微熱/

「母さん。僕の部屋で、何してるのさ」
「い、あ、あの……

 まだ手にはあのティッシュの入った袋を持っている。いつから気づいていた

のかなどとは、とても尋ねる事ができない。

「これ……ゴミみたい、だから……母さんが捨てとくから」

 慌てて立ち上がり美希子は、この恐慌から一刻も早く逃げ出そうとした。

「待ってよ」

 ぐいっ、と痛いほど腕が引かれる。優しい息子ではなく、力を秘めた若い男。

……ベッドの下の本も、見たの?」
「み、見てない……マンガなんて、見てないわ。だから離して……

 美希子の弱々しい声。瞬間、徹の手は母の腕を突然離した。

「ごめんね、徹……これ、捨てとくから……

 振り返ることもできずに、美希子は息子の部屋から逃げた。腕には、ジンジンと
息子に拘束された痛みが、残っていた。

 美希子が心配だったのは、怒りに震えた徹に追いかけられる事だ。この
極度の混乱の中で息子に罪を非難されれば、これまで幸せの内に築いて来た
「仲の良い母子」という理想は崩れ去る。それが美希子には一番怖かったのだ。

「はあ
……はあ……っ」

 階下まで駆け下りた美希子は、荒い息のままキッチンから階段を眺める。
 息子の姿は、なかった。
 全身が震えている。徹を生んで初めて、実の息子を怖いと思った。
 ふと、まだ震えが止まらない手の先にある、あの青いビニール袋。

……っ」

 ほんの少しの間感じる事ができた、濃くてきつい男のにおい。恐怖と同程度に、
躰の小さな変化に美希子は自ら気づく。
 中心が、たまらなく熱い。女の中心である、あの場所が。

 徹はそのまま、遂に夕食の時間になっても降りては来なかった。ほんの
少しの平静を取り戻していた美希子は、心配でたまらない。やはり、徹を
怒らせてしまった。秘密を覗き見た、自分のせいで。

……はあっ」

 料理が乗った皿を並べ、ため息をつく。いつもこの時間になったら
「腹減った〜!」と叫びつつ駆け下りてくる息子が、今日はいない。
 後悔。親として子供との約束を破るのは最低だと思う。それどころか、
最高に恥ずかしいはずのオナニーの事実を、ずかずかとプライバシーに
入り込んで知ってしまったのだ。もう、終わりだと思った。
 ゆっくりと食卓から立ち上がり、階段へと向かう。

……徹」

 それは弱々しい声だったが、何とか2階の息子に届くように出した。

「一緒に食べたくないの、分かる。母さんが全部悪いわ……本当にごめん
なさい」

 涙が出てきそうになるのを必死にこらえて、美希子は続ける。

「わたし、今からお風呂に入るから……その間に夕ごはん、食べて。
お願い徹……母さんが、悪かった、から……っ」

 頬を伝った涙に気づき、美希子はバスルームに駆けた。ドアを閉め、その
ドアにもたれながら、美希子は泣いた。良好な母と子の関係は、もう戻っては
来ないだろう、と。
 それは、美希子が思う形とは違う、予感。バスルームで嗚咽する母親の声を
かすかに聞きながら、徹はゆっくりと階段を降り始めていた。足音を隠して。

 シャワーを顔に当て、涙を洗い流そうとするが叶わない。息子を想う母の
涙は溢れ続けているからだ。
 痛いほどの水流をわざと出し、美希子は全身にまぶす。そんな事をしても
今日犯した罪の一端も償えはしないが、美希子はただそうしたかった。

「ふ……うっ」

 熱く痛いシャワーの下に身を置き、美希子は振りかえる。

 眠ったままの徹の部屋に無断で入って、勝手にベッドの下を探った。
 息子が必死に隠していたであろう卑猥なマンガ本を見つけてしまった。
 そして、さらに恥ずかしいはずのティッシュ屑を欲望のままに嗅いだ。

 欲望のままに……

 薄黄色に染み丸められたティッシュ。それから立ち昇っていた本能をくすぐる
におい。息子 徹が体内からほとばしらせた、精液。あんな、本を見ながら。
 浮かんでくるはずの「ゆかりの光景」は消え失せ、代わりにあのビニール袋に
顔を近づけ思い切りそのにおいを吸い上げる自分の姿。傍らには、開かれた
あの母と子のマンガ本。事実と少しずれた光景。それは、女の妄想。
 美希子の躰は熱くなる。罪を抗うための水流のもと、美希子は、色を帯び
始めた。強いシャワーの音は、外部の音さえ聞こえなくするのに、気づかない。

 あれほど溢れていた涙が止まった事を、美希子はまだ知らない。黒髪を
濡らし白い肌を流れる水流は、美希子の熱くなり始めた肉体を冷ます効果は
微塵もない。

「ん……っ」

 左腕を撫でていた右手は、いつの間にか人ふとももに下りていた。残された
左腕は、自らの豊かな双胸を支え持つ格好で肌にあてがわれている。

「う、んっ」

 柔らかい肉を、その白い二本の手は撫で始めた。ふとももの限りなく内側で
あったり、胸の下に隠れる深い曲線であったり。下腹や乳房を愛撫しなかった
のは、美希子にまだかすかに残された理性。そんな核心の部分に手の先
が行けば、危険だったから。

「んふっ……うん」

 固くつぐんだ口。柔らかく閉じられた瞳。濡れた顔は、ゆっくりと左右に
振られ、昂ぶる感覚に耐えている。ふとももの右手は、黒い繊毛の存在を
悟れるほど、熱い中心に接近していた。理性に勝ち、タガが外れる、寸前に。

「母さん……入るよ」

 心臓が、止まりそうだった。



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