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ナーサディア、シーヴァス
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宴はまだ終わる気配を見せない。
妖艶な舞姫と清楚な歌姫の対比は見事なまでに正反対で、だがどちらも美女の中でも飛びぬけているから騒がしいばかりの酔っ払いたちも気圧されて演目に魅入られた。
歌声に引きずられた人間は最初から魅入られてこの場に集まった。
長い長い三拍子の繰り返しは貴族が好む舞踏曲から陽気な民謡まで幅広く使われる節回しなのだけれど、奏でる楽器や曲の流れで表情を情景をいくらでも変えられる。
金の髪の清楚な歌姫が歌う長い民謡は悲しい望郷の歌で、爪弾く音色に人生を刻み付けるすすり泣くようなリュートの音色がそれに拍車をかけ、琥珀色と言う色褪せた明かりの元で踊る舞姫の物言う眼差しが時に突き刺すようで、旅に生きる者たちも多い酒場の空気に染み入るようだった。
今夜に限って、この場にそぐわない人間の姿が多々見受けられる。
それは善良な、酒も飲まないほどに真面目な農夫だったり、少し疲れたような修道士だったり、旅芸人の同業者だったり貴族の青年だったり。店の最奥の卓で歌姫に視線を注ぎ続ける貴族の青年は少し疲れたような気弱な表情を一瞬だけ見せ、すぐに長い前髪で隠し深いため息をひとつついた。
唐突に、琥珀色の空間が明るくなった。
それは曲の終わりの合図、半分ほど覆い隠されていた大きなランプの覆いが取り払われ、突然照らされた踊り子の清々しい微笑がまぶしいほどに強く見える。割れんばかりの拍手と喝采の渦、観客はそれぞれに立ち上がり喜び立った3人の一座に惜しみなく賞賛を浴びせ続け、前の席にいた者たちはすでに逆さに置かれた少し傷んだ粗末な帽子に見料を放り入れ始めていた。舞台から最も離れた場所からはその中身はうかがうことも出来ないけれど、ひっきりなしに小銭や銀貨が切れずに入れられているあたりから察するまでもなく相当な大入りになりそうな勢いだった。
見料を払う者、一座に賞賛を浴びせ続ける者、彼らに直に声をかける者など、狭い店にこんなにも人が詰まっていたのかと今さらながら驚くほどの人ごみの中、こうなっては舞台の上などまったく見えるはずもなくて、貴族の青年はようやくほっとした様子で首を左右に2,3度軽くひねった。長くしなやかな金色の髪が揺れる様はやはり女性のそれを思わせるのだけど、彼が男性だというだけで、酒場には珍しい客がいることをまわりは気にも留めずそれぞれの時間を動かしすぐに酒場らしい喧騒が戻ってくる。
酒場としてはまだ宵の口、なのだろうが、皆の行動を見る限り今日の演目はもう終わりらしい。店の中の音は音楽と歌声から人々の喧騒やグラスや皿の触れ合う甲高い音に変わり、青年は潮時を感じ始める。
夜の通りで聞き慣れた声が聞こえた。
しかし、その声はありえない場所から聞こえていた。
だから窮屈でうるさいばかりの安酒場に足を踏み入れた。
そこは貴族の青年が立ち寄るような場所ではなく当然浮いて見えるはずだったけれど店はすでに一座の演目に魅入られて誰も彼に目もくれなくて、声のする方に視線を向けたら思い描いていたとおりの声の主が琥珀色の頼りない明かりを浴びながらそこに立っていた。
頼りない明かりの中でもすぐに彼女だとわかるほど、特異な存在は自ら淡い光を放っているかのよう。
歌に引きずられた者たちと同じに、その歌声を聴きたくて座りたくても空席が見えなくて、彼女に背を向け奥へ奥へと人並みを掻き分けてようやく空席らしい空席を見つけて青年は歌を聴き始めたのだけれど――――確かに彼女は顔見知り、自分では結構親しい間柄だと思っていたはずなのに、彼女の歌を聴いたのは初めてで、そのうまさには素直に驚かされた。
喧騒が戻り、青年が目を閉じてももう聞き慣れた声は聞こえない。まだ同じ空間にいるはずなのに、人の喧騒とはこんなにも強いものだっただろうか? 耳に優しい聞き慣れた声が聞こえない。
ざわめきはまた強くなりうねり大きく揺れて渦になり、目を閉じた青年は自ら作り出した暗闇の中にそれだけを感じていて――――
