■□ 降臨祭 □■
×ロクス、クライヴ

(成人向け注意)

「…まったくふたりとも何をやっているのやら…」
 結局こういう展開が待っていたらしい。翌朝早くにふたりまとめてお目玉一直線。
結局徹夜は遂げられなかったけれどロクスが部屋に戻るにはあまりにも危険な時間帯になってしまい、彼はそのままシルマリルの寝室で彼女を抱いたままで眠り朝を迎えた。
甘いあまい蜜月の時はたちまちすぎて、朝起きて彼が部屋に戻ろうとまた窓から退散しようとしたら――――

 窓の向こうに、副教皇。
さすがのロクスも凍りついた、シルマリルなんて驚きのあまりに意識が一瞬飛んでしまった。

「若いふたりを引き離してしまったことは申し訳ないと思っておる。しかしなロクス、」
「…とりあえず忍び込んだのは俺なんだから、シルマリルは解放していただきたいのですが」
 ロクスはいつもどおりだがシルマリルはただでさえ小さな彼女がしぼんでしまいそうな勢いで小さくなってしまった。当然と言うか彼女は一切弁解も反論もしない、また長いお説教をいただきながらもロクスはやはりロクスで、昨夜シルマリルに約束?した通りにひとりで罪をかぶるつもりで口を開く。
「…ごめんなさい副教皇、私もさびしくて、つい…ロク、教皇が来てくれて嬉しくて」
 だが、ロクスがやっと口を開いたかと思えば、口答えをしないシルマリルも彼をかばい己の行いを責め始める。
「でも忍び込んだのは俺なのですから」
「彼の立場を思えば帰るように促すのが私の役目ですよね…」
「シルマリルお前は黙ってろ。」

「…はぁ。ふたりともお互いの伴侶に対する配慮はいたいほどにわかった。
 ロクス、今日は息抜きを兼ねて巡察に出るように。」

 珍しいことに口答えどころか話をさえぎることすら普段はしないシルマリルまでロクスをかばい始め、ロクスはロクスで自分が悪いの一点張り。これでは正しいことを言っていても悪者のようで、副教皇は頭を抱えるような素振りを見せたあと、…結局甘いと陰口を叩かれる判断を下した。
「…いいよ。罪滅ぼしにキリキリ働きます。」
「話は最後まで聞け。聖女を連れて、忍びで行って来い。
 護衛はつけないでおくからお前が聖女を守るのだ。
 できるであろう? 世界を救いし勇者のお前ならば。」
「……は?」
「気分を切り替えて来るのだ。
 そのかわり明日からお前に休日はなくなるから、そのつもりでいるのだぞ。」
 法衣と十字架を背負わせすぎて歪んでしまった男、息を抜く暇さえも与えなかった結果があの放蕩の一端ならば、多少の休息を与えないことにはさらに悪い方向へと向くのは目に見えている。
それに、僧侶としては罪だとしても、彼は天使の降臨で教皇の座へと上れるだけの結果どころではなく、すべての罪すら相殺すべしとの功績を残したのに、今度は肝心の彼が欲や打算をすべてなくしてしまってとなかなかうまくいかなくて、ようやくの思いで聖都まで連れ戻した。
現教皇候補は彼女ありき、というのは高位の僧侶たちの間では暗黙の了解となりつつあり、頭の痛い話だった女性問題も一気に片づいたのだから――――表向きに穿って見れば、そんなところ。
表向き聖女シルマリルの扱いは腫れ物に触れるようなのだけど、内心では誰もがこの放蕩者の遊び好きにようやく首輪がかけられたのだから、彼女の存在は疎ましくもありがたい。
「聖女も教皇が無茶をせぬように監視しているように。
 …聖女が16の娘だということを私は失念していたらしい。伴侶と定めた男とろくに会話できぬ日々をよく堪えてくれた。」
 しかしそれは打算で物事を図る生臭坊主たちの話、とロクスはうまく表現したもので、少なくとも彼女と離れられないロクスと、息子のような微妙な距離感を長年保ちながら彼とつきあってきた副教皇からすれば、シルマリルは天使だったことを抜きにしても特別な存在だった。
ロクスにとってはただひとりの女で、副教皇にとっては息子同然のロクスが選んだ娘。
可愛らしく愛しいひとりの少女。
「…………え?」
「街は降臨祭の準備で活気づいておる。
 本祭は教皇選挙と聖女の認定の儀式があるからどちらも外には出せぬが、今日は楽しんで来るのだぞ。」
「…どうしてシルマリルにはそんなに甘いんだか。」
「聖女は素直で誰の手も煩わせぬ。お前と違い縛る必要がないのだ。」
「はいはい。僕は素行不良の前科持ちですからね。
 まあ遊んで来いと言うお達しには逆らうつもりなどない。」
 ふたり、いや3人しかいないのならその空気は和やかなもの。厳しい顔ばかり見せざるを得なかった副教皇が先に折れて、ロクスではなくいい子でいるシルマリルに遊んでおいでと優しげな言葉をかけた。
しかしシルマリルはすぐにその言葉の意味を理解できなかったらしく小首を傾げたけれど遊び好きとの評価を下されているロクスは当然違っていて、彼はやおらシルマリルの小さな手をつかみ子供のような笑顔を見せた。
「行こうシルマリル、僕が育った街を案内しよう。」
 背負った十字架を下ろし開放されることがよほどに嬉しいのだろう、ロクスは今まで彼女にさえ見せたことのないような明るく吹っ切れた表情で、まるで恋人を誘うかのような調子でそう言うが早いか動き出すが早いか、副教皇の気が変わらぬうちに、とでも言うかのように動き出した。
その表情と声は、本来なら彼ははるか過去、10代のうちに口にするだろう台詞だけど、その機会すべてを奪われてこの歳になって初めて口にした。
「天使の頃の君のドレスがいいのだがこの際贅沢は言わずにおくよ。
 あれみたいなドレスは翼のない君はきっと裾が気になって仕方がないだろうから。」
「ちょ、ちょっとロクス、そんなに引っぱらないで!
 ――――それでは副教皇、行って来ます。」
「帰りが何時になっても文句言わないでくださいよ?
 きちんと戻りますから。」
 教会の都合ですべてを奪われた存在が、途中でひねくれてしまうのも無理はない。なまじ自我の核と理解力があったがためにロクスはずいぶんと苦しんだことを気づかぬ副教皇ではなくて、いつしか考えることさえ捨ててしまった彼の内側の澱はまだおそらく抱えられたままだろう。
しかし、彼はようやく自分に関わるすべての事象に折り合いをつける手助けとなる存在に巡り会った。
ようやく彼は己が育った街を愛しい人と歩ける。


