其ノ参








痛む躯を引き摺って、顔一面に渋みを貼り付けて。
迎えた時と同じ憮然とした表情で、京一はでっぷりと肥え太った男を見送った。

見送ったと言っても、見えなくなるまでその背を見詰めているとか、そう言った事はまるでしていない。
男が伎楼の敷居を跨ぐよりも先に、京一の方がさっさと背を向けて奥に引っ込むのが常だ。
その後姿は追う事を拒絶し、行為の最中、乱れ乱れて男を誘った人物と同じ背とは思えない。

それでも、男達は懲りずに彼に貢ぎ、代価の如く彼を組み敷く事を繰り返すのである。


意識を何度も飛ばすまで行為を強要された所為で、京一は疲れ切っていた。
しかし時刻は戌の刻(午後八時)を過ぎた頃で、廓に通う男達の足はこの頃から増え始める。
本格的な営業時間はこれからと言う事だ。

その営業時間を待たずして毎回昼間から来るのだから、あの男は相当の地位と影響力があるのだろう。
だが京一にはまるで興味のない話で、昼間ぐらい寝かせろ、と言うのが本音だ。




座敷を通り過ぎて寝室のある奥間に辿り着くと、一人の少年が京一の帰りを待っていた。
京一付きの禿の、雪路である。




「草汰はどうした」
「………」




挨拶等を飛ばして問えば、雪路は言い難そうに俯いた。
それだけで予想がついて、まぁそんなモンかと、京一は後頭部を掻いて一つ息を吐く。




「しゃあねェな。一日目だ、大目に見といてやらァ」
「はい」




今日、此処に連れてこられたばかりの少年─────それが草汰。
北陸の田舎で農家の子供として日々を暮らしていた少年である。


初めての都にどんな期待と不安を持って此処に来たのか、京一には判らない。
京一の記憶の始まりはこの廓の中で、それ以前のことはどうしても思い起こす事が出来なかった。
目覚めた時には此処にいて、不安や恐怖と言うものは不思議と沸いてこなかったから、草汰のような子供の気持ちは生憎だが理解に程遠かった。

しかし長い間この世界と地位にいるから、この世界を初めて目の当たりにした子供が傷付く事は、大方予想できるようになった。
子供が思う以上に煌びやかで、そして汚い世界が、此処にはあるから。



草汰に代わって感謝のように頭を下げている雪路も、二年前は草汰と同じだった。
雪路の実家は商人だと聞いたが、不渡り手形を渡されたとかで、多額の借金を負ってしまい、雪路はそれを返す為に此処で働く事となった。

初めて此処に来た時、草汰よりもこの世界のことは想像がついていた様だったが、目の当たりにするとやはり泣いた。
今回、雪路が草汰に見せたように、雪路も京一が客に抱かれている場面を見せられた。
改めて眼前に広がった衆道の世界に、雪路は一晩泣き暮らし、翌朝には酷い顔で京一の前に現れたものである。


商売人の息子として、大人の商売の世界を垣間見ていた雪路は、一晩泣いた。
田舎の農家の子供として過ごしていた草汰は、何日泣くだろうか。




「雪路」
「はい」
「今晩は一緒に寝てやれ」
「はい」




京一が言わずとも、そうするつもりだったのだろう。
直々に許可が下りて、雪路は少し安心したように吐息を漏らした。



雪路が泣いていた時も、草汰が泣いている今も。
京一は禿の下に行って、慰めの言葉をかけた事はなかった。

彼らのように不安や悲しみで泣いた事がない京一は、彼らに向ける優しい言葉が判らない。
口を突いて出て来る言葉は真実以外の何者でもなく、出来たばかりの傷に塩を塗るような行為しか出来ない。
自覚しているから、京一は泣き暮れる禿達の傍へ自ら赴く事はしなかった。


その代わり、草汰に雪路がつくように、雪路の時も当時の先輩禿を傍につかせた。
立場も年も京一よりも近かったし、それぞれ不安を抱えて此処に来た経験を持つから、気持ちを共有する事が出来るから。




