流花無残 十一話

   
「おまえは俺の犬だから」第三部<輝良>








    *     *     *     *     *

 沢 一(さわはじめ)は、仁和組の金バッジ、二葉武則を組長にいただく二葉組の若頭だ。暴走族の総長だった頃、族ごとヤクザの下部組織となり、意気がっていた沢はそのまま杯をもらって組員になった。もともと喧嘩はめっぽう強く、暴走族という組織をまとめた経験のある沢は極道の世界でめきめきと出世し、二葉武則と出会うことになった。生意気盛りのチンピラが出会った、大物組長。二葉はそれまで沢が出会ったヤクザたちとは器の大きさ、度量の広さが格段にちがっていた。
 暴走族の総長だった沢の後ろ盾になっていた組員は、それなりのシマも持ち、沢をはじめとしてチンピラを何人か従えていたが、組への上納金のためだろうが「金、金」と目の色を変えるところは見ていて浅ましかった。もちろん、ヤクザにとって力の誇示にもなる「金」はとても大事なものだ。「シノギ」の上げられない者は結局チンピラで終わるしかないし、のし上がりたければ金を作らなければ話にならない。
 けれど、沢にはそれだけじゃないだろうと思えて仕方なかったのだ。極道として生きる覚悟を決めた男なら……仁義や任侠、そういったスジにこそ、男ぶりを見せたいと沢はいつもどこかで思っていた。
 二葉はそんな沢が理想とするヤクザの親分の器を持っていた。組員は金を持ってきてなんぼという、身も蓋もない組長も多い中で、二葉は「組は家族だ」という信念のもと、厳しいがきちんと一人ひとりに目配りした処遇で組を率いていた。
 この人についていきたい。沢はそう願い、そして、そんな沢の気持ちに二葉は応えてくれた。
 二葉の杯をもらい、二葉のそば近くに仕えるようになって、沢はますます二葉に心酔するようになった。このオヤジさんのためなら、命を捨ててもいいとまで、沢は思い決めて二葉に仕えていた。二葉はいつも自分の欲は後回しにする。二葉を慕う組員のため、組員の生活のためを一番に考えているのを、沢はいつも近くで見てきた。
 その二葉のオヤジさんが珍しくも執着を見せたのが当時まだ中学生だった木下輝良(あきら)だった。彼を欲しがる二葉は熱に浮かされたような眼を見せて、沢に「惚れてるんや」と思わせた。
 輝良には災難だったにちがいない。
 叔父に騙される形で大阪に来させられた輝良はそのまま二葉の家に連れ込まれ、沢をはじめとする組員たちに押さえつけられて二葉に強姦されたのだ。
 それは輝良を見初めて以来、一年以上も我慢していた二葉にしてみればようやく本懐を遂げたというところだっただろうし、女の子かと見まがうほどに綺麗で華奢な外見を裏切って、中身はなかなかに気が強いらしい輝良のようなタイプは最初にがつんと上下関係をわからせておかないと大変だというのもあった。それでも、沢にしても、「これはちょっとかわいそう」と思わずにはいられない展開ではあった。
 が、その陵辱の直後、少し甘い顔を見せた二葉の舌に噛み付いた輝良を見て、沢はこの展開は必要悪だったのだと思わずにいられなかった。
 輝良は気の強い少年だった。
 普通だったら、数日は落ち込んで食事も喉を通らないだろうし、ヘタをすれば自殺までしかねないような状況で、輝良は意外と平然としていた。反発は相当だったが、借金をチャラにしてやるという話や高校進学の話も頭から受け付けないかと思いきや、これまた意外にひとつひとつ理解して聞いていた。一言で言えば輝良は「肝が据わっている」少年だった。
 これは意外といい拾い物ではないかと沢は考えるようになった。
 次の日、親に電話を掛けさせたのは、ある種、賭けだった。こちらはこちらの住所まで明かしていたのだ、輝良が助けてと一言叫べば警察に踏み込まれていただろう。だが、輝良は時に笑みさえ浮かべながら、「心配しないで」と親に言い切ったのだ。
 輝良は脅されながらと言いながら、三百万の借金と自身の進学をヤクザの組長の愛人になることであがなう決心を自身で固めたのだった。
 それでも自分を力づくでものにした二葉への反抗心は相当で、沢相手には軽口を叩くほどになっても、輝良は二葉にだけは頑として心を開こうとはしなかった。だんだんと躯が男との行為に慣れて開発されていっているにも関わらず、輝良の二葉への冷たい態度は変わらなかった。
 その方法はかなりまずかったとは言え、輝良を養子にまで迎えたいという二葉の思いは真剣ではあった。二葉に心を許したくない輝良の気持ちも、二葉の輝良を息子にまでしたいという思いも、両方を理解できる沢には、どちらもが苦しそうで、見ているのがつらい時期だった。
 その二人の関係が変化したのは……仁和組の重鎮・城戸泰造の訪問がきっかけだった。
