暴発/

……っ!」

 声が、出なかった。背後から自分の躰を抱く腕の力がぐいぐいと
強くなっていく。
 背後の男が吐く吐息が、自分の濡れた首筋を揺らしている。毎日聴いて
いる声の、熱くてたまらない息遣い。

「かあ、さん……

 遠慮なくその身体を押し付けてくる息子 徹。濡れて薄くなった衣服から、
その内の逞しさが直接肌に感じられる。それだけで、無防備な女の中心は
僅かにざわめく。

「やめ、て……とおる。こんな場所でっ」
……こんな場所じゃなきゃ、いいの?」
「っ!」
……離しちゃったら、また昨日みたいに逃げるんでしょ?じゃあ、僕は
離さないよ。このまま、ずっと母さんを抱きしめてる……
「そんな……っ」

 心の動揺が、美希子の声を乱れさせる。徹は構わず、身体全体を母親の

豊かな肉に押し付け続ける。
 そして、すぐに美紀子に感じられる、一番固くて熱い場所。黒いタイト
スカートの、その奥のヒップの谷間。そこにしっかりと沿う、男の肉。

 首筋に感じる吐息に協調して、その肉はほんの少し上下に躍動している。
背後から抱きすくめられて身動きができない女にとってそれは、あまりに
切ない動き。

「やめてお願い
……誰かに、見られるわ……
「見られたって、構わないよ……だって俺、母さんの事、好きだから」

 心揺れる。雨の中で抱き合う、男と女。母親と息子。たった今息子が
囁いた言葉から、爽やかさ以上に淫らさを感じてしまう、自分。
 もしかしたら、本当にこのまま誰かに見られるまで、いやたとえ誰かに
見られても、徹は私を離さないかもしれない……
 私の事が、好きだから……


『ジリリリリリ、ジリリリリリ……
『ガラララララララッ』

 刹那、歪んだ妄想に陥りかけた美希子の耳に聞こえたのは、二つの音。
一つは、玄関ドアを隔てた家の中から響く電話のベル。そしてもう一つは、
隣家の窓が開く音。庭に面した窓が開く音。こちらの様子が見渡せる窓が、
開く音。
 恐ろしい事が、現実に起きようとしている、瞬間。

「とお、る……っ」

 首を反らして、背後から自分を抱く息子に危機を訴えた。しかしその
息子は、目を閉じて母親の感触に陶酔している。『見られたって、
構わない』……その覚悟は、どうやら事実のようだった。
 美希子は不自由な手で、再びバッグを探り始める。やはり見つからない、
自宅のカギ。

「もう
……いつの間にこんなに降っちゃてたのかしら」

 隣家の奥さんの、声。激しい雨の音にかき消されずに耳に届くのは、

それが恐怖を纏っているからだ。もう一つ聞こえ続けている電話のベルも、
美希子の指先をさらに惑わせる。
 見られたら、言い訳できない。仲のよい母子を逸脱した、濡れて抱き
合う男女の姿。

「!」

 爪の先に引っかかった、金属。それを慌てて掴み、いまだ拘束され

不自由な腕を伸ばし、ノブのカギ穴に差し込む。回す。引く。ドアが、
開く。
 バタバタと大きな音を立て、抱き合ったままの男女は、醜く倒れ込む。
隣家の奥さんには悟られなかった。だが今度は、激しいベルが美希子の
胸を刺す。

「母さん……

 徹の囁き。抱き締める力は僅かに緩んだ。しかしその代わりに、
縋る物の無くなった母親の躰を、両腕で遠慮無く弄り始めた。冷たい
タイルに歪められた豊胸。柔らかい腰の肉。さらに柔らかい尻。
 脚で息子の手を蹴りながら、美希子は廊下に上り、そして這う。電話に
出れば、助けを求められる、と。この異様な母子の状況から、逃れられると。

 リビングへの扉は、何度も必死に叩いた事で開いた。息子と言う名の
青き陵辱者は、母親と言う名の哀れな獲物の首筋に、熱く荒い吐息を
纏った唇を何度も触れさせる。ほぼ全身を重ならせた母と子。
母は鳴り続ける電話に『切れないで』と祈りながら、その電話が
置かれている籐製のチェストを必死に揺さぶる。
 ガチャンッ、と目の前に電話機が落ちて来た。すぐさま受話器を掴み、
耳に宛がい、回線の生きている音を聴いた美希子。あとは『助けて』、
その一言で実の親子にあるまじき空間から解放されるはずだった。
 しかし、電話の相手は。


『あ、もしもし?美希子さん』
「あ……っ」

 ゆかりだった。決して救出を願う言葉を掛けてはいけない相手ではない。
こちらの素性を知らないセールスの電話などよりは、住所を知っている
ゆかりのほうがずっと最適のはずだ。
 なのに、美希子は『助けて』という言葉を躊躇してしまった。
一番この悲劇を伝えたくない相手のような気がした。

『どうかしたの?電話になかなか出なかったし、声もちょっと変よ』
「な、なんでもないんです……なんでも」

 背後の戒めが、なぜか緩む。美希子はゆっくりと立ち上がりながら
振り返り、息子の表情を伺う。同じように立った徹は、雨に濡れた
真剣な表情をこちらにまっすぐに向けている。

『美希子さん……やっぱり、様子が変よ。もしかして、徹くんの事?』
「え……っ」
『今日、PTAの用事で学校に行ったの。そしたら、野球部のグラウンドで
徹くんが包帯してたから……家で、何かあったのかと思って』

 母親をまさぐり続けた包帯は、濡れたまま解け乱れている。

わずかに覗く赤黒い打撲痕。自らを呵責する声が、美希子の心に響き始める。



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