潮騒の初め レオン編


 吹き抜ける風を受けて、ダークブラウンの髪が靡く。
頬にかかる横髪を軽く抑えて、レオンはぽつりと立っている小さな墓石を見詰めた。
春であれば、それを囲むように柔らかな色を宿した花々が咲いているのだけれど、冬の最中である今日は、緑色の草が生い茂っているだけだ。
けれども、さわさわと風に撫でられて揺れる草木の隙間から、固い蕾が覗いているのを見付けて、レオンは小さく笑みを浮かべた。

 ミッドガル社から一度バラムの街へ戻ったレオンは、とある花屋に寄って、ルピナスの花を買った。
黄色の花弁が鈴なりになって咲くこの花は、今の時期に花を咲かせるものではなかったのだが、温室の中で育てられていた為、買う事が出来た。
レオンはこの花を持って行こうと決めていた訳ではなかったが、母の墓参りに持って行くのだと言うと、店員がこれを薦めてくれた。
お母さんによろしくね、と言って優しく笑いかけてくれたのはその店員は、ザックスの恋人である。
彼女はザックスを通じて、レオンの家庭事情を知っているので、それを慮って花を選んだのだろう。

 レオンは墓の前に膝をつくと、ルピナスの花をそっと横たえた。
小さな花であれば、墓石に添えた空ビンに水を入れて活けておくのだが、今日の花は少し大きい。
綺麗に飾ってくれた花束を崩すのも勿体なくて、花の寿命を縮めてしまう事は判っていても、そうする以外に捧げる方法が思いつかなかった。
レオンはちらりと空ビンを見て、もう少しきちんとしたものを用意した方が良いかな、と思う。
そんな事を時折思いながら、10年以上もこのままでいるのだけれど。

 レオンは芽を付けた花の傍に生えた草を、根から取り除いて、持って来ていたビニール袋に入れる。
墓の回りは、街にある墓地のように整えられている訳ではないから、草花も雑草も構わず茂る。
それが自然のままにされた地の在るべき姿なのだが、墓の回りだけでも見映えを良くして置きたい。

 墓の回りが幾分かすっきりと見通しが良くなったのを確かめて、レオンは墓の前に腰を下ろして、胡坐を組んで向かい合う。
岬の向こうから吹き抜ける風は、冬の海の冷たさを一杯に孕んでいたけれど、不思議とレオンは寒さを感じる事はなかった。
頭の奥で微かな音がするから、其処に棲んでいる彼らのお陰かも知れない。
もう少し此処にいたい、と思うレオンの気持ちを汲むように、寒さから身を守ろうとしてくれているのかも。

 墓石には、母と父の名前が並んでいる。
しかし、其処に眠っているのは母親だけだ。
父親のものは何一つ、レオンの下に残っていなかった。
幼い頃はそれがとても寂しく思えたけれど、あれから17年の歳月が流れた今は、それで良かったのだと思える。


(でも、遠い)


 レオンは俯いて、拳を強く握り締めた。
その手は、幼い頃の自分に比べて、随分と大きくなった筈なのに、何度見てもまだ足りない、まだ届かない、と思ってしまう。

 幼い頃、小さな妹を守る事が出来なかった。
紅と黒に塗り潰されて行く意識の向こうで、遠くなって行く妹の声と、泣きそうな色で自分を呼ぶ母の声を聞いた。
包帯に覆われた自分を見て、ぼろぼろと泣く父を見た。
生まれたばかりの弟と幼い妹を残して、命を終えて行く母を見て、何も出来ない自分が悔しくて堪らなかった。

 同じ想いを弟にも、妹にも、感じさせたくない。
父も母もいないからと、寂しい思いをさせたくない。
何より、傷つけたくないと思う。

 だからレオンは、幼い頃から強さを求めた。
愛する家族を守れるように、この腕から二度と取り零してしまう事のないように。
その努力は、ガーデンの成績や、ミッドガル社のSランクSEEDとして馳せた名として形になっている。
しかし、其処まで行っても、レオンはまだ足りない、と思うのだ。
それはきっと、どんなに近付いても手が届かない、手を延ばしてはいけないものがある事も知ったからだ。


「……母さん。俺、みっともないかな」


 いつまでも、捨てられずにいる、幼い頃の記憶。
いつまでも拘り続けている自分。
けれど、そんな自分がいるからこそ、レオンが今まで生きて来れたのも確かだった。

 岬の向こうから風が吹く。
冷たさを孕んだその風が、自身の呟きに肯定の返事をかけているような気がした。
それでも、とレオンは思う。


「…みっともないって言われても、決めたんだ。スコールとエルオーネは、俺が守る。母さんの分まで」


 強くなりたいと思った。
だから、その為に出来る事はなんでもやろうと思った。
何も出来なかった幼い日の自分と決別する為に。
何よりも大切な、愛する家族を、これ以上失わない為に。

 呟いたレオンの脳裏に、生まれたばかりの息子を抱いて、優しく微笑む母の顔が蘇る。
彼女は最期の最期まで笑みを浮かべていて、幼いながらに母の死を理解してしまった妹にも、ずっと笑いかけていた。
レオンとスコールと宜しくね、と言われた妹は、ぼろぼろと泣きながら、何度も頷いて、母の傍に縋っていた。
それから母はレオンの髪をそっと撫でて、無理しちゃ駄目よ、と言った。
それから、うとうとと舟を漕いでいた赤ん坊のスコールの頬に触れていた。

 母の笑顔も、レオンは守りたかった。
自分が生まれてからずっと、母から注がれていた愛情を、温もりを、弟にも感じさせてやりたかった。
そして、母もきっと、もっとスコールを抱いていたかっただろう。
レオンやエルオーネと同じように、日に日に成長して行く息子を、ずっと見守っていたかっただろう。

