◇ Like a Starlight ◇


 ‥‥何でここに、と言葉を失い、俺はしばらく茫然としていた。
 その間にも、ハレルヤは素早く視線を巡らし、俺達のいる席を見定めた。そうしてまずはカウンターに向かい、二言三言の言葉を交わした。少し待ってから魔貨と引き替えにシュークリームと飲み物を受け取り、足早にこちらにやって来る。
「――ちっと邪魔するぜ、リーダー」
 音を立ててまずトレイを置くと、ハレルヤは空き席から椅子を引っ張ってきて、俺とフリンの間に割り入った。
 だがそこは、ちょうどダグザの真正面に当たる位置だった。無言のままにジロリと見据えられ、冷や汗と共に焦ったように一瞬視線を泳がせる。それでも、ハレルヤはぐっと唇を引き結び、覚悟を決めたように席に着いた。
 ‥‥恐らくはこの様子からすると、あちこちを散々走り回った挙げ句、ようやくここに行き着いたのだろう。
 だが、どうして。そして何のために。
 彼の記憶は消してきた。仮にそれとは無関係な用がたまたま出来たのだとしたら、メールの一本もよこせば済むはずだ。走って探しに来る必要などない。では、どうして――
 答えの出ない自問自答にはまり込んだままの俺に代わって、口を開いたのはフリンだった。
「‥‥彼が、そうなのか?」
 うむ、とダグザが肯定して頷く。‥‥何の話だ? と思った次の瞬間、思い出した。
『それに女神なら適任の者が――』
 ‥‥いやちょっと待ってくれ!
 俺は今日何度目かも解らない、同じ突っ込みをまた口にした。
 だが、勢い込んで立ち上がりかけた俺を、すいと伸ばされたダグザの手が制した。そしてハレルヤを睥睨し、低く問う。
「小僧が見せたものを、貴様は思い出したのだな?」
「‥‥ああ」
 何のことだ、とハレルヤは訊かなかった。苦痛に耐えているかのような、常にない険しい表情で、彼は決然と頷いた。
「ならば、なにゆえ小僧を追ってきた」
「あんなもの見ちまったら、もう戻れねえよ。‥‥無かったことになんか、出来る訳がねえ」
「あんなもの、って?」
 さして興味もなさそうな、色の無い声音でフリンが問うた。
 そうだった。俺が彼の様子を見に行ったところまでは、フリンもダグザも知っている。が、そこで何があったのか――俺がうっかり爆発して、前世界の記憶を見せてしまったところまでは、何だかんだでまだ話していなかった。
「オレは――リーダーの記憶を、見た。何度も世界を繰り返して、何度もオレたちと戦って、殺して‥‥オレたちはリーダーに捨てられたと思ってたけど、でも、リーダーの目から見たら、オレたちの方が裏切ったとしか思えなくて、それで‥‥」
「なるほど。‥‥ナナシはそれで落ち込んでいた訳か」
 呟いてフリンが俺を見た。つられたようにハレルヤが、どこか不安気な目を向ける。会ったばかりの頃によく見せた、縋るような――しかし同時に諦めてもいるような。
 いたたまれなさについ目を逸らすと、その先にいたダグザと目が合って、また気がついた。さっきダグザは「小僧が見せたものを」と言っていた。その時はスマホ越しの監視を切ってフリンの元にいたはずのダグザが、どうしてそれを知っていたのか。
「オマエは神としての力を使っただろう」
 ああ、と頷いた俺に、ダグザは目を細めた。
「オマエの中には、オレとつながった神殺しの力もある。それらの力は共存しているがゆえに、互いに干渉しあってもいる。一方を使えば、その揺らぎや波がもう一方にも伝わる。‥‥お前が力を行使すれば、どちらであろうとオレには解る。そういうことだ」
 つまりは筒抜けと言うことか。‥‥便利なんだかプライバシーもへったくれもないのか、よく解らない。
 まあそれはいい。とりあえずは目の前のハレルヤだ。どうして俺を追ってきた? そして何故、ダグザは彼が女神に適任だなんて今さら思いついたのか。
「オマエは此奴の記憶を消したのだろう」
 ああ、そうだ――そのつもりだった。けど。
「だが、思い出した」
 その通りだ。俺のやり方が甘かったのか、間違っていたのか。それともやっぱり解ってほしかったと、無意識のどこかでは思っていて、我知らず手加減したのかも知れない。
「それもあるだろう。‥‥だが、此奴は思いのほか意志が強かったようだな。シェムハザの血か、あるいは魔物であることに臆せず、あれを選んだ母親の血か」
「兄貴――いや、俺の父親のことを知ってんのか?‥‥」
「オレを誰だと思っている」
 淡々と言ったダグザは、しかしそれほど不機嫌そうではなかった。知識の神であることは、ダグザの望まぬ神性ではないらしい。
「だが、それは問題ではない。必要なのは魂の強さと、二度と決して小僧を裏切らぬという、確たる意思だ」
「必要、って‥‥何の話だよ? オレはただ、リーダーとちゃんと話を――」
「全てを知った今こそ、小僧を選ぶか」
「え?」
 ハレルヤはきょとんと目を丸くして、困ったように俺の方を見た。そこに、今度はフリンが助け船を出すように訊く。
「君はもう、ナナシが神になったことを知っているんだろう?」
「え、ああ――それは‥‥うん」
「もしも次があったとしたら、君はどっちを選ぶ? ナナシか、ダヌーとそれに与する他の仲間達か」
「――‥‥‥‥」
 ハレルヤは目を剥き、息を呑んだ。俺と、ダグザと、フリンとを、忙しなく視線を巡らせて、順に見やる。そして――
「‥‥リーダーを、選ぶ。今度こそ、絶対に」
 真っ直ぐ俺を見て、そう言った。
 ‥‥どう受け止めたらいいものか、正直俺にはよく解らなかった。
 嬉しくなかったかと言われれば、多分そうじゃない。だが、何度も繰り返した世界のせいで、俺はもう、理由すら訊かれず断罪され、皆に捨てられるのに慣れすぎていた。
 それで言葉に詰まっている間にも、しかし話は勝手に進んでいった。
「――おめでとう、正解だ」
 そう言って、フリンがほんのりと口の端で笑った。
「実のところ、〈次〉はもう二度と無い。‥‥僕らがダヌーを殺した。ノゾミごと」
「え――‥‥‥‥?」
 ハレルヤは息を呑んだ。そして弾かれたように俺を見た。けど、
「あの宿主の女は、もはや元のままの人間ではなかった。――ダヌーに人としての在りようを食われ、上辺の姿だけを器として利用されていたのだ」
 どうにも言葉が出なかった俺の代わりに、ダグザが低く、ハレルヤに語った。
 ハレルヤはまた、縋るように俺を見た。‥‥それで互いに無言のまま、ひどく緊迫した空気の中でしばらく見つめ合ってから、ようやく俺も口を開いた。
 ‥‥なあ、信じるか? いま俺達が言ったことを――
「信じるさ」
 ハレルヤは即答した。そこには一瞬のためらいすらなかった。
 だが――どうして今さら信じられるんだ? 何度もお前達を殺した俺を。
「あの時、リーダーの記憶を見た。‥‥っていうか、オレはあの時リーダーだった。見た、なんて生やさしいもんじゃなかった――それで、思い知った」
 目の前で、ハレルヤは祈るように両手を組んだ。そこに額を押し当てて、俯く――その目は隠れて見えなくなったが、代わりに、組んだ手がわずかに震えているのが見えた。
「あんなもん、疑える訳なんかねえ‥‥あの時――卵の中でアンタを止めるってみんなが決めた時、オレたちを見てたリーダーの気持ちも、オレは、全部――だから」
 震える声で、しかし何かを振り払うようにして、ハレルヤは不意に顔を上げ、再び俺を真っ直ぐに見た。