 けれど。


 ふたりとも、いや副教皇までもが祭の賑わいを甘く見ていた。人並みにもまれ流されてシルマリルは夫に当たる男の手を離してしまいはぐれてしまって、かつてと同じに途方に暮れる。アララスは彼と何度も歩いたから迷うことはないけれど、それでも人があまりにも多くてどうにもできずに立ち尽くす。
 このままロクスに見つけてもらうのを待つ? …副教皇がくれたせっかくの休みがそれではあまりにももったいないし申し訳ない。自分はともかくロクスはほとんど休日もない様子で日々の催事に追われている。
 じゃあロクスを探す? …それはもっと無理。探し回って逆にさらに迷子になれる自信は満点。
結局シルマリルは目立つ自分の装いを頼りに、目につく場所をそぞろ歩く事にした。
ロクスが次の教皇になる男で、次の教皇猊下が高位の僧侶らしく白に金刺繍の法衣と彼の色でもある紫の上着をお召しになっていることを、町の人々は彼の顔を知らなくてもよく知っている。
シルマリルの着る服はその立場を暗に示していて、ロクスのその日着ている服と色を合わせられている。今日は白を基本にし、重厚な金十字をそこここに施してある裾の長いワンピース。肩を包むケープは紫。
服の色を合わせる自分たちだけの慣習をロクスはいたく気に入っていて、まるで子どもだと少し呆れていたシルマリルだったけれど、それが図らずも役に立つ日がこようとは…いやそれ以前に、相変わらずの自分にちょっと呆れてしまった。
たぶん、いやきっとロクスははぐれてしまった自分を探しているに違いないのに、自分は動けないなんてもどかしいったらありゃしない。
しかしいくら悔いても彼が見つかるはずもなくて、シルマリルは思わず自分の頬を片手で包むみたいな仕草を見せながら高く晴れた空を見上げた。



