◇ 蟻地獄で逢いましょう ◇


【 2.生と死と再生の境目は 】

 宇宙の卵を破壊する、破壊しない、破壊する、破壊しない――
 それを何度も繰り返す中、ナナシはひたすらに考え続けていた。
 どうしたら、最初に己を選んでくれた元のダグザを取り戻せるのか――と。

 そもそもダヌーによる産み直しを阻止するか、それとも新しいダグザを元に戻すべきなのか。
 ダヌーを止めようとするならば、ダグザは新宇宙を作って消え去ってしまう。
 今は唯一の理解者となったフリンは「魔神を籠絡して気を変えさせればいい」などとあっさり言い放ったが、それは到底無理なことと思えた。
 何より、ワルターとヨナタンを取り戻したい、というフリンの都合を考えれば、卵を破壊してダヌーを止めず、新生したダグザを元に戻す、という方策を探すしか道はなかった。
 だが――どうやって?
 ナナシの思考はいつもそこで止まった。
 新宇宙の神としての力を使うには、問題はあまりに繊細すぎた。細かい調整が利かないのだ。五体並んだ悪魔の中からゴブリン一体だけを倒そうという時に、真理の雷を撃つようなものだ。目的外の範囲にまで力が及び、惨憺たる結果になるのは目に見えている。
「じゃあ、まずは問題を整理し直すことから始めよう」
 ある時フリンがそう言ったので、ナナシは彼の助けを借り、改めて問題を切り分けることにした。



 そうして改めて考えるに、ダヌーの産み直しとは、一体どのようなものだったのか。
 卵の中で何度か遭遇したイナンナによる新生は、まだしも理解が追いつくものだった。
 濁った泥水を笊や布で濾し、不純物を取り除くようにして、本来の神性を取り戻す――恐らくはそういうことではないのかと思う。
 YHVHの時はその逆だった。あれは人の持つ観測の力で神を構成する要素を否定し、その神性を剥ぎ取ることだった。
 では、ダグザの場合はどうだったのか。
 彼は人間の観測によって付け加えられた、様々な要素を捨て去りたがっていた。
 しかしダヌーが産み直したダグザは、そうした要素を全て受け入れ、むしろ本来の在りようとして受け止めている存在だった。
 そうなるとダグザの新生とは、「規定された神であることが許せない」「一現象に還りたい」「ダヌーの言い分には共感出来ない」という、旧きダグザが口にしていた不満の部分こそを濾し取られてしまったことになる。それはイナンナによる純化ではなく、YHVHの神性を剥ぎ取った時のやり方にむしろ似ていると思えた。
 だが、あるいはそれらは同じものなのかも知れない。
 その仮定に基づいて、二人が話し合って得た結論は、

【イナンナとダヌーの持つ力は、人間が持つ観測の力に概ね準じるものであり、足し引きする要素を都合良く選択出来るのではないか】

 ということだった。
 だとすれば、新しいダグザに元のダグザの要素を足し引きすることで、産み直される前のダグザの形を取り戻すことも可能なのではないか――ナナシはそのように考えた。
 だが、そこにはひとつの問題が立ちはだかった。
 いま目の前に有るものを、選んで剥ぎ取るのは簡単だろう。だが逆に、「既に失われたその空隙に、どのような形の、何があったのか」を窺い知ることは難しい。ましてや魂や在りようといったものは、そもそも目には見えないし、完全な形も解らない。
 元のダグザの魂や存在が、どこかに保存されているのなら、それを使うことは出来るだろう。だが、それをどうやって探し出せばいいのか――
 この問題はそこで行き詰まり、ひとまず保留しておこう、ということになった。



 次に二人が疑念を抱いたのは、ダヌーとイナンナの新生における、ただ一点の違いであった。
 バアルはその一体が目の前で変化し、元の姿を取り戻した。ミロクはその魂が使われた。
 一方ダグザはどうだったか。元のダグザがそこにいるというのに、新しいダグザが生み出された――それは今にして思い返せば、あまりに奇妙なことだった。要素を選択して濾し取るも何も、そもそも濾してすらいないではないか。
 だとすればあの「産み直し」は、あるいは「ダグザを作り替えた」のではなく、同じ鋳型で別のダグザを新造した、という可能性はないだろうか。その場合二人目の新しいダグザは、同じ遺伝子を持つ双子の弟であり、元のダグザではないことになる。
 つまりダヌーは「産み直し」という言葉を隠れ蓑に、巧妙にダグザを挿げ替えたのではないか――そう考えると辻褄が合う気がした。
 だが、だとすれば元のダグザは、まんまとダヌーに踊らされ、ナナシが殺してしまったことになる――
 回り回って辿り着いたその可能性は、今さらにナナシを打ちのめした。
 しかし、吐き気を堪えてうずくまったナナシを、フリンは静かに抱き起こした。
「それならそれで、まだ考えようはあるかも知れないよ。‥‥いや、その方がむしろ簡単かも知れない」
 力なく目を上げたナナシを見るフリンは、起死回生の打開策でも見つけたような目をしていた。
 どうやって、と呟いたナナシに、
「ただ――その方法にはひとつだけ、問題がある」
 フリンは少しだけ困った顔で言った。
「前にも言っただろう? 単純に彼を元に戻しても、事態は何も解決しない。世界を作り替えて消えてしまおうという、彼の気持ち自体を変えさせなければ、また同じことの繰り返しだ」
 確かに、それはその通りだった。そしてそれこそが一番の難作業なのだ。
 どうすれば、とナナシは何度目かに呟いた。――が、
「それなんだけどね。‥‥前に君から聞いた話で、ちょっと引っかかっていることがあるんだよ。ひとつ前の話にも関わってくることなんだが――」
 ‥‥そうしてフリンが語ったことに、ナナシは茫然と目を見開いた。
 そんなことが有り得るのか、と思いながらも、他の方策を思いつけないのも確かであり、試す価値は十分にあると思えた。



