其ノ伍








目覚めた時には、天道は南天を通り過ぎていた。
道理で、蒸し暑さで目が覚める訳だと納得する。


座敷でこんな時間まで寝倒すとは思わなかった。
昨日の昼から疲労が溜まっていたのは確かだが、別段、そんな事は昨日が初めてではない。
疲労のない日の方がどちらかと言えば珍しいもので、それでも必ず、京一は伎楼奥の自身の寝所に戻っていた。

だと言うのに、今日に限って座敷で正午過ぎまで寝るとは。

それは禿の雪路も同じであったようで、正午を過ぎても戻らぬ太夫を気にかけ、様子を見に来ていた。
京一が目を覚ました時に丁度雪路は座敷の戸を開けたのだが、その作業はそれで三度目だったと言う。




寝過ぎの所為か、頭痛のする頭に不機嫌になりながら、京一は寝所へと戻る。
半歩後ろを雪路が付いて来ていた。



ちらりと肩越しに背中を追う少年を見遣ると、雪路は何処か別の方向を見て歩いていた。
京一の視線に気付く様子はない。

京一はそのまま、足を止めずに背後を伺いながら進んだ。





直に齢十二を迎える雪路は、此処に来た頃に比べ、面立ちに落ち着きが出ていた。
眦は京一とは反対に丸みを帯びてやや下がり気味で、笑えばたおやかな光が双眸の奥で揺れる。
髪は漆を溶かしたかのように見事な艶を帯びた黒で、彼の名の通り、白い肌によく映える。

楼主が雪路の成長振りに随分と太鼓判を押していた事を思い出す。
顔良し、器量良しとくれば、後は褥の問題で、これも雪路ならば大丈夫だろうと踏んでいるらしい。
先日、雪路が不在の折に京一の下を訪れた楼主は、今から頭の算盤を弾いている性急振りであった。



この伎楼では、十二になった者は水揚───客を取るようになり、謂わば伎楼の“商品”となる。
その事は雪路もよくよく判っていたようで、近頃、京一がいない間に白粉や紅の使い方を研究しているようだった。

雪路は親の借金が元で、この伎楼に売られてきた。
ようやっと親への孝行が出来ると思っているのかも知れない。
借金分を稼ぎ、また十年の奉公が終われば自由になるから、目処が見えたと考えたか。
決して楽ではない十年であるが、それでも始まったのだからいつか終わると、雪路は前を向こうとしている。



けれど、京一は知っている。
知っているし、雪路にも口酸っぱく言った事がある。



苦界十年。

十年の奉公が明ける前に身請けされれば、遊女で言うなれば結婚と言う形であるが、陰間の自分達は然程明るい未来はない。
丁稚奉公になるなら良い方だが、買われて廓を出た所で、する事は同じである事も珍しくはない。
身請けされずに十年の奉公を終えたとしても、何せ十年だ、戻る場所が出て行った時のまま残っているとは限らない。
結局何処にも行けず、廓の中で縫い子ややり手となって一生を過ごし、外を見ぬまま生を閉じた者も少なくない。

雪路が十年の奉公を終え、両親の借金を完済したとしても、未だ両親が待っている可能性は低い。
息子への後ろめたさから、或いは息子が男に春を売った侮蔑から、行方を眩ます事もあるのだ。


だが、雪路はそれでも耐えてみせると言い切った。
その時の笑顔は、強がりが半分を占めていたけれど、決して虚勢ではなく。
そんな顔をされて言われたら、京一はもう何も言う事は出来ない。

彼が必死に追いかけようとしている光が、酷くか細く、頼りない事は彼も京一も知っていた。
けれど光を掴もうと手を伸ばす幼い手を阻むのは、余りにも無碍だ。



──────京一は、光を追いかけた事がない。


廓に来る以前の記憶を持たない京一にとって、廓が京一の世界の全てであった。
客から聞かされる話は殆ど覚えていないから、京一の世界は一向に広がらず、自身もそれで良いと思っていた。
どうせ自分が廓を出る日など来ないのだからと。

記憶がないから、戻る場所も知らず、行く宛もない。
だから京一にとって光を求める事は意味のない行為であったのだ。


…そんな自分を自覚しているから、京一は光を求める少年達の心を完全に折る気にならない。
何処か遠くに置き去りにした自分の代わりに、誰か一人でも光を掴めたらと、意識の奥底で望んでいる自分がいた。
少なくとも、自分の禿になった少年達には、度々そんな感情を抱いていた。

