プラッサくん物語

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  その二 虫とプラッサくん  

 プラッサくんが昆虫というものを初めて見たのは、和哉くんが取ってきた大きなバッタでした。
 ぎょろりと大きな目の中には、黒い点がぽつんと入っています。口のあたりは何だか複雑で、どこがどう動くのかよくわかりません(でも、噛まれたら痛そうだなと、プラッサくんは何となく思いました)。
 自分の手足にしっぽを足しても、やっと五本にしかならないのに、バッタには足が六本もあります。一度に動かすのはきっと大変に違いありません。
 虫かごの中のバッタをひとしきり観察すると、プラッサくんは振り向いて言いました。
「みどりいろです」
「羽根のとこだけ茶色だよ、ほら」
 和哉くんはそう言って、バッタを虫かごから取り出して見せてくれました。
 間近で見ると、確かに羽根だけ茶色です。しかも、うっすらとまだら模様まで入っています。それに気づいたプラッサくんの目はまんまるです。
「ほんとです」
「これ、トノサマバッタだよ」
「えらいですか?」
「かも知んない。おっきいしね」
 プラッサくんも和哉くんも、なんだか勘違いしているみたいです。お話を聞いていたお母さんが、向こうでこっそり笑っていました。でもこの際、そんなのはどうでもいいことです。
「バッタ、どうするですか?」
「あとで放してあげるんだ。虫かごに入れとくと死んじゃうし」
 プラッサくんはびっくりしたようにぱかっと口を開けました。
「死んじゃうですか!!」
「だって虫かごにはバッタのごはん入ってないし」
 簡単明快な答えです。『バッタのごはん』が何なのか、具体的には知りませんでしたが、プラッサくんは何となく納得してうんうんとうなづきました。

 それから何日たった、ある日のことです。
 ふだん和哉くんが小学校に行っているあいだ、プラッサくんはおうちでお母さんと過ごします。
 特にしなければいけないようなお仕事は何もありません。お母さんがお仕事するのを見ていたり、お話し相手になったりするのが、仕事と言えば仕事のようなものです。
 たまには、お掃除のお手伝いとして、たんすや冷蔵庫の後ろなんかから、なくしものを拾ってきてあげたりすることもあります。
 プラッサくんはこの時も、お母さんがうっかり落とした、コショウのびんのふたを取りに、冷蔵庫と壁のすきまに入っていきました。
 咳の出る病気のせいもあって、お母さんはきれい好きです。こんな手も届かないところなのに、床はぴかぴかでほこりひとつもありません。
 赤いキャップはすぐに見つかりました。プラッサくんはしっぽをぱたぱた振りながらそれを拾いあげました。‥‥なんだか、鼻がむずむずします。
「プラッサくん、見つかった?」
 すきまからお母さんがのぞき込んで言いました。
「ありまし」
 と、言いかけて、プラッサくんはぷしっとくしゃみをひとつ。
 それから、言えなかったぶんを付け加えます。
「た」
 あらあら、とお母さんは笑いました。
 プラッサくんも、ちょっと照れくさくて笑ってしまいました。えへへ、と頭をかいてから、トコトコとすきまを後にします。
 キャップをお母さんに手渡して、プラッサくんは、あれ?と振り向きました。奥の方で、何かが動いたような気がしたのです。お母さんが、それに気づいて振り向きます。
「どうしたの?」
「なにかいます」
 プラッサくんの言葉に、お母さんはぎくりとしたようでした。
「く、‥‥黒くてつやつやしたもの?」
「よくわかんないです」
 どうやらお母さんはゴキブリを想像したようです。でも、プラッサくんは、まだゴキブリというものを見たことはありません。
 お母さんが怖がっているように見えたので、プラッサくんはふたたびトコトコとすきまに入っていきました。
「黒いものだったら触っちゃだめよ」
「あい」
 元気に答えて、プラッサくんは奥にいたものに近よりました。
「あ、バッタです」
「バッタ? カズくんが逃がしちゃったのかしら」
 お母さんのひとりごとを聞きながら、プラッサくんはまじまじとそれを観察しました。
 やけにずんぐりしたバッタです。トノサマバッタみたいに大きな目も、色のちがう羽根もありません。それに、あの細長い感じとは違っていて、とても大きいおなかと背中は、なんだか重そうな感じです。
「でも、足は六本あります。バッタです」
 プラッサくんは自分に確認するように言って、えいっとそのバッタをつかまえました。
 バッタは少しばたばたしましたが、プラッサくんのやわらかい肉球は、しっかりバッタのおなかをつかまえています。足だけをどんなに動かしても逃げられません。
 プラッサくんはバッタを手に、トコトコとすきまから走り出ました。
「バッタ、はだいろちゃいろいです」
 言いながら、そのバッタを差し出したとたん、お母さんはきゃあ、と悲鳴をあげました。
「プラッサくん、そ、それはバッタじゃないわよ」
「ちがうですか?」
「それはカマドウマよ!」
「かま?」
 初めて聞く名前に、プラッサくんは小首をかしげます。
「い、いいから、ともかく捨てちゃって。‥‥いや、そこにじゃなくて!」
 お母さんは、プラッサくんがベランダまで行くのが待ちきれなかったみたいです。プラッサくんのおなかを掴んで抱っこすると、小走りにベランダにかけよりました。からりと窓をあけて、
「はい、プラッサくん、手をはなして」
「あい」
 ぱっと手を開くと、バッタ、いやカマドウマは、芝生にぽとりとおっこちて、どこかにはねて行ってしまいました。
 それから、プラッサくんはそのまま洗面所につれて行かれ、肉球がぬるま湯であったまって、いつもよりもうちょっとピンク色になるまで、あわあわのせっけんで手を洗いました。洗いながら、バッタとカマドウマの区別のしかたや、家のまわりにいるそのほかの虫のことなんかを、お母さんが教えてくれました。

 その日の午後、プラッサくんは、お母さんにお願いして、捕虫網をつくってもらいました。
 割箸と、針金と、ティーバックの袋でできた、プラッサくんサイズの捕虫網です。
 和哉くんが風邪のとき飲んだ、咳止めシロップの小さなびんを虫かごがわりに、プラッサくんはお庭に出ました。
 もちろん、ちょうちょやトンボなんかの、大きな虫は捕まえられません。それでも、おやつの時間に呼ばれて戻ってきたプラッサくんは、たいそう上機嫌で、ひげもしっぽもぴんとしていました。
 その日の収穫は、こんなところです。
 ナナホシテントウが一匹。
 この辺の子供が『土バッタ』と呼んでいる、一センチにも満たないちいさな茶色いバッタが二匹。
 そして、どうやって捕まえたのでしょう。ベニシジミという、二センチほどの、ちいさなオレンジ色のちょうちょが一匹、プラスチックのびんの中で、パタパタとはためいていました。
 プラッサくんはおやつを食べながら、目をきらきらさせてビンのなかの虫を見ていました。早く和哉くんが学校から帰ってこないかなあ、と思います。でも、和哉くんに見せたら、またお庭に放してあげなくてはいけません。
「だって、びんには虫のごはん入ってません」
 プラッサくんはそうひとりごとを言って、顔いっぱいの笑顔をうかべました。
 和哉くんがこれを見たら、なんて言ってくれるでしょう。
 まちどおしくて、しっぽもパタパタしていました。
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