 祭という喧騒の坩堝は時に思いも寄らぬ再会を引き寄せる。
自ら別の目的を持って聖都に来たアイリーンはともかく、この喧騒の中にもうひとり、シルマリルの勇者がいるとは当の彼女も、勇者であった「彼」も思ってもみなかった。
 闇色の短い髪とすらりとした立ち姿、腰にはもう珍しくなりつつある刀身の心持ちだけ長い剣。堕天使と天竜が去ったアルカヤでは相応の腕がないことにはもう傭兵家業は務まらなくて、それでも剣を生業にしている者は相応の腕自慢になるということで、前よりも評価される事になる。
 天使シルマリルの勇者クライヴ=セイングレント。吸血鬼を狩るもの。
闇の帝王レイブンルフトがかつての同胞の生き写しである次の教皇に討ち取られた話は、その事情を深く知る聖ディアナ、いや森の少女セシアから聞かされた。
己の手で穢れた血を絶てなかった事にその時は恨みに思ったけれど、シルマリルが天に戻った今では彼女の優しさを思えばその選択は致し方ないか、と思うようになった。
 そして、今思えば、自分は間違いなく彼女を愛し求めていた。
けれどシルマリルの責務は重々承知していたし、いずれ引き裂かれる存在ということも理解していて――――結局、男として手を差し伸べることはなかった。
臆病者に天使は微笑まないから強くあったけれど、男としては最後まで怖がりのままだったから彼女の手を掴み損ねた。
 ともかくクライヴは呪わしい血と忌まわしい過去を愛する女性との別離を代償にして断ち切ることができ自由の身となったけれど、今でも時々シルマリルの微笑を夢に見るほどの未練は残している。
彼女の慈愛があたたかければあたたかいほど、その記憶はおそらく簡単に薄れはしないだろう。時間しか解決できないこと。彼女の導きで手にした重い剣を思い出の残り火にして、彼は求められるままに傭兵としてさすらっていた。
 聖都に立ち寄ったのは、シルマリルを思い出させる催しが行われると聞いたから。
彼自身少々未練がすぎるとは思ったのだけれど、旅芸人一座の教皇候補と天使の冒険活劇を目にして思わず、そしてらしくないことに苦笑いなんかして…おとなしい性格で戦う力を持たなかったシルマリルが、どこでどう間違ったのか剣を携えた戦乙女の風貌で登場していたからおかしくておかしくて。
まあ一座の脚本家の気持ちはわからないでもない。聖都を救った教皇候補が戦う力を持っていたなどとは普通は思わないだろう。
しかしクライヴは一度だけ目の当たりにした、化け物に手ひどく痛めつけられた際偶然天使と教皇候補の一行に鉢合わせ、彼の力で怪我を癒されただけでなく運悪く帝国兵に出くわした。
そこで自ら腕に物を言わせた教皇候補の強さといったら、その辺の傭兵顔負け。見目麗しい優男でありながら天使をあべこべに従えて苛烈な戦いぶりを見せてくれて、唖然とした記憶がある。
 あの男も今はこの街にいるのだろうか? いろいろとよろしくない噂も絶えない男だったけれど、性根まで曲がっているわけではなさそうだった。それに、闇の帝王だけではなく天竜にも立ち向かい打ち倒した男、多少の悪評などかき消されてしまった。
おそらく、この祭を機に彼は教皇になるのだろう。そんな噂をそこここで耳にした。
アララスの喧騒は嫌いではない。クライヴにとってそれはすべてシルマリルを思い出し懐かしむだけのあたたかさをくれる。
彼女は間違いなく自分を闇から引きずり出した「運命」だった。

「あら! クライヴじゃありませんか!」

 そして、運命は再び彼の元へと舞い降りた。聞き慣れた声に名を呼ばれ、歩きながら立ち止まりそうになりつつ回想に沈んでいたクライヴがハッと我に返ると――――手を解くしかなかった愛しい天使そのひとが、手の届く近さに佇んでいた。
 輝くばかりの美貌の少女。人ならざる存在は容姿からして人のそれとは次元が違う。
数々の画家が魅了されその御姿をどうにか再現すべく腐心しても、そのものが目の前に存在しただけですべてがかすんでしまう。天使とはそんな存在なのだとクライヴは何度も思い知らされた。それだけではなく、彼女は誠実で優しくてなのにどこか脆さを隠していて――――人間を無条件に。有無を申すことを許さず魅入る存在。
それが天使。シルマリルは幼くても背に翼持ち天駆ける、人より上の存在だった。
 けれど、目の前の彼女のその背には翼はない。翼がなければ小柄で折れそうな頼りない女性だった。けれどその気持ちは強くて約束を違えぬ、一個人として頼りになる女性だった。
その彼女が…愛しいシルマリルが目の前にいる。相変わらずの笑顔で立っている。
丈の長い服を好んでいた彼女らしく、控えめに脚も腕も慎ましやかに白いワンピースで包んでいて…

