに負けずとも劣らぬ光をその場にほとばしらせて、他者を傷つけることを目的としていない天使とは違う攻撃的な、雄々しい光が地を揺るがすほどの力場を形成する。
『Domine Deus, Rex caelestis, Deus Pater omnipotens.』
「ロクス…」
 彼は何を行使しようとしているのだろう? シルマリルでさえ、彼の祈りの姿を察することができない。
手も足もでない天使の鉄壁の布陣の前に出鼻をくじかれた騎士たちはすでに戦意を喪失しているのだけれど、そんな罰当たりどもに教皇候補自身が天罰を下したくて仕方がない。
大事な彼の天使を侮辱した罪をしっかりと償わせないことには怒りがおさまらない。
女を惑わせる端整な容姿の男が聖なる光に包まれる姿は確かに神に祝福されしもののそれで、ただでさえそうなのに今彼は足元に天使をはべらせている。
あの美しく凛々しい少女の姿の天使が艶かしくもしなだれかかっている。
『Cum Sancto Spiritu in gloria Dei Patris.
 Amen!』
「きゃあ!!」
 力強い、怒りに満たされた聖句が終わりを告げたと同時に、強い浄化の光が波紋のように彼を中心にして広がった。衝撃を受けたシルマリルは思わず白い法衣越しにロクスの脚にしがみつき身を支えるけれど、掴まるもののない騎士たちはことごとく吹き飛ばされた。
見事なまでの力を誇示したロクスは聖句を唱え終わるとようやく杖を下ろして肩で大きく息をしながら、転がっている連中をねめつけるけれど
「シルマリル、今のうちに逃げるぞ。
 これだけ片付けりゃ手近な東の門あたりは多分手薄だ。僕らしか知らない古い抜け道が使えるかもしれない。」
「は、はい!」
「…悪かったな、戦えない君に立ち上がらせたりして。」
 すがりつくシルマリルの手を引き起こしてこの場から離れるべく気を緩めずにあたりを見回した。
先ほどの攻撃で邪心満点の連中は倒れ伏してふたりの前に立ちはだかるものはいない、ロクスは天使の手を引き走り出す。
今なら逃げおおせるかもしれない、いやこの好機を逃しては燃え上がる聖都に閉じ込められる。
そう思うと一刻の猶予どころか逃げる時間すら充分でないことを思い知らされるばかりのロクスだった。

前に戻る    続きを読む
2008/05/03

「Malchut」中編です。序編もかなりの実験作でしたが中編も盛り込みすぎた感満点です。汗。
女天使のキスシーンと戦闘、ロクスの聖句と慌しくて尻切れトンボになっていないか心配で心配で。
聖都侵攻時はロクスが逃げ出してから暗転、そしてあのつぶやきになるけれど、それほど帝国兵がうじゃうじゃいるんだったら簡単には逃げ出せないだろうな、というのがもともとの発想で、

…なんでこんな大風呂敷広げちゃってるんだろう、自分……。

作中でシルマリルはすでに自分が何を思っているかを知っています。
自分がいなくなるかもしれない瀬戸際に追い込まれた女の唐突な行動ですが、ロクスはまだ迷っているのではないかと…いろいろと建前もあるだろうし神に対する反発もあるみたいだし。
難しい男みたいですから、ゲーム終盤にならないと友好的な態度を見せてくれないあたり、らしいといえばらしいです。

フェイバリットディアの話にしては激しく生臭く宗教観的に似ているからという理由だけでクリスチャンカバラなんかまでつっこんでと、明らかに読み手さんを選びそうな話だとは思いますが、書いてる当人は調べ物をしたりするのもえらく楽しいのが困りものです。
多少どのあたりが出典になるのかとか聖句として語られる部分などは知っているのですが、虫食い知識らしく調べて補完しないとすぐにぼろが出て下手こいたー!ってなりそうです。
いやもうなってるかも…。
あと一本で終りますが、よろしければおつきあいくださいませー。

ちなみにロクスの攻撃はレベル2の「ゴールデンドーン」(全体攻撃)、聖句は断片ではありますが「ルカによる福音書」より、有名な聖句のラテン語文から引っ張ってまいりました。
魔術師なら「詠唱」でしょうが、ロクスは聖職者と言うことで術の行使のための詠唱ではなく力持つ聖句で奇跡を起こす〜という方が合っている気がしたので、聖書の有名な聖句を使わせてもらいました。
「使わせてもらいました」というのも変な話ですが、世界最古の書物と言うものはたとえ信徒でなくてもやはり特別だと思います。