流花無残 十三話

   
「おまえは俺の犬だから」第三部<輝良>








 輝良、高校三年生の春――。
 仁和組総長・平剛士からの求めを胸に二葉組の紋を入れることで拒否した輝良は、仁和組重鎮の城戸泰造を後見に二葉の杯を受け、戸籍だけではなく極道の世界でも二葉の「子」となった。そして今また、閨で色子の役を務めることからも解放されて、輝良は改めて、己がこれからヤクザとして生きていくのだと噛み締めていた――。




 杯を受け、組の事務所にも顔を出すようになって、輝良は二葉組、さらには仁和組の実態についてより詳しく知るようになった。
 輝良の義父となった二葉武則は、仁和組総長・平剛士の弟分であり、二葉組の組長であると同時に仁和組の幹部でもある。つまり二葉組は仁和組の二次団体という位置づけとなる。そしてさらに、二葉の舎弟や子分が二葉のもとから独立して構えた組もある。それらの組は仁和組系としては三次団体ということになるわけだった。それらの組の組長は二葉がそうであるように、己の組を統率しながら二葉組の幹部でもあったりする。二葉組本体は三百人ほどの組だったが、それらの直系の組を数に入れると千を超える数になるという。
 そうして組と組の関係を理解すると同時に、輝良は二葉組の「事業」についても知ることになった。
 三百人の構成員を抱える二葉組はさまざまな資金源を持っていた。古典的なシノギである、シマ内の店から納められる「みかじめ料」、合法的な風俗店やゲームセンターの経営、さらにはグレーゾーンの不動産売買、そして明らかに非合法な賭場の運営まで。ほかにも一応は合法の建て前のフロント企業もある。沢に聞くと、「それは俺らの知らんこっちゃなあ」と意味ありげな笑みで答えられたが、どうやら麻薬の売買や拳銃の密造などという物騒なことも末端では行われているようだった。
 そしてもうひとつ、二葉組の大事な資金源のひとつが、詐欺だった。振り込め詐欺という個人を相手にしたものもあれば、架空の投資話を法人に持ちかける大掛かりな詐欺もある。――かつて、輝良の父親がだまされたように。
「俺の父親が家屋敷から会社まで手放すことになった経緯を知りたい」
 輝良がそう率直に切り出すと、沢はバツが悪そうに「ああ、あれなあ」と上を向いた。
「だいたいなんで大阪が拠点の二葉組があんな関東で詐欺なんかしたの」
 それは答えやすいことだったらしく、沢の口は軽くなった。
「流れ流れて仁和組で世話になっとった男がおったんや。そいつが平さんの杯もろて、帰った地元がおまえの住んどる街やった。デカい話があるゆうんで、関東進出の足がかりにもなるやろて、うちのオヤジが出張ることになったんや」
「……デカい話があるって、その男が言ってきたの」
 輝良が突っ込むと、沢はまたひとしきり天井を睨む。
「教えてくれてもいいじゃん」
「……仁和組にその話を持ち込んだのはその男やけど……そもそもは、おまえの叔父貴、大江から持ち込まれた話やそうや」
「…………」
 腹が決まったのか、沢は輝良の顔に視線を当てた。
「おまえはもう俺らの身内や。隠さずにいくで。……ぼんぼん育ちでだましやすいのがおる。義理の妹婿の俺が行けば簡単にだませるだろう。会社と家は俺が継ぎたいからあまり手を出さないでほしいが、個人の資産だけでもかなりのものだ。どうだ、手伝ってもらえないかと、そう話があったそうだ」
 改めて聞く、大江の言葉。輝良は無意識にこぶしを握り締めていた。どす黒く、熱いものが湧いて、首の後ろと頭が異様に火照る。
「会社と家は俺が継ぐって……なに、勝手な……」
「おまえには悪いけど、おまえのとうちゃんもたいがいアホや思うで。俺らが用意した現地の写真やニセ書類、自分で確かめもせんと大金つぎこんで」
 だまされるほうが悪い。城戸翁もそう言っていた。それは犯罪者の勝手な理屈だと輝良は思う。けれど……巧妙な罠を仕掛けられても用心深くその罠を避ける者もいることを思えば、その用心を怠った者が笑われても仕方ないのかとも思う。この世にはそうして人をだましたり陥れたりして、持っている者を奪おうと企む者があるということを、果たして父親は知っていただろうか……。
「まあ、身内からの話っちゅうんが、ミソやな。アカの他人からの話やったら、おまえのとうちゃんもそうあっさり信じんかったやろ」
 沢の言葉はそのまま輝良の思いでもあった。そう、大江の叔父さえ、いらぬ欲をかかなければ……。
「……俺のことは……?」
 絞り出すように輝良は問うていた。
「大江が俺を学校から連れ出したんだ。親が事故に遭ったって大嘘で。……あれは?」
 輝良の人生がそれまでの広々と心地よい海原から、奈落の底に落とされたような激変を迎えた日。――クマの腕のなかから、ヤクザの腕のなかへと奪われた日。
「ああ……」
 同じ日のことを思い出したのか、沢の声が沈む。
「ほんまは俺ら、会社も乗っ取ろうと思えば乗っ取れたんや。せやけど大江がそれは残してくれゆうて……ほなら、おまえ、代わりになにを差し出してくれるゆう話になるやろ。木下んとこの息子、寄越せるかゆうたら、大江はふたつ返事でそれでええならて……」
 輝良のなかで熱を持った黒いものが渦を巻く。なにもかも、ことの発端は大江の汚い欲望なのだと思い知る。己が二葉の玩具になっていたことも。
「許せねえ……」
 輝良が呻くように言うと、沢は「せやわなあ」と呟いた。




