流花無残 十話

   
「おまえは俺の犬だから」第三部<輝良>








 古い屋敷町の、土塀や黒壁に挟まれた細い道を行く。駅から20分ほど歩いただけで周囲が深閑とした、落ち着きと静けさをたたえた家並みに変わっている。輝良は不思議な思いでその街並みを見ながら、組の若い衆に聞き出した道を歩いていた。
 目指す家は居並ぶ家々の中では格別目立つところのない、焼き杉の板塀に囲まれた、純和風な門構えの一軒だった。
 古びた表札に「城戸」とあるだけで、そこがヤクザの組長の屋敷であることを示すものはほかにない。鋲の打たれた門の横に小さな通用門があり、その脇にカメラ付きのインターフォンがあるだけで、防犯カメラの類さえなかった。
 輝良は小さく息をつき、そのインターフォンを押してみた。
 すぐに、
「はい」
 と、野太い声が応えてきて、それだけはさすがに組員を抱えるヤクザの総長の家らしかった。
「ちーっす」
 軽い感じでカメラに向かって敬礼して見せる。
「じいさん、いる? 会いたいんだけど」
「ああ? なんだ、おまえ」
 とたん、スピーカー越しの声がドスのきいたものに変わった。
「どこの組のもんだ!」
「いいから。輝良が会いたがってるってじいさんに伝えてよ」
「おまえ……ここが城戸の組長の家だってわかって言ってんのか!」
 凄む声に笑顔を作る。
「もちろん。……ああ、じいさんって呼んじゃいけなかった? すみませんでした」
 わざとらしく頭を下げてから、輝良は真顔になってカメラに顔を近づけた。
「いいから。急いで伝えてきてよ。輝良が会いたがってるってさ」




