内省/
自宅で、実の息子の精液と自分の愛液を混じらせたまま静止していた不道徳で破廉恥な女は、もうこの時間には存在していなかった。
キッチンやリビングの汚れを清め、熱いシャワーで躰を洗い、服装を整え、食事の支度をし、いずれ帰宅するであろう愛する夫を迎える準備をした女。家庭の事を全て完璧にし終えた、女。様々な禁忌の渦に巻き込まれる前、数日前までの美希子が、そこにいた。
だが。
もちろんそれは、美希子の動揺が些細な物であるという証拠ではなかった。それどころか、数分おきに喉が渇き水を飲み、作業を止めれば早鐘を打つ心臓が破裂視してしまいそうなほどだった。
大きな罪を犯してしまったからこそ、それ以外の何かに必死に縋っていなければならなかった。それが、たまたま主婦としてのルーティンワークであっただけなのだ。
実の息子と、セックスしてしまった。
何よりも不道徳な行いを、自分は息子としてしまったのだ。その息子を生み出した場所に、息子を受け入れてしまったのだ。
「……っ」
まるで何かを守るかのように身に着けていたエプロンを、美希子は自分のイスにそっとかけた。自分ひとりしかいない、静かな静かなキッチンとリビング。
リビングの時計は、午後8時前を示している。もう数10分もすれば、夫が会社から帰宅するだろう。逆に言えば、それまでの時間は、たった一人。普通に生活していたはずの数日前の自分であれば、支度した料理を眺めているだけで過ごせたはずの時間。溜息さえもつけぬまま、美希子はイスに座り恐ろしい咎の反芻をしなければならなかった。
身が、貞操が危うかった。結果息子の腕に怪我を負わせてしまった昨日。そんな現実さえ忘れ、惨めに巻かれた包帯で覆われたその傷に後悔を感じて始まった今日。
天気予報さえ見落とし、強い雨の中、図らずも全身を浮き上がらせる扇情的な姿になってしまった。
そんな姿を無防備に晒し、屋外で背後から唐突に抱きすくめられた。
隣家の開く窓の音に混乱し、煽られるように家内で鳴る電話のベルに縋った。
なのに電話先の相手に助けなど求めず、息子に愛撫される興奮に身を任せ、息を弾ませた。
自ら進んで電話を切り、躰中を撫で捲られ、濡れた穴さえも指で穿たれ、悶えた。
潤んだ瞳で見つめ合い、びしょびしょの肉体を密着させ、互いの熱い生殖器を遂に相対させた。
その瞬間、失礼な電話の切り方をしたはずの相手が救世主のごときタイミングで訪れた。
なのに、半裸の乱れた姿とあらぬ熱と折り合いのつかない奇妙な感情を持って、それを迎えてしまった。
救世主の女の自虐的な吐露を、自分と息子に置き換えて、重い悩みを更に深めた。
そんな状況で、尻を剥かれた。突然背後の陵辱者に、湿ったままの秘裂を晒した。
挿れられた。貫かれた。それを、自ら生み出した息子のペニスを、受け入れた。
救世主の、親友であるゆかりの目の前で、実の無い会話をしながら禁忌に耽った。
息子の甘い囁きを受け、時にはゆかりの声さえ邪魔に感じ、肉体を蕩かせた。
最後の瞬間、人として最もタブーであるはずなのに、胎内での放出を、望んだ。
そんな淫らで猥褻な姿を見られたかもしれないのに、美希子はゆかりを追わなかった。
そして、ただ一人残され。胎内ではなく尻を汚した精液に塗れ、途方に暮れた。
一生分以上の罪を振り返ったはずなのに、美希子が再び見た時計の針は数分しか進んでいなかった。そしてやはり、溜息をつく気力さえ浮かばなかった。
「おお、ただいま」
「おかえりなさい」
夫だけは何も変わらず、当たり前の挨拶をして帰宅した。そして、食卓に並べられた夕食を眺め、美味しそうだと微笑んだ。夫が思うような感情をあまり含んでいないはずの、見た目だけ冴えた夕食。
着替えもちゃんとせずにジャケットだけ慌ててハンガーに掛け、手を擦りながら嬉しそうにイスへ腰掛ける夫。真面目で、才能があって、でも冗談が好きで、家族がそして子供が大好きな、夫。だからこそ美希子も、ずっとずっと真っ当に子供に接し、スキンシップを大切にして来た。その結果が、恐るべき禁忌の世界であったとは。
