◇ 蟻地獄で逢いましょう ◇
【 3.奪われた何かを取り戻しに往こう 】
いつもの大樹の花影で、ダグザは腕組みして立っていた。フリンが口にした通り、ナナシとフリンが現れることを知っていて待っていたようだった。
おおよそ五歩の距離を取り、ナナシは彼の前で足を止めた。
その背を守るようにして、少し後ろでフリンが立ち止まり、ひたと魔神に視線を据える。
「――ダグザ」
スマホ越しに呼んでいた時と同じように、ナナシは彼に呼び掛けた。
「ダヌーを殺した」
「知っている」
あっさりと告げたナナシと同じく、ダグザもやはり淡々と答えた。
「妖精共がざわめいている――森が力を失ったと」
「それで」
とナナシは低く問うた。
「母親を殺されて、あんたは怒ってる?」
「‥‥いや」
感情の読めぬ緑の目が、ほんの少しだけ細められた。
「丁度オレも、母上への怒りが兆していたところだ」
「何でだ」
解っていながら、ナナシはまた問うた。
「あんたはダヌーの言いなりだったはずじゃないのか」
「言ったはずだ。旧きオレが誤っていたとは言わぬ、と」
ほんの僅かな嘲笑を含んで、へえ、とナナシは片頬を歪めた。
「前のダグザの気持ちが解った、ってことか?」
「元より、オレはオレだ。旧きオレであろうが、新しきオレであろうが」
ダグザはその骨に似た顔貌に、諦めとも、また哀切ともつかぬ、不可解な色を浮かべたように見えた。
「旧きオレの、あの頑迷を良しとはせぬ。‥‥だが」
ダグザがそこまで言った時、ナナシはだしぬけに破魔の魔法を――審判の光を打ち込んだ。
「?!――小僧!」
ダグザの身体で光が弾けた。
一瞬ののちに視界が戻ると、ダグザは咄嗟に突き出した掌で破魔の痛打を受け止めていた。恐らく直撃はしていない。だが、何度も繰り返した卵での戦いで、ダグザが破魔に弱いのは知っていた。ダグザがディナイアルを詠唱し、仲魔の召喚を阻止する隙に、次には光神弾を連続で打ち込む。
両腕で防御の構えを取るが、この弾数を全ては避け切れぬ。数発が胸の辺りに着弾し、破魔の光が次々と弾けて魔神の視界を霞ませた。
その瞬間、ナナシの背後からフリンが走った。神殺しの剣を腰撓めに構え、ダグザの胴目掛けて駆け抜ける。
「貴様――!」
咄嗟にその身をかわしたものの、フリンの刃は紙一枚分、その脇腹を切り裂いて過ぎた。
ザッと音を立てて砂利道を擦ったブーツの底で制動をかけ、フリンは跳ねるように身を翻した。返す刃で次はダグザの背後を狙う。
が、振り向きざまのダグザの拳が、フリンの鳩尾を打ち抜いた。ぐ、というくぐもった呻吟を呑み込みながら、フリンの身体が吹き飛ばされる。その背は背後の大樹に激突し、散り落ちた花弁がはらはらと舞った。
フリンが再び起き上がるより前に、ナナシが次の攻撃を繰り出した。光神弾で目眩ましをかけ、ダグザの動きを怯ませたその隙に、今度はヒノカグツチで斬りかかる。破魔ほどは効かない。が、それでいい。フリンのための隙さえ作れれば。
小刻みな刃をダグザの腕が重い音を立てて次々と防ぐ。その隙を縫って繰り出される拳を、しかし、跳ね起きて飛びかかったフリンの剣が渾身の力で打ち払った。ナナシに当たるはずだったその拳が、反動で一瞬跳ね上がり、胸板の辺りに隙を生む。
ナナシはそこに審判の光を、フリンは神殺しの剣を突き込んだ。
が――ダグザは破魔を避けることなく受け、構わず、フリンの刃を横薙ぎに殴った。跳ね上がった剣をかいくぐり、逆に無防備に晒されたフリンの脇腹に掌底を突き出して詠唱したのは、防御不能の万能魔法――最大威力のメギドラオンだった。
「ッ、が――‥‥!!」
フリンの口元から血飛沫が飛んだ。臓腑が内から破壊されるような衝撃は、ナナシにも覚えのあるものだった。あの痛みと吐き気を思い出すだけで、胃袋がぎゅっと収縮し、剣を持つ手に鳥肌が立つ。あれをゼロ距離で食らえば、まず助からない。
だが次の瞬間、斃れたフリンが再び跳ね起き、ダグザ目掛けて疾風のように走った。死しても一度だけ蘇るスキル――不屈の闘志が発動したのだ。吐いた血の残る唇を引き結び、神殺しの剣を横一文字に薙ぐ。
ギン、という高い金属音が響き、鎧ともそれを模した生身ともつかぬ、ダグザの脇腹を削り取った。が――
「その程度か」
ダグザの拳がフリンの胸にめり込み、二度目のメギドラオンが放たれた。
今度こそ、フリンは声も無く吹き飛ばされ、大樹の根元に叩きつけられた。
ずるりとくずおれる身体には、もはや立ち上がる力は無く、フリンはそのまま動きを止めた。
「――‥‥‥‥」
ゆっくりと、ナナシは詰めていた息を吐いた。手にしていた武器を全て納め、振り向いたダグザと対峙する。
「‥‥小僧。一体何がしたい」
淡々と、だが訝しげに、魔神が問うた。
ナナシはゆっくりと手を上げた。戦意がないことを示すため、右の掌をダグザに見せながら、左手で顔を撫で下ろす。
「?! オマエは‥‥――!」
ダグザが目を剥き、絶句した。
手を下ろした後のナナシの目は、旧きダグザの神殺しであった頃と同じ、深い緑色に変じていた。
桜の森を風が吹き抜け、ザァ、と木々が打ち震えた。
斃れたフリンと立ち尽くすダグザと、その前に立つナナシの上に、一斉に花吹雪が降りかかる。
黙したままのダグザの目には、ナナシの目の色のみならず、頬の傷痕と左手の上にも同じ色をした力が戻り、マグネタイトの輝きを放つさまが映っているに違いなかった。
「何故だ、小僧――神殺しの力は、とうに――」
驚愕したような魔神の言葉に、しかしナナシは答えることなく、その背後にチラと視線をくれた。
魔神の緑の目が、ぴくり、と動く。恐らくは、ナナシの視線のゆえではなく――不意に背後に立ち現れた、二重に不可解な、その気配に。
凍り付いたような沈黙の中、ザリ、と砂利を踏む音が響き、
「ただいま。――還ったよ」
手の甲で口元の血を拭い取りながら、立ち上がったフリンが笑みを含んで言った。
新しいダグザが弾かれたように振り向き、驚愕にその目を見開く中、
「――久しいな、小僧」
フリンの傍らに並び立つ、腕組みしたもう一人のダグザが、言った。
(2016/04/20)