だが、雪路には草汰を心配するよりも、今はしなければならない仕事がある。

京一の太夫としての仕事は、まだ終わっていないのだ。
彼付きの禿として世話を任されている雪路は、客が来るなら、京一の揚げの準備をしなければならない。




「太夫、化粧を直さないと…」
「ああ。油も持って来い。あのジジィ、目一杯縛りやがって…腕の赤が消えやしねェ」




化粧道具を用意する雪路に言いつけて、京一は忌々しげに自分の腕を睨んだ。
其処には先程の行為の際、腰紐で拘束された時の縛り痕が鬱血して残っていた。

日焼けをしていない所為で、鬱血の後は嫌に目立つ。
これを晒したままで次の客の前に出る訳には行かなかった。



言われた通り、雪路は通常使う粉白粉と紅の他に、練り白粉も持って化粧台の前に落ち着いた。
京一も化粧台前の座布団に腰を下ろす。

着物の上部を脱ぐと、露になった背中は、常よりも微かに赤くなっていて、




「背中、紅いです」
「ジジィが畳の上でおっ始めたからな。痛ェったらねェっつーの」
「冷やしますか?」
「其処までじゃねェ…いや、一応やっとけ。軽くでいい」
「はい」




水に浸した手拭が背中に当てられる。
ひんやりとした感触に、見えない背中が相当赤い事を京一は想像した。


雪路が甲斐甲斐しく髪を梳き直している間、京一は白粉を油と混ぜながら、鬱血した手首に塗った。
他の箇所よりも白が厚くなったが、簡単に白粉が落ちてしまっても困る。
鬱血が露骨に晒されているよりは良い。

常よりもずっと白くなった手首に、まるで死人の手だなとぼんやり思う。
血色を完全に失ったようにも見えて、死人じゃないなら人形の手だ、と。




「太夫?」




腕をじっと見て動かなくなった京一に、雪路が声をかける。

京一が視線を向けると、雪路は少し心配そうな表情をしていた。




「躯の具合が宜しくないようでしたら……」
「いや。なんでもねェ、気にすんな。ジジィの面思い出したら腹立っただけだ」




気遣って言う雪路に、京一は屹然と返した。
それで雪路はそれ以上の言を失う事になり、出過ぎました、と小さく頭を下げて、また髪を梳いた。



髪を整え終えると、雪路は箪笥から着物を取り出す。
行為を所為で汚れた今の着物を着たままで、次の客の前には出られない。

汗を吸って皺だらけになった着物を脱ぎ捨て、次の着物に袖を通した所で、部屋の戸を叩く音がした。




「準備は出来たかな、京一」




この伎楼に置いて、太夫である京一を名で呼ぶ事が出来るのは、客の他には楼主のみだ。
それだけ京一は長い間この伎楼に身を置き、太夫として地位を確立しているのである。


戸が開いて、目尻の垂れ下がった齢五十を過ぎた男が姿を見せる。
雪路は小さく頭を下げて、また京一の着付けに戻ったが、京一は眉間に皺を寄せて自身の育て親とも言える立場の男を睨んだ。

京一のこの態度は昔からのもので、一度でも楼主に対して従順な姿勢を見せた事がない。
京一は他の太夫の世話をした事はなく、幼少期から将来の逸材として楼主から読み書き算盤に加え三味線など客を喜ばせる術を教えられたが、京一は殆ど真面目に取り組もうとしなかった。
覚えなければ打たれると判っていても、直ぐに取り組もうとはせず、楼主が手を上げれば逆に打ち返してみせる程だった。

幼少期からの気性の激しさを自ら体感している為か、元服を終えて体躯の出来上がった京一に対して、楼主は滅多に無理強いを敷く事はなくなった。
とは言え、京一も自分の立場は判っているし、此処以外に行く所がある訳でもない。
その為、この二人の力関係は微妙なバランスによって保たれているのである。



袂を合わせて帯を締め、金色に緋色の入った簪を挿す。
店の揚げ代の殆どを稼ぐ太夫を前にして、楼主はにこにことやけに上機嫌に笑っていた。




「八剣さんがお見えだ。あんまり待たせると悪い。急ぎ行ってくれ」
「……あの野郎なら、一刻放っといても問題ねェだろ」




嫌いな相手の名前を聞いて、京一は面倒臭いと言う表情で言い返す。
が、仕事は仕事であるので、表情を変えないまま部屋を出て行った。

その京一の後ろを、雪路が付いて来る。




「あの、太夫」
「お前ェは草汰の所にいろ。体冷やすなよ」
「はい」




ぺこりと頭を下げると、雪路は曲がり角で京一と別れた。
ぱたぱたと駆け足で去って行く様は、余程草汰が気になっていたのだと体言している。



数秒、駆けて行く小さな背中を見送って、京一はまた足を進めた。
向かうのは、先程まで自分がいた座敷とは別の座敷だ。
あの座敷はまだ情事の後の気配が色濃く残っているだろうから、使えない。