 叶わなかった母の願いの分まで、レオンは弟達を守ると決めたのだ。
それがレオンが自分自身に課した己の存在意義でもある。


(…判ってはいるんだ。スコールも、エルも、ティーダだって、もう小さな子供じゃないって事くらい。いつまでも俺が守り続けてやらなきゃいけない程、頼りない訳じゃないって事くらい)


 それでも、守りたいと思う。
傍にいたいと思う。
弟が、妹の存在が、幼い頃からずっとレオンを支えてきたものだから。


「エルもスコールも、大きくなったよ。エルは母さんにすっかり似て来てさ。俺が叱られる事も多くて、そういう時、母さんと同じ顔をしているんだ。不思議だろう?母さんが逝った時、エルはまだ4歳の子供だったのにな……」


 エルオーネは本当に、些細な仕草の一つ一つが、母に似るようになった。
怒った時に眉尻を吊り上げる角度や、頬にかかる髪を避ける時の手付き、笑った時の笑窪────。
彼女の面立ちの中には、レオンが微かに覚えている、彼女の本当の両親の姿も見える。
ほんの僅かな時間しか触れ合えなかった両親の血と、両親との早い離別の後に代わりに愛を注いでくれた第二の母の心を、彼女は確かに受け継いでいるのだ。
レオンは、それが嬉しかった。


「スコールも、もう17歳で……人見知りは相変わらずだけど。自分で悩んで考えたりもして。少し気難しい所はあるけど、それも成長だな。友達もいるし。今日も、今頃は皆で水神のお参りに行ってる。小さい頃は、俺やエルが手を繋いでやらないと、何処にも行けなかったのに」


 赤ん坊だったスコールが、立って歩けるようになって、お喋りをするようになって。
その様子を、レオンはエルオーネと共に見守り続け、母や父が自分にしていてくれたように、彼に精一杯の愛を注いだ。
その愛情に応えるように、スコールはすくすくと育ち、よく泣いて、その後には笑って、小さかった体も順調に育ち、今はレオンと頭半分程度にしか変わらない身長になった。

 子供の成長は早い。
妹と弟を見て、レオンはそれを具に感じた。


「……だから、母さん。心配しなくて良いよ」


 幼かった妹も、赤ん坊だった弟も、元気にしている。
今年一年も、きっと色々な事が起こるだろうけれど、それも全て成長して行く過程の一つ。
若しも万が一、スコール達に危険が迫る事があるのなら、その時は自分が守れば良い。
その為にレオンは強くなる事を選んだのだから。

 しん、と沈黙が落ちる。
潮騒も、風の音も、まるでカーテンに包まれてしまったかのように聞こえなくなった。
レオンは、何も言わない墓標を見詰め、眩しそうに目を細める。


「皆、俺が守ってみせる」


 スコールもエルオーネも、母が遺してくれた、レオンの大切な家族だ。
母が亡くなり、2年後に父に連れられて来たティーダも、レオンにとっては家族同然の存在である。

 家族を大切にするあまり、自分を蔑ろにし勝ちだと言われるレオンだが、自分のことを全く考えていない訳ではない。
大切なものを守る為には、自分自身を守る事が必然である。
だからレオンは、危険な仕事の中でも出来るだけ自身の安全を確保するようにしているし、余程の事でなければ無茶な働きはしないように心掛けている。
2年前、止むを得ずに己のキャパシティを越える力を使った時は、生命の危機に晒され、後に妹と弟達から泣きながら叱られた。
ぼろぼろと涙を流す妹弟達を抱き締めて、レオンは二度と無茶はしないから、と約束した。
その約束の為にも、レオンは死ぬ訳にはいかない。
レオンが妹弟達が平穏な日々を過ごせる事を願っているように、妹弟達もレオンが無事に帰って来てくれる事を願っているのだから。

 そう思ってはいるのだが────日常生活の中では、レオンはつい無茶をしてしまう。
風邪をひきかけている事を隠したり、仕事に支障が出ない、生活に大きな問題が起きない程度なら放置したり。
これは、小さな子供達が沢山いた生活が長く続いている内に、子供達の面倒を見る為に沁みついてしまった癖だ。
妹弟達はこれをよく知っているので、レオンの些細な変調を見付けると、それを隠そうとするレオンを叱って無理やり休ませるのである。

 ひゅう、と風が吹いて、レオンの頬を撫でる。
命が眠っている季節に、この岬で花の香りがするのは珍しい。
岬の向こうにあるのは、何処までも広がる空と海で、それはレオンが幼い頃に離別せざるを得なかった、生まれ故郷と繋がっている。

 母が愛した花畑は、今も変わらず残っているのだろうか。
故郷を離れる時、レオンとエルオーネに昔話を聞かせてくれた老夫婦が残っていた。
花の事は心配しなくて良いから、落ち付いたら戻っておいでと母に言った老婆は、今もあの村で元気にしているのだろうか。

 いつか、あの村にも、もう一度行けたら良い。
17年の歳月が経って、あの頃の面影は殆ど残っていないかも知れないけれど、スコールにも教えてやりたい。

 頬にかかる髪を避けて、レオンは立ち上がる。
刻まれた母の名を見詰めて、レオンは目尻を下げて言った。


「後でママ先生とシド先生も来ると思う。エルは、明後日には来る筈だから」


 小さな墓標に手を伸ばし、表面をそっと撫でる。


「また来るよ、母さん」


 ゆっくりと腕を下ろして、レオンは曲げていた背を真っ直ぐに伸ばした。
名残を感じながら、母に背を向け、歩き出す。
それを後押しするように、柔らかな風がレオンの傍らを擦り抜けて行った。




≫[スコール編] ≫[自宅にて]