 しかしクライヴはハッとした。その色の合わせは、記憶に強く残っている。

「シル…マリル……。」
 白い法衣に金十字、そして紫の上着。銀の髪を風に躍らせる鋭い眼差しの教皇候補。
かつて同じように天使シルマリルを頂き彼女の尖兵として戦った。そして彼女はレイブンルフトを、セレニスを、そして天竜を教皇候補と共に討ち取って…
「お久しぶりです、元気そうですね。
 それに、また強くなったみたいで」
「…人間に…なったのか?」
「あ、ええ」
 それが意味するところを彼女になぞらえて語るには、彼女の存在に、かつてのその立場に簡単に否定されそう。天使を人間と同列に語るのはあまりにも浅はかすぎる。
シルマリルがか弱き天使だったとしても、人が持ち得ぬ力を手にしていたことは疑う余地すらない。
しかし…しかし、彼女の個はあまりにも人間味あふれる存在だった。それに「まさか」と直後に却下するには、彼の記憶に重なる面影があまりにも鮮明すぎる。
 再会はあまりにもクライヴに残酷。それとも単なる偶然で、彼女もクライヴとめぐり合う日を待ちここで再会したのだろうか?
しかし、都合のいい夢を見るには何の約束も存在していない。クライヴは結局彼女に言いたいことを告げずに戦いの日々は終わりを迎えた。
 意を決して訊きたい。けれど知りたくない可能性も表裏一体。
かつて闇を嫌悪し抗い続けた日々が戻ったみたいなざらついた感情が彼の中で蘇り、足も言葉もすくんでしまいそう。たぶん、おそらく、彼女は訊かぬ限り今の立場を語ることはないだろう。
シルマリルとは、そんな女。彼女自身に関してはおそろしく無頓着。
けれど、もしこの再会がクライヴの抑圧され続けた日々とその中にいても光に与し自らを焼く恐怖すら厭わなかった想いへの代償ならば、その褒賞がシルマリルなら、すべてがこの一瞬で報われれる。

 さあ、どうする? 怯えてばかりではどうしようもないことは、彼女とのかかわりで覚えたこと。

「なんだか表情が優しくなったみたいですね。でもひと目であなただってわかりました。
 不思議なものですね、人間の感覚って。もうすぐ一年になりそうなのに、毎日驚いてばかりです。」
「毎日、楽しく過ごしているみたいだな。」
「ええ。天使の力を失って、役に立つようなことはなにもできなくなりましたけど…人間って不思議ですね、ただいるだけの私にもとても優しくしてくれるのですから。」
「君は充分に戦った。きっと…それでいいんだ。
 それだけで…………。」
 けれど、おしゃべりな天使様はクライヴの胸の内なんて置き去りにするみたいにひとりでしゃべり続ける。うっかりしていると聞き逃しそうなほどに低く、ぼそぼそと抑えた話し方をする彼の言葉を聞き逃さないのは彼女の性格だったらしく、祭のざわめきの中でも向き合い話しているその存在感が…クライヴにはつらかった。
「いいのでしょうか? あなた方の時間でたった2年…その間だけしか必死になってない私なのに。」
 言いながら日差し色のやわらかい髪を左手でかき上げる彼女の仕草で、クライヴが問いかける前にもっとも残酷な答えが返された。

「……教皇庁に……いるのか?」
 左の薬指に細く輝く指輪。
 純白の絹のワンピースに控えめに、しかし豪奢にあしらわれた金十字。
 あたたかみある紫色のケープ。
…彼女に問うまでもない。