「ちょっとよろしい?」
聞き慣れない女の声に、青年ははっと目を開けた。ざわめきのうねりの中心は今彼に声をかけた当人だった、歌姫のそばで踊っていた妖艶なあの踊り子が卓に頬杖を着いていた青年を見下ろしていて、その向こうに山のような男たちの人いきれを連れて来ていた。
そのほとんどが踊り子の美貌に目がくらんだ酔っ払いのようで、彼らは殺気に似た鋭い感情を視線にこめて眉目秀麗な貴族の青年をねめつけているけれど、それを受ける青年の視線はきょとんと踊り子の彼女、ナーサディアを見上げている。
「……申し訳ないが、酌の相手なら後ろの彼らにお願いしていただけないだろうか。
私は顔見知りが舞台の上にいたから目を外せなかっただけで」
だが、美しい舞姫に声をかけられた果報者の最初の言葉は、やんわりと、けれどきっぱりとした断りの言葉だった。迫力すらある美貌と迫力ある立ち姿を持つ妖艶な美女を見上げながらも、立ち居振る舞いが洗練された青年の口から出たのは先走った断りの台詞だったから、彼女の取り巻きの男たちの殺気はいや増した。
彼の推測どおりに誘ったつもりは毛頭もないナーサディアだったけれど、まさかいきなり先手を打って断ってくるとは思っていなくて、嫌味に聞こえないその台詞と声色に思わず目を少しだけ見開いて彼を見下ろす。
確かにこの空気なら女が男に誘いをかけようとした、と彼が解釈してもおかしい話ではないが、こうも早く、いや取り付く島すらない反応の速さで断られると多少のことは笑って受け流すナーサディアでもさすがにカチンと来てしまう。それでも彼女は嫌な顔ひとつせずに今度ははっきりと凛々しい貴族の青年に笑いかけ、断られたにもかかわらず空いていた椅子を引いてそれに腰を下ろし、彼と同じに脚を組んだ。
「そうやって可愛いお嬢さんを誘っているのかしら、素敵な剣士様?」
ナーサディアが彼を真似て頬杖をつくと、彼は組んだ脚を解き頬杖も外し腕を組む。
勘違いには勘違いで返すつもりなのだろうか、ナーサディアは酒場の床より一段高い場所にいたことで店の奥までおぼろげながらも見えていて、店の一番奥にいたこの青年が清楚な歌姫に釘づけになっていたことはしっかりと見ている。
そういう意味では推測は的外れではないけれど、図星を突かれて不愉快なのかそれともあまりにも当たりすぎててごまかしきれないと思い不機嫌な顔でごまかそうとしているのか、青年はわずかではあるが眉根を寄せ、しかし反論するでもなく問いかけの答えを濁した。
「ご想像におまかせするよ。」
「でも、およしになってね。あの娘は私の大事な人なの。」
この青年は、確かに「顔見知り」といった。どう見ても身なりも立ち居振る舞いも貴族のこの青年が、旅から旅の旅芸人の男と顔見知りとは思えないし、ナーサディアだって初対面だと言うことは間違いない。
となれば、残るはあどけない歌姫しかいない、けれど……むしろ顔見知りのふりをした誘い文句と受け取った方がしっくり来たナーサディアは微笑みと共に先手を打つようにけん制する。
あの歌姫はナーサディアが連れてきた。人前に出て歌うことにいい返事を返してくれなかった彼女が譲歩してナーサディアのわがままを聞いてくれたのだから、得体の知れない男の言葉を真に受けるわけにはいかない。
歌姫は酒場の酔っ払いの下品な野次の前に晒せる存在ではないのに、彼女はナーサディアの悪ふざけにも似たわがままをかなえてくれた。
……だからナーサディアは、得体の知れない男の戯言を真に受けるわけには行かなかった。
「可愛いお嬢さんも美人もこの世にはたくさんいるわ。だから」
ナーサディアがさらに追い討ちをかけて牽制する。自分のわがままで本来この場にいてはいけない存在を引きずり出したのだから、彼女に魅入られた哀れな男だろうと情けなどかけられないし、それに目の前の見目麗しい青年はどこか女に慣れていそうな危険な空気を持っているから油断できない。
「あなたが何を考えているか想像はつくが、本当に顔見知りなんだ。それに、彼女は人間ではない。」
対する青年は彼女の笑顔の裏に潜む感情を見事に見抜き、今度ははっきりと不愉快そうな表情を一瞬見せ、駆け引きに疲れたのかはぐらかさず、ごまかさずに自分の事情をわずかに口に出す。
