俺と文哉と俺たちの母さん |
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「……させないよ、和樹。何でそういうこと言うの」 「……分かんないんだよねー俺には。文哉と母さんの気持ちってのが。まあ……可愛くない兄貴のひがみなんだろーけど」 「……あのね」 あ。 母さんが立ち上がった、気配。最悪だな、俺。こりゃ怒られるわ。 「和、樹……母さんは、ね……もう、いいわ」 怒られなかった。ただもう、俺超ダメダメ。死にたいくらい恥ずかしい。 母さんの気配は、ゆっくりドアのほうに向かってる。ああもう最悪。 なのに俺は、もうダメダメに堕ちちゃった俺は。 「じゃあさじゃあさ……・怒ってもいいから聞いてよ」 「……ん」 俺は、体起こして母さんを見た。母さんはもうドアの手前で、電気のスイッチに手をかけてた。 「俺はどう思われてんのさ?確かに文哉みたいに可愛くもないわ。でもさ、甘えたらできちゃうわけ?」 「……うーん……」 「……させないでしょ多分。文哉はいいけど多分俺はダメだわ。空気読んで「俺はイイわ」ってなるし」 「……違う、と思う」 「違う、かなぁ?まあ……フェ、口でしてもらったけどさ、アレぐらいでしょ?どう思われてても」 「和樹……あ、の」 「ねぇどう思われてんの?口でしとけば、飲んどけばこれ以上文句言わないでしょ、的な感じに思ってんでしょ」 「……」 最悪。最悪。最悪。最悪。 こんなに俺ひどいやつだったっけか。 むこう向いてふりかえりもできない母さんの背中に、まぁひどいこと投げかけ続けてる。 単に嫉妬なんだぜ?多分。文哉みたいに甘えられない自分がもどかしくて、それを母さんにぶつけてる。 バカじゃねえの?俺。 「……どう思ってる、とか」 「……あ?」 「……そんなこと、答えられるわけないじゃん。母親、だよ私?」 ああ、やっぱりこっち向かない。 「ゴメンね和樹。疲れてるのに来ちゃったから、こんな風になったんだよね。ゴメン」 「……」 「とりあえず寝よっか。和樹も寝て。何かヘンな話になっちゃった。おかしいな」 ここで今までの母さんなら、笑ってくれた。 もしかしてムリして笑ってくれてるのかもしれないけど、その顔は見えない。 「寝よ。また明日から、ちゃんと前の感じに戻って。そっからまた、そのこと話そ?」 「……ごまかされたっぽい気がする」 何言ってんだこの期に及んで。母さんが俺の失態を忘れてくれるって言ってんだ。バカ和樹。バカ俺。 「……違うって。ちゃんと話すから。分かって、和樹」 ようやくそこで母さんは振り返ってこっち見て。 笑って、る。笑ってくれて、る。最悪だ俺、死ねよ俺。母さんによくもこんな顔させてんな。 「……寝る」 「うん。ありがと。おやすみ……」 俺は大袈裟に布団をかぶって。それからすぐに、電気が消えてドアが閉まって。 バカ極まって死にたくなってしまった俺を残して、母さんは俺の部屋を出てった。 ドアのノックの音がした時に感じた、言いようのない期待感とかを、全部自分でぶっ壊した俺。 ……寝れる? ……寝れねぇよ。もう、いいわ。どーでも。午前3時42分。 いらん事を考えちゃうんだよね、ああいう嵐のあとは。自分基本小心者だし。 明日謝らなきゃいけないか?とか。今母さんはどんな気分なんだろ?とか。 もしかしてもしかして、母さんは俺に追い出されて、今文哉の部屋に行ってんじゃないか?とか。もしかして。 モヤモヤしながら、目開けたり、目閉じたり。母さんがノックする前よりモヤモヤしてる。 |