 叔父への復讐はかんたんに実行できるように輝良には思えた。
 二葉は直接の傘下だけで三百人を抱える組長だ、自分はその義理とはいえ息子だ。適当な鉄砲玉を仕立て上げ、叔父を殺させるぐらい、たやすいことのようにみえた。
 ――が。
「誰がそんな仕事、引き受けんねん」
 沢に軽く鼻で笑われた。
「命知らずで無鉄砲なヤツ、いるでしょ。そういうヤツに命令して……」
「誰が命令すんねん」
 沢は自分の気持ちをわかってくれていると踏んでいたから、その沢の反応は輝良をとまどわせた。
「……俺、が。俺がダメなら、沢さん、代わりに……」
 深く溜息をつき、沢は腕を組んだ。輝良に投げかけられる視線が、「このバカをどうしよう」と言っている。
「おまえが、か。おまえ、おまえの命令でコロシまでやる人間がおる思うんか。人をバラしたら最低でも五年は食らいこむ。誰がおまえの命令で五年も酒も呑めん、女も抱けん、そんな生活する思うねん」
「なら沢さんが……」
「俺が? 俺が、手塩にかけて育てた、面倒みちゃっとる可愛いヤツらに、命令するんか。組長の息子さんの恨み、おまえ代わりに果たして来いて。五年間、まずいメシ食うて来いて」
 さすがに言葉をなくして輝良は黙り込んだ。下の人間を使うのはもっとかんたんなことだと思っていた。沢が淡々と続ける。
「ハシタ金ちらつかせればなんでもやる、ゆうんはおるで。けど、そういうヤツはしょせんつまらんチンピラや。仕損じたり、びびったり……本気でコロシさせよ思たら、それだけ性根のすわっとるヤツを使わなあかん。サツに捕まっても絶対上の名前はゲロせんような、そういうヤツや。つまり、俺から見ても信頼できるヤツやないとあかん。おまえの気持ちはわかるが、俺は俺の大事な子分を、そいつらにとってはなんの義理もスジもない、おまえの気ぃを晴らすだけの仕事には使えんわ」
 沢の言うことは理解できたが、輝良としてもああそうですかと、あっさり引き下がるわけにはいかなかった。
「……プロ……プロっているだろ。金で請け負ってくれる……」
「ああ、おるな」
「じゃあそういうのに頼んで……」
 意気込んだ輝良を、沢は同情を含んだ、しかし冷たい目で見てくる。
「その金、誰が出すねん。十万二十万のハシタ金やないど?」
 今度こそ返す言葉もなく、輝良は口をつぐんだ。
 人を動かすのがそれほどむずかしいことだとは思っていなかった。――自分がそこまで無力なのだとも。
「……輝良。大江に復讐したかったらな、金、作り。その金で若いモンに商売させえ。面倒みちゃれ。おまえに恩を感じて、おまえのためなら火の中、水の中ゆう若いのを育てえ。おまえもそんだけの器になり。つまらん嫌がらせでええなら、いくらでもできるやろ。けど、おまえがきっちり大江に復讐したりたいなら、おまえはそんだけの男にならなあかんねん」
 輝良はゆっくりと床に落としていた目を上げた。沢の顔をじっと見つめる。なにかがすとんと腑に落ちていた。
「……わかった。ありがとう、若頭」
 心からの礼に沢はにやりと笑ったのだった。