まさに水面下の戦い、大人の男と女の珍しい駆け引き。ナーサディアは自分のわがままが引き寄せたトラブルを大きくするわけには行かなくて、青年にもこうなってこの場に来ることになった事情などいろいろと知りたい背景がある。
「ナーサディア、ここにいたのですか。
あの方からお礼と言うことでお金を預かっていますよ。」
そこへ間が悪いことに、あの歌姫がやってきた。彼女の背後にも色に巻かれた男どもがにやつきながら黒山の人だかりを作っているけれど、当の彼女はそんなこと気づいてすらいない暢気な様子で、のほほんと笑いながらナーサディアに声をかけてきた。
彼女は小さな両手で大事そうに重たげな皮袋を包んでいて、その言葉からも中身が彼女らに支払われた金子だと言うことは想像できる。皮袋の大きさからさらに推測すると、かなりの実入りだったことは容易に察して取れた。
「あら、シーヴァスではありませんか。あなたもこの町にいたのですね。」
至極当然の理由とはいえ来て欲しくなかったこの場に現れた幼い歌姫の姿にナーサディアが思わず顔色を変えたけれど、続く言葉は彼女に向けてのものではなく、歌姫は同じ卓についていた青年に目を向け穏やかな笑顔で言葉を投げかけた。
うら若き乙女、なのに上品な物腰と貞淑なほどの服装。行き届いた躾と素直な性格が同時にあったのだろう、少女らしい闊達さに欠ける大人びた少女だが、表情はあどけない通り越してどこか子どものようですらある。
青年は名を呼ばれて思わず返事より早く声の主を見、直後薄暗く不確かな足元に目をやった。
「また馬鹿なことをしでかして……こんな場所で裸足になるとは。」
あからさまなため息と共に吐き出された彼の言葉を裏づけるように、歌姫の慎ましやかな長い長い薄い若緑色のドレスの裾から、白いつま先がちらちらと見えている。毎日掃除されているとは言っても多くの人間が集い時には割れ物が割れることもある板張りの床を、なにもわからない幼子みたいにやわらかな裸足でぺたぺたと歩いていたことを彼は遠くから眺めていた中で見抜いたらしい。
「え?」
「舞台にいた時からずいぶん不自然だと思っていたんだ。いくら君が小柄でもあんなに小さく見えるなんて、なにかやらかしたと思っていたが……ほら。」
シーヴァスと呼ばれた彼は己の隣の高い椅子を引いて歌姫を促すけれど、彼女はなにがいけなかったのか、なぜ呆れたみたいなため息をつかれたのかよくわかっていない。それでも素直そうな外見どおりに彼女は彼の隣、ナーサディアとは差し向かいに近い席に腰を下ろし隣の青年を見上げた。
「顔見知りなの、シルマリル?」
そのやり取りは彼の言葉を裏づけるもので、彼を不埒者と推測しあしらおうとしていたナーサディアは当然驚いた。身を乗り出しつつ目の前の歌姫に問いかけると、彼女は返事より先ににっこり笑い、そして少し遅れてうなずく。
「はい。」
「と、いうことは……」
言いながら、ナーサディアがゆっくりと、おずおずとシーヴァスの顔を見る。
ようやく嫌疑が晴れたシーヴァスはまずは自らの名乗りを上げるべくため息を隠そうともしないで口を開く。
「同業者と言うわけか。
私はシーヴァス=フォルクガング、ヘブロンの貴族だ。あなたは?」
「……ナーサディアよ。職業は、見てのとおり。」
「同業者」――――彼の言い回しは実は言い得て妙で、誤解を重ねてしまったナーサディアは申し訳なさそうに言いよどみながらも礼儀は礼儀、と自らも名乗って返す。ようやく晴れた嫌疑にほっとしたシーヴァスは今までのやり取りを忘れるとの意思表示か、はっきりと表情をほころばせてさらに言葉を続けた。
「素晴らしい踊りだった。お粗末な歌劇よりずっといい舞台だったよ、ナーサディア。」
「ありがとう。」
ひとりの少女でつながった見知らぬ者同士、やっと少しだけ打ち解けた様子で挨拶を交し合う。……とはいえナーサディアはさすがにかなりばつが悪くていつもの彼女からは想像するのが難しいほど歯切れの悪い口調でぎこちなく微笑むのが精いっぱい。
しかしシーヴァスは別段気にした素振りも見せずに端整な表情から女性にむけての甘い微笑を引っ込めた。