「あ」
申し訳なさに支配されかけていた美希子に、夫の声が聞こえる。
「どうしたの?」
「いや、こんなにたくさん料理があるのに、徹がいないじゃないか」
「……あ、ええ」
何気ない意見であり、動揺を生むような言葉でもなかった。あまり頻繁ではないが、ひどく厳しくも無いこの家の中で、息子である徹が部活の練習や友人宅への訪問でこの時間食卓の前にいない事など全く無い話ではない。なのに美希子の心臓は、一瞬どくんっ、と不協和音を鳴らす。
「……多分、友だちの家だと思うわ。ええ、そう言ってたもの」
今度は自分が吐いた言葉で心臓を揺らす。嘘でも何でもない、ほぼ事実の言葉であるはずなのに、だ。
そして、その刹那。美希子はなぜ自分がこうも打ちのめされているのか悟った。悟ってしまった。自分の進んでの意思ではなく、息子に許しを与えず挿れられたのだから、まだ微かにではあるが「どうしてこうなってしまったの」と溜息をつく余地はあったはずなのだ。
徹が、ここにおらず、どこに行っているのか?誰と、何をしているのか?それが今の美希子の焦燥感の源であった。
あんな姿を、実母と息子の行為を見てしまったかもしれないゆかりの元に、徹は駆けて行ったのだ。そしてそれから数時間、何をしているのかなど僅かも知らせる事なく、今まだ帰宅していないのだ
そんな。これじゃまるで、嫉妬じゃない……。
しかし一度でも脳裏に浮かんだその妖しげな心情は、夫が美味しそうに料理を頬張っている時も決して掻き消えはしなかった。夫の言葉に、相槌は打つのだ。ただその相槌の裏で、徹とゆかりのあらぬ姿を妄想してしまう。
何を話したのか。ゆかりはどう反応したのか。それに徹はどう返したのか。そして、どうなってしまったのか……。
元々ゆかりの淫靡な告白から始まったからからこそ妄想は容易で、よりにもよって生々しいペニスの感触を味わってしまったから、尚更だ。
「お」
「……っ」
その妄想は、物音で掻き消された。妄想の主なる部分を構成していた人物が、玄関ドアを開けた音。
「ただいま」
廊下から、徹が顔を出す。ずっと見て来たような、でもどこか少し違うような、笑顔で。
「おお徹。母さんが美味しいメシを作ってくれてるぞ」
「ああ、うん……ごめんね母さん、外で食べて来ちゃった」
「あ、ええ……そう」
鼓動がきつく弾む。
「なんだそうか。残念だな」
「うん、ごめんね」
「いいのよ……ええ」
「……今日は何か疲れた。少し休むね」
鼓動がまた鋭く痛む。
「おいおい、メシも食わず風呂も入らないのか」
「あ……そっか。お風呂は、あとで入るよ」
ほんの少し分かりやすい笑顔を作って、徹は廊下の奥へと消えた。夫は「しょうがないな」という表情で見送り、美希子は自分がどんな表情をしているのかさえ分からなかった。
様々な事が、浮かんでは消えていく。夫が一番風呂を済ませたバスタブで、美希子は熱い湯に躰を浸していた。入浴する時間も、普段通りのはず。全てが変わったような気がする日の夜の、普段通りのバスルーム。
「……っ」
もしかしたら。最悪の選択かもしれない。肩口に湯を掛ける手さえ、震えている。しかし今の美希子は、こうした。こうするしか、思いつかなかった。
「……母さん?」
そして、その声は来た。脱衣所から、こちらの返答も聞かず、ゆっくりと着衣を脱いでいく様子さえ見られる。
美希子は、生まれて初めて、誘った。言葉に出したわけではなかったが、自分が風呂に入れば、徹がきっと入って来るだろうと、踏んだ。そして、それは叶った。
「……入るよ」
戸が開き、浅黒い躰の若い男が入って来る。右腕に数箇所の痣や切り傷がある若い男。
見つめる熟れた女の中に確かに侵入していたモノを、そこに存在させて。