しゃんしゃん。
しゃんしゃん。
ちんとんしゃん。
遠くで祭囃子が鳴っている。
今年も祭りの日がやって来た。
祭りはいつも、隣村で開かれる。
その日だけは、夜になっても山道を歩く人が絶えなくて、そんな人達の為に篝火が焚かれる。
篝火に照らされる人々は、皆様々にめかしこんで、手に手に団扇を持っていた。
行く人々は今日の出店はなんだろなとか、踊りは忘れちゃいないだろうかと話をして。
帰る人々はその手に水風船や綿飴、焼きもろこしを持っていて、めいめい楽しそうに笑っていた。
そんな人達と擦れ違いながら、龍麻も隣村へと歩いていた。
普段は焼き場に篭りっぱなしのことが多い父も、この日は絶対に忘れない。
幼い龍麻の手を引いて、母も一緒に祭りに行くのが、毎年恒例。
渋めの色の着物を着た父は、いつも穏やかに笑っていて、この日は殊更嬉しそうだった。
母も綺麗な浴衣を着ていて、きれいきれいと言ったら、照れたように嬉しそうに笑っていた。
龍麻も青地にとんぼ柄の浴衣を着せてもらって、草鞋を履いて外に出た。
篝火に照らされた山の道は、いつもは真っ暗なのに、それを忘れさせるくらいに明るい。
毎日蝉の声が止まない雑木林は、今日ばかりはしぃんと静まり返っていた。
しゃんしゃん。
しゃんしゃん。
祭囃子が段々近くなって来て、篝火の数が増えて来て。
遠くに太鼓を鳴らす櫓が見えた頃、龍麻は道の向こうに知っている顔を見付けた。
「きょーいちー」
手を振って呼んだら、振り返って向こうも手を振り替えしてくれた。
繋いだ父の手を引っ張って走ったら、おいおい、ひーちゃん、危ないよと父が笑った。
目の前まで来て、立ち止まる。
京一が着ていたのは黒に白でトンボ柄を描いた浴衣で、足元はいつもの雪駄履き、腰に団扇を挿している。
いつも右手にある筈の木刀は、今は左手の方にあって、右手は隣に立つ人と繋がれていた。
京一の隣の男の人は、擦れ違う大人達よりも一つ背が高い。
数日前に、龍麻はその背中に乗せて貰った。
父よりずっと広くてがっしりした背中は、見える高さもやっぱり父とは違っていて、少し高かった。
見上げれば少し怖い顔をしているけれど、目尻が京一と似ていて、龍麻は少しも怖くない。
背中に乗せて貰った時の温かさも、まだはっきりと思い出せる。
「よう、龍麻」
「おう、坊主か」
「こんにちわ」
ぺこっと頭を下げると、いい子だ、と頭をぐしゃぐしゃ撫でられる。
父や母に比べて豪快で、手はごつごつと節張っていて硬かった。
京一も大人になったら、こんな手になるんだろうか。
「先日は、どうもお世話になりました」
父が頭を下げる。
男の人は、いやいや、こっちの方こそ倅が迷惑かけて、と頭を下げる。
自分たちの話をしている事は判ったけれど、内容について龍麻は聞いていなかった。
「とんぼ、おそろい」
「だな」
「京一、お祭り好き?」
「おう!」
「僕も好き」
龍麻の言葉に、京一がにーっと笑う。
龍麻も笑った。
しゃんしゃん。
しゃんしゃん。
ちんとんしゃん。
追いついた母と、父と自分と、京一と京一の父と。
五人並んで祭りの中へと加わった。
そんなに人がいる村でもないのだけれど、この日だけは近くの村々からも人が来る。
いつもに比べればずっと人が多くなっていて、龍麻は流されないように父の手を強く握った。
父は母と楽しそうに話をしていて、なんだか幸せそうだった。
進む度に、色んな匂いがして腹が減る。
焼き蕎麦のソースの香りや、とうもろこしの醤油の香り、焼きおにぎりの香ばしい匂いもする。
隣でぷしゅぅっと音が聞こえて、見るとラムネを飲んでいる子がいた。
カキ氷を食べている子、アイスキャンデーを舐めている子。
どら焼き、焼き鳥、いか焼き……とにかく、沢山あった。
金魚すくいの前を通り掛かる。
「龍麻、勝負しようぜ!」
京一の突然の言葉に、龍麻は少しの間きょとんとした。
そうしている間に、京一は父にねだって100円玉を一枚貰って、金魚すくいのおじさんにそれを渡していた。
ポイを貰って、京一が振り返る。
「龍麻、早くしろよ」
すっかりやる気満々だ。
断る理由もないし、金魚すくいが嫌いな訳でもない。
今まで率先して遊ぶことはなかったけれど。
母が持っていた巾着袋から、100円玉を出してくれた。