「今度こそ、オレはアンタを選ぶ。だから――また、オレを連れて行ってくれよ!」

 ‥‥叫ぶように言ったハレルヤの言葉が、ゆっくりと胸の奥に染み入っていった。
 それが「嬉しい」という気持ちであることを思い出したのは、呆けたままだった俺の背を、ぽん、とダグザが叩いてからだった。
「どうだ、小僧。‥‥此奴が女神では、まだ不満か?」
「は? 何だよ女神って――‥‥あ?!」
 ダグザの言葉に、ハレルヤは一瞬眉をひそめ、しかし直後に何かを思い出したように、ギクリと震えて目を見開いた。‥‥どうやら俺の記憶の中で見た、女神についての情報が思い出されたらしい。
 話が早いのは助かるが、しかし俺はもう、とっくにダグザだけを選んでしまっている。今さら女神なぞ要りもしないし、そもそも今この世界においては、ダグザもフリンも他の人間もいる。ダグザが言うところの寄る辺など必要ないのだ。道を違えた友達と仲直り出来た――それだけでもう十分なんじゃないのか。
「そういえば話の途中だったな。‥‥じゃあ、当の女神を交えて続きといこうか」
 フリンが言って、オロオロしているハレルヤをよそに、先ほどまでの話の続きが再開されることになった。
 ‥‥当人を交えてと言いながらも、やはり女神は置き去りの運命らしい、と下らないことを考えて、ちょっと笑った。
(2016/06/26)
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