 城戸はなにを輝良に伝えたのか、その夜遅くまで泣き声を廊下にまで響かせていた輝良は、翌朝、なにやら心を決めたような、やけにすっきりした表情で、
「この前の、養子の話。俺、お受けします。俺は二葉輝良になります」
 と二葉の前に手をついた。
 二葉はひどく喜んだ。
 覚悟を決めた輝良も、それまでの態度が嘘のように、時には傍で見ている沢のほうがドキドキしてしまうほど色っぽい仕草で二葉に甘えかかるようになった。
 よかったと、沢は心から思った。
 二葉のオヤジさんが嬉しいことは沢にとっても嬉しいことだ。輝良が極道になると心を決めてくれたことも、輝良を純粋に弟分として可愛く思っていた沢には嬉しいことだった。
 これでいい、これでよかった、沢は喜んでいた。
――ところが。
 よりにもよって、仁和組総長・平剛士(たいらつよし)その人から、「輝良を行儀見習いに」と話が来てしまった。「行儀見習いとして平の家で面倒を見る」と言えば聞こえはいいが、実際は「輝良を寄越せ」ということだ。
 まだ養子として籍を入れただけ、ヤクザとして正式に杯を与えたわけではない高校生。拒める理由がなかった。
 二葉のオヤジさんの落胆ぶりは見ていて痛々しかった。それでもヤクザの、男の意地か、輝良に対しては、
「おまえの将来の為んなる」
 と言って聞かせたりもしていて、それがなお、沢の胸を痛くした。
 当の輝良は話が来た当初こそ、
「いまさらほかの家って言われてもピンとこねえよ。断れないの?」
 などと言っていたが、断るに断れないヤクザの力関係のなかの話や、つまりは自分の後ろ盾に仁和組総長がつくことになる事実に気がついてからは「しょうがないね」という態度に変わってしまった。
 これには沢は失望した。もちろん、そんなことはおくびにも出さなかったが。
 輝良にしてみれば、お金と自身の生活の安泰をタテに自分を陵辱した男から、別の男に引き取られるだけの話かもしれなかった。極道になる決心をしたのなら、後ろ盾は少しでも大きいほうがいいと考えたのかもしれなくて、それはそれで自然な話だった。
 しかし、しかしだ。
 二葉のオヤジさんは本当に輝良を大事にしていた。輝良が有名な進学校に入学できたことを我がことのように喜び、誇りにしていた。輝良には聞かせなかったが、
「ええとこのぼっちゃんばっかり来とる学校やろ。輝良が肩身の狭い思いをせんでええようにしちゃらんと」
 と、輝良の持ち物から着る物まで一級品で揃えさせたのは二葉だ。
「大学進学やら、また金がかかるなあ。俺はもっと気張らんと」
 と、輝良の先々まで心配していたのも二葉だ。
 二葉には情がある。それは輝良には鬱陶しいばかりのものかもしれないけれど。
 その情が輝良に通じていなかったのかと思うと、沢はたまらない。
「なんでわかれへんねん」
 と輝良の胸倉を掴み上げたくなるのを、沢は何度もこらえた。
 断ることのできない話だ。けれど、せめて……せめて、輝良には嫌がる素振りを見せてほしかった。行きたくないと、二葉にすがりついてほしかった。
 輝良に二葉に対する恋愛感情がないのは見ていてもわかる。いくら色っぽくしなだれかかろうが、二葉の愛撫に喘ぎを上げようが、輝良はどこか、「それはそれ」と割り切っている。二葉をそういう意味で好きになってほしいとは、沢も思わない。二葉だってそんなことまで望んではいないだろう。
 けれど、せめて……二葉が輝良に対して持っている情に、ほんの少しでいい、応える態度を見せてほしいのだ。
 淡々と平からの迎えの日を待つ様子の輝良に、沢は苦いものを何度も飲み込んだ。
 当日、黒のリムジンがマンション前に停まり、黒服姿の男たちが訪れてきた時も、輝良は平然としていた。
「荷物、これだけでいいかな」
 スポーツバッグを掲げて見せる様子には二葉や沢との別れを惜しむ気配すらなかった。
「……ええやろ。足りんものあったら、また届けちゃるし……」
「そっか」
 そのままあっさりと出て行きそうな輝良に、沢はさすがに、
「待たんかい!」
 と大きな声を出してしまった。
「なに?」
 と振り返る輝良は不思議そうだ。とたんにバツが悪くなり、沢は平静を装った。
「いや……おまえ、オヤジさんに挨拶したんか。こういうケジメはきちんとせんと……」
「あ。そうだった。ごめん」
 輝良は意外と素直に頭を下げると、二葉の私室へと入っていった。だが、聞こえてきた声は、
「これから平総長のお宅に行きます。行ってきます」
 それだけだ。おまえ、もっとほかに言うことあるやろとツッコみたくても、当の二葉はどうやら無言でうなずいただけらしく、輝良はすぐに部屋から出て来てしまった。そうなればもう、沢にはなにを言うこともできない。
「じゃ、沢さん。またね」
 ひらりと手を振る輝良に、沢は力なく手を振り返した。