それ一枚を握って、龍麻も金魚すくいの前にしゃがむ。
おじさんに100円玉を渡して、ポイを貰った。
「一杯取った方の勝ちな」
「うん」
「おっちゃん、よーいどん言って」
京一に言われて、おじさんはよぉーい、どん、と言った。
京一は、大きな金魚を取ろうと頑張った。
隅っこに逃げた金魚を追い駆けて、金魚のプールに乗り出す。
危ねェぞ、と後ろで父親が言ったけれど、京一は聞いちゃいなかった。
龍麻は、近くを泳ぐ小さな金魚を取った。
一匹、二匹、順調に椀に金魚を移す。
一分経つ頃に、京一の紙が破れた。
結局、一匹も取れなかった。
龍麻も、四匹取った所で紙が破れた。
「お前ェの負けだ、京一」
「言われなくたって判ってらァ」
あははと笑って言う父に、京一は唇を尖らせた。
一匹も釣れなかったのがつまらなかったのだろう。
京一はむーっと膨れていて、龍麻はおじさんに金魚の入った椀を渡しながら、それを見ていた。
虫を取るのはあんなに上手いのに、金魚が取れないなんて、なんだか不思議だった。
とは言え、龍麻も金魚はなんとか取れたけど、虫は捕まえられないのだけど。
少し考えてから、龍麻はプールの向こう側にいるおじさんの傍に行った。
「おじさん、あのね、」
こしょこしょ耳打ちすると、おじさんは笑っていいよと言ってくれた。
四匹の金魚を、二匹ずつに分けてビニール袋に入れて貰う。
それぞれを右手と左手に受け取って、龍麻は揶揄う父に言い返している京一の肩を叩いた。
「京一、あげる」
二匹ずつ金魚の入った袋の一つを差し出した。
京一はしばらくきょとんとして、龍麻の顔と、金魚とを交互に見比べた。
いいのか? と言うように、京一の瞳が龍麻を見る。
それに笑って応えると、手が持ち上がって、金魚を受け取った。
「いいのか? 坊主。引き分けになっちまうぞ」
「父ちゃん黙ってろよッ」
京一の頭に手を乗せて言った父親に、龍麻は首を傾げた。
それから、ああ勝負していたんだと思い出す。
龍麻にとっては、勝ち負けなんてどっちでも良くて、ただ京一が楽しそうにしているのを見るのが楽しかった。
京一に金魚すくいに誘って貰えて嬉しかったし、一緒に出来たことが嬉しい。
それに、何より。
「僕、京一と一緒がいい」
言うと、京一は耳を赤くして、照れくさそうに鼻をかく。
さんきゅな、と言うのが聞こえて、龍麻もなんだか照れくさくなった。
それを振り切るように、京一は手首にビニール袋を引っ掛けて、その手で龍麻の手を掴まえる。
「次、射的やろうぜ」
「うん」
そのまま京一が走り出したから、龍麻も走った。
人ごみをするする擦り抜けて、色んな景品が飾られている射的の店に行く。
迷子になっちまうぞ、と京一の父の声が背中にかけられた。
しゃんしゃん。
しゃんしゃん。
どん、どん、どん。
そんなに広い訳でもないから、射的の店はすぐ見付かった。
店を預かっていたのは、龍麻の家の近くに済んでいた若い男の人だった。
おう、ひーちゃんか。
今日は友達と一緒かァ。
よしよし、100円で一回5発だぞ。
追いついて来た両親へ振り返る。
「とーちゃん、100円!」
「やるんだったら、何か取れよ」
「お母さん、いい?」
「はいはい。頑張ってね」
直ぐに100円玉が二人の手に渡される。
小さな子供の体には合わない、大きな銃。
構える為に台に乗せてもらっても、狙いなんてちっとも合わなくて、見かねた父が後ろから支えてくれた。
その隣では京一が同じように父に支えて貰っていたけど、自分で出来ると言ってごねている。
でも既に3発を使っていた京一は、結局、拗ねた顔をしながら、父に手伝って貰った。
4発目は景品の近くに当たって、ほれ見ろ、と父に言われて煩ェ、とまた拗ねた。
当たりそうで当たらない、そんな感じ。
背中で父が、もうちょっとこっちだよと、教えてくれる。
結局、龍麻は何も取れなかった。
残念賞に飴玉を貰った。
龍麻の好きな苺味だったから、これはこれで嬉しい。
京一は背中に父親とケンカのような会話をしながら、最後の一発の狙いを慎重に定める。
そっちじゃねェ、こっちだ、と言われて、京一はムーッとしながらそれに従った。
息を詰めているのが龍麻にも伝わって、知らず、龍麻も息を飲む。
どきどきする。
当たると良いな。
当たって欲しい。