どうやら正体不明の貴族の青年は女慣れしている類の男のようで、余裕を取り戻し一度組んだ腕を解いて再び長い脚を組み、ナーサディアにたっぷりの愛想を向けたあと――――
「……それで、何故天使が人間のふりして歌姫の真似事なんてしていたんだ、シルマリル?」
元々の顔見知りには笑顔と呆れたような声色で鋭い詰問を向けた。
「あ、そのっ……」
「おとなしいふりして無鉄砲だとは思っていたが、私の素行に散々文句をつけるくせ、裏ではこんな面白そうな遊びに興じていたとはな。」
「あ、遊んでいたわけではっ」
「ずいぶん楽しげだったが、あくまでも遊んでなかったと言い張るんだな?」
「天使が人間のふりして」「歌姫の真似事」――――シーヴァスは激昂するわけでもなく語調は淡々と、だが言葉は辛辣にずいぶん年下に見える彼女を責め立てた。強い調子で名を呼ばれぐさぐさと直に突き刺さるような言葉を投げられ責められて小さなシルマリルがさらに小さくなる。
「……君は私たち人間にあまり干渉してはいけなかったのだろう?
君の好奇心が人並み外れていることは私もよーく知っている。しかしな、好奇心を優先して戒律破りだなんだと上位の天使に叱られるのは君なんだぞ。」
無名の歌姫の少女ではない。無名なのは当たり前、彼女の本当の肩書きは「天使シルマリル」。
無限の回廊を歩き続ける呪われた大陸『インフォス』のひずみを正すために、大天使ガブリエルの命を受け天界から遣わされた幼い天使。
素養だけを見込まれた戦う力を持たない幼い天使は己の剣として13人の『勇者』を選び出した、シーヴァスはそんな彼女が最初に見出した勇者で、ナーサディアも同じ天使シルマリルの勇者。
つまり、シーヴァスの言葉のとおり『同業者』。
彼らが生きているインフォスの歪みの原因は、現在まだおぼろげにしか見えていないがその影響は深刻だと言うことを天使は認識している。
彼女の勇者として選ばれたシーヴァスも、ナーサディアも、他の彼女の勇者たちももう何年も年齢を重ねていない。
シーヴァスは凛々しい23歳の青年のまま、ナーサディアは程よく熟した美しい25歳の舞姫のまま。
天使が年齢を重ねないのは時間の概念が違うから当然、しかし時の流れが瞬きにも似た人間たちが、相応の時間を経て年齢を重ねないのは不自然通り越しておかしいだけの話。
「……………………。」
「おとなしく見せて叱られなければ気づかないほど無鉄砲なのもほどほどにしておいてくれ。
他の勇者の優しさに甘えてばかりいると大事になるぞ。」
だけど、様々なことを、彼らより多くの事柄を理解できてもシルマリルはまだ天使としては幼く未熟で不完全で、下等な存在に過ぎない人間たちに嫌な顔をされたり、ともすれば叱られることもある。
回るばかりの時間の中で世界は滞り勇者たちの時間は堂々巡り、だけど共にすごす時間だけは重ねて重ねて彼らはそれぞれに幼く至らない天使に親愛の情を覗かせるようになった。愛想や敬意だけでなく人間の裏側の感情を覗かせると言うことが彼らならではの親愛の情だということだけは幼い天使に伝わっているから、天使様はひと時不愉快な思いをしても引きずることはなく、関係はなんとか円満、円滑。
ナーサディアは歳の少し離れた妹と過ごすように天使との時間を楽しむようになった。
シーヴァスは口うるさいお目付け役のお小言を聞いているのが当たり前になった。
しかし視点が違うのが男と女、少しやんちゃだけど基本的におっとりしているシルマリルと同じ空気を共に楽しむナーサディアとは違い、女と言う花を渡る蝶のような生き方をしているシーヴァスにとって美しすぎる天使様の中身が子どもだと言うことは大きな心配の種となって長く、いつもは生真面目な天使のお小言を右から左へと聞き流し、時折意外な行動を取る彼女に同じような小言を返すような、微妙な間柄になった。
その感情を端的に表せばどういう言葉になるか、シーヴァスは知っている。知っているけど、認めていない。
心配しているのとは少し違う、そう思っている。
今回のことについても本当のところ彼の憶測は現実とは明らかにずれがあるけれど、ここまでの間、いたずら心が負い目に変わり後手ばかり踏まされたナーサディアが口を挟めそうな余地はなかった。