 そしてナナシは妖精の森に赴き、新しいダグザに不穏の種を蒔いた。
 口にしたことは掛け値なしの本音だったが、彼もダヌーの犠牲者なのだと思えば、とうに干涸らびた心が少しだけ痛んだ。
 あとはナナシが蒔いた種が芽吹き、上手く根付くのを待つだけだったが、
「後はダヌーをどうにかしないといけないだろうね」
 計画を実行に移すに当たって、当面の問題はそれだった。
 ダヌーが介入してくるのは面倒だ。下手をするとこちらの存在までが「産み直し」でやられてしまうだろう。そうなれば、否応なしにこの計画は次の「やり直し」に持ち越すことになる。あまりに長い時を待ち続ける苦痛を思えば、出来ればそれは避けたかった。
「まずは確かめさせてくれ。‥‥ノゾミが本当にノゾミのままなのかを」
 フリンの言葉に、だがどうやって? とまたナナシは問うた。依り代と神の線引きは難しいし、殺さずに分離させるのも困難だろう。
「ノゾミが知っていて、ダヌーは知らない――そういうことで見分けるしかないだろうね」
 ‥‥そしてフリンが語ったのは、今までナナシが知ることのなかった、想像以上におぞましい現実だった。
 年に、あるいは二年に一度程度、ドーム球場で行われるハンタートーナメント。
 その開催が宣言されると、大人達は一体誰が勝つのか、最も強いのは誰なのかといった下馬評に日がな熱中し、口角泡を飛ばしていたものだった。
 だが、育ての親である錦糸町のマスターは、何故か頑なにその話を拒み、ナナシに、そしてアサヒにも、中継すら決して見せようとはしなかった。
「あれは悪魔使いが使役する悪魔を競わせるものかと思っていたんだが――いざ出場してみたら、そうじゃなかった。‥‥ハンター同士も殺し合うんだよ」
 淡々と、しかし少しだけ眉根を寄せて、フリンは厭わしげにそう言った。
「勿論、相手の悪魔が全滅して、ハンターの方も戦闘不能だと思えば、そこで手を止めて終わらせることも出来る。‥‥でも、そうすると会場からのブーイングがすごくてね」
 つまりは殺せと皆が言うのだと。観客が――殺し合いを見世物として楽しんでいる、人間達が。
「僕も始めはびっくりしたんだが――それが東京のルールなのかと思って」
 ‥‥ナナシは言葉を失った。フリンが人間を殺していたことに、ではない。ハンターは貴重な人材だ、人を助ける大事な仕事だ、と事あるごとに言っていた大人達が、そんな娯楽に興じていたことに、だった。
 そこまで考えて、ふと思い出した。早く一人前のハンターになりたいと言うアサヒを、マスターはいつも厳しく諫め、別の仕事に就けと言っていた。あれはつまりはそういうことだったのではないか。
 マスターは元はハンターだった。それが商会の店主になった。転職の理由を聞いたことはない。アサヒと自分を育てるために、死の危険のない職を選んだのだろう――ナナシは何の根拠もなく、ただ漠然とそう思っていた。
 勿論それもあっただろうとは思う。だが、もしかしたら、娯楽で人を手に掛けるような職に就きながら子供を育てるという、欺瞞あるいは矛盾といったものに耐えられなくなった、というのが真相ではなかったのか――
「‥‥ノゾミがダヌーの依り代になったのは、確かトーナメントが終わった後だ」
 フリンの言葉に、ナナシは束の間の追想から醒めた。
「東京生まれのハンターならば、トーナメントのことを知っていて当然だ。けど、ダヌーはそれを見ていないはずだ――その時はまだ、ノゾミの中にいなかったのだから」
 だが――もしもダヌーが直接には知らぬ、ノゾミの肉体に残る記憶を完璧に把握していたとしたら?
「その時はその時で、別の方策を考えるしかないだろうね」
 フリンは肩をすくめて言った。
「多少面倒ではあるけれど、何せ時間はいくらでもある――僕達には、ね」
 ああ、とナナシは頷いた。
 駄目なら駄目で、何度でも世界をやり直すまでだった。
(2016/04/20)
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