辿り着いた座敷の襖を開ける前に、京一は一度、自分の手首を見た。
改めてみると白が浮いて少し違和感があるが、袖で隠していれば問題ないだろう。

しかし襖の向こうの相手は、此方が思う以上に目敏い所がある。
その癖、見逃していい事は見逃そうとしないのだから、性質が悪い。
どうして其処に気付けて、そっちに気付けないんだと思う事も多々あるのだ。


腕を下ろして袖を垂らせば、手首が綺麗に隠れてくれる。
雪路も判っていて、普段よりも少し眺めの着物を選んだのだろう。

……これも気付かれる要因になるのではと思えてくるが、そんな事を考え出したらキリがない。





一つ息を吐いて顔を伏せ、京一は襖を開ける。
上質な香の香りが鼻腔を擽り、京一はもう一度息を吐いてから面を上げた。





「こんばんは、京ちゃん」





何故だか京一を愛称で呼びつけるこの男が、八剣右近。
楼主が上客と見、京一にとっては苦手意識の強い相手。



京一よりも色素の薄い髪色、薄紅色の着物の上に緋色の羽織り。
普段は腰に挿しているのだろう飾り気のない無銘の刀は、今は傍に置かれて沈黙している。
幕府の高官お抱えの侍だと言うが、言動や風貌はどちらかと言えば遊び人に近い。

顔には常に薄い笑みを透いており、彼は京一の前でその表情を崩したことはなかった。
優男と言った呼び名が良く似合う面立ちと仕草で、色事にも手の多そうな印象だ。


整った顔立ちは女達の受けも十分良さそうだが、この男、何故かそう言った軌跡を欠片として見せない。
身持ちが固いと言う風でもないと言うのが京一の八剣への印象だったが、八剣自身はそれとは全く逆だと言う。
一途なんだよ、といつだったか、やはり薄い笑みを浮かべて京一に囁いた。

彼自身の言葉通り、どんなに女に袖を惹かれても、彼はその手に応える事はない。
週に一度の頻度でこの陰間茶屋に通い、京一だけを呼ぶのである。




──────京一は、何を考えているのか読めないこの男が苦手だった。




「廊下は冷える。入っておいで」




襖の敷居の向こうで佇んでいる京一に、八剣は柔らかな笑みでそう言った。

京一は返事をせずに敷居を越すと、後ろ手で襖を閉める。
気に入らないと言った表情を隠そうともしない京一に、八剣は相変わらず、笑みを崩さない。




「簪、挿してくれてるんだね」
「………」




京一の挿している金に緋色の紋様の入った簪は、八剣が贈った物だった。
それ以前にも似た形の簪を挿していたが、今の代物の方が恐らく値は張っているだろう。



傍に歩み寄って座した京一の髪に、八剣の手が伸ばされる。
子供をあやすように触れる八剣がどうにも苦手で、京一は八剣の顔を見ようとしなかった。


京一のこういった態度は、他の客相手にするものと比べると、珍しいと言って良い。
大抵の相手に対しては睨むように憮然とした表情をする京一が、八剣の前だけはそれをしない。
八剣が総じて暖簾に腕押し状態だからだ。

その所為もあって、京一は八剣が苦手だった。


京一が自分の顔を見ようとしないのも気にせず、八剣はやはり柔らかい手付きで京一の頭を撫でる。
時折項をなぞる様に指先が掠めたが、他意がないのは明らかだった。




「京ちゃんが喜んでくれる物と言うのが中々判らなくてね、少し不安ではあったんだけど。気に入ってくれたなら良かった」
「……別に気に入ったとかじゃねェ」




無表情で呟いた京一に、八剣はそう、と短く応じただけ。
怒って打つでもなく、少し眉尻を下げて見せるのみ。




「いいよ、使ってくれるなら。よく似合う」
「…………」
「綺麗だよ」




八剣はいつもこんな調子で、京一が何をしても何を着ても、似合う綺麗と言う。
それも適当に言っている訳ではなく、じっくりと吟味して答える。

まるで褒め殺しだ。



京一は、一度だって、八剣から似合わないだの可笑しいだのと言われた事がない。
初めて逢った時から彼は京一を褒めるばかりで、決して否定しようとしないのだ。

扱いも丁寧なもので、情交に及んでも決して京一を乱暴に扱わない。
先の幕僚のように拘束したり、京一が嫌がる事を態と強要したりもしない。
京一が激しくしろと言えばするけれど、その後は絶対に、壊れ物を扱うように慈しむのだ。