だが今現在、京一の、そして当人の願い通り、光を手に掴んだ者はいない。
皆深い闇へと崩れ落ち、二度と浮き上がっては来ないのだ。



楼主はそれを知らない。

此処の楼主は、良くも悪くも判り易く、稼げない陰間には酷く冷たく当たる。
稼ぐ陰間には後から後から客を付け、稼げるだけ稼がせようとする。
金銭第一の楼主にとっては、陰間が抱く苦痛や屈辱など、関係のない話なのだ。


雪路にも、自分が思う以上の金額が稼げなければ、冷たく当り散らすのだろう。

京一が十二を迎えて水揚したばかりの頃も同様で、客を怒らせて帰らせてしまうと、必ず手を上げてきた。
痣が数日消えない程に打たれた事もあり、楼主の評判は陰間、禿を含んであまり宜しくはない。
だから京一が幼少期に引き込み禿として教育を受けている時、楼主に反抗しても咎める者がいなかったのだろう。

お陰で今現在、京一はこの伎楼内で異例な程の権威を持っていると言って良い。



雪路の水揚の日取りを、当人抜きで話し合った日、京一は部屋を出て行く楼主の背中を蹴り飛ばした。
特に意味はない、無性に背中が蹴りたくなったのである。
楼主は目を白黒させたが、その時の京一の眼が穏やかでない事を悟ると、何も言わずに退散した。




じっと肩越しに見遣っていた横顔が、くるりと此方を向いた。
同じくして京一も前を向いたから、不機嫌な眦と丸みを帯びた瞳とが重なり合う事はない。



寝所の前まで辿り着くと、雪路が一足で京一を追い越し、部屋の戸を開ける。
まだ止まない頭痛に顔を顰めながら敷居を跨ぐと、一人の少年が先着していた。

昨日付きで京一の新しい禿となった草汰である。




「……お疲れ様でした」




深々と頭を下げた後、草汰は顔を上げて京一を見る。
京一の眼に映ったのは、泣き腫らしたと判る顔の子供だった。

京一を見詰める幼い瞳には、何か言いたげな空気が棲んでいる。


しかし京一はそれに気付かぬ振りをし、草汰の傍を横切ると、用意されていた座布団に腰を下ろして肘掛に腕を突いた。

気怠さを隠さぬ京一の動作はゆったりとしたもので、着物を着替える事すら面倒だと雪路に言外に知らせていた。
雪路は何も言わずに小道具を入れる茶箪笥から煙管を取り出し、刻み煙草を入れると、火をつける。
差し出されたそれを受け取って煙を吸い込み、吐き出せば、僅かではあるが京一の気分は上昇方向へと向かう。

まるで草汰の事など見ていないと言う態度。
草汰は僅かに傷付いた顔をしており、京一はそれも見えていたが、やはりこれも気付かぬ振りをする。




「草汰」




代わりに草汰を呼んだのは、雪路だ。


一晩の間に草汰は雪路に随分懐いたらしい。
ぱっと明るい表情になり、手招きする雪路に駆け寄った。

その足取りがまだまだ田舎の子供を体現しており、故に京一の厳しい態度の理由が読めない事が判る。
まだまだ判り易い愛情でなければ伝わらない年頃なのだ。



……ならば尚更、京一に言える事は何もない。




「草汰、給仕場の場所は判る?」
「判、りません」
「案内してあげる、ついておいで。大夫、少し失礼します」
「ああ」




草汰の手を引いて部屋を出て行く雪路に、京一は一言端的に返しただけ。
頭は別の方向を向いており、何を見るでもなく、ただ煙を燻らせていた。


雪路は案内の次いでに────いや、案内を次いでに食事を取りに行ったのだ。
いつもは雪路一人が二人分の食事を頂きに行くのだが、草汰が加わった事で、今日から暫くは三人で食事をする事になる。

そして雪路が齢十二となれば、彼は京一の下を離れる事になる。
草汰が京一に付いたのは、雪路の後釜とされたのが理由に相違ないだろう。
雪路はそれを判っているから、なるべく早めに、草汰に仕事を覚えて貰おうとしているようだった。




煙で一服して気分が落ち着くと、重い着物を着ているのが邪魔になって来た。
大夫と言う最高級の地位にいる京一の切る着物は、他の通常の陰間や遊女が着る着物とは違う。
丈の長い小袖を二枚重ね着し、床と擦りあうように長めの袖の部分には面を多く入れ、厚くしてあった。