 金、金、金――。
 どうすればいいのか、輝良は真剣に考えた。ビッグになる、言葉はかんたんだったが、実際にどう立ち回ればいいのか……。今の自分にあるのは二葉組組長の義理の息子という、その立場だけ。だが、今その立場にものを言わせてシノギの現場に割って入って行っても、恐らくは反感を買うだけ、高校生のガキが生意気にとおもしろくなく思われるだけだろう……。そうでなくても、しょせん「二葉の玩具」だったと輝良を冷たく見る視線があることには気づいている。その一方で、仁和組総長のヤキ入れを耐え抜いた輝良を尊敬の眼差しでみてくれる若い衆もいたが、その彼らにしても、沢の言うとおり、輝良のために刑務所に入ってくれる気はないだろう。
 どうする?
 問いはそのまま、自分がどんなヤクザになりたいかということにも繋がっていく。
 その頃の輝良は、二葉が自分に執着した理由のひとつにどうやら二葉のコンプレックスがあるらしいと見抜いていた。二葉自身は大阪でもガラが悪いとされる地域で、なかでも貧乏に苦しむ家庭で育ったらしい。高校進学など考えることもできなくて、中学を出るか出ないかのうちから飢えをしのぐために働いていたと、寝物語に聞いたことがある。
「極道もなあ……俺らの時代は男の器っちゅうもんがモノゆうたんやけどなあ。今はインテリヤクザやなんやゆうて、大学出がデカイ顔しよる。俺らとちごて、金作りもスマートや。……おまえはええとこのぼっちゃんやったんやし、頭もええ。ヤクザの家から、東大や京大や、ちょっとカッコええやろ。学歴、ハナにかけとるヤツを逆に笑ったったらええねん」
 輝良が今の高校に合格したときにも、二葉は『えらいおぼっちゃま学校にうかったもんやなあ』と誰よりも喜び、自分が見込んで引き取った子供がいい成績を収めるのをヤクザ仲間に自慢げに吹聴していた。当初は、『バカバカしい』とそんな二葉を冷めた目で見ていた輝良だったが、そこに活路があるのではないだろうか……?
 学歴、知識で箔をつけ、さらにその知識を生かした金作りができれば……二葉の言う「インテリヤクザ」に、自分ならなれる……。
 そんなふうに答えを見出しつつあった輝良は、現実でも高校卒業後の進路を明確にしなければならない時期を迎えていた。輝良が通うのは進学校だ。大学進学を前提とした資料配布や調査が矢継ぎ早に行われる。
「推薦希望……なんやこれ」
 学校からもらってきた用紙を差し出すと、二葉は困惑して眉を寄せた。
「私立大学への推薦を希望するかどうか、希望するならどこの大学のどの学部か、提出しなければならないんです」
「私立大学……」
「国公立大学への推薦制度もありますが、こちらは十月頃に学校のほうから話があるそうです」
「……大学に推薦で行けるんか」
 むずかしそうな顔で用紙を睨んでいた二葉が確認をとるように輝良を見上げる。
「そうです。もちろん、相応の成績が取れていなければ推薦はもらえませんが」
「なんやずっこいなあ。試験を受けんでもええんか」
「形だけ受験しなければならないところや、面接や小論文があるところもあります」
 二葉の正直な感想に、思わず笑みを浮かべながら輝良は答えた。
「推薦制度は受験生にとっては合否をあらかじめ確実にできるというメリットがあり、大学側にとっては高校側によって成績と人格を保証された学生を確実に獲得できるというメリットがあります。早稲田、慶応なども推薦がもらえますが、それだけの成績を収めている生徒なら、東大、京大なども狙えますから」
「青田買いか」
「……まあ、一種そうとも言えるかと」
「なんや男らしないなあ」
「おとうさんはそうおっしゃると思ってました」
「おまえはどやねん。こんな敵前逃亡みたいなマネ、したいんか」
「敵前逃亡ではなくリスク回避ですよ」
 輝良が返すと二葉は盛大に顔を歪めた。
 そこで輝良はここ最近、固めつつあった希望を口にしてみた。
「――ぼくはアメリカの大学に進みたいと思っています。もちろん、おとうさんの承諾がいただければ、ですが」
 二葉の目が意外そうに見開かれた。
「アメリカ? ハーバードとかゆうとこか」
「まだどこにするか、具体的なところまでは考えていません」
「アメリカかあ……」
 しみじみと呟きながら二葉はソファに深く背もたれたが、頭ごなしに反対するつもりではなさそうだった。感触は悪くない。
 インテリヤクザを目指すとしたら、学歴がほしい。そう考えた輝良はすぐに、どうしても避けたいことがあるのに気づいたのだ。
 関東で輝良が在籍していた中学は、中高一貫の、旧帝大系への進学率を誇る進学校だった。一学年400名。輝良が国内で進学すれば、再び元の同級生に出会う確率は決して低くない。もちろん、名の知れている大学の多くで、各学部を合わせると総新入生数は万のオーダーになる。中高のように同じ学校だからといって必ずしも顔見知りになるというわけではない。
 だが、もし、かつての同級生が同じ学部にいたら……同じサークルに入ったら……同じ校舎を使っていたら……。
「あれ? 木下じゃん?」
 そう声を掛けられたら、どうすればいい?
「おまえ、急に転校しちゃって驚いたよ。なあ、今度みんなで会おうぜ? なに、おまえ、熊沢とも連絡とってないの? 俺、連絡先、教えてやるよ」
 そんなことになったら……。
 人の悪意など知らず、無邪気に、与えられた環境を当たり前のものとして享受していた、かつての自分。大学で再会する友人たちはその頃の自分がそのまま成長した姿だ。高校に進学する代価として、親の借金を減らす代価として、いいように男に玩具にされた経験などない、無邪気で少し傲慢な人種。想像して輝良は身震いした。――嫌だった。かつての友人になど、絶対に会いたくない。自分が失った輝きを、おそらくは今も持っているだろう、どこに出ても恥ずかしくない、そんな友人たちに、会いたくない。
 なかでも、かつての親友には。一夜限りの恋人には。
 クマのことだ。おそらくはいきなり消えた自分の消息を必死に求めたにちがいない。なぜ連絡を寄越さないと恨んだかもしれない、怒ったかもしれない。『どうしていたんだ』と聞かれたらどう答えればいい? 熊沢にそんなふうに尋ねられる場面を想像しただけで手足が冷たくなる。――嫌だ、嫌だ。絶対に。
 過去の自分に関係する人間に再び出会うかもしれないリスクは全力で回避しなければならない。アメリカの大学への進学は輝良にとって、『それしかない』選択だった。