シルマリルはまったく悪くない、けれど生来気が弱いほどにおとなしくなかなか口答えの類が出来ない彼女は言い返せない欠点でもある好奇心の大きさを責められて、思いあたりがありすぎるからしゅんとしおれながらうつむくばかり。
「――――遅くなると性質の悪い酔っ払いに絡まれるぞ。そちらの舞姫殿はあしらうのも慣れたものだろうが君は違うのだから、もたもたせずにさっさと姿を消してしまうことだな。」
そんな彼女の反省しきりの様子は、シーヴァスに自分が言いすぎていることを気づかせるには充分すぎるほどだった。彼は言うだけ言ってしまうと、剣を携えているだけの身軽な姿でこの場にいたから、気まずい空気から逃げるように席を立ち美女ふたりに背を向ける。しょげ返るシルマリルがはっと顔を上げても彼を引き止められるはずはなく、ことごとく会話する機会を奪われ続けているナーサディアは最後の機会も逃してしまい、彼女たちも勘違いしたまま立ち去る男になにも言えないまま。
シーヴァスの夕焼け色の上着が酒場の明かりと人ごみにまぎれて見えなくなり、ナーサディアはようやく叱られて落ちこんでいるシルマリルにおずおずと言葉をかけた。
「ごめんなさい、シルマリル。彼、勘違いしたまま行っちゃったわね。」
ほとんどがシーヴァスの勝手な解釈、早とちり。己の推測、憶測で彼は軽率な天使様に呆れ腹を立て勝手に怒って立ち去った。
しかし、真相は違うとは言え、ナーサディアはちょっとしたわがままがこの状況を招いたことをシルマリルに申し訳ないと思っていて、シルマリルはシルマリルで、厳しい天界の戒律があるというのに己の好奇心に勝てずに今に至っているから、原因は自分にあると思っていた。
「……日ごろの行いの至らなさのせいでしょう。シーヴァスにはずいぶん諌められたりたしなめられたりしていますから。」
なまじシーヴァスが他の女性に甘いことを知っているだけに、己が女扱いされていないことに気づかずに幼い天使は自分の至らなさを責めてばかり。
しかし正反対に、そこまで聞いてナーサディアの瞳が再び輝きだした。同業者の剣士殿はどう見ても女慣れしていた、けれどひとりだけ女扱いしていないなんてあまりにもわかりやすくて笑ってしまいそう。
経験豊富な大人の女性、甘く切ない恋の歌で踊ることも多い踊り子は人の感情を己の体で歌い表し語るから、それを感じることができないと話にならないから――――
「シルマリル、誤解されたままでいいの?
私はここでゆっくりしてるから、とりあえず誤解だけでも解いてきたらどう?」
「え……」
「自分から言い出したんじゃないって、ありのままを伝えればいいのよ。」
「でも、それではあなたが悪いみたいになって」
「誰も悪くないかもしれないけど、誤解されたままじゃこれから先大変かもしれないでしょ?
あなたの役目のためにも誤解を解いておいた方がいいと思うわ。」
口実は、足がかりはなんでもいい。ナーサディアは己が感じた印象に素直に、忠実に、幼い天使の背中をぐいぐいと言葉で押し続ける。
女に慣れたはずの色男は彼を相手にしてくれそうにない生真面目な天使様を心憎からず思っているはず。
「それに、怒っているというよりあなたを心配してただけよ、きっと。
このままだと彼も嫌な夜を過ごすことになるけど」
「い、行って来ます!」
ナーサディアがなにげないふりをしながら天使様の弱いあたりを軽くくすぐると、それだけで彼女は跳ねるみたいにその場を離れ酒場を飛び出してゆく。
自分はともかく他人の痛みにめっぽう弱いお人よし、そんな彼女をナーサディアは気に入っている。おそらく他の勇者たちも、そしてあの青年も同じあたりを気に入っているはず。
意外に人間くさい彼女のために戦うのは悪くない。
さて。この先どう転ぶのだろう?
ナーサディアは思わず口元をほころばせつつそんなことを思いながら、しばらくして戻ってくるだろうシルマリルを待つ間、踊り疲れた体を癒すために少し飲もうと席を立った。
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