 そんな経緯があっての、次の日だった。
 まだ日も明けきらぬ早朝、沢の携帯が鳴った。二葉からだった。
「今しがた」
 告げる二葉の声は硬い。
「平のオヤジさんから連絡が入った。輝良を迎えに来いて。おまえ、何人か連れてすぐ向こてくれ」
 輝良が平の家に行ってまだ丸一日もたっていない。どうしてこんな早い時間に、輝良一人で帰らせずにわざわざ迎えに来いなどと連絡が来るのか。尋ねたいことばかりだったが、二葉の口調にも押さえ切れない不安が滲んでいる。
「わかりました。すぐ向かいます」
 短く応えて、沢は支度を急いだのだった。




 豪邸と呼ぶのがふさわしい平の私宅に車で向かう間に、白々と夜が明けてきた。
 事情がなにもわからない。ふつふつと込み上げる不安を押し殺し押し殺し、沢は車の後部座席に座っていた。
 来訪を告げると、中では話が通っているのか門がすぐに開かれ、車止めまで車を進めると、これまたすぐに若衆が飛んできて案内に立つ。そのスムーズささえ、よくない符牒のように思えて仕方ない。
「こちらへ」
 と奥へ案内されたのは沢だけで、連れてきた組員は玄関脇で待たされる。
 どうしようもなくざわめく胸をなだめつつ、表面は堂々と平静を装って沢は案内について屋敷を奥へ奥へと進んだ。
「ここです」
 と示されたドアは、どうやら平の居室らしかった。
 沢一人、部屋へと入る。
 そこは広々とした、アンティーク調の家具でまとめられた、シックなたたずまいの洋間だった。
「来たか」
 ひときわ豪華なゴブラン織りのソファにゆったりと背を預け、ブランデーのグラスを傾けて、平がいた。胸元のはだけたバスローブ姿で、いつも油できっちりと固められている髪が、乱れて額に落ちかかっている。情事のあとの男の姿などいやと言うほど見てきている沢だったが、その平のたたずまいにはそんな沢さえぎくりとくるような、不穏な生々しさがあった。――輝良はどこにいるのか。
「沢です。輝良さんを迎えに来いと連絡をいただいて、参りました」
 一時も早く輝良の姿を確認したい焦りを噛み殺し、沢はきっちりと一礼した。
「そこにおる。連れて帰れ」
 平が襖で続いている隣の部屋を顎でしゃくる。両開きの襖が人ひとり分だけ、開いている。
「失礼いたします」
 続きの間は、これはまた立派な和室になっていた。寝室として使われているらしいそこには、白地に赤い模様の入った布団が二組、乱れに乱れたまま敷かれている。
 そこに――。
 乱れた布団に埋まるようにして、輝良が寝ていた。……いや、倒れていた。
「……輝良!」
 駆け寄って沢は絶句した。白い寝衣に包まれてぐったりと横たわる輝良の顔は、面変わりしていた。顔全体が青黒く腫れて、ふだんのほっそりした顔からは別人のように膨らみ、まぶたは両目とも重く腫れて目を覆い、口元にも鼻の横にも血がこびりついていた。布団の赤い模様と見えたのは輝良の血だと気づき、沢は慄然とした。足にも腕にもひどい痣があり、中には火で炙ったとしか思えない火傷まである。
「……なんで……」
 思わず沢は振り返っていた。
「なんでこないひどい……! あ、相手は素人です……! なんの不始末があったか知りませんけど、し、素人相手に……!」
 二葉組の若頭を務めているとはいえ、相手は仁和組総長。言葉を返せる相手ではないのは百も承知の沢だったが、輝良のあまりに無残な様子に声を上げないではいられなかった。