綿そのものは然したる重さではないが、数と厚みがあればそれなりの重量を持つ。
となれば風の通しも宜しくはなく、行為で披露した躯と気分を苛むには十分だ。


雪路が戻るのを待たず、京一は煙管を煙草盆に置き、立ち上がった。
通常とは逆に体の前で結んだ帯を乱暴に解き、畳に落とす。

────其処へ予告なく、部屋の戸が開けられる。




「おお、戻ったか」




入って来たのは楼主だ。

肩越しにそれを見遣った京一は、判り易く顔を顰める。
楼主は部屋の主の表情になど気付かぬ様子で、ひょいひょいと敷居を跨ぐ。




「なんの用でェ。オレぁ疲れてんだが」
「いや、何。雪路の事でな」




紡がれた名に、京一の眉根が寄る。




「日取りなら決めただろうが。四月後だろ」
「その前に最後の教育があるだろう。あれの初日を決めるのを忘れておった」




十二になれば禿は陰間となり、客を取るようになるが、その前の準備は当然必要だ。
顔立ちを客が好むように矯正させるのは勿論の事、所作仕草の一挙手一投足から教わる必要がある。
京一は、教わった通りに客の相手をした事は一度もなかったけれど。

文字書き算盤は当然のこと、琴に三味線、唄に茶と言う芸事も覚えなければならない。
京一も其方は気は進まずとも一通り得ているし、三味線などは客が望めば弾く事もあった。


それからもう一つ。
男とまぐわう為の躯を作らなければならない。




「一月後と儂は思うておるのだが、如何かな」
「─────あァ?」




絹の白の合着姿で、京一は振り返る。
渋面をその顔に貼り付けて。




「四月あんだぞ。早過ぎンだろ」
「いやいや。者によっては二月でも短いからな、余裕はあった方が良いだろう。初の客に粗相があるのも良くない」
「そりゃあ手前ェが摘み食いしてェだけじゃねェのか」
「いやいや………」




見下ろし睨む京一の言葉に、楼主は垂れた目尻に笑みを浮かべる。
楼主は京一の言葉に肯定はしなかったが、否定もしなかった。

その表情が無性に苛付いて、顔面を蹴り飛ばしてやりたくなった。



合着姿で京一は再び座り、肘掛に寄り掛かる。
片足を立てて煙管を吹かす横顔は、前髪の遮光で瞳の鋭さが和らぎ、しかし穏やかであるとは言い難く。
合着の裾が開いて露になった脚には、日焼けもなければ傷も沁みもなく、絹のようになだらかだった。

歳を重ねるにつれて艶を増すその姿と躯に、楼主でさえも時折喉が鳴る。
加えて遮光が途切れて閃く眼光は獣に似ており、隙を見せれば喉に喰らい付き、引き裂かんとする。

────それら全てが男を惹き付け、虜囚とするのである。



だがそんな事とは関係なく、京一は不機嫌に楼主を睨んだ。




「二月だ」
「それでは余りにも短い」
「十分だろうが」
「さて、どうかね。あれはお前と違うぞ」




何処か揶揄を────いや嘲笑を含んだ言葉に、京一は煙管に歯を立てた。
カチリと煙管の金属部が音を立て、それが一種の危険を知らせる。
だが愚鈍な楼主は気付くことはなく、








「皆、誰もがお前のように容易く男を受け入れるとは限らんよ」









その言葉の直後。
ガシャンと派手な音がして、紅や白粉が散らばった。


すぅと立ち上がった京一を、楼主は突然の音と太夫の行動に驚愕した様子で呆然と見上げる。
京一の身長は平均よりも高く、大男とまでは行かないものの、立って並べば楼主を見下ろす程には上背があった。
そうなると、座したままの楼主にしてみると、見上げる京一の顔は随分と遠い位置にある事になる。

行灯を背にした形で立ち尽くす為に、楼主から京一の表情は陰となり、読む事は出来なかった。
だがそれでも、前髪の向こうで一瞬閃く眼光からは逃れる事は出来ない。



逆鱗に触れたのだと、楼主は漸く気付いた。



山猫のように尖った眦に滲んでいるのは、明らかな侮蔑と憤怒。
元より柔らかな気性など持ち合わせてはいないが、それでも常以上に激とした色が其処に宿っているのが傍目にも判る。