「え?」
「俺と同じ君の勇者だった男と…同じ格好をしている。
 この祭の最中に教皇になるとのもっぱらの噂だ。」
「あら…ええ、慣習というか……シスターたちと同じ格好をさせてほしい、って言っているのですが。
 でもよかった。この人ごみではぐれてしまって…この格好なら誰に訊いてもロクスを見かけた人なら覚えてるでしょうし説明もしやすいですし。」
 彼女の言葉の通り、説明するまでもなくクライヴが諦めてしまうほどにわかりやすすぎる。
そしてあまりにも変わりない、鈍いシルマリル。愛しい男の名を、同じように彼女を思い続け断ち切れずにいる男の前でさらりと口にする。おそらく彼女のあの勇者ならば、どんな憎まれ口を叩きつけられようと恨み骨髄に呪われようと、不敵に構え一笑に付してしまうのだろう。
…そう。彼は勝者で、その他の敗者どもの言葉など恨み言にも捨て台詞にもなりはしない。
「幸せ…みたいだな。」
 もう、悲しんで欲しくなかった。人間どもの諍いで胸を痛めて欲しくなかった。
守りたくて剣を振るい続けたけれど、自分はそこで満足してしまった。
おそらく教皇候補は己と同じに戦い、そしてそれ以上の感情を彼女に表したのだろう。その結末、彼女の決めたことが今のこの状況ならば、クライヴには受け入れることしかできなかった。
それでも彼女を目の前にして微笑むことができるこの感情をなんと表せば適切なのだろうか? シルマリルという女はクライヴになかったものすべてを与え続ける。
たとえ隣に立つことはもうなくても、それでも彼女はクライヴに与えるものがまだまだあるらしい。
「シルマリル!」
 クライヴと彼女しかいなかった空間に、ただひとり飛び込める声の主が、大きく彼女の名を呼びながら飛び込んできた。
「まったく…迷子にならないようにって言った矢先に迷子になるかよ。
 目立つ格好だから散々訊きまわって見つけられたけど…って、…………ああ、再会か。」
 やはりシルマリルの服はその立場を如実に表していた。クライヴの記憶にも残っている白い法衣と紫の上着、今日はそれに同じ紫のベレー帽。いかにも高位の僧侶、と言ったいでたちの優男、かつて天使の勇者だった、今はただひとり存在している教皇候補のロクス=ラス=フロレス。
天使だったシルマリルが人になってまで寄り添いたいと望んだ男。
「僕は邪魔か? 一応面識がないわけでもなし、簡単に挨拶ぐらいしたいけど。」
 そして、ロクスも少々胸中複雑。シルマリルと一緒だったのは、かつて自分と同じように天使の勇者だったクライヴ=セイングレント。彼女に想いを寄せた男のひとり。
彼女のただひとりになれた今でも、気を抜けばどうなるか、と言った具合の不安は常に存在している。もちろんシルマリルは人間の女になってもその中身は天使のそれのままだから彼女を信じていないわけではない、けれど…。
「本当、偶然ってあるものですね。たまたま今日外出したらクライヴに会うなんて。」
「日頃の行いだろ。君は僕と違っていい子だから、って副教皇も言ってたし。
 ああクライヴ、あの時の怪我はどうだ? 利き腕の肩の筋まで届いていた様子だったが。」
「…多少の怪我なら触れるだけで、と言うその力…癒しの手とは確かに魔術の類とは違う力だな。
 半信半疑だったが、あれ以来もう痛むことはない。…感謝している。」
 お互いに、相手を憎むにはどちらもいい男すぎるからそれができずにいる。
ロクスは自分と違い表立って荒事をいやな顔ひとつせず引き受けるクライヴがうらやましかったし、クライヴも戦う力を持つことを戒められる男のはずなのに、彼女のためならとそれを手にすることを厭わなかった、迷わなかったロクスの自我の強さがうらやましかった。やはりシルマリルの衣装はロクスに合わせて見立てられているだけあって並んで立っているだけで教皇庁の象徴のようで疑う余地など微塵もなくて、その微笑みは愛する男の隣にいる安心感が招いていることは問わずともわかる。
「深手を負った君を見つけた時、シルマリルが血相変えて泣き出す3秒前の顔見せたからな。
 泣くと厄介なんだ、彼女は。」
「…私は別に泣き虫では」
「はいはい弁解はそれらしい説得力を持たせてからにしような。

 別に初見でもないけど、君は彼女が天使ではなくなったことをよく知らないだろうから改めて紹介しておくよ。
 君には天使シルマリルだろうけど、彼女は人間になって名前も変わってね。
 シルマリル=アンジェリカ=フロレス、僕の妻だ。」