なんでもいい、狙っているものに当たったらいい。
ぱんっと音がして、コルクの弾が飛び出した。
それは真っ直ぐ飛んでいって、景品の番号に当たって、番号札は台の後ろに落ちて行った。
お見事、と若い男の人が手を叩く。
「やった!」
「俺のお陰だ、感謝しろ」
「判ってるよッ」
ぐしゃぐしゃ頭を撫でる父親に、京一はやっぱり拗ねた顔で言い返す。
でも頭を撫でられるのを嫌がらないから、多分、心の中はありがとうで一杯なんだろう。
手に入れた景品は、子供用の花火グッズ。
手持ち花火が数種類、ねずみ花火が三つ、それから線香花火が二本。
それを受け取って、京一は龍麻の前に駆け寄る。
「龍麻、龍麻」
「なに?」
「後でやろうぜ。父ちゃんライター持ってるから、すぐ出来るぞ」
嬉しそうに言う京一に、龍麻は頷いた。
友達と一緒に花火なんて。
いつも、家族三人で遠くの打ち上げ花火を見るだけだったから、なんだか新鮮な気分だ。
勿論、打ち上げ花火も嫌いじゃないし、とてもキレイだと思うけど、それとこれとは別の話。
きらきらキレイな花火が自分の手の中にある、それがとても楽しいのだ。
そして、京一が貰った花火を、京一と一緒に楽しめるのが、また一層嬉しくて堪らない。
でも、今はまだ祭りの真っ最中。
立ち並ぶ出店は、まだ半分も通過していない。
「次、アレやろうぜ!」
「勝負する?」
「とーぜん!」
しゃんしゃん。
しゃんしゃん。
ちんとんしゃん。
駆け出す子供達を、やぁれやれ、と親三人が追って行った。
しゃん、しゃん、しゃん……
しゃん、しゃん、しゃん……
祭囃子が遠くで響く。
今は人気の少ない、広い場所で、きらりきらりと煌くものがあった。
それらは二人の子供の手元から放たれていて、地面に落ちて吸い込まれるように消えていく。
その消える瞬間までもとてもキレイで、子供達はすっかりそれに目を奪われた。
使い終わった手持ち花火は、屋台で貰った、水を張ったバケツの中。
火が消えて、水の中に入れる時、じゅっと音がするのが面白い。
バケツと同じく貰ったろうそくに、京一の父が火をつけた。
吹く風で消えないように石で囲んで、ブロックを作った。
其処に花火の口を近付けていれば、やがてしゅぅっと音を立てて光を吹く。
白い光、緑の光、青い光。
くるりくるりと表情を変えて、細い棒から沢山の光が吹き出して、暗い世界を照らし出す。
キレイだった。
吹き出す光が、光に照らされた世界が。
光に照らされた、きらきら笑う友達が。
手持ち花火がなくなって、京一がねずみ花火を取り出した。
地面に置いたそれを、京一の父がライターで火をつけてくれた。
ドキドキしながら見ていると、しゅーっと音を立てて、ねずみ花火がくるくる地面の上で回り出す。
危ない危ないときゃあきゃあ逃げながら、それも龍麻も京一も楽しんだ。
面白いモン見せてやると京一の父が言った。
落ちていた長い枝を拾って、その先端に、何処に持っていたのか糸を括り付ける。
枝と反対側の糸の先端に、ねずみ花火を取り付けて、点火。
さっき地面を這っていたねずみ花火が、今度は空中をぐるんぐるんと廻る。
それは確かに面白かったけれど、あっちこっちに火花が散って、京一が危ねェじゃんかと怒鳴った。
父は豪快に笑っていた。
龍麻も、龍麻の両親も笑っていて、最後は京一も笑っていた。
いつもの麦わら帽子はないけれど、それでも、京一の笑顔が龍麻は好きだった。
父の笑顔も好きだ。
にっこりと、頬と目尻に皺が出来て、優しい笑顔。
母の笑顔も好きだ。
ふんわり、見ていて心がぽかぽかする、温かい笑顔。
京一は、まるで夏の太陽のような眩しい笑顔。
どれも龍麻にとっては宝物だ。
その宝物が、きらきら花火に照らされて、まるで此処は宝石箱のよう。
ぱん。
最後のねずみ花火が破裂した。
動かなくなったねずみ花火を京一の父が拾って、バケツの水につけた。
後に残ったのは、線香花火。
「ほら、龍麻」
「うん、ありがとう」
二つしかない線香花火。
一つずつ持って、ろうそくの火に近付ける。
程なく、点火は成功した。
風が吹いてくる方向に背中を向けて、自分の体で壁を作る。
小さな小さな線香花火が、風で揺れて消えてしまわないように。
─────さっきまでの賑やかさが嘘のように、辺りは静けさに包まれた。