 輝良が具体的に、
「カリフォルニアのUCLAで経済を学びたい」
 そう告げると、二葉は『カリフォルニアかあ……えらい遠いなあ』とピンと来ないような顔をしたが、輝良がさらに、
「ハーバードが世界の東大だとしたら、UCLAは京大みたいなものです」
 とアバウトな説明をすると、「ほお!」と瞳を輝かせた。
「京大か! 世界の京大か! ヤクザの家からそないえらいとこに行くんか!」
 二葉の同意を得て、輝良のアメリカ行きは具体的なものになった。
 そして輝良は渡米しての進学に備えての勉強に励みながら、沢に「ちょっといい話」を持ちかけた。
「ねえ、沢さん。俺に投資しない?」
「……なんの話や?」
 用心深く尋ねてくる沢ににっこりと笑顔を向ける。
「俺にパソコン買って。あとね、百万ちょうだい。絶対損はさせないから」
「ハナから損させるゆうてくるヤマ師はおらんわ」
「リスクを怖がってばかりで大物になる男もいないよ」
「おまえはほんまに口のへらんやっちゃなあ」
 沢は呆れたように言う。
「で、どないすんねん? そのパソコンと百万」
「株をやってみようと思うんだ。軌道に乗ったら、為替にも手を出してみたいって思ってる」
「百万程度の元手で仕手株は無理やぞ」
 百万円の資本では狙った銘柄の株価を操作して儲けをたくらむのは無理だと言われる。
「仕手株を仕掛けようとは思ってない。あくまで一投資家として挑戦してみたいだけ」
「まあ、近頃はパソコンやらなんやら使て億の金稼いどる素人さんもおるて聞くけどなあ」
「それそれ。絶対儲かると思うんだよね」
「アホかおまえ。儲ける人間がおるっちゅうことは絶対損しとる人間もおんなじだけおるっちゅうことや」
「俺は損はしない」
 言い切ると沢は胡散臭そうな視線を向けてきたが、数日後には「ほら」と帯封のついた一万円札の束をふたつ、輝良の机の上に放り出した。
「期待せんと待っとるわ」
 そう言った沢も、まさか輝良がその二百万を元手に自分の進学資金のみならず、沢にとっても十分な活動資金を稼ぎ出すようになるとは期待していなかっただろう。
 金の作れる、強いヤクザになる。
 それは輝良の揺らぐことのない決意だった。
 金のある、強いヤクザ――大江に復讐できるほどに。
 天を見つめる輝良の瞳には暗い炎が宿っていた。








                                                  つづく





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