─────それから逃れんとばかりに、楼主はそそくさと立ち上がった。




「ま、まぁ、うむ。お前が云うならそうしよう。二月後で決まりだ」




早口にそう告げると、楼主は逃げるように寝所の障子戸を開けた。

其処に丁度雪路と草汰が戻って来ており、禿二人は慌てて楼主に頭を下げる。
そんな二人を、いや雪路を見遣った楼主の瞳には苦々しげなものが映り込んでいた。
この場に京一がいなかったら、手を上げていたのは間違いないだろう。


背を京一に睨まれたまま、いそいそと寝所を離れて行く楼主。
足音が遠退いていったのを見計らって、雪路と草汰はようやく頭を上げた。



二人分の膳を運ぶ雪路と、一人分の膳を運んでいる草汰。

雪路は寝所に入ると、京一の傍らで紅や白粉が散らばっているのを見つけた。
一人分の膳を京一の前に置くと、直ぐにそれらを片付けに手を伸ばす。


紅やら白粉やらの片付けが済み、それぞれの食事の膳が置かれて、京一はようやく栄養の補給に有りついた。




雪路は、食事の箸を進めつつ、傍らの草汰の世話を焼いた。
癖のある草汰の箸の手付きを注意しながら、こうしたら良いよ、と手本を見せてやる。
草汰は雪路の言葉に応えようと、たどたどしいながらも言われた通りに持ち手を直していた。

その合間、京一は雪路の瞳の奥が僅かに揺らいでいるのを見た。
恐らく、彼の脳裏には先ほど擦れ違った楼主の陰があるに違いない。


感じることがあるのだろう。
楼主が、自分に対してどんな目を向けているのかが。

直に水揚する事になるとは言え、それでも雪路はまだ京一付きの禿だ。
色の対象として見られるにはまだ僅かながらに早い筈で、楼主のあの目はやはり性急なのである。
更に言うなら、同じ禿同士等で交わされる噂で聞いた事があるのかも知れない。
あの楼主は、自分の商品に自分で手を出すことがあるのだと。


京一も太夫になる以前、折檻以外の目的で触れられた事があったが、その際は楼主の股間を目一杯蹴飛ばしてやった。
数日腫れたと話で聞いたが構うものかと京一は思い、以来、楼主は劣情こそ覚えても決して京一に手を出してこなかった。

─────だが、そんな真似が出来るのは京一だけだ。



聡い雪路の事だから、自分がそう言った目的で見られる事を、割り切っているとは思う。
しかしそれはあくまで仕事、陰間として客を相手にしている時の話だろう。
自分達に稼ぎ場を与えるからと言って、あの楼主にまで応える気はないと言って良い。

それでもあの男は、時に強引に味を啜ろうとする事もあって。




………思い出したら飯が不味くなって来た。




「─────太夫?」




箸を置いた京一に、雪路が此方を見遣った。




「何処かお加減でも」
「いいや。喰う気が失せただけだ。お前らで片付けろ」




まだ半分も残る膳から離れ、京一は置いていた煙管をまた手に取った。
伎楼の庭が見える窓を開け、腰掛の木枠に座り、片足を乗せる。


食事を要らないという京一に、草汰が戸惑い、心配そうに京一を見る。
だが自身の食事もまだ残っている上、成長期には足りないその量に追加があったのは嬉しかったのだろう。
箸の使い方に注意しながら、草汰はもたもたと食事を再開させた。

部屋の中は静かなもので、伎楼内でそこかしこで囁かれる会話さえも酷く遠い。
草汰にはそれも落ち着かない理由の一つのようだったが、雪路がいるからだろう、もう怯えた風な様子は見せなかった。



京一が何ともなく眺める庭には、原色の花々が咲き誇っている。
華美な色彩に彩られた閉じられた世界は、やはり見栄えばかりが出来が良い。
その裏側に汚泥を隠すことばかりが上手くなる。

其処に緋色の花を見付けて、けれどもそれが放射状ではない事に、京一は口元に笑みを透いた。
華美な色彩で毒を隠すのはあの花も同じ事なのに、あれは此処でも嫌われるらしい。


ふと、座敷で寝落ちる前に外した簪の事を思い出した。
拾ってくるのを忘れたような気がしたが、放っておいても問題はあるまい。
あの座敷は京一の持ち物だから、其処にあるのは京一の物だ。
誰かが見付けて持って来るか────でなければ捨てられるだけの事だ。