 最も聞かされたくなかった言葉を、彼女の思う男から聞かされてもっと言いようのない嫌悪感や、いや憎しみが生まれるとばかり思っていた、恐れてすらいた――――けれど、クライヴは穏やかに、しかしはっきりと微笑みうなずいた。
 シルマリルはアルカヤを選んだ。そして別の男の隣ではあるが幸せでいる。
穏やかな微笑みはまた拠所にできそうなのだけれど、それに依存はできなくなった。
その感情が決別だと言うことを、クライヴはまたシルマリルから教わった。
おそらく目の前のこの男のことだから、クライヴが想いを再燃させぬようにと止めを刺しに来たのだろう。一見嫌な男なのだけれど、想いを残し引きずるよりは、今はつらくても清々しいかもしれない。
 未練がいくら残ろうと、シルマリルはもう他人の妻となった。この男の腕に抱かれて幸せを感じている。
ならば、もう自分は男ですらないのだろう。彼女はそんな残酷で清々しいほどの一面を持っていることを、クライヴは知っている。
 ロクスも、確かに牽制の意もあったけれど、なによりクライヴの未練を断ち切るためにあえて憎まれ役を買って出た。シルマリル以外の他人のことを思えるようになったとは、自分自身驚いているけれど……もし自分がクライヴだったら。
シルマリルがクライヴを、ここにいないフェインを、自分を貫き死んでいったヴァイパーを選び差し出した手を取ってくれないのだったら…死んだ人間はともかく、生きている人間の口から、諦められる言葉を聞きたい。
恋心に止めを刺して欲しい。
それで死ぬことはない厳しい現実でも、ずるずると未練たらしく引きずるよりはいい。
シルマリルは男の恋心に止めを刺すどころか生殺しに等しい永遠を与えるひどい女だから、その役目を気づいた自分がやらねばクライヴはなかなか断ち切れないだろう。
シルマリルとはそんな女。天使だった女は人のそれでは最上級に位置する、とロクスは惚れた欲目を半ば諦めの境地で悟っていた。
「私は教皇庁にいます。ここにいる間、なにかありましたらいつでも声をかけてくださいね。
 アララスの案内ぐらいはできるようになりましたよ。」
「ああ。」
 ほら。やっぱり彼女はなにもわかってない。クライヴの痛みもロクスの焦りも、彼女のあずかり知らぬこと。
ふたりとも、それがわかっていてこの女に惚れたからどうしようもない。
「悪いな、ここで生まれ育った僕の方が詳しい案内はできるけど、あいにく選出の儀の準備中でね。
 今日のこの外出もこれから先しばらくの休日と引き換えなんだ。
 でも、シルマリルじゃないが、なにかあったら遠慮なく来てくれ。千年前からの同胞としてできる限りのことをするよ。」
「…俺の手が役に立つようなことがあったら、お前こそ遠慮などせず俺を呼びつけろ。
 この体を元に戻してくれた恩すら、俺はまだ返せていないのだからな。」
「ははは、そんな恩忘れてくれていいよ。僕はたいしたことしてない。」
 シルマリルはそんな己の勇者たちのやり取りをにこにこしながら眺めている。
鈍い女。残酷な女。自分を選ばず別の男を選ぼうと嫌いになれないほどに、クライヴは彼女に依存しさまざまな感情を受け取った。それはおそらく目の前の男も同じだろう。
いたたまれないこの場でも立ち去れないのは簡単で、クライヴはシルマリルだけでなくロクスも好きだから。
ロクスもクライヴは嫌いではない。どうしても、何があろうと彼女を預けるわけには、とまで思いつめたフェインほどの拒絶はない。おそらく彼女だけを見ていた男同士に共通する感情から来ているのだろうとロクスは意外にも客観的に感じている。
千年の時を超えて天使をいただき戦った男たちは、今また天使をいただいたことでつながった。
奇妙なつながりだけど、確信せずにはいられない。

 しかし祭の喧騒はさまざまな感情を飲み込みかき消してしまう。

2008/10/05

かなり長いこと続きを書けなかった「降臨祭」、最初に用意していた一番の山場を書けました。そしてずいぶんボリュームが出てしまいましたが、どこで切りようもないので、そのまま。
読み手さんに優しくない物書きでございます。

シルマリルを好きだった男性との再会と彼の諦めに至るまでの経緯を、穏やかに。
ロクスを絡めながらシルマリルに向かう感情を昇華させる。
相手はフェインかクライヴか、と迷っていましたが、アンケートの投票を受けてクライヴで。
クライヴを小説に登場させたのは初めてですが、なかなか取り掛かれなかったなりに彼の台詞回しなんかが出てれば幸いです。

ただ、書いていて楽しかった話ではあるので、こうなったらどまったりペースで勇者全員書いてみてもいいかな、と…すべて連作の中の読み切りと言った形にはなりますが、天使が勇者を選び地上に残った場合、もちろん再会の可能性はあるので。
フェバ純白は話の重みの分キャラの存在感も濃くてこういう妄想が楽しゅうございます。