 城戸翁の家は時代劇にでも出てきそうなほど古い、けれどよく手入れされた家だった。広い玄関にはお約束のように虎が描かれた屏風が置かれ、仏頂面のパンチパーマの男に案内されて通る濡れ縁はうぐいす張りだった。ここで待つようにと言われた部屋は中庭に面していて、獅子おどしがカコンと情緒あふれる音を響かせている。
 ほどなくして、先のパンチパーマとはちがう、60前後と見える初老の男がお茶と和菓子を運んできてくれた。こちらは城戸翁によく似た、優しげだけれどどこか透徹したものを秘めた笑顔で「どうぞ」と輝良に茶菓を勧めてくれた。
「組長はすぐに参りますんで」
 という男の言葉通り、さらりと障子が開いたのはそれからすぐだった。
「こりゃこりゃ。珍しい客やなあ」
 今日も紬の着物をさらりと着こなした城戸泰造は、居住まいを正して頭を下げた輝良に、
「かしこまらんでええ」
 と優しい言葉をかけてくれてから、輝良と向き合う位置に腰を下ろした。
「で。どないした。なんぞあったか」
 茶菓を運んでくれた男はそのまま部屋の隅で控えている。輝良は深呼吸をひとつしてから、もう一度、畳に手をついた。
「今日はじい……城戸の組長さんに教えてもらいたいことがあってきました」
「じいさんでええ。なにが聞きたい」
「仁和組の総長さんから、二葉の父に、俺を行儀見習いとして家に寄越すようにとの申し入れがありました」
「ほおう?」
 少しだけ、城戸翁の目が丸くなった。
「平がそないなことを二葉に言い出したか……おまえも存外、罪作りやなあ」
 輝良は唇を尖らせた。
「そんなこと言われても意味わかんねぇ。沢さんもえらいことになったって俺の顔見ては溜息つくし、二葉のおっさんも元気ねーし。なんでだよ。俺は二葉輝良になったのに、なんで断れねーの」
「断れんわけやない」
 ゆったりと城戸は腕を組んだ。
「総長の意を汲まんと二葉が勝手を通したいゆうなら、それもええ。ただし、相応の覚悟をせんならん」
「……わかんねえ。ヤクザの親分がエライのはわかるけど、なんで……俺、二葉輝良なのに」
 輝良の両親にもちゃんと合意をとって、輝良が二葉の籍に入り正式に養子となったのは三ヶ月前のことだ。輝良はほとんど一年ぶりに両親に会い、この縁組が自分の意志でもあることをきちんと説明して、両親には泣かれたが、最終的には『それが輝良の将来のためなら』と合意をもらった経緯がある。それは相当につらい経験だった。なのに、なぜいきなり仁和組の総長が出てくるのか、輝良には納得できなかった。
「二葉の息子になっとればこそや」
 噛んで含める口調で城戸は続けた。
「これがまた杯でも交わしとればまたちがうんやけどな。おまえの養子は見込みがあるなあ、俺の手元で育てちゃろと上に言われれば、ヤクザはいややと言われへん。おそらく、平は二葉に、ゆくゆくはおまえに自分の杯をやるぐらいのことはゆうとるやろ。それを言われたら、将来ヤクザにする気はありません、と断るしか手ぇはないが、いったん総長の意を断った人間を組に入れるわけにはいかんようになる。おまえはカタギで生きていかんとならん」
「そんないまさら……!」
「せやろ」
 思わず声を高めた輝良に城戸はうなずいてみせた。
「せやから難儀なんや」
 それでもまだ輝良には納得できなかった。
「でも……俺が二葉のおっさんの養子になったってことは……なんていうか、俺の所有権がおっさんにあるってことじゃないんですか」
「そこや。二葉がおまえにご執心で、借金のカタに無理無理、囲うような形にして、挙句、自分の息子にしてしもたことは周知の事実や。おまえに二葉の手がついとんのも、公然の秘密っちゅうやつや。けどな、ぼうず、それはあくまでナイショの話なんや。表面的には二葉は杯も交わしてないカタギの高校生を息子にしただけ、仁和組の総長がその高校生を見込みがあるから預けてみんかと言い出しただけ、ちゅうことになんねん」
「…………」
「事実はな、二葉の愛人を平が立場にものを言わせて横取りしようとしてんねん。平のことや、おそらくその見返りはしっかり考えてあるやろけどな。……どや、広瀬、なんぞ聞いとらんか」
 城戸翁は視線を部屋の隅で気配を殺して控えていた初老の男に投げかけた。
「は。……長らく総長預かりとなっていた神戸三宮のシマについて、近々、幹部を集めて話があるそうです」
「なるほどなあ……三宮か。もしそれがホンマやったら、輝良、高う見積もってもらえたなあ」
 眉を寄せて輝良は城戸を見つめた。
「もし……それでも二葉のおっさんがその話を断りたいと思ったら……?」
「それは仁和組総長相手に喧嘩を売る覚悟がいるわなあ」
「そんな……」
「そういうことやねん。沢が言うとおり、えらいことになってんねん。……けど、ぼうず、おまえはどうや? おまえがヤクザの世界でのし上がって行きたいなら、この話、おまえにとっては悪ぅないで?」
 城戸翁がにやりと笑いながら言う。まるで輝良を試すのを喜んでいるかのような笑みだった。
 輝良は城戸の言葉を噛み締めた。この城戸翁に諭されて、自分は過去と決別し、大江への復讐のため、二度とみじめな思いをしないためにヤクザの世界に入る覚悟を決めたのだった。今また、城戸は穏やかで深みのある声で輝良の立場がどうなっているのか、教え諭してくれいてる。
「……もし本当に総長さんの家に行くことになったら……俺の後ろ盾は仁和組の総長になる……」
「せや」
「二葉の父は……立場上、この話を断ることができない……」
「せや」
 再び輝良は黙り込んだ。またひとつ、獅子おどしがカコンと乾いた音を響かせる。
 二葉や沢にされたこと、してもらったこと、教えられたことを思い返す。義理と筋が任侠の世界では大事だが、人情を忘れてはいい極道とは言えないと沢に聞いた。
 輝良は顔を上げた。
「俺は……二葉のおっさんにこの世界に無理矢理に連れて来られた。でも、おっさんはあっちの相手だけさせて飼い殺しにしとけばいいはずの俺を、ちゃんと学校に通わせてくれて、大学まで行けるようにしてくれるって言う。おまえは頭がいいんだから頑張れって言ってくれる。俺が極道になりたいと言ったら、いろいろ教えてもくれる。俺は……二葉の元で、極道になりたい。それに……ぶっちゃけ、いまさら他の男に抱かれるつもりもない」
 輝良が言い切ると、城戸翁の口元が満足げにほころんだ。
「じいさん、俺はどうすればいい? 二葉の父には迷惑を掛けずに……二葉の家に残るには、どうすればいい?」
「せやなあ……」
 ほとんど白いものばかりの頭を城戸はかしげた。
「おまえ自身が平に、二葉に操立ててるんをしっかり見せることやなあ」
「操を立てる……」
 みさおをたてる。古い表現だったが、意味はわかった。自分にはこの人しかいないと貞操を守ることだ。しかし、どうやって……?
 その時、城戸が組んでいた腕をほどいた。右腕を膝の上に突っ張り、左手でその腕を掻くような仕草をする。着物の袖がまくれ、しなびかけた肌に施された極彩色の模様がちらりとのぞいた。
――ああ……。
 一瞬で悟る。その方法があるのかと。
「じいさん」
 迷いはなかった。
「刺青って、どうやったら入れられるの?」





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