あれを渡した男の意図は未だに判らないが、だからと言って考え込むようなものでもない。
花言葉がどうのと言っていたような気もするけれど、それも既に京一の記憶には朧に霞んでいた。




「ほら、草汰。また箸を握ってるよ」
「あ、」
「気をつけて。食事はゆっくりで良いからね」




吐き出し、燻らせた紫煙が、緩やかな風に乗って消える。


子供二人の声さえも、酷く遠いような気がする。
全てが何処か別の世界で起きている物事のように思えて来た。

眼前に広がる鮮やかな花の色さえも、薄い膜の向こう側にあるような──────。




二膳の箸が置かれる音がして、二人分の衣擦れの音が聞こえた。




「膳を戻して来ます」
「ああ」




二人分の膳を持った雪路と、一人分の膳を持って落とさぬように気遣う草汰が部屋を出て行く。
寝所には、再び京一のみが残る事になった。





………酷く静かだ。
そう思っているのは、恐らく自分一人であろうけれども。


立てた膝に頬を乗せて、京一は目を閉じた。
鮮やかな花が咲き誇る箱庭さえも、見ないように。

そうすると、にやついた楼主の顔が瞼の裏側に浮かんで来る。
なんで思い出すんだと思ったが、先ほどの出来事が思いの他自分の中に根を張っているからだと他人事のように分析する。






『皆、誰もがお前のように容易く男を受け入れるとは限らんよ』







ヤニの下がった眼で此方を見ていた楼主。
明らかな嘲笑を含んだあの表情。




(──────胸糞悪ィ)





楼主のあの顔も。
それに激昂した自分自身も。

あの言葉が己の琴線に触れた事実そのものが、京一にとっては腹立たしい。



京一が最初に男とまぐわう為の教育を受けたのは、今の雪路よりも僅かながら早い時期だった。

何れは辿る道と、知識として既に教えられていた事ではあったが、己にそれが降りかかった日はやはり嫌悪した。
楼主の腹を蹴り飛ばし、仕込み専門の役の男の手に噛み付き、爪を立て、全力で暴れた。
頭では逃れられない道だと割り切っていたつもりでも、幼くとも男の矜持はあるのだ。
男に組み敷かれる為の行為を覚えるのは、どうしても嫌だった。

それでも結局は押さえ付けられ、半ば無理やりに躯を開かれた。
痛みと悔しさと吐き気で舌を噛み切りたくなったが、口に布を押し込まれてそれも叶わなかった。


けれども、京一が一番悔しかったのは、一番死にたくなったのは、躯を作り変えられた事ではなく。
心を置き去りにしたまま、躯が行為に慣れてしまった事だ。


季節は冬の最中で、寒い筈の夜に熱を持て余す日々を過ごしたのを覚えている。
暴れる熱に耐え兼ねて、仕込み役の男に解放を臨んで縋った事もあった。
それを一度楼主に見られ、金勘定ばかりの手が自分へ伸びて来た時は、躊躇なくあの男の玉を蹴り上げた。

自分の行動と感情が矛盾だらけのまま、京一は成長し、いつしか多くの男を虜囚とし、今の地位に上り詰めた。
………それでも矛盾は解けぬまま、京一の躯の奥底で鈍い感情を零している。




男に抱かれる事に慣れた躯。
快楽に溺れる事に馴染み過ぎた躯。

凍りついたように冷めた感情と、己を組み敷く男達への侮蔑の感情。




誰が好き好んで男に抱かれて悦ぶものか。
けれども、この躯は確かに男に組み敷かれる事に悦びを覚えるものとなってしまった。
そして────事実、これ以外に己が持つものがある訳でもなく。

やはりこの躯は、男に抱かれる為にあるのだ。
そんな結論にいつも行き着いて。






………それならどうして、あの快感は自分の内側まで塗り潰してくれないのだろうか。
そうしたら、迷わず深遠に堕ちて行く事が出来たのに。

自分を慕う少年達が傀儡と化して行く事さえも、記憶の海に流してしまう事が出来たのに。













自分を慕ってくれる子の存在は、本当は嬉しい。
でも少しでもそう認めてしまうと、その後、その子供達が壊れて行くのを見るのが辛い。
見ない振りをずっと続けているから、ふとした瞬間に全ての壁が壊れそうになる。