知らず知らず、龍麻と京一は口を噤んで、じっと線香花火に見入っていた。
龍麻の父も母も、京一の父も、しんと黙って二人の子供を見つめている。
しゅっ。
しゅっ。
ぱち。
ぱち。
小さな小さな音がして、丸くなった赤い灯火から小さな光が生まれて来る。
それは次第に連続し、ぱちりぱちりと音を立てた。
「きれい」
「うん」
龍麻の呟きに、京一が小さく呟いて返した。
キレイだ。
沢山の光が吹き出る手持ち花火もキレイだった。
くるくる回るねずみ花火も楽しかった。
線香花火は、そのどちらよりも光も音も小さいけれど、負けないくらいにキレイだった。
ぱち、ぱち、ぱち。
ぱち、ぱち。
このまま時間が止まればいい。
夏休みが終わらなければいい。
此処には、龍麻の大好きなものが全部ある。
父がいて、母がいて、友達がいて、きらきらの光があって。
このまま時間が止まれば、ずっとずっとキレイな世界にいられる気がする。
でも時間が止まっちゃったら、花火はきらきらしないんだなぁ。
そう思うと、それも勿体ない気がする。
ちらり、京一を覗いてみる。
京一はじっと線香花火を見ていて、龍麻から見えるのはその横顔だった。
其処にあるのはいつもの麦わら帽子の笑顔ではないけど、線香花火に照らされた顔は、やっぱり大好きな友達のもの。
大きな瞳の中で、線香花火がぱちぱち閃いて、きらきら輝いているように見えた。
目の前の線香花火もキレイで、京一の瞳の中の光もキレイで。
それをじっと見ていたら、京一の目が此方を見た。
「なんだ?」
「ううん」
首を横に振る龍麻に、京一は不思議そうに首を傾げる。
しばらく見つめあう形になって、先に京一が目をそらした。
瞳はまた線香花火の光を映す。
ぱち、ぱち、ぱち。
ぱち、ぱち。
ひらひら、ひら。
きら、きら。
手元で揺れる、小さな光。
瞳の中で閃く、光。
キレイなキレイな、きらきらの光。
夏だなぁ。
夏ですねぇ。
二人の父の会話が聞こえる。
でも、それも何処か遠くに思えた。
先日はどうも。
いえいえ、此方こそ。
うちの子がいつも世話になりまして。
いやいや、こっちの方こそ。
最近、とても楽しそうなんですよ。
京一君が大好きだって言ってました。
この間も、大きなカブトムシを見せてもらったって。
いやぁ、悪ガキでね。
お宅の息子さんはいい子ですな。
爪の垢ァ煎じて飲ませてやりたいくらいです。
吹き抜ける風が、涼しくて気持ち良い。
ぱち、ぱち。
ひらひら、ひら。
きらり。
線香花火が、光を吹き出すのをやめた。
でも、まだ丸い灯火が先端に残っている。
それは、少しの間明滅して、
………ぽと。
二つ同時に、音もなく、地面に落ちた。
終わっちゃった。
少し勿体ない気持ちで、龍麻は役目を終えた線香花火を見つめた。
ろうそくの火もいつの間にか消えていて、光を失った世界は、本来の色を取り戻す。
それでも、龍麻はこの暗い世界を怖いとは思わない。
「終わっちまった」
「うん」
線香花火をバケツの水に落とす。
沢山の終わった花火の入ったバケツを、京一の父が持ち上げた。
終わっちゃった。
終わっちまった。
楽しい時間は、過ぎてしまうのが本当に早い。
誰が促した訳でもないけれど、自然と足は家路へ向かった。
龍麻は右手で京一の左手と手を繋いで、左手は母の右手を握り締めた。
龍麻の父と、京一の父は、三人を挟んで歩く。
「またしようね」
「おう」
祭りの終わりが近い。
道々を照らす篝火の灯は、来る時に比べると随分小さくなっていた。
それでも、帰る道を照らす分には十分足りる。
お喋りしながらゆっくり歩く子供達を、大人達は急かさなかった。
子供達が焦らなくていいよに、子供達と同じ速さでゆっくり歩く。
金魚すくいも、射的ゲームも、スーパーボールすくいも、全部楽しかった。
焼き蕎麦も、いか焼きも、たこ焼きも、カキ氷もラムネも美味しかった。
花火はきらきらキレイで、眩しくて。
またしようね、と。
その約束が本当になるかは、今は知らない。
今はただ、その約束を交わせることが嬉しい。
(夏休みで5題 / 3.夏と浴衣と線香花火)
線香花火って不思議ですね。
直前までどんなにわいわい騒いでても、線香花火になると皆静かになって見入っちゃう。
意外に出張った京一の父ちゃん(笑)。