柔らかな絹で包むように接しようとする八剣が、京一には理解できない。




「ね。京ちゃんは、花言葉には詳しいかな?」




唐突に言われた八剣の質問の真意がまたしても理解できず、京一は眉根を寄せた。

八剣の手は京一の後頭部に回されて、挿した簪に指先で触れている。
簪が揺れる度に髪が少し引っ張られるのが判った。




「簪の紋様が何なのか、判った?」
「知らねェ」
「京ちゃんらしい」




京一の「知らない」は「興味がない」と同義だ。
八剣はそれを掬い取って、くすくすと笑う。




「彼岸花なんだよ」
「へェ。死人花か」
「…そうとも言うけどね」




八剣の答えに皮肉で返せば、また八剣の眉尻が下がった。



彼岸花は、異名を多く持つ。
死人花、地獄花、幽霊花、剃刀花……等々、ほとんどが不吉な名で呼ばれ、忌み嫌われる花だ。
俗信では家に持って帰ると火事になるとまで言われる。

また、放射状に咲いた花は確かに綺麗なものであるが、この花には有毒性がある。
そんな花の紋様が刻まれた簪をわざわざ送るなど、深読みすれば陰惨な意味しか沸いてこないのも無理はない。


しかし、八剣はそうじゃないんだよ、と言った。




「俗信じゃあ碌でもない花だと言われるけどね。俺は気に入ってるんだ」




京一の手を取り、八剣は白い手の甲に唇を寄せる。




「花言葉も悪いものじゃあないし」
「ふぅん」
「俺からの京ちゃんへの気持ちだよ」




毒花みてェって?

言いかけて、京一は止めた。
見下ろす男の瞳が、その言葉を発することを戒めているように思えて。


時折、八剣はそんな瞳で京一を見る。
決まって京一が自分自身へ皮肉の言葉を向けようとした時の事で、目敏い男はその前兆を見逃さない。
まるで自らを貶めることを禁じるかのように、八剣はその手の言葉を耳にするのを拒否するのだ。




八剣の手が京一の手首を掴み、背中を抱きながら、ゆっくりと細身の体を横たわらせる。
上手い具合に褥の上に横になる形になって、京一は息を吐いた。
明日起きれねェな、と。

しかし、八剣はそのまま動かず、京一をじっと見下ろしているだけだ。


─────またか、と京一は顔を顰めて八剣を見上げる。




「やらねェのかよ」
「さて。京ちゃん、疲れてるようだから、どうしようかと思ってね」




この男は、いつもこんな調子だ。
京一の方から促さないと、行為に及ぼうとしない。



疲れているのは確かだが、褥にまで寝かされて、やりたくないじゃあ可笑しいだろうと思う。
別に自分がしたいと思っている訳でもないけれど。
このまま何もせずに起き上がるのは不自然なのではないだろうか。





「……いいからやれよ」





視線を逸らして、それだけ言った。


袂を肌蹴させて、八剣は白い肌に顔を寄せる。
余計な筋肉も脂肪もない躯は、剣客として鍛えられた八剣に比べると、酷く薄っぺらくて華奢だった。

羽織りを脱ぎ捨てた八剣の胸に京一の手が触れる。
薄紅色の着物一枚向こう側には、京一とは正反対に盛り上がった胸筋があった。
どうやったらこうなるんだ、と京一は厚い胸板を撫で上げながらぼんやりと思う。


鎖骨を舌がなぞり上げ、京一は小さく身を震わせた。
数刻前に味わった激しい刺激とは違う、緩やかな愛撫に、熱の篭った吐息が漏れる。




「彼岸花の事だけど」
「んッ………」
「気が向いたら、花言葉も調べてみるといい」
「ん…っあ……っは…」
「信じられないかも知れないけれど、俺は本気だからね……」




八剣が何の事を喋っているのか、京一にはもう判らなかった。
挿したままの簪の話なのか、簪の紋様の話なのか、それとももっと別の──────……

いまいち判然とせず、それ以上考えるのも億劫で、京一は湧き上がる本能に身を委ねることに決めた。


帯が解かれ、戒めがなくなった袷が開かれる。
剣胼胝だろう、凹凸のある節張った手が脇腹や胸板を撫でた。
直接的ではないにしても、確かに官能を煽るその手付きに、京一の呼吸が荒くなる。

