拒絶/

……っ」

 肘から指先にかけて、赤黒く変色した、右腕。その痛々しさから口淫を

始めたという事実を思い出し、心が揺れる。
 だが、美希子は流されなかった。そのまま無言でリビングのキャビネットを
開け、そこから救急箱を取り出した。食卓の上に、静かに置かれる救急箱。

……ここに、置いとくから」

 声は、震えなかった。

エプロンを脱ぎ、息子に背を向け歩き出す美希子。その背に。

「母さん」


 徹の、声。


「一人じゃ、巻けないよ」
……っ」
「湿布と、包帯をしなきゃいけないんだよ。包帯なんて、絶対巻けない」

 あの、母親の心を芯から惑わす弱々しい声。

「自分で
……巻くの。自業自得よ、甘えないで」
「そんな……
……母さん、もう部屋で寝るから。戸締り、ちゃんとして寝てね」
「母さんっ!」

 息子がほとばしる欲望を抑えられないのなら、母親がそれを抑えなければ。

たとえそのほとばしりが自分を向いていたとしても、それを許せば若い性は
無秩序に禁忌を破壊するだろう。
 美希子は、息子を拒む事を選んだ。肉体に宿る女の本能に溺れそうになった
自分を知ったからこそ、これが最後のチャンスだと思った。
 まだ、躰は交わしてはいないのだから。
 まだ、躰は……



 眠る事など、出来なかった。
 鍵のかかっていない、夫婦の寝室。
 尻の谷間にまぶされた、熱いエキス。
 誘われるままに舌をくねらせた口淫。
 ゆかりが囁く、淫らな妄想。
 裸の自分に迫る、息子の瞳。
 赤黒く変色する腕、足。
 痛々しさに思わず口つけた、ペニス。
 胸での愛撫。
 呑み干す事で感じた、息子の体液の味。
 濡れた、花芯。
 自分の中の、女。



 しかし、何も起こらなかった。一睡も出来ないまま越えた夜は、何も
起こらなかった。夫が隣で寝ているのに、心は別の場所にある、夜。
 翌朝。夫を送り出したあと、まだ起きぬ息子に想いを巡らせる。
野球部に行くはずの、時間。

……っ」

 声をかけたほうがいいのだろうか。口淫、それ以上の事を拒否した

という事実と、それを押し流そうとする、深い場所の本能。

「母さん
……

 ハッとして、階段を見る。徹が、ユニフォーム姿でそこに立っていた。


「とりあえず、部活行ってみるよ。こんなんじゃ、多分出来ないだろうけどね」

 微笑みながら、徹は腕を振る。雑に巻かれた、包帯。

「ああ
……っ」
「じゃ、行って来るよ。朝ごはん、いらないから」

 ろくに母親の顔も見ないで、息子は玄関へと向かった。美希子は、
自然にそれを追いかける。

「あの……ごめんね徹……ケガの事は、謝るわ。でも、それは」
……行って来ます」

 バタン。
 無音が始まる。誰もいない、自宅。かすかに感じるのは、自分の早くなる
鼓動。息子の体を傷つけた事への後悔か、それとも、傷つけた事を罪と
感じた昨日を、思い出していたのか。



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