「阿呆」
 苦々しげに平が一言吐き捨てる。
「どこの世界に組の代紋しょった素人がおる」
「……え」
 平の言葉を理解して、沢は慌てて輝良を振り返った。膝をついて覗き込む。
「あ」
 息を呑んだ。はだけた寝衣からのぞいているのは、左胸に墨一色で彫られている、二葉組の代紋。
「い、いつの間に……」
「ゆうべ、こいつに夜伽を務めさせようとしたんや。しおらしゅうしとると思えば、おまえ……二葉の代紋しょっとるやないか」
 床入りを命じた少年がおとなしく言うことを聞くかと思ったら、その胸にはすでにほかの組長の紋が入っている――平が怒ったのも無理はないと、沢は青ざめる思いで悟る。
「しかも、こいつはなんちゅうたと思う?」
『ぼくは二葉のオヤジさんに身も心も捧げると決めてます。けれどそれは、ぼくの一存でぼくが決めたことで、オヤジさんは知りません。この紋を入れた責はぼくが一人で負います』
 輝良はそう堂々と平に向かって言い切ったという。
『あなたは二葉の父が父と仰ぐ人です。だからぼくもあなたの命に従います。どうぞお好きになさってください』
「そうまで言われてなあ、沢。ほかの男にそこまで操立てとる相手を、どうやって抱けっちゅうねん。俺の男としての面子(メンツ)はどないしたらええねん」
「それは……」
 咄嗟には言葉が見つからず、沢は踵を返すと平に向かって平伏した。畳に額を擦りつける。
「知らぬこととはいえ、申し訳ありませんでしたっ!」
 深い溜息が沢の言葉に応える。
「おまえが謝らんでええ。見てのとおりや。こいつには紋をしょった責を、こいつの言葉通り、自分でとってもろた」
 沢はたまらずもう一度、輝良を振り返った。薄く胸が上下しているが、半ばは気絶しているのだろう、これほどの声にも輝良が目覚める様子はない。
「二葉の紋をしょっとる以上、おまえの恥は二葉の恥や。一言でも声を上げたり泣き言ゆうたりしたら、それは全部、二葉の恥になるで。……そう言うて、あとは見てのとおり、殴る蹴る、ついでに根性焼きまで入れさせてもろた。……沢」
「はい」
「二葉に伝え。ええのを息子にしたなあて。素人の高校生とは思えん。呻き声ひとつ、漏らさんかったわ」
「あ……」
 沢は再び頭を下げた。
「ありがとうございます。二葉に……二葉にしっかりと伝えます」
 ゆっくりと仁和組総長が立ち上がった。沢のすぐ傍らに立ち、輝良を見下ろす。
「……近々、正式に二葉から杯やれや。ええ極道になる……末恐ろしいなあ」
 その声を、言葉を、沢は平伏したまましっかりと胸に留めた。




 そして、その朝からちょうど一ヵ月後。
 火傷の痕だけを太股と肘の内側に残し、傷の癒えた輝良は、城戸泰造を後見人に、正式に二葉武則の子分となった。
「これで沢さんとは兄弟だね。おにいさん、よろしく」
 ふざけて笑った輝良に、沢は「おう、よろしゅうな」と応えたが……。
 誰にも悟らせることなく、胸に墨を入れたこの少年がこれからどう育つのか……愉しみでもあるものの、これからのことが不安でもある沢だった。


   *     *     *     *     *




                                                  つづく






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