八剣の指先が感じ始めて固さを帯びた乳首を掠め、京一はヒクンと仰け反った。
八剣の唇が其処へ寄せられ、左胸を舌が、右胸を指が摘んでコリコリと刺激する。




「あッ、ん、はぁッ……ふぅ、ん……」
「綺麗だよ、京ちゃん」
「うぅん……」




刺激を与えられて反応する下肢に、京一は悶えるように身を捩った。


八剣の手が下肢へと伸びる。
褌を解いて晒された雄は、半勃ち状態だった。

長い指が輪を作って、京一の陰茎をゆるゆると扱く。




「やッは…あ、あ、…んん……!」




湧き上がる快感に耐えるように、京一は八剣の首に腕を回して縋り付いた。
八剣はそれを受け入れ、半開きになった京一の唇に己のそれを押し付ける。


深い口付けを、最初は嫌がるように目を閉じていた京一だったが、次第に与えられ刺激に思考回路が溶けていく。

咥内を這う生き物に応えるように舌を伸ばし、絡め合う。
同じ行為を数刻前に違う男としたのに、不思議と此方はあれ程の嫌悪感はない。
……受け入れられる訳でもなかったけれど。





「ん、んっく…ぅうん……ッ」
「ッは……ん……」
「ふぅぅッ……!」




京一の一物を扱いていた八剣の手が、少しずつ下へ、後ろへと移動する。
やがて辿り着いた菊座は、ヒクヒクと伸縮を繰り返し、物欲しげに戦慄いていた。

つぷりと指が一本侵入し、京一は口付けを止めて頭を振った。




「ん、いッ…あ……!」
「痛かった? 御免ね」




謝る八剣だったが、京一は痛みを感じてはいなかった。
ただ、何度繰り返しても、其処で快感を感じることを理性が拒絶しようとするだけで。

拒否した所で行為から逃れられる訳でもないから、暴れてまで拒絶しようとは思わない。
だが壊れることも出来ない意思が、なけなしの抵抗をしようとする。
それが返って、自分自身の意思を追い詰めていると判っていても。



京一の菊座を刺激しながら、八剣は自分の着物の帯紐を解き、前を寛げた。
元服はしても、少年の域を抜け切らない京一と比べると、立派と言える大きさを持った陰茎が姿を見せる。

菊座に侵入させた指で内壁を広げながら、八剣は自身の雄を扱き上げる。




「はッあッ、んぁッ…は、あぁあ……!」
「…く……ッ」
「あんッ! ん、ふぁッ…!」




くちゅくちゅと音を立てる菊座に、京一は頭を振る。
八剣の腕に回していた腕を解き、敷布を手繰り寄せて握り締めた。




……八剣は、決して京一を乱暴に扱わない。
だから京一は、強く激し過ぎる快感で我を見失うことが出来なかった。


八剣の瞳に映りこんだ自分の表情を見て、男を受け入れる為に開かれる自分の足を見て。
自分が今どんな体勢をして、どんな風に躯が反応して跳ねているのかを束の間考えて。
理解してしまった自分の有様に、泣きたくなって、吐き気がする。

何もかも判らなくなる位に酒に溺れて、快楽に飲まれてしまえば、後は全部跳んでいられる。
後で躯がどれだけ痛もうと、頭には何も残らない──────のに。



大抵の客は、京一を屈服させる事に躍起になっているから、情交も大抵激しいものになる。
昼間の幕僚のように、支配する事で充足感を得る者も多い。

京一のような気性の荒い人物が太夫になったのも、そう言った趣向を好む者が客として多くついたからだ。
通常、陰間の客が好むのは、女の子のような顔立ちや器量を持った、柔らかい雰囲気が対象だ。
京一はそれとは正反対で、楼主には勿論、逆鱗に触れれば客でも直ぐに手でも足でも跳んで来る。
それを好んで抱こうと言う輩は、生意気面を自分の手で犯して征服したいと言う連中が殆どだった。


─────そんな中で、八剣は、京一を支配しようとはしない。
寧ろ逆で、京一が嫌だと拒否すればあっさりと身を引くのである。
乱暴に扱わないのも、行為をするか否かを京一が選ぶのも、他の客とは違い過ぎる。

