妄想/

 リビングに撒き散らされた牡の液体を丁寧に拭き、顔を洗い、旦那のそばに
横たわっても、美希子の心はざわざわと揺れる。
 眠れない。心の奥底から湧く、奇妙な感覚が肉体を満たし、眠れない。

 朝食の時間。昨夜のプロ野球の結果に愚痴る旦那と、ユニフォーム姿の、徹。
 二人の男は、対照的だった。饒舌と寡黙。そして美希子は、当然寡黙である
男に気を取られる。箸を持つ手も、進まない。

 どうして不機嫌、なの?
 母さんが、あなたのを飲まなかったから……

 平和的な朝食風景の中で、美希子は混乱していた。これから仕事へと向かう
夫の事などまるで頭に無く、ただ息子の心情のみを慮っていた。
 やがて、730。二人の男は、やはり対照的に玄関から出て行った。残された
美希子は、自分が陥ってしまった深淵に悪寒を覚える。

 これからずっと、徹の行動に心掻き乱されなければならないの……
 徹が求めたら、同じような事を、してあげなければならないの……
 もしかして、本当に、飲んであげなければ、ならないの……

 

『それで、美希子さんはどうしたいの……?』

 緩い動作で脚を組み直しながら、窓際の椅子に座るゆかりが囁きかける。

……こんな事、止めさせた方がいいと思います。母子でなんて、そんな……
『フフッ。そうなんだ……これから徹くんが求めて来ても、断固拒否する
わけね……すごい、立派だわ美希子さん』

 ゆかりが、上半身をゆっくり美希子の方に倒して、改めて囁く。


『もし私が、そんな立場になったら……飲んであげちゃうかも』
「え……?」
『今までそんなきれいな身体を徹くんに見せ付けて来て、たった一日で
はいさようならなんて、私はすごくつらいと思うけど』
「それは……っ」

 自らが感じていた不安の一つをゆかりに悟られ、顔を背ける美希子。そう、

長い間積み重ねて来た「母子の絆」に対する、憐憫。

『割り切っても、いいんじゃない?お口に咥えて、飲むくらいなら……した事
無いわけじゃ、ないんでしょ?』
……はい。旦那と結婚する前、前の彼氏と」
『きっと、何度も』
……はい」

 なぜそんな事を、ゆかりは知っているのだろう?なぜ自分は、それを隠さず
告白しているのだろう?

『逆に私は羨ましいわ。徹くんはあなたに「好き」って言ってくれたんでしょう?
少しなら、応えてあげてもいいって思うわ』
「でも……そんな……

 僅かな反論を試みようとして、美希子は絶句する。目の前のゆかりは、いつの

間にか裸になっていた。そして、その均整の取れた美しい躰に、誰かが沿って
いた。
 裸の、男。贅肉の少ない、鍛えられた若々しい肉体。

『ねえ……あなたもそう思わない?フフッ……いいわ、キスして』

 美希子に向けられた言葉ではない。首を反らせて上を向いたゆかりに、裸の男が

頭を寄せる。なのに輪郭はぼやけて、男の表情は掴めない。

……やめてっ」

 美希子は、小さく叫んだ。

 あれは、ゆかりさんの息子 幸樹くんの身体ではない。幸樹くんは運動部に
入っておらず、どちらかといえば華奢な体格だ。では、あれは……

「お願い、離れて……っ、ゆかりさんから、離れて……っ!」

 悲痛な響きが混じる、訴え。それも聞かず徐々に密着する、男女。誰だか

知っているその男の名前を呼べない、美希子。



 目を覚ました時には、全身が汗で濡れていた。寝不足の美希子を襲った、
うたた寝。確かに冷房はつけていなかったが、その汗が暑さのためにかいた物
だとは、美希子本人も思えなかった。
 見た事が無い筈のゆかりの裸身。それにすら嫉妬する自分。そして、その
ゆかりに沿った男に向けられた、奇妙な感覚。
 美希子はソファから起き上がり、時計を見る。午後、1時過ぎ。息子 徹が
もうすぐ帰宅するであろう、時間。

 シャワーの水流が裸身を滑る。いつもより急かしげに、ボディシャンプーの
泡をまぶす。何かに追われるように、小さく震えながら。

「あ
……

 ふと目をやった鏡に、自分の姿が映る。白い泡や水滴がまぶされた、白い肌。
この躰がいけないのだろうか?この躰が、息子を惑わせてしまったのだろうか?
 這わせる手が、止まる。そう、まさにこの躰に、昨夜徹は肉体を沿わせ、
尻の谷間に熱き溶岩を迸らせたのだ。

……っ」

 震えが、大きくなる。脳裏に蘇った、液体の温度。息子の生々しい体温。

 あの時もし、旦那が帰って来なかったら。自分はその後、どうしていただろう?
 あらぬ想像は、深夜の口淫に及ぶ。精を飲む事を拒否し、顔を汚されたのちに、
もし再び徹の怒張がいきってしまったならば、同じように精を飲まずにいられた
だろうか?

……だめっ」

 小さく呻き、美希子はシャワーの水流を冷たくした。母親として、しては
いけない妄想を振り払うため、また自然に熱を持ち始めた躰を冷やすために。
 しかし、熟れた肉体に灯った、暗く淫らな炎は。



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