しかし、どうやら。 俺は一瞬だけ、眠ってたみたい。疲れか、逃避規制、か。 「……寝てる?」 ドアの音とか、足音とか聞こえないで。その声が、すぐ耳元で聞こえた。 でも、その声もぼんやりした感じで聞こえてたし。寝る前のまどろみ?みたいな感じに思ってた。 「……寝てる、よね」 そんなに何度も確認するなよ。俺が寝てようが寝てまいが俺の勝手。睡眠の係員さん?……ん?とか思って。 次の瞬間、ベッドが沈んだ。誰かがへりに腰かけて、んで……え、え、え? 「寝てて。かず、き」 またベッドがぐいっとたわんで。その声の主が、近づいて来た。ってか、声が顔の前に、来た。 |
ちゅっ。 |
う、えっ!? もう明らかに、俺の唇になんか触れた。あくまでイメージだけど……誰かにキスされた。 エロマンガなら、それこそさっきギャグで思った睡眠の係員さん?とか夢魔?とかが……。 いや、でも……残念ながらこれはエロマンガじゃないし。残念ながら、ってか……。 「……ふ、うー」 睡眠係さんでもサキュバスでもない人の小さなため息が、俺の顔に当る。 その相手は、俺に「寝てろ」って言ってる。で、俺はそうしてたほうがいいのかも、とか思ってる。 相手は、寝てる俺にキスしてくれて、まだ離れずに至近距離でそこにいるし。今後の事を考えると、ねえ? ところが、ところがである。 俺は……目を開けちゃったんだよねー。多分、これ以上何かされると、結局目開けちゃってたと思うし。 寝たフリしてる時ってさ、何かまぶたがヒクヒクしちゃわない?実際の動きは分かんないけど、相手にバレてそうな。 あの感覚が起きそうだったんで、チキンな俺は目を開けちゃった。 もしかしてそれを見て見ぬフリしてくれる相手かもしれなかったのに、まあ。 「……あ」 「あ」 目を開けたら、そこに母さんの、堤香織の目があった。超至近距離。 「なんだ……もう起きた」 「いや、あの」 笑ってる?いや、笑ってないな。無表情でも怒ってるわけでもないけど、俺の顔じっと見て、なんか不思議な顔。 「なん、で」 あ。それ聞いちゃうの?俺。思わず口に出ちゃったけど。 「?」 「なん、で……キスしたの」 「んー?」 「……」 「してないよ。キスとか」 「え」 「和樹のカン違いじゃないの?」 「……」 そうかも、しれない。確かに。 俺がさっきの感触に自信が持てなくて、目をそらして眉をしかめる。 「……ふふ」 そこで、ようやく母さんが笑った。笑ったっていうか、小さく吹き出した感じ。 「やっぱり、和樹だわ。うふふ」 ついさっき、あれほど険悪な感じで部屋を出てったのに、なんだ今の母さんは? 俺としては一安心だけど、なんかこう……こんな近くに顔近づけて、どういう意図があるんだか。 |
「なんで笑う」 「……別にー」 「……キスしたんでしょ、ホントは」 「んー?どうでも、いいじゃん」 顔は、そのままそこにあって。 なのにベッドは、くわんっ、と弾んだ。 母さんが、俺のベッドに、寝て来た。ええええええーっ? 「なに、してん、の」 「母親だし」 「はあ?」 「たまには一緒に寝てもいいと思う」 「……ダメでしょ」 「ダメ、かな?じゃあ……一生に一度」 「意味わからん」 「……いつも家の事とか、ふ、文哉の事とかちゃんとしてくれる和樹に、もうこんな感じで寝る事はないでしょ」 「……」 「だから、寂しい母親のお願い。一生に一度ってヤツ。もう、絶対しないし」 「……なに言ってんの」 ヤバイ。俺が勘違いしそうだ。母さんの言葉の意味の1%もわからん。 「ちょっとだけ考えて、さっき決めたの」 「……?」 「もうね、文哉は『文哉』って呼ぶ」 「……あ」 そう、か。そういやさっきも「文哉」って言った気がする。ちょい不自然だったけど。 「子供は甘えるもんだし、それは嬉しい。うん。でも甘え過ぎを許して、他の子供に嫌われちゃ、意味ない」 「……嫌い、とか」 「ううん……わかるよ、和樹はそうは思わない。でも、いいきっかけだとは思う」 「……」 「まあ、呼びかた変えても文ちゃ、文哉がすぐ変わるとは思ってないけどね。まあ、その時はその時」 「……うん」 まだ試行錯誤中なのは、口調でわかるな。まあ、しかし、母さんがそう思うんだったら、俺としては。 |