支配しようとしないから、京一の理性は最後まで残る。
それが返って苦しいのだと、目の前の聡い筈の男は、果たして知っているのだろうか。





彼の言動がどういう感情に付随するものなのか、京一には判らない。

だから、京一はこの男が苦手なのだ。
他の男達のように、自分をどうしたいのかが見えないから。




「んッあッ…あ、う……あッあッあ…!」
「そろそろ、いいかな……」
「ふぅ、んッ…もう…早、くぅッ……!」




いつまでも指先の刺激だけでは、激しい快楽に慣らされた躯は物足りず。
京一は足を開いて腰を浮かし、秘部を晒して、己を組み敷く男に誘い強請った。


引き抜かれた指の代わりに、怒張した雄が菊座に宛がわれる。
京一は腰を振って秘孔を雄に擦り付けた。

淫靡に揺らされる少年の腰付きに促されるように、八剣もゆっくりと腰を推し進めていく。




「あッ…あッ…あぁ……!」




亀頭を過ぎ、太い部分が肉壁を広げて侵入を深める度、京一の躯は跳ね上がる。




「も、っと……んぁあッ…!」
「京ちゃん……」
「んッ……んん…」




八剣が躯を倒し、口付けてくる。
頬に手を添え、角度を変えながら、深く。


敷布に投げ出された京一の手に、八剣の手が重なった。
指先が京一の手の形をなぞるように、ゆっくりと掌の皮膚を撫でて行く。

手の形を確認し終えると、指はそのまま手首へと這い、



「──────京ちゃん……」




口付けを止めて名を呼ばれ、京一は亡羊とした瞳で八剣を見上げた。

八剣は此方を見てはおらず、先ほど自身がなぞっていた京一の手へと目を向けている。
京一はぼんやりと、八剣の視線を追い────その先にあった赤に、咄嗟に指を振り払って手首を隠した。




「…酷い事をする男がいる」
「………手前が言えた義理か」
「ああ……そうだね」




京一の言葉に眉尻を下げて、八剣は頷いた。
その視線が隠した手首と、手首を隠すもう一本の腕へと向けられる。

隠した腕とは反対の腕には、同じ赤が走っている。
手で覆って隠したのでは意味がない事を思い出し、京一は今更ではあるが、着物を手繰り寄せて絹の下に腕を隠す。
それで両の手首は人目から失せたが、見られた過去までもが消える訳ではない。


八剣は着物をゆっくりと取り払う。
奪うような手付きではないそれに、京一は頭を振って拒否したが、八剣は聞かなかった。
結局着物はまた褥の上に散らばり、紅い鬱血の残った腕が晒される。




「……気にはなっていたんだ。此処だけ妙に白かったから」




右手で京一の左手を持ち上げると、八剣は鬱血のある箇所に顔を寄せた。




「……ッ……!」




八剣の舌が鬱血の形をなぞる。
ぬるりとした感覚に、京一の肩がびくりと跳ねる。




「痛い?」
「……ッや……!」




数刻前に出来た鬱血だ。
痕が残っているだけで、痛くはない。

けれども、感触が嫌で、京一は八剣の手を振り払った。



噛み千切られるんじゃないかとか、そう言った恐怖はまるで感じなかった。
まるで動物が傷を癒そうとしているような仕草と同じだったと言って良い。

けれども、京一にはそれが嫌だった。
そんな風に気遣われても、どうして良いのか判らない。
だったら、噛み千切られる方がまだ判り易くて良いと思う。



振り払った京一の手を、八剣はもう捕まえようとはしなかった。
腕を隠すように蹲った京一を見下ろし、少しの沈黙の後、京一の躯を抱き込むように覆い被さった。
密着した熱に京一が目を剥いた事など気付かず、律動を始める。




「んッ、あッ…あッひ…いぁッ…!」
「………ッ……」
「はぅ、んふぅッ…! あ、そこッ…いい……!」




それから八剣は終止無言で、行為を続けた。
だが喋ることを止めただけで、京一を気遣うような手付きは変わらない。




「もっと、もっと…っは、あッ! あッうんッ、ひぁッ!」




京一の躯は、完全に八剣の躯に覆われていた。
それでもどうしてか、他の男達のように支配されているようには思わない。

寧ろ、その男達から京一を隠そうとしているように思える。







突き上げの律動に合わせて腰を揺らす京一に、八剣は深く口付けた。


だが二人の視線が交わる事は二度となく。
八剣は目を伏せ、京一は虚ろな瞳で座敷天井を見上げていた。










 

ずっと擦れ違いの八京です。

やっぱりうちの京一は、八剣に対してだけはちょっと弱気なようです。
……と言うか、苦手意識通り越して若干怯えてる感もあるような(汗)。